2023年09月03日

972 「宮原誠一の神社見聞諜」No.207 福岡市檜原の天照大神奉祭氏族 の転載 ❷

972 「宮原誠一の神社見聞諜」No.207 福岡市檜原の天照大神奉祭氏族 の転載 


“福岡市檜原の天照大神奉祭氏族” 新ひぼろぎ逍遥 ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載

202211124

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


No.207  福岡市檜原の天照大神奉祭氏族


宮原誠一の神社見聞牒(207)

令和4年(2022)1121


卑弥呼(天照大神)が居られたと云わる福岡市檜原地区に、卑弥呼(天照大神)の痕跡が見当たらなかったのです。

羽黒神社の氏子さんの地区名に山田(上下)組があり、「山田」は卑弥呼に因む地名ですが、他に痕跡が見当たらなかったのです。不思議でした。神霊東遷によって痕跡はなくなった、と思っていました。ところが、ブログ読者様から情報が寄せられました。



メッセージ

檜原が元伊勢である根拠の一つに、大神姓が日本で一番集中する地域という事実が有ります。おそらくあの地区に27世帯以上の大神さんが住んでおります。

現在の檜原元伊勢は個人で祀られているのではないでしょうか。

檜原と平原が同義とは気が付きませんでした。

仕事で平原によく行くのですが、確かに丘になっております。     20221112 22:54


福岡市檜原地区に大神姓(おおがみ)で、卑弥呼(天照大神)奉祭の氏族が残っておられる、ということです。


「名字由来net」で、大神姓の日本分布を調べました。

確かに、檜原に大神姓(おおがみ)が日本で一番集中する地域となっています。

関係の方々が今もその周辺(一、二丁目付近)に居られるのがわかります。


名字由来net

ttps://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=大神

大神【読み】おおがみ,おおが,おおかみ,おんが,だいじん,おおじん,おおみわ

大神さんの多い地域

都道府県

福岡県 およそ3,000人 大阪府 およそ400人 大分県 およそ310

市区町村

福岡県福岡市西区  およそ400人 福岡県福岡市南区  およそ370

福岡県福岡市東区  およそ300人 福岡県福岡市早良区 およそ220

福岡県福岡市城南区 およそ160人 

福岡県福岡市西区ランキング

宇田川原 およそ70人 宮浦 およそ50人 桑原 およそ70人 

福岡県福岡市南区ランキング

三宅 およそ20人 桧原 およそ160(おおがみ) 野間 およそ30

福岡県福岡市東区ランキング 多々良 およそ90人 若宮 およそ90

福岡県福岡市早良区ランキング 原 およそ70人 室見 およそ30

福岡県福岡市城南区ランキング 東油山 およそ40人 田島 およそ20

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大神姓は「おおがみ」であり、大山咋神(日吉様)ゆかりの「おおが」ではありません。

桧原二丁目の東に「五社神社」がありますが、この神社は正八幡大幡主(埴安彦)を祀る神社です。その五社神社は桧原一丁目藤ヶ丘にあったが、現在地に遷宮されたということです。

この檜原地区はやはり、ヒミコと大幡主とその奉祭一族の領域のようです。


五社神社

福岡市南区桧原二丁目24-20  祭神 住吉神 春日神 志賀神 香椎神 宝満神

由緒

創建は定かではないが、古来、五社大明神社と呼ばれていたのを、明治5年11月3日太政官布告に従って村社に治定されてからは五社神社と呼ばれるようになった 大正15年5月大字檜原字天神 (檜原一丁目藤ヶ丘)より現在の地所に御遷宮された由 

氏子区域及戸数 旧檜原村 58戸 天神社(末社) 埴安神 右側神 垣安神 左側神


奈留多姫の奉祭氏族も大神姓「おおがみ」であった
長髄彦の反乱後、しばらくして長髄彦の姉・瀛津世襲足姫の子であり、本拠地を南九州におく南九州の熊襲の頭領である建南方(たけみなかた)が長髄彦の乱に呼応して、北熊本から南筑後にかけて、熊襲の乱(建南方の乱)を起こします。
しかし、建南方は父・春日大神(天忍穂耳命)に説得され降伏されます。
そして、周囲から奈留多姫(なるたひめ 母は雨宮姫)を妻に世話してもらい、奈留多姫は八坂刀売(やさかとめ)と改名して二人の新天地・信州諏訪へ赴かれますが、奈留多姫は一族・熊襲及び阿蘇家の人たちを福岡市早良に残して行かれるのです。
その一時的な住まいである「福岡市早良」が不明でしたが、ようやく、早良区原の諏訪神社であることが分かりました。
詳しくは、「ひぼろぎ逍遥 古川清久管理人」のNo.924-925 をご覧ください。
その諏訪神社の由緒略記の石碑から氏子さんの名が読み取れるのです。


http://hiborogi.sblo.jp/article/189915426.html


925
福岡市早良区の諏訪神社の由緒略記を寄贈された方々のご出身地を知りたい

 202201011  太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久

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福岡県福岡市早良区原六丁目2024
御祭神:八坂刀賣命(やさかとめのみこと)=奈留多姫

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氏子さん
大神、浜、加藤、小田、進藤、上田、真鍋、武田、山田、本村、
佐々倉、千田、草場、白水、重松、米倉、米田、深川、武内、槙、山崎
由緒
当神社は、長野県諏訪郡下諏訪町鎮座の諏訪大社下社御祭神八坂刀賣神(妃神)の御分社で鎮座は約480年前です。当社の特質は神話的軍系的血縁関係の神社とは異なり、原の地域住民が神恩を奉謝し、淳厚なる民風と作興するため、連帯的扶助共存意識の基に、情義 道徳 健康を養うとする産土神で、原区域内に居住し 本神社を崇敬する氏子と他地区の方々で本神社を崇高する人々を鎮り加えて、家内安全と守護されてる御神徳の厚き神社です。
追之御神紋は巴紋で蛇神格化を意味し、防火防水の社紋であります。(昭和6112)

由緒略記にも書かれているのですが、参道入り口に置かれた神社標柱も住吉の紋章であり、諏訪の神紋のはずの諏訪梶(梶紋)ではないのです。これも不思議なことです。(以上)


雨宮姫を母に持つ奈留多姫は阿蘇系と捉えられがちですが、氏子さんの名を見る限り、そうではないのです。
大神、上田、山田はヒミコ奉祭氏族、加藤、小田、真鍋、草場、白水、重松さん等は大幡主奉祭とみられます。
奈留多姫は鵜草葺不合命を夫に、その御子がクマソタケル(後の川上タケル)と豊姫(ゆたひめ)であり、氏子さんが大幡主奉祭であることが理解できるのです。
それでも、ヒミコ奉祭氏族には繋がっていかないのです。
ヒントは奈留多姫の母系先祖にありました。奈留多姫の母系を遡っていくと、ヒミコ様にたどり着くのです。
 
 奈留多姫雨宮姫阿蘇津姫拷幡千々姫ヒミコ様

それで、大神(おおがみ)さん等の奉祭が理解できるのです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記