太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2014年11月22日

017 那珂川町に「天御中主神社」が存在する訳

017 那珂川町に「天御中主神社」が存在する訳            
20140923

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


015 「天御中主神社が福岡県那珂川町片縄に現存する」において、どうやら神代の神々がこの地に居住(居留)し、半島や大陸とも行き来していたのではないかという実感を読者の方々に気配を投げ掛けたつもりでしたが伝わっていないのは当然かも知れません。
欠史八代はおろか造化神の「天御中主命」など「歴史」として扱わないのが知性であるかのごとく振る舞うのが通説派の俗流学者の大家の方々ですから、鼻であしらわれるのは承知の上でご紹介したものでした。
そもそも、天御中主命という大きな名も実は福岡県那珂川町の那珂から付された可能性があるのです(久留米では水天宮とされますので)。
百嶋神社考古学では、神代からようやく人皇の天皇の時代へ入った辺りとするのですが(勿論、欠史8代も実在です)、津田左右吉以来、通説では第9代開化も架空としてしまいます。
それは当然そのはずで、奈良だろうが大和だろうが実在の痕跡が一切ない片田舎でしかなく、神話の舞台などではさらさら無かっただけの事なのです。
事実、神社本庁の史料でも「実際に古くから神社の祭神として祀られていた形跡は延喜式神名帳等の神社史研究において存在しない」としています。
恐らく式内社の事を言っているのでしょうが、天御中主神を祭る神社は一切無いとしているのです。
勿論、妙見神社、北辰神社といったものは元より、明治以降の新興神道などにも天御中主命を主神とするものがあるようですが、はっきり「天御中主神社」と幟を上げた神社は、和歌山県の一社(未確認のためコメント不能)この那珂川町のもの以外は山鹿市で見たもの以外は知りません。
お断りしておきますが、ここでは「天御中主神社」という名の神社について論じているのであって、天御中主命を祀る神社で極めて重要なものが、久留米市と東京都下に存在します。
それが久留米水天宮であり東京水天宮なのです。
ただ、隠されてはいますが天御中主命とその夫である金海伽耶の金越智=宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシアシカビヒコチ)神が共に祀られているのです。
この男神が隠された理由とは、言うまでもなく夫が朝鮮人だったこという事実が憚られたからと考えられますが、この朝鮮人という表現にもかなりの問題があります。
当時の伽耶は倭人やトルコ系(匈奴の末裔)や秦人など民族の坩堝状態だった訳であり、現在の朝鮮人とはかなり異なるものだったのであり、ウマシアシカビヒコチもそのトルコ系(匈奴の末裔)だったのです。
当時、朝鮮半島南部にいた人々のかなりの部分が列島に渡って来ており、その空白地帯には新たに、ツングースともされる、濊(ワイ)、貊(バク)といったさらに北の民族が南下し混血し、いわば半島の民族が入れ替わりと変化を見せているからです。
天御中主命が「古事記」でも直ぐに姿を消してしまうのも、半島と列島とを行き来していたからであって、その意味でも古代博多湾の湾奥である那珂川町は最適の場所であり、間違っても片田舎の大和の山の中などにいたはずなど一切ないのです。

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画像はblog「ひもろぎ逍遥」から


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ここでは百嶋神代系譜から、天御中主が何かをもう少し考えてみましょう。
天御中主と金海伽耶のウマシアシカビヒコジとの間に大山祇=月読尊が生まれ、天御中主の弟白川伯王の子が大幡主その子が豊玉彦=ヤカガラスが生まれるのです。
当然にも、天御中主命はその時代の在地神となりそうですが、それも先行して列島に基盤を持っていたと言う意味でしかなく、古い時代の渡来人でしかなかったはずなのです。
それを日本人と思いたい方は思えば良いだけであり、ここには妙な民族意識とか国粋主義さらには日本至上主義といった馬鹿げた思想が入る余地は一切ないのです。
勿論、現在の中韓朝がロクな国家ではないことは明らかですが、国粋主義を煽りヘイト・スピーチ繰り返すネット右翼こそよほど知性が低いのであって、暇なときもパチンコ屋にしか足が向かわずせっせと中韓朝に貢いでいるのですから言わずもがなでしょう。
良く「日教組が日本の教育をだめにした」といった短絡したメッセジが声高に流されていました。
勿論、文部省の官僚どもと日教組が教育を破壊したことは事実ですが、その教育から落ちこぼれた連中が街宣車に乗り喚き散し、現在のネット右翼になっているのであり、彼等自身が生きた証人だったことになる訳です。
話がまた逸れましたが、数千年を掛け日本列島には、数多くのしかも大量の異なった民族が入ってきました。
アメリカは底の浅い高々300年程度の移民による多民族国家だったのですが、日本はそれを三千年ほど前から始まり、紀元前後にピークを迎え融合した歴史ある多民族国家だったのです。
話が逸れたついでに、この天御中主とウマシアシカビヒコチの流れから次の日本神話の大スターが続出することをお話しします。
まず、誰でもご存じの大山祇(実は月読命)、その流れから神大市姫(罔象女)、大己貴=大国主命、木花咲耶姫の三兄弟、三姉妹が生まれているのです(実の兄弟)。
当時の半島には、多くの民族が流れ込んでいたようです。
それを、百嶋神社考古学では、姫(キ)氏、昔(ソク)氏、瀛(イン)氏、白族、越智族、許氏、多(阿蘇)氏として整理しています。
 その民族の坩堝とも言うべき半島の伽耶からスポイトから押し出されるかのように多くの民族が日本列島に雪崩れ込み、その受け皿となったのが北部九州両岸であり、そこに最初の国家が生まれたのです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 01:39| Comment(0) | 日記
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