太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



無題.png

無題.png

無題.png

o0198005613264565002.png o0199005613260936971.png 無題.png

2014年10月14日

005  肥後に高良神社を発見した!

005  肥後に高良神社を発見した!
20140712

 久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 高良玉垂命を祀る高良神社が、宇佐神宮のお膝元、豊後は日田市の中心部にあることは先に書きましたが、今度は、筑後から遠くないとは言え、肥後も荒尾市の樺地区にあることに気づきました。
 今般、大牟田市駛馬(ハヤメ)支所からの依頼を受け「駛馬」“古代官道を探る”を講演することになったことから周辺調査をしていたところ、荒尾市でも通常通らない山間の県道を走行中に発見したものでした。
まず、この樺上、樺下に分かれた樺地区一帯も、南関町の大谷遺跡、玉名市の斧砥、蛇ヶ谷…遺跡に隣接するところであり、平山、金山地区と併せ多くの遺跡が確認されている「小岱山製鉄跡群」を持つところです。
大牟田市の櫟野(いちの)から南の肥後へと向かうルートがどのようなものであったかをフィールドから確認する作業として、荒尾市の宿、府本(府本宿郵便局)、当然にも、要地であったと考えられる金山地区を繋ぐ通路を走っていると、道路脇から小丘に登る非常に気になる神社を発見したのでした。

無題.png
なんとか「椛神社」とは読めました

無題.png
手入れの行き届いた境内が印象的でした


無題.png

神額には、白山、高良、阿蘇生目、主神 日枝神社とありますが、
阿蘇生目としているのか、阿蘇+生目としているのかは微妙です


 白山は造化神の「天御中主命」(久留米水天宮の二神の一つ実は妻)、高良は高良玉垂命そのものでしょう。
 気になるのは、「阿蘇生目」なのか「阿蘇 生目」かです。もし、別神となると健磐龍と生目の二神となり、間隔が詰まっていることから「阿蘇生目」とすると草部吉見神と生目は繋がらずに単に、製鉄神と読めそうです。
 日枝神社は何度も書きましたが、日吉神社、松尾神社、山王神社(比叡山)、大山咋(クイ)=佐田大神(製鉄神でもある)は、実は、草部吉見神と宗像の市来嶋姫との間に生れたものであり、阿蘇が草部吉見とすると、随神として配されていることは理に叶うもののように思えます。
 とにかく、今回、肥後の領域に高良の神を発見したことは成果でした。
 これで、高良の神を見ないのは、唯一、宮崎県(日向領域)だけとなった訳です。
高良の神は、当然にも大和朝廷と宇佐八幡宮の威光によって掻き消されたものと考えていますが、荒尾市の平井区下井手原万田の阿蘇三宮八幡宮に磐井のものと考えられる石人が残された井手原三宮古墳が存在することでも明らかなように、当時、肥後の領域にまで高良玉垂命の威光は及んでいたことは明らかなのです。

無題.png
荒尾市の平井区下井手原万田の阿蘇三宮八幡宮


無題.png
石人が置かれた井手原三宮古墳の存在!div>

ネット上にもほとんど情報が出て来ません。

樺神社は樺信号のすぐ先。樺神社(樺北浦毘沙門))平安時代(805年)内大臣平重盛が賀庭寺を
建立したとき、賀庭寺内に勧請したものと言われている。明治11年4月社殿が焼失したので明治
15年2月現在地に遷座した。                
「三池街道(荒尾偏,3)」より


無題.png
百嶋神代系譜の一つを見ても、阿蘇の草部吉見と市杵島姫との間に大山咋=日枝山王権現=佐田大神が生まれていることが分かります。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:20| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: