2024年11月01日

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1031宮原誠一の神社見聞諜166 の転載 No.166 綾惶根尊(埴安姫)を祀る筑紫の扇祇神社

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1031宮原誠一の神社見聞諜166 の転載

No.166 綾惶根尊(埴安姫)を祀る筑紫の扇祇神社

20240423

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


百嶋神社考古学を追求しブロガーでもある関東メンバーのT氏から照会があり、“古川が書いている綾惶根尊(あやかしこねのみこと)は埴安姫で良いのか…といった質問が入ったと言うのです。私はこの祭神についてブログを書き増してやネットに展開した記憶は無かった事から少し調べると、「宮原誠一(氏)の神社見聞諜」以外には記事がありませんでした。それほどレアな神様なのですが、T氏が回答するとしても、金山彦のお妃である埴安姫(カミムスビ神の妹)が殆ど知られていない事も理解しました。そこで、今般、同ブログをネットに掲載することにしました。足名椎・手名椎の夫婦が面足尊と埴安姫であり、この間に櫛稲田姫が生まれている事を、また、その舞台が熊本県山鹿市の大宮神社一帯で起こった事であると知る方は我々百嶋神社考古学研究にある程度精通した者だけであろうと思います。以下お読みください。

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No.166 綾惶根尊(埴安姫)を祀る筑紫の扇祇神社

宮原誠一の神社見聞牒(166) 令和3年(2021)0320

常松の三郎天神社(埴安大神=大幡主 福岡県筑紫野市常松) の西の天拝山の麓に、綾惶根尊(あやかしこねのみこと)を祭神とする扇祇神社(おうぎ神社)が二社あります。
綾惶根尊は珍しい神名ですが、女神で別名・埴安姫(埴山姫)と申され、埴安大神(埴安彦=大幡主)の妹さんになられます。
『古事記』では淤母陀琉神(おもだるのかみ)阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)、『日本書紀』では面足尊、綾惶根尊と表記されています。二柱は夫婦神ですが、筑紫野市の扇祇神社の二社では綾惶根尊を単神として祀ります。配祀の神は明治期の合祀によります。


無題.png扇祇神社神紋・三つ扇紋 筑紫野市の扇祇神社二社

萩原の扇祇神社 福岡県筑紫野市萩原()垣ノ内70

無題.png祭神 綾惶根命、埴安命、火之迦具土神

祭神の埴安命(大神社 大字萩原字京手)、火之迦具土神(日尾神社 大字萩原字吉浦)は明治4410月合祀

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古賀の扇祇神社 福岡県筑紫野市古賀()舟木738

祭神 綾惶根命、大山祇神
祭神・大山祇神(山神社 大字古賀字山の口・大字古賀字白ヶ原)は明治4410月合祀

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火之迦具土神(かぐつちのかみ)は別名、金山彦であり、埴安姫の夫です。つまり面足尊は金山彦ということになり、面足尊と綾惶根尊が夫婦神であるように、金山彦と埴安姫は夫婦神となります。
神様の配祀からみると、萩原の扇祇神社が古い形式、古賀の扇祇神社が新しい形式となります。この新古は歴史的な新旧でなく、神様の組み合わせから見たものです。その理由は後に述べますが、埴安姫と金山彦は当初の夫婦でしたが、後に埴安姫と大山祇が再婚の夫婦となられます。
面足尊と綾惶根尊は日本書記の神世七代の神々に出て来られます。
不思議なことに、この記事の脇役となりますが、かの有名な大山祗の神は記載されていません。どうしてでしょうか?

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日本書記の神世七代
第1 国常立尊  くにのとこたちのみこと 男神 大幡主
第2 国狭槌尊  くにのさつちのみこと  男神 金山彦
第3 豊斟渟尊  とよぐもぬのみこと   男神 豊玉彦
第4 泥土煮尊  ういじにのみこと    男神 素盞嗚尊
   沙土煮尊  すいじにのみこと    女神 櫛稲田姫
第5 大戸之道尊 おおとのじのみこと   男神 長髄彦
   大戸門辺尊 おおとまべのみこと   女神 伊香色謎
第6 面足尊   おもだるのみこと    男神 金山彦
   惶根尊   かしこねのみこと    女神 埴安姫
第7 伊弉諾尊  いざなぎのみこと    男神    
   伊弉冉尊  いざなみのみこと    女神 
   


『記紀』の八岐大蛇神話(ヤマタノオロチ)で、櫛名田比売(くしなだひめ)の両親に足名椎(あしなつち)と手名椎(てなつち)という夫婦が登場します。
この足名椎・手名椎の夫婦が面足尊(おもだるのみこと)、綾惶根尊(あやかしこねのみこと)です。つまり、足名椎・手名椎の夫婦は金山彦・埴安姫夫婦となります。

No.120 櫛稲田姫生誕伝説の地・熊本県山鹿市の旧稲田村@ 2019830
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12513375590.html


No.120 櫛稲田姫生誕伝説の地・熊本県山鹿市の旧稲田村@宮原誠一の神社見聞牒(120)令和元年(2019)0830No.120 櫛稲田姫生誕伝説の地・熊本県山鹿市の旧稲田村@熊本県山鹿市菊池市

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『記紀』の八岐大蛇神話の舞台は出雲の島根県と多くの方が思われることでしょう。
この神話の元は、古代の熊本県山鹿市菊池市一帯を支配していた二つの豪族間の争いに素戔鳴尊(スサノオ)が仲裁し、二人の豪族が和平したという物語であり、これが古事記の八岐大蛇神話に形を変えて取り込まれたものと考えています。
この神話は金山彦と大山祗との山鹿菊池地方での争いを説話化したものです。
山鹿の金山彦と菊池の大山祗との若い頃の争いと言われ、その紛争の物語がヤマタノオロチの説話の材料にされ、金山彦夫妻が足名椎手名椎夫妻、大山祗はオロチに例えられているのです。その争いを仲裁したのが素戔嗚尊です。オロチ問題が終わったことは二人の豪族間の争いが終結したことを意味します。倭国大乱前のことでした。
オロチ退治後、素戔鳴尊がオロチの尻尾を切ると天叢雲(あめのむらくも)の剣が出てきます。天叢雲剣は八岐大蛇神話とセットで組み込まれています。
以前に素戔鳴尊が暴れられて天照大神を困らせ周囲から反発を食らい、素戔鳴尊はそれを後悔して、天叢雲剣の製作を金山彦に頼まれます。その剣を天照大神に献上されますが、その献上の使者となられたのが佐田大神(大山咋神)の若き日の天葺根命(あめのふきねのみこと)でした。

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八岐大蛇と素戔嗚尊(柳瀬・玉垂神社)
迦具土神(軻遇突智神 かぐつちのかみ)は火災防止・再発防止の神であり、昔、村中で大火があると、火災防止・再発防止のために村神社の境内に秋葉神社が建立されました。
迦具土神は金山彦の神名です。
オロチ紛争の和平は、素戔鳴尊が金山彦の娘さん櫛稲田姫を妻とされ、金山彦は大山祗の姉で大市姫(おちひめ)を妻とされ、その子供さんが吾平津姫(あいらつひめ)と五瀬命(いつせのみこと)です。
また、大山祗は金山彦の妻・埴安姫を妻とされ、その子供さんが罔象女神(みずはめのかみ 神大市姫 かむおちひめ)、大国主、木花開耶姫(このはなさくやひめ)となります。この時、埴安姫は草野姫(かやのひめ)と名前を変えられました。
これで、金山彦と大山祗との新たな縁組みが整ったことになります。古代は紛争の和平を再縁組みで行い、民族間の融合がなされました。これがお互いに存続する古代の知恵でした。
大幡主と大山祗の関係も義兄弟となります。大山祗の母親は大幡主のおばさんの天之御中主神(あめのみなかのぬし)です。大山祗の妃が大幡主の妹さんで草野姫(埴安姫)ですから、大幡主と大山祗の関係は深い親戚関係となります。
大幡主と大山祗の二柱合わせて田神様(タノカンサー)と呼ばれ、一体のご神像に大幡主と大山祗の神霊が合体されています。田神様は田神社(でんじんじゃ)の祭神です。
また、金山彦の妹さんのイザナミ命が後の大幡主の妃となられます。
よって、大幡主と大山祗と金山彦は三つ巴の連合関係となります。
埴安姫の紋章は単一扇紋ですので、三枚車合わせの扇紋(三つ扇紋)は大幡主(白族)、金山彦(瀛氏)、大山祗(越智族)の三つ巴の連合関係を示すものかもしれません(想像です)
熊本県山鹿市にお盆の「千人灯籠踊り」で有名な大宮神社があります。
境内社に甲斐神社があり、足手荒神を祀ります。足手荒神は八岐大蛇神話に出て来られる足名椎・手名椎夫妻神です。

大宮神社 熊本県山鹿市山鹿196

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右二つの石塔は猿田彦大神              足手荒神さん


筑紫神社 福岡県筑紫野市原田2550

祭神 白日別神(大幡主)、五十猛命(饒速日命)()玉依姫命、坂上田村麿

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筑紫神社祭神
筑紫野市原田(はるだ)には大幡主を白日別神として祀る筑紫神社が鎮座です。祭神は白日別神(大幡主)、五十猛命(別名・饒速日命 にぎはやひ)、鴨玉依姫命、坂上田村麿となっていますが、大幡主と五十猛命が主祭神です。五十猛命の若き日の正式名は「天津日高日子穂々手見命」と申します。別名略名・彦火々出見命ですが、大幡主と彦火々出見命は親子で、大幡主と天○大神の子です。玉手看尊(たまてみのみこと)は大幡主の別名で、その名を「日子穂々手見命」は引き継いでおられます。
※浦島太郎の玉手箱は大幡主の「磯城津彦玉手看尊」からとられています。
萩原の扇祇神社 福岡県筑紫野市萩原()垣ノ内708 
祭神 綾惶根命、埴安命、火之迦具土神 祭神の埴安命(大神社 大字萩原字京手)、火之迦具土神(日尾神社 大字萩原字吉浦)は明治4410月合祀

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鳥居の両脇には大幡主象徴の六角竹灯籠です

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2024年11月03日

ひぼろぎ逍遥A1032 南魚沼郡への神社調査(下調作業)@ 南魚沼市 八海山尊神社

ひぼろぎ逍遥A1032 南魚沼郡への神社調査(下調作業)@ 南魚沼市 八海山尊神社

20240416


太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

甲信越での神社調査を続けている事は何度もブログで報告していますが、新潟県の柏崎刈羽から西山村までは入ったものの、中越から越後を先行したまま、現南魚沼市から越後湯沢方面から群馬に入るルートは見送っています。

 実は3月後半から1ケ月を掛けていつもの山梨(山中湖)を拠点に今回は二度目の栃木の調査を経て、群馬の水上温泉から先の上越国界を越え越後湯沢、南魚沼、柏崎へのルートを降り、再び山梨へ戻ると言う無駄な動きで、神社調査を行う事を予定していたのですが、CO2温暖化などという国家的大嘘詐欺の馬鹿騒ぎにも拘わらず、ここ数年寒冷化しているのには口を閉ざし騒ぎ続けているのが現状なのです。

 結果、8月下旬から9月下旬に掛けて埼玉在住のT氏との同行神社調査に入る事にした次第です。


 このため研修所に閉じこもり日夜ブログを書き続けているという状況です。

 まずは、この埼玉県在住者で佃収先生の埼玉での講演会を収録しているT氏のブログを紹介します。す。以下、新ひぼろぎ逍遥掲載の南魚沼調査旅行資料から重要性の高いものを選び転載します。


新ひぼろぎ逍遥@102123 つれづれ旅日記(のようなもの)133の転載 ❸ T氏のブログの一部

#133本日のつれづれは鷲宮神社                          20240321

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2023-09-15 05:27:10 テーマ:ブログ

イヤハヤ前回の出雲祝神社のレポでちょっと面白い展開となりましたので、予告通り鷲宮神社へ行ってきましたよ。…以下省略

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南魚沼市とは平成大合併以降の新市名です。


南魚沼市は、新潟県中越地方に位置する市。平成の大合併により南魚沼郡の3町が合併して誕生した。六日町市街は人口集中地区となっており、市役所もこの市街地におかれている。

人口:5.535 (2020121)               ウィキペディア 20240410 10:19


 新潟の名酒と言えば越乃寒梅が知られていますが、並ぶ名酒の八海山が有名で、まずは八海山尊神社(元宮、中宮)に向かいたいですね。

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御祭神  国狭槌尊 天津彦火瓊々杵尊 木花咲耶姫尊 大山祇尊 日本武尊


八海山尊神社 カーナビ検索新潟県南魚沼市大崎3746


八海山尊神社元宮 カーナビ検索新潟県南魚沼市大崎3797


 この神社の性格の一つは東北の白山信仰といった出羽三山系の山岳修験の神社であり、どちらかというと天御中主命系(白山姫)の神社か熊野信仰の神社と考えるべきでしょう。

まあ、我々百嶋神社考古学の者にとっては白族(ペイツー)系と大山祗(トルコ系匈奴)系の神社と、と考えて良いと思います。

 ニニギ、コノハナノサクヤについてはコメントは不要でしょうが、失礼ながら一部には日本神話の冒頭にだけ登場する国狭槌尊は漠然として意味がお分かりにならない方がおられるかも知れません。

 この神様こそ、熊野信仰で言えば、熊野速玉大社の祭神であって、実質的には、神産巣日、神皇産霊、神魂といわれる博多の櫛田神社の大幡主の事であり、

そもそも八海とは何かと気になりますが、修験の神社らしく仏教世界観で須弥山を順に取り囲む九つの山と八つの海つまり一つの小世界のことを意味しているのだろうと思います。

 もう一つのポイントは、日本武尊が加えられている事です。

 そもそも、日本武尊とは草部吉見(ヒコハエミミ)とナガスネヒコの妹のオキツヨソ足姫の間に生まれた天足彦の子であり、敗残した金山彦系のナガスネヒコの妹のオキツヨソ足姫は生きるためにヒコヤイミミの妃となり、天足彦を生むのです。

 この祭神の構造は熊野系の特徴であり、敗残したイスラエル系の金山彦、その子櫛稲田姫を妃としたスサノウとの間に生まれた一族であり、その延長上に日本武尊が登場するのです。

 一応、百嶋由一郎の最終神代系譜でご確認ください。

 八海山尊神社ウェブサイトには、八海山尊神社は何の神様が祀られていますか?とあります。以下回答


八海山の登山口にある山岳信仰の霊場である神社。 境内には、縁結びの神様である大国主尊が祀られており、良縁成就にご利益があるとされています。2019/07/12


 これが社務所の回答かどうかは不明ですがところが、祭神に大国主尊と書かれています。表向きの祭神では大国主尊とはなっていませんが、実はその通りだと思います。

 それは次の神代系譜右をご覧頂ければ納得されるでしょう。大国主尊(出雲神話は古事記にしかないので「日本書紀風」に大国主尊と書くのではなく「古事記」の大国主命とすべきでしょうが、細かい事は申し上げません)要は、大幡主ことカミムスビは妹の埴安姫を大山祗の妃として送り込まれており、相互の姻戚関係によって同族と言えるのです(共にタノカンサーなのです田神と山神)。大国主も出雲の神ではなく大山祗の長男なのです。だから日向一之宮の都農神社には主神として大国主が祀られているのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)左


百嶋由一郎氏の資料(音声CD、神代系譜DVD、手書き資料)を必要とされる方は09062983254まで


同社ではこの事をきちんと理解されていたという事なのです(現在もどうかは責任の限りでありませんが)。

お分かりでしょうか?大国主命は大山祗の子であり出雲の神様ではなく、因幡白兎神話に登場する大きな袋は博多から出雲に移動する引っ越し荷物だったのです。従って近畿大和朝廷に先行するのは当然ですが、最古の古代出雲王国などと言った大げさな話は誤りでしかないのであって、だからこそ藤原=多氏=阿蘇氏=宇治氏が創った「日本書紀」では取り上げられていないのです。

そして、宗像三女神の市杵島姫と豊玉姫(ウムガイヒメ、キサガイヒメ)は大国主命の妃となり、博多の櫛田神社の大幡主=カミムスビへの入婿となり、大山祗の本拠地である日向は神大市姫=罔象女神、水波能売命(ミズハノメ)が一族の跡継ぎとなっているのです。

こうして、大山祗と大幡主の陸上戦と海上戦の言わば陸軍大臣と海軍大臣のタッグが九州王朝の武装組織だったのです。

こでは、主神の国狭槌尊に象徴される海王と大山祇尊に象徴される山王が支配する古風な神社である事が分かるのです。

人気のない天津彦火瓊々杵尊(彼を祀る神社は非常に少ない)というタカミムスビ=高御産巣日神=高木大神のドラ息子が受け入れられているのは近畿大和朝廷への顔を立てた事になっているのでしょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)右


由緒(同社HP


八海山のそもそものいわれは、中臣鎌足公が御神託を頂いて御室(おむろ・現六合目)に祠をもうけたのが始まりと伝えられております。八海山には投行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)、続いて弘法大師が頂上で密法修行されたという事蹟譚があり、古くから両部の霊場として、山麓周辺の修験宗寺院を中心に八海山信仰が展開されてきました。八海山信仰の歴史上の初見は、南北朝中期に編纂された『神道集』に越後の三の宮・八海大明神とあり、御祭神を元気水徳・国狭槌尊として、霊験あらたかなること、つとに近県にまで及んでいました。しかしながら時代は遥か降り近世の中期に至るまで八海山は鳴りを潜めるように、その霊威を峻険な山嶺の奥深く胎動させていました。
しかして寛政六年、木曽の御嶽山の大滝口を開いた、かの普寛行者が大神の夢告に導かれて来越し、当村の泰賢(たいけん)行者を随いて八海山登拝道を開くに及び、御嶽山の兄弟山として列格し、次第に全国にその名が知られるようになり、県境を超えて各地の講集団が訪れるようになりました。大崎口登山道は開山の偉業により一躍輿望を担うに至った泰賢行者自ら、地元大崎村の御嶽講を率いて享和三年(一八〇三年)に切り開いたもので、これが大崎口里宮(現八海山尊神社)を世に知らしめた始まりです。その後、泰賢行者は大崎口里宮を拠点に諸国を行脚し、八海山信仰の布教に身を棒げました。
こうして八海山尊神社は、八海山信仰の霊場として、その信仰は親から子、子から孫へと代々引き継がれて、今日に至っております。


無題.png泰賢行者 圓成院木食普獄泰賢(えんじょういんもくじきふがくたいけん)は安永三年、大崎村山田神主(現当神社宮司)の分家に生まる。幼少のころより霊力に秀いで、二十歳より萬願寺にて本格的な両部修行の道に入る。
寛政年間、来越中の御嶽山開闢普寛行者との邂逅によりついに八海山開闢の偉業を遂げ、生涯をその御神徳の布教と木食の難行に捧げ、文化二年、武州本庄にて行年わずか三十二歳で客死す。八海山大崎口は、享和年中泰賢行者が馬たて場の洞窟に入り、三年間の塩断ち穀断ちの末霊夢を得て開闢された。木食(もくじき)の名の通り、草実山菜を専ら食し難行苦行に徹したため晩年は健康に勝れず、道中用いた駕籠には投げ銭が上げられたという。現在も大崎口里宮は祖師泰賢の威徳を称える参拝者が跡を絶たない。

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まだこの神社は参拝していませんので、百嶋神社考古学の関東ビューロウで埼玉のT氏と秋には訪れたいと思っていますので、現地ではまた新たな発見があるかも知れません。

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南魚沼の八海山神社群のある少し上流の三国川の流域に下流側から若宮神社と坂本神社が並んでいます。この組み合わせというか複合体はは久留米の高良大社(九州王朝の本拠地)の高良玉垂の命と神功皇后の間に生まれた五人の子の長子=シレカシノミコト後の仁徳天皇(記紀ではオオササギ)を祀る神社が若宮神社(南魚沼市津久野)であり、坂本社は皇后の四人の連子(併せて九体王子)を思わせます。興味をお持ちの方は、久留米市山川の九体神社を検索してみて下さい。坂本宮+皇子宮=九体神社です

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2024年11月06日

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1033 南魚沼郡への神社調査(下調作業)➁ 南魚沼市 熊野神社

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1033 南魚沼郡への神社調査(下調作業) 南魚沼市 熊野神社

20240516

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 百嶋神社考古学関東ビューロウ・メンバーで埼玉県在住メンバーのT氏との南魚沼神社調査ですので、埼玉側から群馬県に入り水上温泉から北に入り川端康成の「雪国」の舞台でもある越後湯沢から南魚沼市に入るのですが、ブログの順番としては前後してしまい申し訳ありません。

 高度経済成長期からバブル経済に入る前までのスキー・ブームで賑わった代表格のスキーのメッカがこの湯沢町でした。今や、中曽根(による)以来の日本経済の米国への売り渡しによって日本経済が切り崩され、その後の気違い政権の基、売国政治家小●とそのブレーン竹●路線によって完全に日本の金融から外資による経済浸食が完成したのですが、結果、3035年の経済停滞(後退)は元より、非正規雇用を食い物にしたパソナの売国奴 竹●ジャッキーチェンだった訳です。

 結果、非正規雇用に追い込まれた数世代が犠牲になり将来も失わされたのでした。

 それに連動したのがスキーブームの消失でもあったのです。

 ともあれ、この憧れのスキーのメッカに足を踏み入れるのは私も初めてであり、まずは軽い物見遊山的な神社調査に入ろうと思うものです。そこで選んだのがありふれた熊野神社でした。


 以下、新ひぼろぎ逍遥掲載の南魚沼調査旅行資料から重要性の高いものを選び転載します。


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JRの駅のそばに同社はあります 熊野神社 カーナビ検索新潟県南魚沼郡湯沢町湯沢3202

無題.png御祭神:櫛御気野命 応永九年(1402)に創建されたと伝えられている。

無題.png湯沢町の主な神社のページです

熊野神社無題.png

上熊野堂の高台にある熊野神社は、祭神が櫛御気野命(くしみけのみこと)だと記されている。歴史は古く、応永9年(1402年)に創建されたと伝えられている。(当方で修正しました)。
くまんどう(熊野堂)では、熊野狩猟をせず、熊の肉は食べないものとされていた。
例祭は、814日・15日。113日である。
温泉街の南端にひっそりと入り口がある。
石段を、8段・5段・8段・52段・11段・32段登ると、山の中腹にある社殿に到着。



祭神の櫛御気野命(くしみけのみこと)が分かり難いと思いますが、これは直ぐに見当が着きました。スサノウノミコト の事なのです。 

 ただ、九州などの熊野神社を相当数巡ってきた者の目からすると、スサノウを正面に出しているものをあまり知らないため違和感はあります。ただ、櫛御気野命がスサノウである事は確信があります。

 新潟県神社庁の神社検索サイトで湯沢町の熊野神社を検索しましたが出てきませんでした。

 そこで、もしかしたらと困った時の「玄松子」様のサイトを検索したところピッタリでした。



櫛御食野命
くしみけぬのみこと
別名
櫛御氣奴命:くしみけぬのみこと
櫛御氣野命:くしみけぬのみこと
久志美氣濃命:くしみけぬのみこと
熊野加武呂乃命:くまのかむろのみこと
神祖熊野大神櫛御気野命:かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと
伊射那伎乃真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命:いざなぎのまなこのかむろぎのくまのおおかみくしみけぬのみこと
家津御子神:けつみこのかみ
家都美御子大神:けつみみこのおおかみ
……

  • 別名も含め、すべて須佐之男命のことと考えられている。
  • 櫛御食野命は、櫛は奇霊(くしび)であること、御気は御食または御木のことで、 神祖熊野大神櫛御気野命と同神。つまり熊野大神。
  • 熊野加武呂乃命は、『出雲風土記』意宇郡出雲神戸の説明に、 「伊弉奈枳の命のいとし子でいらっしゃる熊野加武呂の命と、多くの鋤をつぎつぎとお手になさって、 この世をお造りになった大穴持の命との二所の大神に(産物を)献じ奉る民戸である」とある。
  • 伊射那伎乃真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命は、出雲國意宇郡熊野坐神社の祭神。 伊射那伎神の子の熊野加武呂乃命で櫛御食野命という意味だろうか。
  • 無題.png

櫛御食野命 を祀る神社
(玄松子が参拝した神社のみ)

熊野大社

 

島根県松江市八雲町熊野2451

熊野大社

 

山形県南陽市宮内3476−1

熊野本宮大社

 

和歌山県田辺市本宮町本宮

熊野本宮旧社地大斎原

 

和歌山県田辺市本宮町本宮

熊野速玉大社

 

和歌山県新宮市新宮1

熊野那智大社

 

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

熊野神社

 

富山県富山市婦中町友坂字熊野山5404

熊野神社

 

富山県富山市宮保476

熊野神社

 

岐阜県中津川市馬籠峠3921

川合神社

 

新潟県胎内市熱田坂663

阿多由太神社

 

岐阜県高山市国府町木曽垣内字牧戸1023

槻本神社

 

岐阜県高山市丹生川町山口字月本145

堂山神社

 

東京都利島村

美談神社境内彌陀彌神社

 

島根県出雲市美談町182

万九千神社

 

島根県出雲市斐川町併川字神立5258

山狹神社境内久志美氣濃神社

 

島根県安来市広瀬町大字下山佐1176

玉前神社境内十二社

 

千葉県長生郡一宮町一宮3048

花長上神社

 

岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼1211−1

田代神社

 

岐阜県養老郡養老町高田259−1

宇波刀神社

 

岐阜県安八郡安八町森部373−10

朝日山計仙麻神社

 

宮城県石巻市北村字朝日山8

伊達神社

 

宮城県加美郡色麻町四竈字町3

子松神社

 

宮城県大崎市古川新田字鹿島西82

多賀神社

 

宮城県名取市高柳字下西50

普天満宮

 

沖縄県宜野湾市普天間1−27−10

天岩戸神社

 

京都府福知山市大江町佛性寺日浦ケ嶽206−1

熊野神社

 

京都府福知山市大江町公庄269−14

神宝神社

 

奈良県桜井市大字三輪字大宮川上

大山白山神社

 

岐阜県加茂郡白川町水戸野1096

榛名神社境内熊野社

 

群馬県沼田市榛名町2851

宇奈爲神社境内熊野本宮

 

徳島県那賀郡那賀町木頭字内の瀬1

進雄神社

 

群馬県高崎市柴崎町801

玉村八幡宮

 

群馬県佐波郡玉村町下新田1


          無題.pngの部分については私も同意です。未だに悩んでおりますが…。

                            今回はここまでにさせて頂きます。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記