2024年07月15日

1016 佐賀県神埼市の高志神社とは何か?

1016 佐賀県神埼市の高志神社とは何か?

20240302

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


243月の神社トレッキングは、本来、2024年年頭の三社詣りとして計画したものでしたが、佃収講演が1月にずれ込んだ事から、極寒期を避けて3月に行う事として延期したものでした。

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日 時: 3171000集合 1030出発 参加費 500円 連絡090-52892994(中島)

集 合: 佐賀県神埼市神埼町鶴3542番地1神埼市役所 櫛田宮は国道34号線を挟んだ正面

神社トレッキング 「事代主のブログ」杉山宏治氏が案内する“佐賀県神埼市の櫛田宮を探る”

参加費: 500連絡 太宰府地名研究会 090-5289-2994(事務局中島)090-6298-3254(古川)


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3月のスケジュール

  神埼市の櫛田神社は周辺の二社と併せ一つの神社と言われています…ガイド:杉山宏治



無題.png神埼市役所(集合)佐賀県神埼市神埼町鶴3542番地1

順路: 神埼市役所(集合) 八天神社 倉岡神社 高志神社

土師山八天神社 神埼市神埼町城原3672 以下順路変更あり

倉岡神社(櫛田三所大明神)神埼市脊振町広滝3435

櫛田宮          神埼市神埼町神埼4191

昼食:紀の国屋うどん(案)神埼市神埼町城原16171or

昼食:丼べえ(案)    神埼市神埼町尾崎4169−29or

高志神社(櫛田三所大明神)神埼市千代田町下板1229


310日(日)1400〜 太宰府地名研究会の古川編集員が久留米の大津勉強会でもお話します 参加費:\1000

場 所 : 久留米シティプラザ

福岡県久留米市六ツ門町81 4F小ホール

講演者 : 古川 清久(太宰府地名研究会編集員)ひぼろぎ逍遥(跡宮)管理者、「有明海異変」著者

テーマ : 「松田聖子は本物の神武天皇の本物のお后の末裔ではないのか」

421日(日)佃 収 北九州市(小倉北区)丁己歴史塾+太宰府地名研究会提携特別講演

場 所:北九州市小倉北区大門1丁目6-43 北九州市立生涯学習総合センター 093-571-2735

講演テーマ:「崇神天皇」の渡来と神功皇后の「貴国」

  7月(日程調整中)佃 収 北九州市(小倉北区)丁己歴史塾+太宰府地名研究会提携特別講演

   場 所:北九州市小倉北区大手町114

北九州市立男女共同参画センター・ムーブ 0935833939

講演テーマ:「古代日本の女性U」天武王権を巡る推古天皇、皇極天皇、額田の姫王


無題.png今回のガイドは「事代主のブログ」で知られる杉山氏です。

10年ほど前には、一度、神埼市の櫛田神社外を探訪した事もありましたが、杉山氏の視点ではどのような発見があるかは、今から期待しているところです。

今の所、最後に巡るのが高志神社で実のところ私も初見の神社で、今回のブログも下調べの要素があるので我ながら狡猾な事をやっているのは申し訳ありません。

神埼市と言うと佐賀県佐賀市の東隣の市でそのまた東には吉野ヶ里遺跡があります。

この神埼の荘はかつて平家が貿易拠点としたところで、平安〜室町期にかけて肥前国に存在した荘園が起源とされています。

かつては平家の公達やら日宋貿易の中国の商人やら大陸の倭人=福建海賊(20世紀まで中国と言う国は無いので)やら大陸の宋人やらが跋扈してはずなのです。

 九州最大の河川=筑後川がきめの細かい火山灰を押し流し続け、絶えず堆積を続け、水さえ得られれば年年歳歳肥沃な耕土を潤し、石高を増し続けるような国だったのです。

 前置きはここまでとして、高志(タカシ)神社をご覧いただきましょう。

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高志神社(櫛田三所大明神) カーナビ検索 佐賀県神埼市千代田町下板1229


 無題.png高志神社は、元々神埼町にあった訳ではなく、隣接する千代田町を合併した結果とは言え、櫛田三所大明神として加わっている事から、新たに生まれた入植地に神埼の櫛田宮の一族が優勢であったため大明神としたのは恐らく江戸期と考えますが櫛田三所大明神としているようです。

祭神は、素戔鳴尊です。後に、稲田姫命と日本武尊を配祀したとされています。

この祭神は稲田姫を中心に見た時、スサノウは言うまでも無く自分をヤマタノオロチから救ってくれ夫となった男神(イザナギとイザナミ=アシナヅチ=金山彦の妹の子)であり、日本武尊はスサノウとクシナダヒメの息子は消されますが、残ったナガスネヒコの妹の息ツヨソ足姫の孫が日本武尊(白角折オシトリ)神社なのです。

 高志神社ではオシドリ神社とされています。

 してみると、漢学(漢学は濁音を使わない…)が普及する以前は、スサノウ+櫛稲田姫をオシドリとして讃えていたのかも知れません。


クシナダヒメ

『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫(くしいなだひめ)、稲田媛(いなだひめ)、眞髪觸奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ)、『出雲国風土記』では久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)と表記する。


ウィキペディア:20240302 1242による

隣接する櫛田神社、白角折(おしどり)神社、高志神社が、三所一体とされています。

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「篭」「籠」(コモリ)と書かれた地名が多数ありますが、一般的に、「籠」干拓は戦国期以前のもととされており、江戸期になると、搦(カラミ)干拓と呼ばれるようになり、この一帯が戦国以前に遡る堆積の豊かな沃土であった事が分かります。

 その時代には、高良籠と言う地名から想像される久留米の高良大社の一族が(進出なのか敗残なのか)移り住んでいる事が見えるのです。

 以下は櫛田宮の祭神です。


御祭神

櫛田三柱大神

・櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)正面御座、 櫛田大明神

・須佐之男命(スサノオノミコト)  東御座、  高志大明神

・日本武命 (ヤマトタケルノミコト)西御座、  白角折大明神


以下、百嶋由一郎最終神代系譜(部分)でご確認ください

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記