2023年12月01日

ひぼろぎ逍遥(跡宮)981 「信州佐久の鯉太郎」久留米講演への手書き資料として

ひぼろぎ逍遥(跡宮)981 「信州佐久の鯉太郎」久留米講演への手書き資料として

20230303

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 通常、講演はパワー・ポイントによって行いますが、パソコンをお使いにならない方などにはどうしてもペーパーで配布資料を作ることになります。既に、ネット上にはブログを公開していますので、スマホで検索すれば必要な部分を読む事は出来るのです。そのためのメモが以下のものです。その意味では参加されていない方でも、これに基づいて講演の一端はお判り頂けるのです。

 当日はこのパワー・ポイントを配布しますので、せっかくですからブログと先に北九州市小倉区で行った講演の音声データ(MP3方式)も入れています。これ以上のデータは無いのです。当日200円〜

無題.png

968

信州佐久の鯉太郎(番外) 信州最奥部の呉橋と勅使堂(門) 

上田市 前山鹽田神社の切り出

967

甲信越の若宮八幡宮とは何なのか?

961

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)

⓯ 続 山梨県 若宮八幡神社(追補) 

960

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)

 山梨県 若宮八幡神社

959

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)

⓭ 長野県富士見町 若宮八幡神社 

958

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)⓬ 上田市 鹿教湯温泉の呉橋 

957

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)⓫ 佐久市 近津神社

956

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)❿ 佐久市 若宮八幡神社 

955

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)❾ 佐久市 高良社 

954

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編) 小諸市 御影神社

951

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)❼ 上田市 生島足島神社 (下)

950

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編) 上田市 生島足島神社 (中)

949

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)❺ 上田市 生島足島神社 (上)

948

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)❹ 上田市 前山鹽田神社

947

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)❸ 上田市 山鹿神社

946

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編) 千曲市 佐良志奈神社

945

信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編) 千曲市 武水分八幡神社

944

信州佐久の鯉太郎 “千曲、上田、小諸、佐久遠征への下調べ”

として (企画編)⓪

  

349

勝沼ワインの里の大善寺 G“ぶどう寺と宮地嶽神社には何故

「三階松の神紋」があるのか?”

348

勝沼ワインの里の大善寺 F“ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう

薬師」像があるのか?”(追補)A

345

勝沼にも高良神社があった “山梨市の大井俣窪八幡神社”

344

勝沼ワインの里の大善寺 E “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう

薬師」像があるのか?”(追補)

343

勝沼ワインの里の大善寺 D “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう

薬師」像があるのか?”(下)

342

勝沼ワインの里の大善寺 C “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう

薬師」像があるのか?”(中)

341

勝沼ワインの里の大善寺 B “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう

薬師」像があるのか?”(上)

213

勝沼ワインの里の大善寺 A “大善寺の全国的傾向”

212

勝沼ワインの里の大善寺 @ “山梨県甲州市勝沼町勝沼の五所神社の神宮寺”



古川清久小倉講演「信州佐久の鯉太郎」

 音声記録無題.png3hのファイル


まず、最初に見て頂きたい衝撃的なデータが在ります。

久留米在住の方には特に感じるものがあるでしょう。

それは大善寺の分布です。これは私がネット検索で

拾っただけのものですが、その数が半端ではないの

です。大善寺玉垂宮ですね。

213

勝沼ワインの里の大善寺 

A “大善寺の全国的傾向”


無題.png大善寺 北海道中川郡美深   浄土宗

大善寺 北海道室蘭市     曹洞宗

大善寺 青森県北津軽郡板柳町 浄土宗

大善寺なし    岩手県

大善寺なし    秋田県

大善寺なし    宮城県

大善寺 山形県酒田市     真言宗醍醐派

大善寺地名のみ  福島県郡山市田村町大善寺

大善寺なし    茨城県

大善寺なし    千葉県

大善寺 神奈川県横浜市    浄土宗

大善寺 神奈川県横浜市都筑区南山田      大善寺 神奈川県横須賀市   金峯山不動院大善寺

大善寺なし    埼玉県           大善寺なし    茨城県

大善寺 群馬県桐生市     浄土宗     大善寺 栃木県矢板市     浄土宗

大善寺 東京都八王子市  浄土宗系の単立寺院 大善寺 東京都八王子市    浄土宗系の単立寺院

大善寺 静岡県島田市   浄土宗       大善寺 群馬県桐生市     浄土宗

大善寺 山梨県甲州市     真言宗智山派 (元は天台宗)ぶどう寺として高名

大善寺 愛知県江南市     臨済宗     大善寺 愛知県新庄市     浄土宗

大善寺地名のみ  愛知県一宮市千秋町浅野羽根大善寺(字)

大善寺 新潟県新発田市    浄土宗     大善寺なし    石川県

大善寺なし    富山県           大善寺なし    長野県

大善寺なし    岐阜県           大善寺 福井県坂井市     真言宗智山派

大善寺 三重県津市     浄土真宗本願寺派 

大善寺 滋賀県新旭町 天台宗(天台真盛宗の総本山

大善寺なし          和歌山県    大善寺 奈良県五條市     高野山真言宗

大善寺 京都府京都市伏見区  浄土宗     大善寺 大阪市天王寺区生玉寺町5-2 

大阪府 大阪市天王寺区城南寺町8-26      大善寺 兵庫県福崎町     東寺真言宗

大善寺香川県高松市国分寺町真宗大谷派  (元は天台宗)

大善寺なし          愛媛県     大善寺なし          徳島県

大善寺 高知県須崎市     高野山真言宗  大善寺 鳥取県鳥取市     浄土宗

大善寺 島根県益田市     日蓮正宗    大善寺 岡山県矢掛町     浄土宗

大善寺 広島県三原市     浄土宗     大善寺 山口県萩市      日蓮正宗

大善寺 福岡県福津市     浄土宗    (宮地嶽神社に近く付近に勝浦地名あり)

大善寺 福岡県久留米市    天台宗

大善寺 大分県宇佐市     曹洞宗    (宇佐神宮の神宮寺で元は天台宗) 公式には弥勒寺

大興善寺 佐賀県基山町    天台宗別格本山大興善寺(肥前、肥後に一寺?)     

鹿児島県(旧日向国) 大善寺なし          宮崎県(旧日向国)大善寺なし

ご覧のとおり、全国に3040の大善寺(北海道の2寺を含む)及び大善寺地名が存在することが分かります。

では、これをどのように考えるべきでしょうか?これほど多岐に亘り宗派を超える大善寺が存在するという事は、最低でも、天台、真言の平安仏教以前に、「大善寺」という寺号が好んで付されたとしか言いようがないように思います。これは一般的に言える事ですが、領主が代わったり、教団の変化があり、宗派が変わるなどして(天台から真言へor浄土宗から真宗へ…)と言った鞍替え起きる時にも元の寺号が全く変わるのではなく、最低でも文字を残したり、そのニュワンスを残すケースは良くある事です。

それを中国の“画竜点晴(晴は別字)を欠く”安楽寺の様に一種の流行といった話もなく、奈良仏教の南都六宗派に大善寺の痕跡が無い以上、消された可能性もあるのですが、それ以前に遡る、つまり、近畿大和朝廷の国分寺、国分尼寺に先行する九州王朝系の大善寺が全国に存在していたのではないかと思うのです。そして、その大善寺が武田勝頼が自決した谷の裾にもあるのです。これはあくまで仮説です。

以下講演の要旨を箇条書きにしてパワー・ポイントによるお話に移行します。

 以前の調査から甲信越に若宮神社がかなり存在していると言う事には気づいていました。

 それは、四国とか中国地方の高良神社を探っていると付近に若宮神社が存在していると言う形で気づいていたものの延長に在ります。ところが、甲信越に踏み入ると若宮神社の分布が高良社以上に顕著で当時でも、これは武田氏の影響によるものかも知れないとさえ思わせるものだったのです。

 実は、甲府のぶどう寺と呼ばれる大寺院が宮地嶽神社の三階松の紋章を使い、久留米の大善寺玉垂宮の名を持つことに気付き8年ほど前に踏み入ったのが始まりでした。こうして甲府のぶどう寺大善寺を訪問しました。それについては7本の甲府のぶどう寺大善寺のブログをお読み頂きたいと思います。

➂ もう一つの伏線としては、筑豊の物部氏が日本海側に逃げ中部山岳地方に逃げそれが武士(モノノフ)になっているのではないかとの仮説を検証するために上越市から諏訪に入るルートを踏みました。

 また、朝倉氏の全国展開を追って、まず兵庫県(但馬)は養父市の朝倉氏(小佐氏)と朝来市の朝倉氏、福井県、敦賀(金ヶ崎城は宗像の鐘ケ崎の移動です)の浅井、朝倉の朝倉氏の移動を確認し確信は一層深まりました。この朝倉地名も全国各地に30はカウントできます。

 ひぼろぎ逍遥

146

「朝来」地名について B “朝倉氏と小佐氏”

145

「朝来」地名について A “但馬、朝倉、養父、志波” 

144

「朝来」地名について @  “兵庫県朝来市の朝来山から”

 無題.pngこうした下調べはほぼ10年前から始めていましたが、きっかけは百嶋由一郎が話した“九州王朝は但馬に逃げています。そしてその手助けをしたのは宗像の人々でした…”とのアドバイスでした。

 しかし、その後追いから、九州王朝の避退地は更に奥へと延び、既に先生には武田信玄の一族も高良玉垂命の腹違いの一族である大彦=阿部氏の後裔であるとのメモまで残しておられたのです。

 今回、この事を山梨県韮崎市の韮崎八幡宮の神殿に併設された若宮宮を確認することを持って、新羅三郎に端を発した武田氏のルーツも佃収研究の天孫族と重なりそうであることも見えてきたのでした。
無題.png

百嶋由一郎最終神代系譜 見づらいでしょうが全体が分からないと意味がないためこの形で表示します

できればこのページだけを印刷し、さらに141パーセントの拡大したA3タイプでご確認ください。文中でも取り上げた神代系譜などを必要とされる方は09062983254までご連絡ください

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2023年12月03日

982 最新研究「宮原誠一の神社見聞諜」 222 若八幡と正八幡と白山姫の転載  ❶

982 最新研究「宮原誠一の神社見聞諜」 222 若八幡と正八幡と白山姫の転載  ❶

20230628

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


No.222 若八幡と正八幡と白山姫 宮原誠一の神社見聞牒(222) 令和5年(2023)0529
 

若宮八幡宮はよく聞く宮号です。「記紀」の応神八幡に関連して若宮八幡があります。若宮八幡は応神八幡の若宮ではありません。開化天皇の若宮を指します。「八幡神」の称号はそのまま頂いて「若宮八幡」と申します。開化天皇の長子で、仁徳天皇=大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)を若宮八幡神と申します。
それでは、若八幡宮の「若八幡神」は誰を指すのでしょう。今回の主題です。

福岡県糟屋郡久山町久原に若八幡宮があります。近くの粕屋町大隈に御霊神社があり、その境内摂社に若八幡宮があります。これら神社は多々良川流域にあり、その下流の福岡市東区多々良にも若八幡宮があります。
以前、2020年5月に篠栗町の神社を訪問したのですが、大隈の御霊神社は行きませんでした。由緒から御霊信仰に基づく御霊神社(ごりょうじんじゃ)と思い込み、避けていました。ところが再度篠栗町に行く機会がありまして訪問すると、怨霊鎮魂の御霊神社でなく普通の氏神神社の御霊神社だったのです。

粕屋町大隈の御霊神社
町名は粕屋町ですが、隣の篠栗町と関係します。
篠栗町のほぼ中間に篠栗多々良川一帯の宗廟神社だったといわれる古代の「宗廟田中神社」があります。秀吉の九州統一の時に社殿を失い再興したが、江戸時代の宝暦年間の洪水で破壊され、和田村に転社して、田中、和田、高田、津波黒、大隈の五村の産土神として祀られました。
明治までは五村の産土神社であり、その後、高田、津波黒、大隈は村ごとに、田中、和田は二村協同で和田八幡神社を奉祀し、明治17年、田中村も独自の神社を奉祀することになり、田中八幡神社を和田神社から分離しています。(高田村は天神社、津波黒村は御霊神社、大隈村は御霊神社を奉祀)
田中八幡神社は福岡県神社誌に記載がなく,祭神も由緒もよく分っていないのが現状です。
田中村は田中大神に因む村名です。西の大隈村・和田村は大幡主に因む村名です。東の高田村、津波黒村も大幡主に因む村とみています。(No.143)

大隈御霊神社と田中八幡神社は対面されています

大隈の御霊神社 福岡県糟屋郡粕屋町大隈1144

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一の鳥居    左手には如意輪観音堂と手前には蘇鉄 如意輪観音堂(猿田彦神を祀る)

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二の鳥居 左手には若八幡宮、右手には末社一宇

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本殿屋根には外削ぎの男千木と鰹木五本   向拝の四本柱は高良社の仕様、波の彫刻群 若八幡宮

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末社 左から愛宕神社、祇園、川伯、天満、大山祇の神社群、貴船神社の三殿

 
由緒をみれば、祭神は早良親王、伊豫親王、吉備大臣、文屋宮田丸、橘逸勢、藤太夫人(藤原吉子)、藤原廣嗣、火雷神であり、怨霊鎮魂の御霊神社の内容ですが、実態は大幡主を祀る普通の氏神神社の御霊神社だったのです。祇園社の御霊神である大幡主を祀る御霊神社だったのです。(No.215)
一の鳥居の横にあった観音堂は如意輪観音を祀るお堂でした。本地垂迹(ほんじすいじゃく)は猿田彦神=彦穂々出見尊です。
本殿の左手に境内摂社の若八幡宮があります。若八幡宮の祭神は猿田彦神でした。
道理で、一の鳥居の横に如意輪観音(猿田彦神)を祀るお堂があったのでした。
正八幡神は大幡主であり、その若宮は若八幡であり、若八幡神は猿田彦神となります。
大隈の御霊神社の宮司さんは豊丹生氏です。
豊丹生氏は猪野の伊野天照皇大神宮に合祀された伊勢大神を古宮跡に持ち込んだご先祖です。
氏子さんは八尋、田代、黒瀬、城戸さん等です。八尋さんは大幡主奉斎の代表格です。
社紋は天神社としての梅紋ですが、釘隠しの金具は至る所に日輪紋が打ってあり、大幡主、猿田彦神、天照女神を祀るかのようです。この神社は天神社(てん神社)のようです。
また、不思議なことに、阿蘇の祖神を祀る貴船神社が末社としてあります。
福岡市南区柏原の埴安神社には摂社として貴船神社がありました。
貴船神社は阿蘇の祖神である神沼河耳命と神俣姫を祀る神社なのでしょうか?全く異質の夫婦神を祀るように思えてなりません。

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久山町久原の若八幡宮
久山町久原の若八幡宮は粕屋町大隈の御霊神社と同じ趣があります。
久山町誌によれば、城戸家・荒津家の鎮守として弘長2年(1262)に創立。天正2年(1574)、立花道雪の家臣である城戸次郎左衛門と荒津伝兵衛の両家の鎮守を現在の地に遷し、村の鎮守としたのが始まりという(筑前國続風土記拾遺、久山町教育委員会の案内)。南方300m程に若宮神社旧宮跡があります。
福岡県神社誌によれば、祭神は伊弉諾命、仁徳天皇、海童神、事代主神(木寄神社を大正12年合祀)とありますが、現地を訪問すると、これらの祭神には違和感を覚えます。
この神社は彦穂々出見尊(=猿田彦神、高良神)、大幡主(正八幡神)を中心とする高良社の趣があります。
久山町教育委員会の案内板は説明が行き届いていて大変参考になりました

久原の若八幡宮 福岡県糟屋郡久山町久原3497

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拝殿、社紋は左三つ巴紋

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本殿障子の鷹の彫刻

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本殿左手(西側)の薬師堂久山町教育委員会によると、この薬師堂は旧本殿であった

可能性があるという。本尊の薬師如来の本地垂迹(ほんじすいじゃく)は大幡主です。
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本殿右手の境内社、二瀬宮、祇園宮、若八幡宮、八幡宮


二瀬宮 糟屋郡久山町久原(下久原公民館付近)
祭神 瀬織津姫神、速秋津姫神
「二瀬神社」とも「おやしろさま」とも呼ばれています。牛馬の神様として駄祈祷などが行われていました。ここは、久原川と新建川が昔合流していた場所で、「落合」という地名が残っています。祭神は、瀬織津姫神、速秋津姫神です。明治四十四年、若八幡宮に合祀されていましたが、昭和初期にもとの場所に戻ってきました。この地にはかつて大きな山桜がありました。江戸時代の終わり頃にかかれた『筑前国続風土記拾遺』にはその様子が次のように書かれています。
「花の時は雲をこらし雪を翻し所さえ川に臨みて風にかをり水にうつる色香殊に深く見所多し。遠近の貴賤樹下に群集し賞心の輩引きもきらず。国中第一の大木也。」  平成25年 久山町教育委員会

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Google マップ」から「二瀬宮」

 
四柱の祓戸大神(はらえどのおおかみ)
@瀬織津比刀@天照女神(大日孁貴=ヒミコ)
A速開都比刀@萬播豊開津姫(よろずはたとよあきつひめ)=豊玉彦の正妃
B氣吹戸主  金山彦(かなやまひこ)=軻遇突智神(かぐつちのかみ)
C速佐須良比鴨玉依姫(かもたまよりひめ)=大山咋神(おおやまくいのかみ)の妃

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本殿左手(西側)の薬師堂横の境内社(不明)


福岡県神社誌によると、境内社が五社あります。罔象女神(みづはのめのかみ)、天御中主神(大幡主)、須佐之男神、瀬織津姫(天照女神)、速秋津姫神とあり、瀬織津姫(天照女神)と速秋津姫神は二瀬宮であり、天御中主神(大幡主)を祀る境内社の可能性が高い。
社殿の形式は高良社となっています。
本殿左手(西側)に薬師堂があります。久山町教育委員会によると、この薬師堂は旧本殿であった可能性があるという。本尊の薬師如来の本地垂迹は大幡主です。古宮は大幡主を祀る神社です。後に、彦穂々出見尊(=猿田彦神、高良神)の若八幡神を祀ったようです。
向拝の四本柱は高良社の仕様、本殿の龍の彫刻に釘隠しの金具は菱紋、本殿の鳳凰の彫刻、瓜にカブの彫刻、波にウサギの彫刻、本殿障子の鷹の彫刻等は高良社の様式です。
福岡県神社誌によれば、祭神は伊弉諾命、仁徳天皇、海童神で、本殿の男千木と鰹木は男神を祀りますので、これに高良の神を当てはめると、彦穂々出見尊(=猿田彦神)、開化天皇(菱紋、鳳凰)、大幡主(龍、鷹、三巴紋)となります。

伊野天照皇大神宮
久原の若八幡宮は大隈御霊神社と伊野天照皇大神宮の祭祀線上にあります。
豊丹生佐渡守が室町時代末、京都から豊前の英彦山、さらに糟屋郡伊野に奉安した伊勢大神は彦穂々出見尊(猿田彦神=天照大神)と大幡主(豊受大神=正八幡神)か。
さらに、伊野天照皇大神宮は古賀市小山田斎宮と久原の白山神社と球磨八代神社(妙見宮)に参拝線と社殿の向きがあり、黒田藩主が伊野天照皇大神宮に勧請した神は天照女神(撞賢木厳御魂)となります。後の明治に、豊丹生氏の伊勢大神が伊野天照皇大神宮に合祀されています。
よって、現在の伊野天照皇大神宮は天照女神(撞賢木厳御魂)と大幡主(豊受大神)と彦穂々出見尊(猿田彦神=天照大神)の三柱を祀ることになります。(水取宮の合祀を除いて)

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2023年12月06日

983 最新研究「宮原誠一の神社見聞諜」 222 若八幡と正八幡と白山姫の転載  ❷

983 最新研究「宮原誠一の神社見聞諜」 222 若八幡と正八幡と白山姫の転載  

20230628

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


福岡市多々良の若八幡宮
若宮神社は仁徳天皇の若宮でなく、十一面観音(=天照女神)に関する若宮です。
福岡市今泉の若宮神社の祭神は豊玉姫で、豊玉彦の嫡女だから若宮です。
また、正八幡神は大幡主であり、その若宮は若八幡であり、若八幡神は猿田彦神となります。
正八幡神・大幡主と天照女神の若宮は猿田彦となります。
ここ多々良(多田羅)にも天照ゆかりの大神(おおがみ)さんがかたまって住んでおられるとは、また驚きです。(18894月、町村制施行に伴い多田羅村、土井村、名子村、蒲田村、八田村、松崎村、津屋村、名島村が合併して多々良村が成立。)
 

多々良の若八幡宮 福岡市東区多々良26

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氏子に天照女神(ヒミコ)奉斎の大神(おおがみ)さんが多いです。福岡市南区桧原二丁目(大字檜原字猿田)の五社神社の氏子さんと同じです。この多々良の若八幡宮は猿田彦(若八幡)と大幡主(正八幡)と天照女神のファミリーを祭る神社ではないか。


 天照大神とは(天照三神)
 天照大神(大日孁貴=ヒミコ=天照女神) 豊受大神(豊の宇賀神=大幡主)
 天照国照彦天火明命(饒速日=猿田彦=天照大神)

修正 熊野十二所権現
熊野十二所権現の表記は次のようになっています(No.217)

熊野十二所権現
社殿       神座      祭神名        本地仏
上四社  第一殿 西御前(結宮)  夫須美大神(伊邪那美) 千手観音
     第二殿 中御前(速玉宮) 速玉大神(大幡主)   薬師如来
     第三殿 証誠殿     家津御子大神(耀姫)  阿弥陀如来
     第四殿 若宮(若一王子) 天照大神       十一面観音
中四社  第七殿 児(ちごの)宮  彦穂々出見尊     如意輪観音
熊野若王子神社(京都市)の由緒から分かったこと

熊野十二所権現
社殿       神座      祭神名         本地仏
上四社  第一殿 西御前(結宮)  天照大神(白山姫)    十一面千手観音
     第二殿 中御前(速玉宮) 速玉大神(大幡主)    薬師如来
     第三殿 証誠殿     家津御子大神(耀姫)   阿弥陀如来
     第四殿 若宮(若一王子) 天照大神(彦穂々出見尊) 如意輪観音

若宮(若一王子)は彦穂々出見尊(猿田彦)の天照男神でした。第一殿はイザナミでなく、天照女神(白山姫)でした。熊野権現は天照大神(白山姫)が消されていました。若宮が天照大神であるという。
正八幡大幡主の若宮は若八幡であり、若八幡は彦穂々出見尊(猿田彦)となります。
  
久山町久原の白山神社
白山神社近くの首羅山観音堂の由来によれば、天平年間(729-749)に白山権現が虎に乗って百済から白山(首羅山)に渡ってきたと伝わる、という。
白山神社の祭神は白山姫(=天照女神)ですが、現在の祭神表記は五十猛神(いそたける)となっています。
一の鳥居には大幡主のしめ縄が張ってありました。
神社形式の痕跡からは、白山姫と大幡主を祀る神社と言えます。

久原の白山神社 福岡県糟屋郡久山町久原188

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一の鳥居「白山宮」、大幡主のしめ縄が張ってあります   二の鳥居

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拝殿、左手は境内社・大山祇神社 本殿の屋根には外削ぎの男千木と鰹木五本、釘隠しの金具は至る所に日輪紋

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三重亀甲に瓜花紋=白山姫の神紋     菊花の彫刻


由緒
拝殿は大正9年(1920),本殿は昭和2年(1927)の建立です。それ以前,白山神社は白山山頂付近の花ノ木原にありました。山頂付近には延享4年(1747)銘の石製の祠があり,現在も「上の白山さま」として信仰が続いています。現在の祭神は五十猛神(いそたけるのかみ)ですが、近世には白山権現社(はくさんごんげんしゃ)として、菊理姫神(くくりひめ)、伊弉諾命(いざなぎ)、泉道守神(よもつちもりのかみ)を祀っていたようです。
白山は「首羅山(しゅらさん)」とも呼ばれ,伝承では天平年間の開山とされます。「筑前国続風土記」には,昔は大社で,白山頭光寺泉盛院(はくさんとうこうじせんせいいん)を社僧とし,三百五十もの坊がありましたが,天正年間にすべて焼亡したと記載されています。現在も山内には坊跡や堂宇の跡が随所に残り,当時の繁栄の痕跡をよく残しています。
  平成21年 久山町教育委員会


白山比盗_社(しらやまひめじんじゃ)
フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)から
所在地:石川県白山市三宮町二105
ご祭神:菊理媛尊
石川県白山市三宮町にある神社(白山神社 はくさんじんじゃ)
式内社、加賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国に2,000社以上ある白山神社の総本社である。通称として「白山(しらやま)さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」とも。神紋は「三子持亀甲瓜花」。


無題.png三子持亀甲瓜花
六角亀甲形を七五三の厚さに配した三つ子持ち、すなわち三重の構えをめぐらし、その中に瓜の花を描いた紋。
 

福岡県神社誌の祭神表記は五十猛神(いそたける)です。神社形式の痕跡からは、白山姫(天照女神)と大幡主と五十猛(猿田彦)を祀る神社と言えます。


「まにまに」のブログ(佐月)の「白山神社(久山町)20190417日」の記事では、ここの白山神社は「石川県の白山比盗_社の元宮」らしい、と記述があります。石川県が本宮でなく、こちらの久山町が本宮とは驚きです。白山姫の神紋も全く同じです。(No.216)

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白山の「虎の首と首羅山」伝説について虎の首と十一面観音を祀ったから首羅山という、とんでもない由来記です。
現地で、この由来記を読んでいたら、吐きそうな違和感を覚えました。首羅山観音堂の由来によれば、天平2年(730)に白山権現が虎に乗って百済から白山(首羅山)に渡ってきたと伝わる、という。
虎の神様である大幡主と天照女神が朝鮮半島南部(任那)から大幡主の大型船で白山に渡ってきた、と解釈するのが自然でしょう。大幡主と天照女神時代はもっと古く3世紀前半頃です。


白山神社近くの首羅山観音堂の由来(福岡県糟屋郡久山町久原)
伝承では天平年間(729-749)に白山権現が虎に乗って百済から白山(首羅山)に渡ってきたと伝わる。その際に乗り捨てられた虎の猛威に恐れた村人が虎を殺害したところ、その虎の首が輝いた。そこで首を薄絹で包んでその上に十一面観音を安置した。これが当観音堂の始まりだと伝わる。
近世の文献によれば、当観音堂はかつては山頂付近にあった白山神社の下にあったといわれるが、万治年間(1658-1661)、麓(この地?)に移されたようだ。近年、堂内からは修験の重要な法具である、股木が発見された。
古来より伝えられていた十一面観音像は昭和40(1965)代に盗難に遭い現在は地元の方によって奉納された観音像が祀られている。  平成21(2009) 久山町教育委員会

羅は絹織物という意味があります

「首」とは長という意味
首相、元首、首長、党首、首領、頭首、首里、首都とありますが、首相とは大臣の長です。「羅」は条理(網の目)であり、首羅は条理が整った都です。
虎の神様は奴国の国王であり大幡主で、十一面観音の白山姫(=天照女神)と共に祀った山だから首羅山というのか?高良大社の「高良」は高羅(甲羅)と書きました。
羅針盤の「羅」はどういう意味があるのでしょう?(北を指す)

 
個人覚え書・貴船神社の祭神は大幡主と天照女神ではないか?
不思議なことに、粕屋町大隈の御霊神社に阿蘇の祖神を祀る貴船神社が末社としてあります。福岡市南区柏原の埴安神社には摂社として貴船神社がありました。
貴船神社は阿蘇の祖神である神沼河耳命と神俣姫を祀る神社なのでしょうか?
全く異質の夫婦神を祀るように思えてなりません。

埴安神社 福岡市南区柏原四丁目20-41
祭神 埴安比古命 埴安比売命
末社 貴船神()若国大明神()

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手前の末社 貴船神社

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埴安神社(福岡市南区柏原)の末社・貴船神社の祭神は大幡主と天照女神ではないか
末社 貴船神 若国大明神 古くは南方にあったが、現在地の社日神(大幡主)の丘に遷宮
これが原記です。

埴安神社に阿蘇の祖神を祀る境内社の貴船神社が摂社の形式であるのが不思議です。
粕屋町大隈の御霊神社にも貴船神社が末社としてあります。
伊野天照皇大神宮の末社にも貴船神社があります。
大幡主と天照女神を祭神とする神社に、どうして貴船神社があるのでしょう。
貴船神(神沼河耳命と神俣姫)を水神または龍神とするには無理があります。
埴安神社も貴船神社も祭神は大幡主と天照女神とすると説明がつきます。
若国大明神は貴船神あるいは埴安神の息子と取れます。
「貴船」は海神に因む名前とすれば理に合います。
福岡市南区柏原の埴安神社は天照一家の三神を祀るのではないか。

 天照大神とは(天照三神)
 天照大神(大日孁貴=ヒミコ=天照女神)
 豊受大神(豊の宇賀神=大幡主)
 天照国照彦天火明命(饒速日=猿田彦=天照大神)

貴船神社が阿蘇の祖神(神沼河耳命と神俣姫)を祀るのであれば、阿蘇を中心に中九州に多く存在してもよいはずです。ところが、福岡県北部に集中するのです。不思議です。境内社も含めるとさらに数は増します。

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貴船神社の祭神名は、高龗神(たかおかみ)と闇龗神(くらおかみ)で、阿蘇の祖神である神沼河耳命と神俣姫に当てられます。しかし、龗(おかみ)は龍や水神の意味。神沼河耳命と神俣姫は龍や水神に当てはまりません。
本来の表記は、高龗は鷹龗(鷹の龍)、闇龗は眩龗(まぶしい龍)ではないか。
 
 
(おかみ)
 龍の古語で、龍は水や雨を司る神様。「高」は山の上を、「闇」は谷間を指す言葉。
 高龗は山上の龍、闇龗は谷間の龍という意味になります。

高龗神社は奈良の大和神社の摂社です。関係するのは天照大神と大幡主です。
天照大神と倭大國魂神(大幡主)は共に崇神帝の瑞籬宮に祀られていたが、両大神の神威を畏れた帝は宮中から出して祀ることにした。天照大神は崇神帝の皇女・豊鍬入姫を斎王として笠縫邑に遷し祀られた。倭大国魂神(大幡主)は渟名城入姫に託されたが、祭祀が続けられなくなり、市磯長尾市が祭祀する。
貴船神社は天照大神(大日孁貴=ヒミコ=天照女神)と豊受大神(豊の宇賀神=大幡主)を祀る神社ではないのか。闇龗は眩龗=天照大神、 高龗は鷹龗=大幡主がよく似合う。
天照大神(大日孁貴)と豊受大神(豊の宇賀神)は倭国の祖神です。
そう思うと、「記紀」で云う、伊弉諾尊(いざなぎ)と伊弉冉尊(いざなみ)による国産みの神話は、九州を舞台にした大幡主と大日孁貴(ヒミコ)による国産みの神話を土台にしたのではないか。淡路の伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る伊弉諾神宮(淡路市多賀)は日本書記によるテーマパークの神社ではないか。1930(昭和5年)本殿を開くと伊弉諾尊と伊弉冉尊が祭祀されていたという。伊弉諾尊と伊弉冉尊の神霊はどこから持ってきたのでしょう?
 
日吉大社の神輿と社殿から分かったこと
日吉神社 福岡県那珂川市(筑紫郡南畑村大字)市ノ瀬字日吉前
祭神 天御中主神、大己貴神、彦火々出見命白山姫、大幡主、彦火々出見命
福岡県那珂川市の日吉神社が本宮で、主祭神は彦火々出見命(猿田彦)です。

日吉大社 滋賀県大津市坂本五丁目1−1
西本宮祭神:大己貴神(大国主神に同じ)大幡主(大宮)
東本宮祭神:大山咋神 → (二宮 大山咋神)
五摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 → 天葺根命(大山咋の幼名)
樹下宮:鴨玉依姫命彦火々出見命(猿田彦)
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 → 三宮 鴨玉依姫(大山咋神の妃)
宇佐宮:田心姫神大幡主
白山宮:白山姫神天照女神

日吉大社は、元宮である那珂川市の山王宮日吉神社に、大山咋神が割り込んでおられました。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記