2024年05月18日

ひぼろぎ逍遥(跡宮)1007 日田市大原八幡宮の元、元々宮を当会の宮原誠一氏が報告されています ➊

ひぼろぎ逍遥(跡宮)1007 日田市大原八幡宮の元、元々宮を当会の宮原誠一氏が報告されています ➊

20231117

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久



 今回、日田に於ける地域調査にようやく重い腰を上げた事から既に56本のブログを新規で書き改訂していますが、大原八幡宮の元宮、元々宮について書かれている方がおられます。

 当会のメンバーで筑前筑後神社研究のエキスパートとも言うべき宮原誠一氏です。

 今回、この2稿を加えるとさらに日田の本質が明らかになってきますので全文を掲載させていただきます。

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No.158 大波羅(大原)八幡宮の元元宮・鞍形尾神社

宮原誠一の神社見聞牒(158) 

令和2年(2020)1111

No.157 大波羅(大原)八幡宮から見る三人の八幡様」の補足資料@ です。
大分県日田市田島に鎮座する大波羅八幡宮(大原八幡宮)は現在の田島に鎮座するまで三回の遷座を行っています。
場所的には二回の遷座です。杉原元宮神社と元大波羅(大原)神社は隣接の状態にあります。

■大波羅(大原)八幡宮の変遷
 1.神降の岩松ヶ峯 680年、日田市天瀬町馬原の鞍形尾に霊現
 2.鞍形尾神社 日田市天瀬町馬原500に社殿建立
 3.杉原元宮神社 704年、鞍形尾から求来里村の杉原に遷座
 4.元大波羅(大原)神社 871年、初代日田郡司大藏永弘が社殿を新設し、
   杉原元宮を北側の求来里(神来町)に遷座
 5.大波羅(大原)神社 1624年、日田永山城主石川忠総が神来町から現在の
   田島大原へ遷座。明治6(1873)「大波羅神社」を「大原神社」と号す

大原八幡神が霊現した大波羅(大原)八幡宮の元元宮、天瀬町岩松ヶ峯(馬原 まばる)の鞍形尾神社の補足資料となります。

■鞍形尾神社の概要
鞍形尾神社 大分県日田市天瀬町馬原500(字鞍形尾 くらがとう)祭神 八幡大神

由緒(旧案内板)

豊西記によれば元慶元年9月朔日(877)、此の地(岩松ヶ峯)に八幡御示現せり

神白馬によって昇天し玉鞍松下にあり、依って岩松改め鞍形尾と号せりと

又造領記には弘仁2年(811)、郡司鬼蔵大夫(大蔵永弘)、宇佐八幡を請して来り、岩松が峯に勧請し奉ると記されている。

祭典 2月19日、20日にして古来村民の信仰厚し

                  昭和41年4月1日  天瀬町教育委員会

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造領記は当てになりませんが、豊西記(江戸時代)によれば、「八幡神は白馬に乗り岩松ヶ峯に霊現され昇天された。八幡神が昇天したあと、松の木の下に玉の鞍が残されていたことから、岩松を改めて鞍形尾(くらがとう)と呼んだ。」とあります。
『豊後國志』に「白鳳9年(680)秋、八幡大神の降格の瑞(きざし)あり。始め岩松峯に祭り、後に杉原に移す」とあります。

無題.png白鳳9年(680)、日田郡(ひたのこおり) 靭負郷(ゆきいのさと)馬原村(まばるむら)の岩松ヶ峯に八幡大神が顕現し、岩松ヶ峯に鞍形尾(くらがとう)神社が創祀されました。
■車で岩松ヶ峯の鞍形尾神社まで行けます

国道210号線から金場の市道に入り、岩松ヶ峯の鞍形尾神社まで車で一気に登ります。

  市道から林道への入り口、小型車(5ナンバー)の短い車体であれば通行可です
  途中の離合帯は3箇所で、離合帯では警笛を鳴らして下山車を待ちます。

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()神社下の林道が変っています、高圧送電線も東の本宮の左に移動しています。


■鞍形尾神社の行宮跡


鞍形尾神社に着く前に「神降」扁額の鳥居があります。
さらに、鳥居の奥へ進むと「行宮跡」の石碑があります。さらに300m程進むと鞍形尾神社に着きます。

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 奥のヘアピンカーブを右に曲がり上るとすぐに行宮跡の鳥居前に出ます。

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 扁額に「神降」とあります

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行宮跡は岩松ヶ峯の頂ではありません。東約300mの鞍形尾神社の本殿がある所が「峯の頂」となります。行宮跡が霊現の地と見ています(未確認)
北東方向の同天瀬町馬原(本村)の大分自動車道の下には豊玉彦を祀る高住神社があり、磐座 神社の形式で祀られています。
さらに東の同天瀬町馬原(高塚)には有名な高塚愛宕地蔵尊(金山彦)があります。
その北には月出山岳(かんとうだけ)があり、その麓に月出山(かんとう)集落があ
ります。月出山とは不思議な地名で意味深です。
天瀬(あまがせ)という地名も意味深ですが、玖珠川の「天の瀬」という意味でしょうか。
天瀬町馬原(まばる)の山々は霊験の地です、不思議な感覚を覚えます。

「月出」と「馬原」は大山祗・大国主に関係する名称ですが、牛馬の守護神は筑後川(千歳川、玖珠川)の水神・荒五郎の豊玉彦です。
馬原(まばる)は大山祗、金山彦、豊玉彦に関係する神聖な地となるのでしょう。


大原八幡神(祭神・八幡大神)は石清水八幡・豊玉彦=豊国主・豊玉彦となります。


■高塚愛宕地蔵尊の由来(高塚愛宕地蔵尊HP)
大分県日田市天瀬町馬原(高塚)3740
https://takatukasan.com/takatsuka/
今から千二百年余年前の天平12(740)行基という偉い僧が聖武天皇の命を承けて、筑紫の国を巡られました。
帰路、豊後の国日田郡を経て求来里村杉原に至り、緑深い東西の地形を眺めたとき、行基は身の引きしまるような霊気と、言いようのない有り難さに心を打たれ『この地こそ、国や人々の悩みを救う大権現様の出現される霊地に違いない』と予言されたのでした。
行基はそれから岩松ヶ鼻(現在の天瀬町馬原の鞍形尾)を通って、この高塚の里に着かれました。
山中で一心に地蔵菩薩を念じていた或る晩のこと、東南方にそびえる大きな公孫樹(いちょう)の中辺に、突然、金色の光を放つ三個の玉を見たのです。行基はおどろき、我が祈りが地蔵菩薩に届いたおしるしであろうと、なお一心に祈り続けました。
夜が白みかけても玉の光はおとろえません。行基は従者をしりぞけ、ひとり、いちょうの大木に登ってみると、三個のうち、ひときわ光る一個は乳房の形をした宝珠でした。
宝珠を捧げて地に降り立った行基は早速、みずからのノミをにぎって一体の地蔵菩薩を彫り、里人たちに『まことの心をもって宝珠、地蔵菩薩に祈願するなら広く万物は産み栄え、一切のご利益を与えられよう』と説かれたのでした。
その後、いちょうの大木は『乳銀杏』(ちちいちょう)と呼ばれ、永い歴史の間、子宝を恵む霊樹、母乳をさずける霊樹、子供のすこやかな成長をかなえてくださる霊樹として、人々の崇敬を集めてきました。
行基は天平21(749)2月2日、82才で亡くなりました。その後、天暦6年(952)2月、行基の御遺徳を偲んだ里人たちが、大いちょうのかたわらに小さな御堂を建立し、行基のきざんだ地蔵菩薩を祀ったのが『高塚愛宕地蔵尊』の始まりです。
※行基が求来里村(くくりむら)杉原に至った時、鞍形尾神社は求来里村杉原に遷座しています。
愛宕勝軍地蔵

勝軍地蔵は別名、天村雲命地蔵尊と呼ばれ、大分県天瀬の高塚地蔵尊でよく知られています。勝軍地蔵の制作者は聖徳太子であり、金山彦の別称の一つです。なお、本地蔵は大分県日出町の愛宕神社にあり、この分霊が高塚地蔵尊となります。
私の近くにも天村雲命地蔵尊が祀られています
No.60
水沼君の「潟の渟名井」と丹後の「與佐の真名井」 2018513
益影井がある大城小学校の南に筒井天満宮が鎮座されています。
境内の観音堂は豊姫神社の本寺堂であり、「天眞名井」を「潟の渟名井」として、ここにおさめられたという天村雲命(あめのむらくものみこと)の地蔵尊が祀られています。「アメノムラクモ」といえば、金山彦の「天叢雲の剣」を連想します。
豊姫縁起では、天孫降臨の時、従った神様に「熊野忍蹈命 くまのおしほみのみこと」がおられ、別名、熊野久須毘命(くすびのみこと)という、金山彦です。

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行宮跡から東へ鞍形尾神社に向かいます、300m程進むと神社に着きます

林道から玖珠川対岸(左岸)を望む女子畑の山並み

■鞍形尾神社

行宮跡から東へ300m程進むと鞍形尾神社に着きます。5台程の駐車場有り。

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社頭、駐車場横の大形常夜燈、その先に石段、中央の木陰に鳥居が見えます
鞍形尾神社 大分県日田市天瀬町馬原500(字鞍形尾 くらがとう)祭神 八幡大神

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拝殿、茅葺屋根に板金が被せてあります

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拝殿内の神輿  本殿左には豊玉彦ゆかりの天満宮が鎮座です
参考までに、天瀬町誌によると、鞍形尾神社の祭神は誉田別天皇、速須佐之男神、宇迦之御魂神、猿田日古神、大宮能賣神、菅原神となっています。

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社殿を後にします

■杉原元宮神社への遷座
慶雲元年(704)、鞍形尾に鎮座する八幡大神は、求来里村杉原の杉の梢(こずえ 木の先端)に降り、村の乙女に神懸かりして、「永く豊前の地を守らむ」と神託の後、杉の元に白幣が出現したと伝えられる。故に、その所に神祠を建て、八幡大神は鞍形尾より遷座したと伝わる。
「神託の後、杉の元に白幣が出現したと伝えられる」とありますが、実際には顕現の印として白幣を立てたのでしょう。

行基740年「求来里村杉原」に至った時、緑深い東西の地形を眺め、身の引きしまる霊気を感じ、言いようのない有り難さに心を打たれ『この地こそ、国や人々の悩みを救う大権現様の出現される霊地に違いない』と言っています。求来里村、馬原村は霊地なのでしょう。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記