ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1031宮原誠一の神社見聞諜166 の転載
No.166 綾惶根尊(埴安姫)を祀る筑紫の扇祇神社
20240423
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
百嶋神社考古学を追求しブロガーでもある関東メンバーのT氏から照会があり、“古川が書いている綾惶根尊(あやかしこねのみこと)は埴安姫で良いのか…といった質問が入ったと言うのです。私はこの祭神についてブログを書き増してやネットに展開した記憶は無かった事から少し調べると、「宮原誠一(氏)の神社見聞諜」以外には記事がありませんでした。それほどレアな神様なのですが、T氏が回答するとしても、金山彦のお妃である埴安姫(カミムスビ神の妹)が殆ど知られていない事も理解しました。そこで、今般、同ブログをネットに掲載することにしました。足名椎・手名椎の夫婦が面足尊と埴安姫であり、この間に櫛稲田姫が生まれている事を、また、その舞台が熊本県山鹿市の大宮神社一帯で起こった事であると知る方は我々百嶋神社考古学研究にある程度精通した者だけであろうと思います。以下お読みください。

No.166 綾惶根尊(埴安姫)を祀る筑紫の扇祇神社2021年03月20日(土) 10時45分00秒
No.166 綾惶根尊(埴安姫)を祀る筑紫の扇祇神社
宮原誠一の神社見聞牒(166) 令和3年(2021年)03月20日
常松の三郎天神社(埴安大神=大幡主 福岡県筑紫野市常松) の西の天拝山の麓に、綾惶根尊(あやかしこねのみこと)を祭神とする扇祇神社(おうぎ神社)が二社あります。
綾惶根尊は珍しい神名ですが、女神で別名・埴安姫(埴山姫)と申され、埴安大神(埴安彦=大幡主)の妹さんになられます。
『古事記』では淤母陀琉神(おもだるのかみ)、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)、『日本書紀』では面足尊、綾惶根尊と表記されています。二柱は夫婦神ですが、筑紫野市の扇祇神社の二社では綾惶根尊を単神として祀ります。配祀の神は明治期の合祀によります。
扇祇神社神紋・三つ扇紋 筑紫野市の扇祇神社二社
萩原の扇祇神社 福岡県筑紫野市萩原(字)垣ノ内70
祭神 綾惶根命、埴安命、火之迦具土神
祭神の埴安命(大神社 大字萩原字京手)、火之迦具土神(日尾神社 大字萩原字吉浦)は明治44年10月合祀

古賀の扇祇神社 福岡県筑紫野市古賀(字)舟木738
祭神 綾惶根命、大山祇神
祭神・大山祇神(山神社 大字古賀字山の口・大字古賀字白ヶ原)は明治44年10月合祀

火之迦具土神(かぐつちのかみ)は別名、金山彦であり、埴安姫の夫です。つまり面足尊は金山彦ということになり、面足尊と綾惶根尊が夫婦神であるように、金山彦と埴安姫は夫婦神となります。
神様の配祀からみると、萩原の扇祇神社が古い形式、古賀の扇祇神社が新しい形式となります。この新古は歴史的な新旧でなく、神様の組み合わせから見たものです。その理由は後に述べますが、埴安姫と金山彦は当初の夫婦でしたが、後に埴安姫と大山祇が再婚の夫婦となられます。
面足尊と綾惶根尊は日本書記の神世七代の神々に出て来られます。
不思議なことに、この記事の脇役となりますが、かの有名な大山祗の神は記載されていません。どうしてでしょうか?

日本書記の神世七代
第1 国常立尊 くにのとこたちのみこと 男神 大幡主
第2 国狭槌尊 くにのさつちのみこと 男神 金山彦
第3 豊斟渟尊 とよぐもぬのみこと 男神 豊玉彦
第4 泥土煮尊 ういじにのみこと 男神 素盞嗚尊
沙土煮尊 すいじにのみこと 女神 櫛稲田姫
第5 大戸之道尊 おおとのじのみこと 男神 長髄彦
大戸門辺尊 おおとまべのみこと 女神 伊香色謎
第6 面足尊 おもだるのみこと 男神 金山彦
惶根尊 かしこねのみこと 女神 埴安姫
第7 伊弉諾尊 いざなぎのみこと 男神
伊弉冉尊 いざなみのみこと 女神
『記紀』の八岐大蛇神話(ヤマタノオロチ)で、櫛名田比売(くしなだひめ)の両親に足名椎(あしなつち)と手名椎(てなつち)という夫婦が登場します。
この足名椎・手名椎の夫婦が面足尊(おもだるのみこと)、綾惶根尊(あやかしこねのみこと)です。つまり、足名椎・手名椎の夫婦は金山彦・埴安姫夫婦となります。
No.120 櫛稲田姫生誕伝説の地・熊本県山鹿市の旧稲田村@ 2019年8月30日
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12513375590.html
『No.120 櫛稲田姫生誕伝説の地・熊本県山鹿市の旧稲田村@』宮原誠一の神社見聞牒(120)令和元年(2019年)08月30日No.120 櫛稲田姫生誕伝説の地・熊本県山鹿市の旧稲田村@熊本県山鹿市菊池市

『記紀』の八岐大蛇神話の舞台は出雲の島根県と多くの方が思われることでしょう。
この神話の元は、古代の熊本県山鹿市菊池市一帯を支配していた二つの豪族間の争いに素戔鳴尊(スサノオ)が仲裁し、二人の豪族が和平したという物語であり、これが古事記の八岐大蛇神話に形を変えて取り込まれたものと考えています。
この神話は金山彦と大山祗との山鹿菊池地方での争いを説話化したものです。
山鹿の金山彦と菊池の大山祗との若い頃の争いと言われ、その紛争の物語がヤマタノオロチの説話の材料にされ、金山彦夫妻が足名椎手名椎夫妻、大山祗はオロチに例えられているのです。その争いを仲裁したのが素戔嗚尊です。オロチ問題が終わったことは二人の豪族間の争いが終結したことを意味します。倭国大乱前のことでした。
オロチ退治後、素戔鳴尊がオロチの尻尾を切ると天叢雲(あめのむらくも)の剣が出てきます。天叢雲剣は八岐大蛇神話とセットで組み込まれています。
以前に素戔鳴尊が暴れられて天照大神を困らせ周囲から反発を食らい、素戔鳴尊はそれを後悔して、天叢雲剣の製作を金山彦に頼まれます。その剣を天照大神に献上されますが、その献上の使者となられたのが佐田大神(大山咋神)の若き日の天葺根命(あめのふきねのみこと)でした。

八岐大蛇と素戔嗚尊(柳瀬・玉垂神社)
迦具土神(軻遇突智神 かぐつちのかみ)は火災防止・再発防止の神であり、昔、村中で大火があると、火災防止・再発防止のために村神社の境内に秋葉神社が建立されました。
迦具土神は金山彦の神名です。
オロチ紛争の和平は、素戔鳴尊が金山彦の娘さん櫛稲田姫を妻とされ、金山彦は大山祗の姉で大市姫(おちひめ)を妻とされ、その子供さんが吾平津姫(あいらつひめ)と五瀬命(いつせのみこと)です。
また、大山祗は金山彦の妻・埴安姫を妻とされ、その子供さんが罔象女神(みずはめのかみ 神大市姫 かむおちひめ)、大国主、木花開耶姫(このはなさくやひめ)となります。この時、埴安姫は草野姫(かやのひめ)と名前を変えられました。
これで、金山彦と大山祗との新たな縁組みが整ったことになります。古代は紛争の和平を再縁組みで行い、民族間の融合がなされました。これがお互いに存続する古代の知恵でした。
大幡主と大山祗の関係も義兄弟となります。大山祗の母親は大幡主のおばさんの天之御中主神(あめのみなかのぬし)です。大山祗の妃が大幡主の妹さんで草野姫(埴安姫)ですから、大幡主と大山祗の関係は深い親戚関係となります。
大幡主と大山祗の二柱合わせて田神様(タノカンサー)と呼ばれ、一体のご神像に大幡主と大山祗の神霊が合体されています。田神様は田神社(でんじんじゃ)の祭神です。
また、金山彦の妹さんのイザナミ命が後の大幡主の妃となられます。
よって、大幡主と大山祗と金山彦は三つ巴の連合関係となります。
埴安姫の紋章は単一扇紋ですので、三枚車合わせの扇紋(三つ扇紋)は大幡主(白族)、金山彦(瀛氏)、大山祗(越智族)の三つ巴の連合関係を示すものかもしれません(想像です)。
熊本県山鹿市にお盆の「千人灯籠踊り」で有名な大宮神社があります。
境内社に甲斐神社があり、足手荒神を祀ります。足手荒神は八岐大蛇神話に出て来られる足名椎・手名椎夫妻神です。
大宮神社 熊本県山鹿市山鹿196

右二つの石塔は猿田彦大神 足手荒神さん
筑紫神社 福岡県筑紫野市原田2550
祭神 白日別神(大幡主)、五十猛命(饒速日命)、(鴨)玉依姫命、坂上田村麿

筑紫神社祭神
筑紫野市原田(はるだ)には大幡主を白日別神として祀る筑紫神社が鎮座です。祭神は白日別神(大幡主)、五十猛命(別名・饒速日命 にぎはやひ)、鴨玉依姫命、坂上田村麿となっていますが、大幡主と五十猛命が主祭神です。五十猛命の若き日の正式名は「天津日高日子穂々手見命」と申します。別名略名・彦火々出見命ですが、大幡主と彦火々出見命は親子で、大幡主と天○大神の子です。玉手看尊(たまてみのみこと)は大幡主の別名で、その名を「日子穂々手見命」は引き継いでおられます。
※浦島太郎の玉手箱は大幡主の「磯城津彦玉手看尊」からとられています。
萩原の扇祇神社 福岡県筑紫野市萩原(字)垣ノ内708
祭神 綾惶根命、埴安命、火之迦具土神 祭神の埴安命(大神社 大字萩原字京手)、火之迦具土神(日尾神社 大字萩原字吉浦)は明治44年10月合祀




鳥居の両脇には大幡主象徴の六角竹灯籠です