2024年05月12日

1005 再び大分県日田市の「大原八幡宮」を考える

1005 再び大分県日田市の「大原八幡宮」を考える

20240109

太宰府地名研究会 古川 清久


 新年に入り短期間に56件の照会が入り、百嶋神社考古学関係の資料を欲しいと言った話が相次いで持ち込まれました。

やはり正月休みで落ち着くと気になっていた事に取り組もうとおっとり刀で動き出したところです。

 5年ほど前でしたが、太宰府地名研究会は日田の大社(天領ですから単純には言えないのですが事実上の豊後国一宮)大原八幡宮への神社トレッキングを行っています。今回、このリポートは検索ナンバーだけで省略しますが、現在の公式の祭神、由緒を見ておきましょう。    以下 日田の市のHPより

大帯比売命(神功皇后)、誉田別尊(応神天皇)、比売大神を祀る県下有数の規模を誇る八幡宮。680年に靱負郷岩松ヶ峰(天瀬町鞍形尾)に示現された八幡神を祀ったのが起源とされる。9世紀半ばに、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原宮から現在の元宮に遷座され、1624年代官石川主殿守忠総により、元宮から現在の位置へ遷座された。遷座前の場所は元大原神社や元宮神社と呼ばれ、現在も江戸時代中期に再建された社殿が残る。境内最古の建築物である楼門は貞享4年(1687年)の築造、拝殿・幣殿・本殿は寛政6年(1794年)の築造といわれる。

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ひぼろぎ逍遥(跡宮)

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物部の大原足尼命を祀る日田の大原八幡神社とは何か?

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日田の大原八幡神社も物部の神社だった “大分県日田市の大原八幡宮

を疑い再考へと”

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大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県みやこ町の大原八幡神社”

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大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県苅田町の大原八幡神社”


 そもそも第一回目の日田の大原八幡宮の個人的な調査から20人ほどのメンバーでのトレッキングを行った当時はそれなりに真面目に調べていたのですが、関連して大原八幡の名を冠する福岡県の二社を調べてみたわけです。

 大分県の場合は宇佐八幡宮の力が強過ぎる事からか、明治初期の神名帖以外頼れないのですが、福岡県の場合はかなり詳しい「福岡県神社誌」があるためたちどころに連鎖反応を起こすことになるのです。

では、福岡県苅田町とみやこ町の大原八幡宮をご紹介させて頂きたいと思います。

前述の通り、日田市の大社は、大帯比売命(神功皇后)、誉田別尊(応神天皇)、比売大神を祀る県下有数の規模を誇る八幡宮…と言うのが大原八幡宮です。

以下、苅田とみやこについて、その主要部分を二つのブログからご紹介したいと思います。


福岡県苅田町の大原


694 大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県苅田町の大原八幡神社” 20181031


20186月でしたか大分県日田市の大原八幡宮への太宰府、大分の合同トレッキングを行なっています。


大原八幡宮 無題.png大分県日田市田島2-184

 この時に、苅田町の大原八幡神社にもご案内しようと思ったのでした。勿論、八幡宮と名乗ってはいるのですが、以前、参拝させて頂いた時から、単にそうとは言えない出自が感じられたのでした。

とりあえず、同社のHPから拾ってみましょう。驚くことに物部系の神社なのです。

 日田の大原の祭神は 誉田別命・大帯姫命・比売大神

本稿は、20181216日で計画しているみやこ町、苅田町、行橋市へのトレッキングに関する基礎資料です。日田市の大原八幡神社という大社の勧請神社とのふれこみではあるのですが、どうも物部の匂いが濃厚な神社の様です。この点、大原八幡神社がバリバリの八幡神社である点を考えると、むしろ苅田町のそれは、なおも原型を留めていると言う印象を持ちます。苅田町の大原は日田の大原からの勧請神社と証言している訳で、「福岡県神社誌」を読む限り、日田の大原本体も元々は物部氏の神社だったのであり、それを裏から見れば大嘘を吐いている事にはなるのです。その意味では苅田町とみやこ町には讃辞、賛美を送りたいのです。

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大原八幡神社    カーナビ検索福岡県京都郡苅田町新津(大字)1427


苅田町の大原八幡神社


御由緒 大原八幡神社の御祭神は、大原足尼命 現在の豊前・豊後の国造 饒速日命 大原足尼命の祖先・物部氏の祖神 応神天皇 第十五代天皇・八幡の大神 仲哀天皇 第十四代天皇・応神天皇の父君 神功皇后 応神天皇の母君 五柱の神であらせられ、この豊前、豊後の国の祖神であり、私共の繁栄を守護し給う大神として、人々に普く崇敬するところであります。

 大原八幡神社の創建については、御祭神大原足尼命が神功皇后の御代(西暦二〇九年ごろ)豊前、豊後の国造として、民を安じ徳望あり、とくにこのころ新津に港を造り公私船舶往還の港となり大いに栄える。

命が亡くなれると住民は、この徳を慕い大字新津字祖父墓の地に命の塚を造り祭る。

其後六世紀後半(西暦五七〇年ごろ)この京都地方を治めていた物部氏が祖先を同じとする命を、港の正面に恩塚山に大いなる塚(廟所)を造り氏神として祭る。

その後、饒速日命・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を御観請し現在に至る。

この間約一七〇〇余年のあいだ、地域の守護神として人畜平安、厄除開運、生産豊登は謂うに及ばず海上安全、航空安全、交通安全、旅行安全、土木建築安全、縁結び、子授け安産・子そだて、心の病・婦人の病、機織・和裁洋裁の上達等の尊い御霊験を現わされ、人々の厚き尊敬を集め、年を重ねて参拝者も増え続け、現在の発展に至っております。

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以下、「福岡県神社誌」下巻 

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それは、九州王朝が唐、新羅連合軍に敗北し漁夫の利を得た近畿大和朝廷の時代になり、宇佐が応神単立から徐々に一社三殿五柱の神社に変わっていったのに連動し、元々宮、元宮を経て大原が変わっていったのです。

このように祭神は政情の変化に併せ、ころころ変わるのであり、変わりたくもあり、変わらざるを得ないものなのです。ただ、その事を曖昧に糊塗しようとすることに後ろめたさが付き纏いはするのです。


福岡県みやこ町の大原

695 大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県みやこ町の大原八幡神社” 20181031(バックナンバーから)


無題.png本稿は、20181216日で計画しているみやこ町、苅田町、行橋市へのトレッキングに関する基礎資料ですが、日田市の大原八幡神社という大社の勧請神社とのふれこみではあるのですが、どうも物部の匂いが濃厚な神社の様です。

20186月でしたか、大分県日田市の大原八幡宮への太宰府、大分の合同トレッキングを行なっています。

 大原八幡宮 カーナビ検索 大分県日田市田島2-184

 この時に、苅田町の大原八幡神社にもご案内しようと思ったのでした。勿論、八幡宮と名乗ってはいるのですが、以前、参拝させて頂いた時から、単にそうとは言えない出自が感じられたのでした。とりあえず、同社のHPから拾ってみましょう。驚くことに物部系の神社なのです。 日田の大原の祭神は 誉田別命・大帯姫命・比売大神

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大原八幡神社古墳(左) 大原八幡神社(右) カーナビ検索 福岡県京都郡みやこ町勝山大久保3014

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しかし、ここにはニギハヤヒの後裔の10世の孫が拠点にしていた具体的な記述が書かれているようで、今後、九州王朝の豊国国造が置かれていた所在地としての認識を持って同地を調査すべき事が分かるのです。

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長髓彦の妹として御炊屋姫が宇摩志麻治命と書いてありますが、百嶋最終神代系譜では辛国息長大姫大目命は山幸ことニギハヤヒと海幸こと草部吉見と婚姻関係を結んでおり、各々の子はどちらから見ても、共に義理の姉妹、兄弟と言えない事も無い事から、実際にはどちらの系統なのかは良く分からないのです。

 一応、宇摩志麻治命が出ていますので辛国息長大姫大目命の事としておきますが、なお、鮮明ではありません。

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では、大原帯尼命とはどなたなのでしょうか?

 「大原足尼者…大原大明神旧事本紀日大原足尼命筑紫豊国国造等置部与曾命之命」

と書かれている以上、相当な有力者であり、ニギハヤヒの後裔代であったと考えられそうです。

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒの九世の孫である 置部與曾命(おきべよそのみこと)の子…と「先代旧事本紀」の全文が書かれ、物部系の由緒がそのまま書かれていたのです。


十世の孫の淡夜別命(あわやわけのみこと)。大海部直(おおあまべのあたい)等の先祖。弟彦命の子供。次に大原足尼命(おおはらすくねのみこと)。筑紫豊国国造(つくしのとよくにのくにのみやつこ)等の先祖。置部與曾命の子供。 「文字獲得史考」によるとなるのです。

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文中にはニギハヤヒ、彦山の高木大神、草部吉見、香春岳のカラクニオオヒメオオメノミコト=アメノウヅメと天香語山命(新潟市の南の弥彦神社の主神)と物部の匂いがプンプンしますね。

 下書ですが、少し腰を据えて考えて見ましょう。円内は皆さん関係者の様です。


 百嶋由一郎氏が残された音声CD、手書きデータ・スキャニングDVD、神代系譜スキャニングDVDを必要とされる方は09062983254までご連絡下さい。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記