太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



無題.png

無題.png

無題.png

o0198005613264565002.png o0199005613260936971.png 無題.png

2014年09月30日

001 岩倉社 ケベス祭りのケベスとは何か? @

001 岩倉社 ケベス祭りのケベスとは何か? @
20140606

 久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


国東半島と聞くだけで強烈なイメージが浮かんできますが、それは、「六郷満山
という山岳修験がもたらすものかも知れません。
 姫島の正面、旧国見町の伊美港そばの別宮社から東に向かうと、数キロごとに岩倉社、岐部神社、日枝神社と印象的な神社が並んでいます。
 中でも印象深いのが「ケベス祭で有名な岩倉社(ケベス神社)です。
この「ケベス祭」は、不気味な木の面をかぶった「ケベスと白装束の「トウバが火を争うもので、起源も意味も全く分からないとされています。

ケベス祭は櫛来社(岩倉八幡社)の秋の例大祭の宵祭りとして10月14日の夜に行われる火祭りです。…(中略)…ケベス祭に奉仕する当場組の人たちは,厳格に古来からの忌(心身を清浄に保ち神事に奉仕する)を守っています。10月9日から精進潔斎(神事の前に酒や肉食などを慎み心身を清める)の生活に入り,当場組以外の人とは一切の火を交えません。煙草や茶,その他の火を加えた食物等は,当場組以外の人とは同じものを食べません。学校の児童や生徒,そして会社員なども弁当と茶を持参します。
 10月14日は「宮上せ」といって,行列を組んで当場元から神社にのぼります。行列にはお供えの餅と甘酒が加わります。午後6時,当場組の男たちが白装束・白足袋姿で浜に出て,シオカキ(潮掻き:潮垢離をとること)をして身を清めます。シオカキの後に社殿の前に整列すると,本殿の中で神主がケベスにケベス面を渡して,ケベス面を着けさせます。境内の庭火に点火されてネンガク(練楽)が行われます。ネンガクの行列の順序は,先頭から太鼓・笛・鉦・ケベス係の宮付き・ケベス・神主・宮付き・区長・総代です。

無題.png

突進するケベスを棒でさえぎる当場組の男


 ケベスはワラヅト(藁苞)を先に結びつけた差又を肩に担い,手に持った扇子で棒を叩きながら,笛・太鼓に拍子を合わせながら行列と共に進み,庭火を廻ります。1廻りすると,ケベスは庭火に向かって突き進みます。白装束で火を守る当場組の男達が,突進して来るケベスを棒でさえぎり,ネンガクの列に押し戻します。2度目も同様に押し戻し,3度目にケベスが庭火を棒ではねます。しかし,再び当場組の男達によってネンガクの列に押し戻されます。
 これらの所作を3回繰り返して,9度目の突入時にケベスは庭火の中に飛び込んで火をはねます。これと同時に白装束の当場組の男たちは,火のついたシダ束(松明)を棒の先に刺して振り回し,参拝者たちに火の粉を浴びせます。境内の中を逃げ回る参拝者の歓声と悲鳴がどよめき,火祭りは最高潮に達します。その後ケベスは,西門・御供所前・拝殿前で差又の先につけたワラヅトを3度地面に叩きつけます。叩きつける音が大きいほど五穀豊穣になるとされています。すべての松明の火が消えたころ,宮司の叩く締めの太鼓の音を合図に火祭りは終わります。      岩倉社のケベス祭 国東市教育委員会文化財課

だいぶ昔でしたか、通りすがりに見ただけでしたが、以来、ケベスが何かは気になっていました。
昨年、菊池(川流域)地名研究会のメンバーでもあるお一人の女性がケベス祭りに行くと言われていましたが、十二月、太宰府地名研究会は、この冒頭に申上げた4社と姫島の黒曜石採集を目的に30人規模のトレッキングを行いました。
そもそも、国東には宇佐とは別系統になる石清水系の八幡宮が数多く分布しています。
その中心が伊美の別宮社であり、その別宮の意味も京都の石清水の同格社の別宮との意味なのです。
してみると、石清水八幡宮として宇佐から八幡神を勧請したのは橘 諸兄を頂点とする橘一族であり、同時に紀氏であったことに思い至りました。
このことから、隣の岐部神社の岐部の意味も氷解したのですが、岐部とは紀氏の一族を意味しており、国東でも大田村の財善一族をはじめ、国東全体が紀氏の一族の影響下にあったことを知りました。
奈良麻呂の変を始めとして、橘一族(紀氏)何度となく藤原氏から抑圧され続けますが、その紀氏の一族こそ久留米の高良大社の一族、即ち九州王朝の一族だったようなのです。
その証拠と言えそうなものが、別宮社の県社昇格記念碑ですが、その話は次稿とするとして、ここでは、最初のテーマ、ケベスとは何か?に戻します。
結論から言えば、ケベスとは、紀氏の部民=岐部=木部ではないかと思うのです。
当初、仮面来訪神とか恵比寿とかアカル姫伝承などを中心に考えていたのですが、いずれも不釣り合いで、やはり、「岐部の衆」または「岐部の主」(紀氏の主=あるじ)しかないだろ言うと思うようになりました。
だからこそ、国東町には高良があり、別宮社を始め多くの神社には高良神、仁徳天皇(オオサザキ 実は九躰皇子の長男=斯礼賀志命/シレカシノミコト)が立派な境内社として祀られているのです。
トレッキングでも「ケベス祭りがスケベ祭なら面白いのに…」などと不謹慎な冗談が飛び交っていましたが、ケベスは“キベノシュウ”もしくは“キベノシュ”の転化との仮説を出しておきたいと思います。
ここまで考えが進んでくると、伊美の正面、姫島の意味も、実は姫(キ/中国音ジー)であり、紀氏の紀の原形(姫)であることに気づくのです。
中国側の多くの史書において、倭人は呉の太伯の裔とされていることは、古代史に関心を寄せる人はどなたも御存じですが、呉の太伯王の一族の姓は「姫」なのです。


無題.png

別宮社(伊美別神社)参道/パノラマ撮影による
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:40| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
通りがかりのものです。
ケベスって人の名前ではないでしょうか。
韓国ドラマで新羅とか百済の時代物のドラマでケベクと言う人が出てくるんですよ。

にてるから、ケベスも人の名前ではないかと思いました。
Posted by おばさん at 2016年08月18日 18:58
ふたtび失礼します。
「韓国ドラマ、ケベク」のサイトを見てみました。

「落日の百済を率いる将軍ケベク」と書いてます。

ケベスってきっとその人のはなしよ^^
国東に逃れてきた百済の人が将軍を供養したくてケベス祭りを初めたのよ^^
きっと!
Posted by おばさん at 2016年08月18日 19:05
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: