972 気ままな上州への神社調査 ⓯ “群馬県甘楽郡甘楽町金光山白倉神社”
20230511
太宰府地名研究会 古川 清久
既に、戸隠神社を最後に今回の甲信+上州(一部、伊豆+駿河)への一ヶ月の神社参詣のレポートを一旦は閉じました。
絶対書くべき事を書いてしまい気が楽になった以上、今後は気を抜いて少し自由に書いてみたいと思います。
もうそろそろ、戻って来て一月になり、今や、チェーンを持って調査に行ったことが不思議に思えるほど暑さを齎す好天に恵まれ、毎年この時期に行ってきた温泉付き別荘と言うか研修所のウッド・デッキの塗装に取り組んでいるところです(まあ、少しずつやりますので、一週間は掛かるでしょう)。
さて、関東在住メンバーのTと別れた後、一人で神社を廻っていると、金山彦系、天御中主系と思える神社をカーナビで見つけたためかなり走った後でしたが引っ返して参拝させて頂く事にしました。


前橋、高崎、安中、富岡、藤岡、仁井田…と群馬県の中心部に近い一角に甘楽(カンラ)町があり白倉神社があります。
妙義山、榛名山、赤城山と名だたる物部系とも言える特殊な神々が祀られ、それらを奉斎する人々が山岳修験として支え、一旦必要がある時は直ぐに山々に立て籠もりパルチザンのような抵抗勢力を形成することが出来たはずなのです。
その延長上に赤城山の国貞忠治もあったはずで、一夜にして、一帯から300人もの命も捨てる子分が集まり、侍共も容易には手を出せなかったと伝えられているのです。
まあ、そんな話は忠治親分に失礼かも知れないのでヤメておきますが、それも山岳修験だらけの上州故なのかも知れないのです。まあ、江戸時代も悪代官とか越後屋みたいな連中は居たでしょうから…。
間違いなく義賊ですね!上州はヤクザ者、逃亡者と言えばお叱りを受けるでしょうが、私にとっては素晴らしく立派な人々が闊歩していたと言うイメージを持っています。


さて、話がとんでもない方向に流れてしまいましたが、これほどの物部氏といわれる多くの職能集団が住み着いていた地帯ではあるとしても、平野部にもそのような祭祀があるのではないかと探していると、たまたまカーナビに白倉神社が浮かび、天狗の神社とも言われていることが分かれば間違いないと思い参拝に至ったのが同社でした。
天狗はともかくとして初めに目についたのは立派な舞殿があることでした。
由緒には「太々神楽」が継続されていると
書かれていました。同じ富岡、甘楽の神社のと合同か連携され継続されているのでしょう。


和銅年間に小幡氏による鉱山開発に伴い金山彦を祀ったものである事が書き留められていました。
そして、天狗を奉斎していると言うこと自体、鼻の高い天狗に象徴される渡来系の集団と配下の人々が命かけで地下に潜り込み鉱脈を探り坑道を掘っていく危険を緩和するために祀ったものが、この神社の本質だったのです。
その意味では、群馬県一帯という古代には相当に山深い地域にはそれなりに有力な交易品としての金属精錬、冶金、探鉱などといった山師による産業が存在し、価値ある土地柄だった事が見えてくるのです。
百嶋由一郎が残した神代系譜にはその一端が書き残されています。最低でも榛名山の金山彦、赤城山のウマシアシカビヒコヂが見えてくるでしょう。以下ご覧ください。

078超細密金神系譜 (2)
百嶋由一郎が残した神代系譜DVD、講演録音声CD、手書きデータスキャニングDVDを必要とされる方は090-6298−3254までご連絡ください

JA甘楽のサイトに白倉神社本宮に関するものがありましたのでご紹介しておきます。