1017 熊本県玉名市大浜町の外嶋宮の住吉神の不思議 “二人の住吉様”
20240303
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
先に ひぼろぎ逍遥(跡宮)に 1011 熊本県玉名市大浜町の蜑父(タンプ)姓とは何か?を書いています。本稿は、その伏線となるものである事から本稿をお読みになるのならば、できれば、蜑父(タンプ)姓とは何か?をお読み頂きたいと思います。
この蜑父(タンプ)姓とは非常に稀な姓をお持ちと言う以上に、もしかしたら日本国ではなく白江戦=白村江戦どころか紀元前5世紀(呉越同舟の呉から亡命してきた夫差の末裔の一族の列島への避退した時期)にその王族一行から重臣たちを何波にも亘って案内した一族で、その栄えある功績を得た人々ではないかと考えているからです。
この外嶋宮については、過去何回か書いていますので、場所等に関しては外嶋宮の鎮座地は蜑父一族が現在もまとまって居住されている所と重なる事は今回の新たな発見になります。

延久元年(1069年)創建との社伝を持つ神社ですが、故)百嶋由一郎は生前、石碑の漢文を読み、“住吉様、住吉様…ここには二人の住吉様が出てくる”と言っておりました。
まず、住吉宮とは筒男命と呼ばれる海の神様を祀るものとされている事は良く知られています。
ところが、現在は多くの住吉神社が上、中、底筒男の三神を全て祀っていると称しているケースが多いようです。
ところが、この主神は各々異なる神を祀られているところがあるのです。
博多の住吉は中筒男(神武僭称贈る崇神)を、下関の住吉は上筒男(安曇磯羅=アズミノイソラ)を、大阪の住吉大社は底筒男(藤原によって第9代とされた開化天皇=高良玉垂命)を祀っていると言ったのは百嶋先生でしたが、特に瀬戸内海(大阪から博多…そして対馬まで)には多くの(数百、数千…の)住吉様が祀られていますので、先生もどのような意味で言われていたかについては分かっていません。
ただ、重要な視点と考えますので、ここで再度改めて書き留めておきたいと思うものです。
その意味で、この外嶋宮を考えなければならない様に思うのです。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
開化が何故、底筒男かは何度も言われました。まだ分かりませんが。ウガヤフキアエズ〜安曇磯羅の側から太宰府の四王司山で神権を返還され、久留米の高良山で天皇に就いているとは聴いております。
勿論、「高良玉垂宮神秘書」の解読によるものです。
少なくとも、上筒男の父であるウガヤフキアエズは釣り針を失い恋仲となった山幸彦と豊玉姫の子であり、その意味では対馬の海神神社〜和多都美神社に居たのですし、中筒男の贈る崇神にしても、ツヌガノアラシトの名の通り、敦賀と半島の荒伽耶を頻繁に行き来していたのであって、確かに住吉の名を抱いても違和感はなさそうです。
では、玉名市や玉名歴史研究会などの古い資料から、先生の遺言にも似た解読を考えて見たいと思います。そう考えれば、1011 熊本県玉名市大浜町の蜑父(タンプ)姓とは何か?
を書いた意味を幾分ともお分かりいただけるのではないかと思うものです。
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漢籍は欠字もあり読み辛いですが、特異な方は挑戦して下さい。
書き下しも付けています。




