2024年05月21日

ひぼろぎ逍遥(跡宮)1008 日田市大原八幡宮の元、元々宮を当会の宮原誠一氏が報告されています➋

ひぼろぎ逍遥(跡宮)1008 日田市大原八幡宮の元、元々宮を当会の宮原誠一氏が報告されています➋

20231118

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 今回、日田に於ける地域調査にようやく重い腰を上げた事から既に56本のブログを新規で書き改訂していますが、大原八幡宮の元宮、元々宮について書かれている方がおられます。

 当会のメンバーで筑前筑後の神社研究のエキスパートとも言うべき宮原誠一氏です。

 今回、この2稿を加えるとさらに日田の本質が明らかになってきますので全文を掲載させていただきます。

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No.159 大波羅(大原)八幡宮の元宮・元大原神社

宮原誠一の神社見聞牒(159)

令和2年(2020)1120

No.157 大波羅(大原)八幡宮から見る三人の八幡様」の補足A です。

鞍形尾神社創建は680年、鞍形尾から求来里村(現 神来町かみくまち)の杉原へ遷座が704年で杉原元宮神社が創立されます。871年、初代日田郡司大藏永弘が杉原元宮を北側の求来里(くくり)に遷座します。杉原元宮と元大原神社は隣接しています。
辛島乙目が宇佐の鷹居社を造り八幡神を祀ったのが712年で、鞍形尾神社の創建、杉原元宮への遷座は鷹居社の創立の前となり、鷹居社との関係はありません。



鷹居神社 大分県宇佐市上田1435
祭神 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇(現在の表記)
元明天皇和銅5年(712)、辛島()乙目が鷹居社を創建。

八幡大神の御社を最初に宇佐に奉建した霊地である。
辛嶋氏伝承では、八幡大神は、欽明天皇の御代、宇佐郡辛国宇豆高島(稲積山)に天降りし、宇佐郡馬城嶺(御許山)に現われ、乙梼ミ、泉社、瀬社、鷹居社、小山田社、宇佐神宮の地へと移ったとする。この八幡大神は正八幡大幡主です。
杉原元宮神社
慶雲元年(704)、鞍形尾に鎮座する八幡大神は、求来里村杉原の杉の梢(こずえ 木の先端)に降り、村の乙女に神懸かりして、「永く豊前の地を守らむ」と神託の後、杉の元に白幣が出現したと伝えられる。この時、その所に神祠を建て、鞍形尾より遷座したと伝える。
杉原元宮神社 大分県日田市神来町(大字求来里字元宮)
祭神 八幡大神


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元大波羅(大原)神社
仁寿元年(851)、大蔵(鬼蔵大夫)永弘が初代日田郡司職に任ぜられる。
貞觀13(871)、大蔵永弘(おほくら ながひろ)が社殿を新設し、杉原元宮の鎮座地より求来里(神来町)に遷座。この頃、宇佐神宮の橋本公則(はしもと きみのり)氏を社司(宮司)として迎える。
元大波羅(大原)神社 大分県日田市神来町423(大字求来里字元宮)
祭神 八幡大神、比賣大神、息長帶比賣命(神功皇后)

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 大幡主ゆかりの六角燈籠が一個残されています

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延喜15(915)、左殿に比賣大神、右殿に息長足姫命を勧請し、大波羅八幡宮(元大波羅神社)と称号す。この時、八幡大神は勧請されていません。元のままです。
建久4年(1193)、大友能直(おほとも よしなほ 鎮西奉行兼豊前・豊後守護)が大波羅八幡宮(大原八幡宮)を「豊西総社(豊後国の西の総本社)」と定め、宇佐八幡の拝礼形態から相模國の鶴岡八幡宮の拝礼形態に改めた。ということは、大原八幡神は石清水八幡・豊玉彦、豊国主・豊玉彦となります。
明治6(1873)に『元大原神社』と号す。


石清水八幡神=豊日別国魂(とよひわけくにたま)=豊国主=豊玉彦(通称)=水天龍王
古代豊国の祖とは、中津市の闇無浜神社(くらなしはま、別称・豊日別国魂神社・龍王宮)の祭神・豊日別国魂神となります。豊日別国魂神とは正八幡大幡主の王子・豊玉彦です。
豊の国は豊玉彦の領域でした。
瀬織津媛は櫛稲田姫であり、素戔嗚尊と分かれた後は、豊玉彦と一緒になられ、その両親の間の姫君が鴨玉依姫です。
豊の国は、正八幡大幡主、石清水八幡豊玉彦、鴨玉依姫(早吸日女)、大山咋神(日吉大神)、崇神天皇、応神天皇(誉田別命)と大幡主ファミリーの領域となります。
※このブログに記載している略記は橋本宮司から頂いた「大原八幡宮略記」を基本にしています。

八幡大神・正八幡大幡主を最初に宇佐嶋に祀った神社と人物
宇佐宮の八幡神の顕現は571年の宇佐の菱形池の出来事が良く語られます。
その状況は宇佐神宮HPに詳しく記載されています。

境内に建立されていた弥勒寺の僧、神吽が、鎌倉時代後半に纏めた『八幡宇佐宮御託宣集』には、欽明天皇32(571)辛卯、八幡大明神、筑紫に顕れたまふ。
豊前国宇佐郡厩峯菱形池の間に、鍛冶の翁有り。首甚だ奇異なり。これに因って大神比義(おおがのひぎ)、穀を絶つこと三年、籠居精進して、即ち幣帛を捧げて祈って言く。「若し汝神ならば、我が前に顕るべし」と。即ち三歳の小児と顕れ、竹葉に立ちて宣く。「我は是れ日本の人皇第十六代誉田の天皇広幡八幡麿なり。我が名は、護国霊験威力神通大自在王菩薩なり。国々所々に、跡を神道に垂れ、初て顕るのみ。」と記され、八幡大神がこの御霊水の辺りに初めてご顕現になったと伝えています。   宇佐神宮HP


下記の「宇佐嶋に関係する神社略記」をよく読んでいただくと、八幡神が宇佐の菱形池に顕現した時期に大神比義は存在していないことが分かります。特に郡瀬神社(ごうぜ)の由緒記では、

  欽明天皇32年、571豊前国宇佐郡宇佐の亀山(小椋山)の麓に三歳の小児と顕はれ
  坐して、「吾れは応神天皇の神霊広幡八幡麿なり」と大神比義翁に神託、元明天皇
  和銅3年(710)に同郡鷹居山(現東上田)にて大神比義翁と辛島()乙目に対して
  「吾れ神と成りて大空を翔れども栖まう処無し、以て御心荒たり」との神託に
  因り、勅定を得、神殿を建て斎き奉る。鷹居、瀬社是れなり。(後 郡瀬神社)
とあります。
571
年の八幡神が神託した人物は大神比義ではありません。また、顕現した神様は誉田別天皇ではありません、正八幡大幡主です。『日本書紀』の成立は養老4(720)で、「人皇第十六代誉田の天皇」の表記は571年には存在しません。
福岡県旧北野町大城の赤司八幡神社の豊姫縁起によれば、神託された人物は宇佐の君・池守(後の大宮司兼押領使)です。この時も、大神比義は存在しません。大神比義が現れるのは、和銅3年(710)鷹居山(現東上田)にて大神比義翁と辛島()乙目の両人に対して「吾れ 神と成りて大空を翔べども栖む処無し、以て心荒たり」と八幡神が神託された時です。これをきっかけに、和銅5年(712)、辛島乙目によって鷹居社が創立され八幡神を初めて祀ることになります。この時も大神比義の名は無理に由緒に書き込まれた感がします。
そして、聖武天皇神亀2年(725)神勅ありて、亀山(小椋山)に宇佐八幡宮が建立されます。宇佐八幡宮の始まりです。(詳しくは後の別稿で述べます)

宇佐嶋に関係する神社略記
 539年 欽明天皇即位
 545年 八幡古表神社創建
 571 八幡神が宇佐の地に現れ、大神比義が祀る(この時期、大神比義は存在しない)
 649年 酒井泉社建立。辛島()乙唐ノより宇佐大神が勧請された
 663年 白村江の戦い
 680 鞍形尾神社創建
 704 杉原元宮神社、鞍形尾から求来里村の杉原に遷座
 706年 稲積六神社(稲積神社)創建、稲積山に鎮座
 710年 乙盗_社創建
 710年 郡瀬神社創建
 712 辛島乙目が鷹居社を造り八幡神を祀る
 716年 辛島氏は鷹居社から八幡神を小山田社に移す
 725 宇佐宮亀山に一之殿(八幡大神)が造営
 729年 宇佐宮亀山に二之殿(比淘蜷_)が造営
 765年 妻垣神社建立
 823年 宇佐宮亀山に三之殿(神功皇后)が造営
 871 元大波羅神社、大蔵永弘が社殿を新設し北側の神来町に杉原元宮を遷座
 1624大波羅神社、石川忠総が神来町から現在の田島へ元大波羅神社を遷座
泉神社(酒井泉神社) 大分県宇佐市辛島1
祭神 應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 仁徳天皇
追祀 宇饌持神 豊受姫神 宮比神 須佐之男神 市杵嶋姫神
大化4(649に建立され、辛島()乙唐ノより宇佐大神が勧請。
天平宝字3(763に霊泉で酒を造って八幡神に献じ、その残滴を注いだところから泉が湧き出たので「酒井泉社」と称するようになったと伝える。
稲積六神社(稲積神社) 大分県宇佐市大字中561
祭神 伊弉册尊 速玉男命(大幡主) 事解男命(金山彦)
追祀 国常立命 火産霊命 彦火々出見命
境内由緒には伊弉册尊・速玉男命・事解男命は文武天皇慶雲3(706)
後記三神は仁明天皇承和7(834)、ともに稲積山上に鎮座。
花園天皇応長4(1314)、山上より現在地に遷座。
乙盗_社(おとめ) 大分県宇佐市下乙女宮本1343
祭神 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇
追祀 比売大神(三女神) 仁徳天皇 日本武尊 天児屋根命 別雷命
元明天皇和銅三年(710)、現位置である古代の古墳上に宮柱を鎮め、
神籬を設けて仲哀天皇 神功皇后 応神天皇の御三柱の御神霊を奉祀したのが創建
又、比売大神外御四柱の御神霊は其の後に追祀。
本社は乙比梼ミ 乙灯ェ幡宮 乙梼ミと称したが、明治4年乙盗_社と号す。
郡瀬神社(瀬社・ごうぜ) 大分県宇佐市樋田字瀬社187
祭神 仲哀天皇() 神功皇后 応神天皇
配祀 田心姫神 湍津姫神 市杵嶋姫神 大宮比盗_
欽明天皇32年、571豊前国宇佐郡宇佐の亀山(小椋山)の麓に三歳の小児と顕はれ坐して、「吾れは応神天皇の神霊広幡八幡麿なり」と大神比義翁に神託、元明天皇和銅3年(710)に同郡鷹居山(現東上田)にて大神比義翁と辛島()乙目に対して「吾れ 神と成りて大空を翔れども栖まう処無し、以て御心荒びたり」との神託に因り、勅定を得、神殿を建て斎き奉る。鷹居、瀬社是れなり。(後 郡瀬神社)
聖武天皇神亀2年(725)神勅あり、亀山(小椋山)に還り鎮まり坐せる。(現在の宇佐神宮)
鷹居神社 大分県宇佐市上田1435
祭神 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇
元明天皇和銅5年(712)、辛島()乙目が鷹居社を創建。
八幡大神の御社を最初に奉建した霊地である。
「玄松子の記憶」鷹居神社より
 https://genbu.net/data/buzen/takai_title.htm
『明治神社誌料』
元明天皇和銅五年(712)の創建なり、宇佐縁起に曰く、
和銅元年宇佐郡内大河流西岸有勝地、東岸有松木、化鷹顕瑞、是大神之御心荒毘坐也、同五年 大神比義與辛島()乙目、依神託、以勅定令造神殿、鷹居瀬社是也、辛島勝自為祝職、同勝意布賣為禰宜、勝自之妹黒比賣 為采女、並御戸代田段進之、辛島勝波豆米為禰宜矣、霊亀二年託宣、此所路頭往還人無礼、就此等甚愍小山田林移住願給者云々」
また大宰管内志に云く、
「宇佐宮記に曰、敏達天皇元年(572)云々、大神化而為鷹飛翔虚空、時大神比義、辛島()乙女両人、三年之間断穀而 祈申時、神託云、吾化為霊神飛翔虚空、留無棲息志、心荒多利、其與利郡瀬仁移牟云々、和銅五年始造社、至霊亀二年 五箇年之間御鎮座」とあり、鷹居は多可為と訓むべし、里人云、鷹居社は宇佐郡上田村内にあり、田 笛より鷹居まで二里十町あり、神殿、拝殿、石鳥居あり、本宮を去る事十町余西にして松林の内にあり、今 は上田村の人是を祭る十二月中ノ卯ノ日官従五位下志摩守大神頼唯奉仕す
※辛島()乙目と辛島()乙女()は同一人
妻垣神社 大分県宇佐市安心院町妻垣字大門203
祭神 比淘蜷_(玉依姫命)八幡大神(応神天皇)神功皇后
古宮・足一騰宮創立不詳。
神亀2年(725)、宇佐亀山に宇佐宮一之殿が造営
天平元年(729)、比淘蜷_は宇佐宮二之御殿に祀られる。
天平神護元年(765)、勅使石川朝臣豊成に命じて神殿を共鑰山麓に創建させ、比淘蜷_と八幡大神を創祀したのが妻垣神社のはじまり。
弘仁13(823)、宇佐宮三之御殿造営より神功皇后を勧請。
※古宮の祭神は正八幡大幡主の姫君のアカル姫です。
大元神社 大分県宇佐市御許山 大分県杵築市山香町大字向野
祭神 比売大神(三女神)
創建不祥。宇佐神宮の上宮
古くは正八幡大幡主を祀ります。
大尾神社 大分県宇佐市南宇佐
祭神 八幡大神
称徳天皇・天平神護元年(765)創立、15年間、現在の上宮があった場所
孝謙天皇の御代の天平勝宝元年(749)八幡大神は比売大神とともに奈良に行幸、天平勝宝7(755)伊予の宇和に遷り、10年後奈多宮を経由して宇佐に御帰還になりましたが、大尾山の頂上に御鎮座するとの託宣があったので、天平神護元年(765)に造営使を遣わして御造営になり、ここに約15年御鎮座されました。
延暦元年(782)小椋山の本宮に還御、大尾神社には八幡大神の分霊が祀られ、大尾神社と称している。(宇佐神宮HP)
※大尾神社の八幡大神は正八幡大幡主です。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記