太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年01月27日

038 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? E “まずは御由緒から”

038 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? E “まずは御由緒から”

20141122

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 九州の伊勢系神社を見る限りにおいては、内宮、外宮と分離しているものはありません。
 今夏、内倉武彦氏と同行しこの部分に焦点を当てて籠神社から大江山皇大神宮を周ったのですが、元伊勢で知られた籠神社に上宮、下宮の別はあるものの、内宮、外宮を発見することはできませんでした。
 しかし、大江山皇大神宮には明確に内宮、外宮が存在するのです。
元伊勢が薦から大江山へと移動したことは確かでしょうから、この現象は籠神社を介在して生じていることは明らかでしょう。
祭神を「公式HP」「玄松子」「ウィキペディア」で見ると。


「公式HP」 伊勢神宮のふるさと 〜元伊勢について〜

1.元伊勢とは

伊勢神宮は大小のお社を併せて125社から構成されていますが、 その中心となるのは天照大神をお祀りする皇大神宮(内宮)豊受大神をお祀りする豊受大神宮です。両大神は初めから伊勢の地でお祀りされていた神ではなく、他の場所から伊勢へお遷しされました。その起源を繙くと、天照大神は第十代崇神天皇六年の八月まで宮中でお祀りされていましたが、同年九月に皇女豊鋤入姫命によって初めて宮中の外でお祀りされることになりました。その後豊鋤入姫命は天照大神の御心に叶う御鎮座地を求め各地を御巡幸されましたが、途中で第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命にその任務をお引き継ぎになり、最終的には倭姫命が伊勢の地に皇大神宮を創祀されました。
「元伊勢」とは、天照大神が宮中を出られてから伊勢の五十鈴川の河上に御鎮座されるまで皇女が天照大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって各地を御巡幸になり、一時的に天照大神をお祀りした二十数カ所の宮々のことを云います。
また、それとは別に雄略天皇の御代に天照大神のお告げによって丹波国(現在の丹後)の与佐(よさ)の小見(おみ)の比沼(ひぬ)の魚井原(まないはら)にいる丹波道主(たにわのみちぬし)の娘・八乎止女(やおとめ)のお祀りする豊受大神が天照大神の食事を司る神として伊勢に迎えられました。この丹波の魚井原で豊受大神をお祀りしていたお宮のことも「元伊勢」と云います。「海部家は豊受大神を祀った彦火明命の血脈であり、丹波道主の子孫にも当たり、また海部家の直系の女性が「八乎止女」を襲名し、豊受大神をお祀りしていたことが伝えられています。」つまり、雄略天皇の御代、「丹波国の丹波道主の娘の八乎止女が祀っていた豊受大神」とは、奥宮真名井神社(古称 吉佐宮)の豊受大神であり、「元伊勢」としての由緒が明らかとなっています。
他にも「元伊勢」伝承を有する神社はありますが、天照大神・豊受大神をその血脈の子孫が宮司家となって一緒にお祀りしたのは当社だけで、特別の「元伊勢」として崇敬され続けています。


2.天照大神・豊受大神とは

天照大神は神々の中で最も尊い神としてお生まれになりました。皇室のご先祖であると同時に私たちのご先祖でもあります。天に輝く太陽のように広大無辺のお恵みを与えてくださる生命の源の先祖神です。神話によると、天照大神は孫神である邇邇芸命に高天原で作った稲穂を授け人間界を統治するよう命じ、稲や粟などを人間が生きていくための食べ物と位置づけ、更に養蚕も始められました。天照大神は邇邇芸命に稲穂の他に玉・鏡・剣(『書紀』では鏡のみ)も授けられました。邇邇芸命は天照大神の御魂が籠められた八咫鏡(やたのかがみ)を持って、日向の高千穂に降臨され、垂仁天皇の御代にその鏡は倭姫命によって伊勢に遷され、それ以来天照大神の血脈に繋がる天皇家が天照大神の祭祀を継承しています。
豊受大神は私たちの毎日の生活に必要な「衣食住」の守護神であります。また天照大神がご自身のお食事を司ってもらうために自ら丹後国からお迎えになった神でもあり、天照大神にエネルギーとパワーをお入れになる神でもあります。神話によると、豊受大神は彦火明命(籠神社主祭神であり、また海部家の始祖)の后神である天道日女命に五穀(人間の主食となる米・麦・粟・きび・豆)の種を授け、更に養蚕の技術を伝授し、私たちに生きるための糧や知恵を授けてくれました。それ以来日本人の「衣食住」の守護神として篤く崇敬されています。豊受大神は天孫降臨(邇邇芸命が天照大神の籠もられた御神鏡をもって天降り、地上を統治すること)の際、天火明命(彦火明命)と共に地上に天降られた神でもあります。彦火明命は天祖から豊受大神をお祀りするための御神鏡を授けられ、それをお祀りして国を統治するよう命じられました。彦火明命はその鏡を持って丹後国(旧丹波国)に降臨され、それをお祀りする神聖な場所を弓矢の飛ぶ方向によって、その子神である天香語山命が占い、ついに天橋立北浜に鎮座する当社奥宮の鎮座地・真名井原を豊受大神をお祀りする最高の場所と定め、「匏宮(よさのみや)」を創祀しました。それ以来彦火明命の血脈に繋がる海部家が世襲制で豊受大神の祭祀を現在に至るまで継承しています。

※(アンダーバーは古川)

奥宮 真名井神社
【別称】  豊受大神宮・比沼真名井(ひぬまない)・外宮元宮・元伊勢大元宮
【古称】  匏宮(よさのみや)吉佐宮(よさのみや)与謝宮(よさのみや)久志濱宮(くしはまのみや)
【御祭神】 豊受大神を主祭神として、天照大神・伊射奈岐大神(いざなぎおおかみ)・伊射奈美大神(い    ざなみおおかみ)・罔象女命(みづはのめのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・神代五代神(かみよいつつよのかみ)をお祀りしています。豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売とも云います。また食物を司るという属性の類似性から、倉稲魂命(うかのみたま)・宇迦之御魂(うかのみたま)・保食神(うけもちのかみ)・大宜津比売命(おおげつひめのみこと)なども同神と考えられています。『丹後風土記』に収載の「天女伝説」に登場する豊宇賀能売神も豊受大神の属性の神ですが、伊勢神宮外宮の主祭神の豊受大神とは別神で、豊宇賀能売神は御酒殿の守護神である「御酒殿神」として伊勢神宮の所管社に祀られています。

【磐座(いわくら)】 真名井神社本殿の裏手には、古代からの祭祀場である磐座が三カ所あります。磐座とは、簡単に云うと神の降臨場所或いは神の鎮座場所のことで、神を祀るための神聖な石や岩のことを云います。

※(アンダーバーは古川) 豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、 は誤りですね


「玄松子」   式内社 丹後國與謝郡 籠神社 名神大 月次新嘗 丹後國一宮 旧國幣中社

                 御祭神 彦火明命 配祀 天照大神 豊受大神 海神 天水分神


「ウィキペディア」
 「元伊勢籠神社」とも称する。また「元伊勢根本宮」「内宮元宮」「籠守大権現」「籠宮大明神」ともいう。現在まで海部氏が神職を担当している。
「上宮」の奥宮(真名井神社)に対して、本宮は「下宮」に位置づけられる。

摂社、末社
奥宮(境外摂社)真名井神社社殿(府指定文化財)磐座主座(奥)と磐座西座(手前)
真名井神社 (まないじんじゃ、眞名井神社)鎮座地:京都府宮津市江尻(位置) - 本宮の北東約400m
磐座主座(上宮)祭神:豊受大神 相殿神:罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神 磐座西座祭神:天照大神(主神)、伊射奈岐大神、伊射奈美大神

と、今回の「ウィキペディア」は、かなり込み入った事まで書いてくれています。
 引用ばかりで申し訳ありませんが、問題を整理するためにも必要な作業です。 長文になると読まれる方も大変ですので、ここで留めておきたいと思います。
ただ、籠神社に内宮、外宮の分離はなく、奥宮 真名井神社が無題.png豊受大神宮を祀る伊勢神宮の外宮であり、元宮、元伊勢大元宮であることが見えてきます。
 しかし、籠神社は豊受大神彦、火明命を祀っていたのであり、元々、天照大御神を祀っていたという痕跡は見えません。
 前稿において、唯一、倭姫命を祀る佐賀県嬉野市の味島神社を紹介していますが、本来、天照大御神は九州にいたのであり、籠神社に来訪神もしくは避退神として逗留し、物部故に伊勢に落ち着くまで放浪もしくは逃亡し続けたのが本来の姿のように思えます。
 恐らく、籠神社に祀られていた天照とは、物部氏の神、天火明神=天神ニギハヤヒであり、それを近畿大和王権も一応は祖神と受け入れた「天照大御神」として折り合いを付けたのではないかと考えています。この辺りが、最も重要な部分ですので皆さんも考えて見て下さい。アマテラス男神説との混乱の原型がここにありそうなのです。

移動図は「公式HP」から「元伊勢」ルートを切り出したもの

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 12:39| Comment(0) | 日記
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