太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年01月05日

031 百嶋神代系譜について

031 百嶋神代系譜について

20141119

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


「古事記」「日本書紀」神代系譜における多少の異同は置くとして、これらは百嶋神代系譜と決定的に異なっています。

それは、本物の神武天皇とその時代に活動した重要な神々を正当皇統の本物の天皇と併せて全て天皇だったしていることと、それを血の繋がりがないにも関わらず縦繋ぎに並べていることです。

 ここで話を分かりやすくするために、簡素なモデルで考えて見ることにします。

 百嶋系譜においては、そもそも天照大御神と神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)とは十歳違いの姉と弟の関係なのですが、それを、天照大御神から数代降って神武天皇としているのです。

また、「記」「紀」では時代が異常に遡ったために、遥か彼方の遠い正しく神話世界の話に仕立ててしまっているのです。

しかし、真実の神代紀とは二世紀から三世紀に掛けて大半九州の北半で実際に起こった出来事なのです。

 さらに、正当な天皇の系譜は呉の流れ=周王朝の流れを汲む太伯=姫氏の系統であり、初代神武(カムヤマトイワレヒコであり、決して自称神武ことハツクニシラススメラミコト=第10代崇神天皇ではない)天皇から始まり、血統としては、第4代懿徳天皇、第7代孝霊天皇、第8代孝元天皇、第9代開化天皇、そして、第16代仁徳天皇へと引き継がれた流れであり、最期は仁徳を持って終わる九州王朝系の天皇と考えているのです。


1神武天皇2綏靖天皇3安寧天皇4懿徳天皇5孝昭天皇6孝安天皇7孝霊天皇8孝元天皇9開化天皇


つまり、始祖〜9代について言えば、黄色のマーカーの部分が九州王朝系の正当皇統に相当するのです。

では、その間に挿入された第2代綏靖、第3代安寧、第5代孝昭、第6代孝安天皇とは何だったのでしょうか?結論を急げば、それは、有力者であった神武天皇の多くの有力な臣下だったのです。

例えば、孝昭天皇とは熊本県は阿蘇高森の草部吉見神(海幸彦、鹿島大神、春日大神、天忍穂耳、支那都彦、天児屋根…)=多氏であり、孝安天皇も実は熊本県玉名市の延喜式内社 疋野神社の祭神 波比岐神=多氏であり、他の綏靖天皇 神渟名川耳=草部吉見の父)…などにしてもやはり多氏なのです。

 実感しにくいと思いますので、まずは、孝安天皇の例で考えてみましょう。


疋野神社(実は第6代孝安天皇)

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疋野神社の公式HPより

 疋野神社の御祭神は古来より、玉名の地に御鎮座・御守護の大神様です 

疋野神社は他の神社よりのご勧請の神様をお祀りした神社ではありません。

大昔よりこの玉名の地に御鎮座の神社であり、この地方を古来より御守護
なされてきた神様をお祀りする神社です。

・御祭神、「波比岐神」は日本最古の著『古事記』記載の神様であり、
日本建国の場づくりをなされた神代の時代の尊い神様です。

『延喜式』には、天皇御即位時の大嘗祭の八神殿に祀る神として、
又祈年祭・月次祭の祝詞や、神明帳の宮中三十六座の中にも
その御神号が見え、特に朝廷の御崇敬が深い神として記されています。

相殿には父神様であります「大年神がお祀りされています。

大年神は、天照大御神と御姉弟であります素盞鳴尊の御子神様です。

・当神社は奈良平安時代、玉名地方の豪族日置氏の氏神神社として
はなやかに栄え、また立願寺という地名は、疋野神社の神護寺であった
「立願寺」というお寺の名前が起源です。


父神様であります「大年神については、勿論、孝昭天皇こと草部吉見神=海幸彦ですし、大年神は、天照大御神と御姉弟であります素盞鳴尊の御子神様です。についても、草部吉見=海幸彦の父である神沼河耳=綏靖天皇がスサノオの姉である神俣姫を娶り生まれていることから兄弟姉妹の子が等しく子とされた時代においては誤りとまでは言えないのです。

何故ならば、「古事記」は全く系統が異なる、アマテラス(天孫族?=呉)、スサノウ(言えば新羅系)、月読命(トルコ系)を全て兄弟姉妹とし、異なる民族を皆同族としてしまっているのですから。

この点について詳しく知りたい向きには最期の百嶋神代系譜をご覧ください。

特に重要なのは、疋野神社は他の神社よりのご勧請の神様をお祀りした神社ではありません。無題.pngと強調されている点です(一般的にはほとんどの神社が権威を付けるために事実と異なっていても京都、奈良からの勧請とする事が多い事は皆さん十分にご承知の事でしょう)。

このことは、大昔よりこの玉名の地に御鎮座の神社と書かれているように、神話の舞台が九州の、それも阿蘇から有明海沿岸の一帯であったことを示唆しているのです。

では、なぜ、そのような神代系譜の接ぎ木が起こったのでしょうか?

 それは、九州王朝が滅び政権の中枢が大和に移って以降、「古事記」「日本書紀」が編纂される時点まで生き延びてきた阿蘇氏=多氏=宇治氏を中心とする有力氏族を自らの勢力として取り込むために、その先祖神を全て同族の天皇だったとして縦繋ぎに並べた事から生じたものと考えられるのです。

 そして、神武を中心に動いた神代は九州を舞台にしていたため(神武東征は九州内の出来事でしかなく、日向から東征したのは崇神天皇)、阿蘇氏が重要な役割を果たしており、そのことが、現在の神社庁や宮廷雅楽に多氏が今なお勢力を保っていることの理由なのです。

このように有力な臣下の先祖も天皇の一人だったとすることによって権勢を維持しようとしたのですが、一方、神代が異常に古い過去に持ち去られた一つの原因でもあるのです。

藤原氏は元々阿蘇氏=海幸彦の流れであり、後に山幸彦の系統と混血し現在もなお隠然たる力を保持し続けているのです。


1.神武天皇 - 神倭伊波礼琵古(かむやまといわれひこ)

2.  綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)

3.  安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)

  1. 懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)
  2. 孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
  3. 孝安天皇 - 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
  4. 孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
  5. 孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
  6. 開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびびのすめらみこと)

なお、本物の神武天皇の妃はアイラツヒメであり、この疋野神社一帯が関係してくるのですが、これは別稿とさせて頂きます。



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  百嶋神代系譜を研究のために必要とされる場合はご連絡ください。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:57| Comment(0) | 日記
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