2023年04月27日

960 信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)⓮ 山梨県 若宮八幡神社

960 信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)⓮ 山梨県 若宮八幡神社

20221005

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


韮崎市と言えば甲府の西に位置する甲府盆地の外れのような場所ですが、武田家最後の城となる「新府城」が置かれ、信玄が建てた武田八幡宮がある土地になります。遠来のため誤りがあればご教授を…。

無題.png

既に信州から甲斐に入り国境を越えていますが、もう最後の一本にしますので、「信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る」の最後として、そのまま、信玄公の晩年の本拠地の神社を取り上げることにします。まだまだ、書きたいことはあるのですが、もう11本も書けば十分ではないかと思っていますし、そろそろ、研究会のイベントも増えて来ていますので、そちらへ傾注しなければならなくなっており、余裕もなくなっているのが偽らざるところです。

もし読者で余力のある方がおられたら以下のぶどう寺リポートと併せて読んでいただければ、今回取り上げる武田氏のご先祖がどこからやって来られたかがより鮮明に浮かび上がってくることでしょう。

56年前、このぶどう寺問題に取り組み、大体の見当を着けていました。

ところが、決め手に欠け、それ以上は踏み込まないでいたのですが、今回、武田八幡宮を見せて頂き、武田氏のご先祖様は戦国期から1000年以上前に九州から入っていたという確信を持つに至ったのでした。今回はこの信じ難い驚愕の仮説を提出する事にします。


 ひぼろぎ逍遥(跡宮)

 

349

勝沼ワインの里の大善寺 G “ぶどう寺と宮地嶽神社には

何故「三階松の神紋」があるのか?”

 

348

勝沼ワインの里の大善寺 F “ぶどう寺にはなぜ「国宝

ぶどう薬師」像があるのか?”(追補)A

 

347

年毛神社と神代製塩池について “宗像、津屋崎境界領域の謎の古社”

 

346

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜

 

345

勝沼にも高良神社があった “山梨市の大井俣窪八幡神社”

 

344

勝沼ワインの里の大善寺 E “ぶどう寺にはなぜ「国宝

ぶどう薬師」像があるのか?”(追補)

 

343

勝沼ワインの里の大善寺 D “ぶどう寺にはなぜ「国宝

ぶどう薬師」像があるのか?”(下)

 

342

勝沼ワインの里の大善寺 C “ぶどう寺にはなぜ「国宝

ぶどう薬師」像があるのか?”(中)

 

341

勝沼ワインの里の大善寺 B “ぶどう寺にはなぜ「国宝

ぶどう薬師」像があるのか?”(上)

213

勝沼ワインの里の大善寺 A “大善寺の全国的傾向”

 

212

勝沼ワインの里の大善寺 @ “山梨県甲州市勝沼町勝沼の

五所神社の神宮寺”

 

 その前に下の神社、街中の若宮八幡神社の画像をご覧下さい。


韮崎若宮八幡宮 カーナビ検索山梨県韮崎市若宮1丁目4-14

無題.png

 無題.png4年前にこの神社にも参拝していたのですが、今回、神社の紋章が唐花紋=花菱である事に改めて気付きました。同社は町中にあるのですが、今回、山の辺の道を通り、武田八幡宮(脇殿=若宮八幡宮を祀る)に遭遇し、改めて若宮を慌てて調べると、唐花紋=花菱紋(実は高良玉垂命こと開化天皇を祀る久留米の高良大社の本物の隠された神紋)を使っている事に気付いたのでした。

 個人的には、武田菱とも四つ割り菱とも言われる紋章について、以前から偏見(実は誤解)を持っており、これはその形状から、左下の高皇産霊神(タカミムスビ)高木大神(多氏=阿蘇氏を取り込んだ)系の紋章ではないかと理解していたため理解が遅れたのですが、最近になってこれは花菱の変形なのだとようやく気付き、数年を無駄に過ごしたことにようやく気付いたのでした。

 無題.pngもう少し早く気づけば、信濃、甲斐の調査に数年早く辿り着けていたはずで、ぶどう寺(こちらも唐花を使っています)調査の延長に作業をさらに進めることが出来ていたはずですが、その分残念でなりません。まあ、何はともあれ、正しいレールに戻る事ができたため、今後は武田氏の解明に前進できるのではないかと考えている所です。

 唐花=花菱には共感し四目紋にはマイナスに反応するのは、大国主命の国譲りの現場が福岡県の朝倉郡であり、建御名方が諏訪に追放されるのも同じく福岡県の筑豊地方=田川郡一帯だった事を知っているからであり、そのような他人が苦労して造り出した国土を高木大神、天照、草部吉見=正勝吾勝…(三悪人)が奪う事は許せないという、思いが働いていたからだと思うのです。この点、神代史探査に私情を持ち込むべきではなかったのですが、まあ、無視して頂き先に進ませてください。

 落ち着いて考えれば何でもなかったのですが、花菱デザイン化されたものと何故気付かなかったかが情けない限りです。

無題.png

言うまでも無く甲州騎馬軍団の背中に着けた旗指物用の家紋は大量生産のための簡略化された物であり、落ち着いて考え花菱の変形が四つ割り菱である事に気付くべきだったのです。

 では、今回のテーマである晩期の武田信玄の本拠地である韮崎市の武田八幡宮をご覧下さい。

無題.png

武田八幡宮 カーナビ検索山梨県韮崎市神山町北宮地1185


 絢爛豪華ではない虚飾を排した造り、質実剛健の佇まいを持つ身の引き締まる思いのする神社です。

この点、徳川家の日光東照宮の対局を成しているとまでは言えそうな気がします。

 では、武田八幡宮を覧下さい。読み終えたら我々久留米市近辺の者にとっては驚愕の事実(真実)に遭遇する事になるかも知れません。

 まず、駐車場、道路など、不必要な舗装工事がされていないだけでも好感が持て、適度な水分と結果としての冷涼感が漂い、参拝者の老人が暑さに負けて参拝を諦めエアコンの効いた車に戻るなどと言う馬鹿げた事が起きないだけでも良い事だと思うばかりです。

無題.png
無題.png

さて、ここから今回のハイライトです。参拝殿がある事にはなっているのですが、直ぐに神殿に遭遇する変わった造りの神社で、不思議なことに本殿の隣には我々にとっては非常に親近感を持つ本物の天皇様、神様を祀る脇殿が置かれていたのです。

 宇佐から勧請されたものが本殿ならば、武田家のご先祖様が守り通した神様が大切に残されていたのです。本来的に武田家が祀っているのはこの若宮八幡宮だったことをここに来て初めて理解しました。

無題.png
無題.png

ここでは、当グループのエース級主筆宮原誠一氏の「宮原誠一の神社見聞諜」NO.59を読んでいただくべきでしょう。なお、「高良玉垂宮神秘書」144pには、下記の神門紋が掲示されています。

無題.png

三韓を攻め従え給う。その後、皇后は月神(玉垂命)と夫妻になり給う。
311条 高良の御紋・木瓜(もっこう)のこと。
神功皇后が筑前国四王寺の嶺において大鈴を榊の枝に掛け七日間、異国退治を祈られた時、東の空に白雲が現れ、四方に開け、四方に光を放ち、四王寺の嶺に降臨された。四方に開けた白雲は四天王なり。紋の中に四本の鉾を交えているのは四天王の鉾なり。これをそのままとって門光(もんこう)と名付けたり。
異国追伐の時の高良の御紋はこれなり。四方に光を放っている故、門の光と書く。
高良(大菩薩・玉垂命)、四天王に従じて天降られた所を四王寺ヶ嶺と名付けたり。

無題.png

十字に交わる鉾は四天王の鉾、中心の小さい剣は斜め十字剣。四方に広がるのは白雲といわれる。
百嶋先生講演「久留米地名研究会」 201125
高格式ユダヤ系等の木瓜、剣唐花の紋をお使いになっているのは高良大社、或いは、大善寺玉垂宮です。この紋は神様の紋ではなく、その神様をお守りしたのがユダヤ・イスラエル系の人々ですという意味です。武内宿禰の紋章は天皇家の紋章、五七の桐です。武内宿禰さんは系統的には本物のイスラエル系統です。ところが胤は、九州王朝の系統です。
伊勢皇大神宮の神紋に気づかれた方はいますか?門光です。開化天皇が四王寺山にお立ちになった時に、まばゆいばかりの光が周囲に散ったのです。現在では、花菱といいます。これが高良神紋であり、住吉神紋です。門光以前の紋章は桐です。男は五七、女は五三の桐です。(玉垂命の紋は五七桐紋、神功皇后の紋は五三桐紋)

【高良大社の神紋】
高良大社の神紋は、案内パンフレットには下記のように載っている。
中央の木瓜紋は門光紋でないと奉斎氏族(彦火々出見命・ニギハヤヒ)の紋となる

無題.png

右は、百嶋神社考古学研究の基礎となった「高良玉垂宮神秘書」ですが、当会の

メンバー10人ぐらいは所蔵しているようです。

この本には神功皇后と高良玉命=開化天皇とが夫婦であると書かれており、その長子(シレカシノミコト)が仁徳=オオササギであるとされているのです。通説派の仁徳は応神の子であるなどと言った大嘘を信じたい方はご自由に。(古川)


玉垂命の紋章は五七桐紋、武内宿禰の紋章も五七桐紋、二人は孝元天皇の異母兄弟であるが故に、高良大社の祭神について、「高良玉垂命は武内宿禰」という間違った話が一人歩きして来た。武内宿禰は高良玉垂命(開化天皇)の臣下であり、「記紀」では、神功皇后の臣下として目立った働きをされるが、高良玉垂命が「記紀」から消されているために、結果的にそう見えるだけ無題.pngで、本当は「高良玉垂命(開化天皇)と神功皇后」の臣下として働いておられる。「記紀」から高良玉垂命の主語が抜けているだけで、「神功皇后」を「高良玉垂命(開化天皇)と神功皇后」と置き換えると、話の展開が現実性を増す。
「高良玉垂宮縁起」では、高良玉垂命と神功皇后が共に新羅海戦で戦っておられる姿が描かれている。結果、神功皇后=女傑英雄 のイメージが薄れてくる。…中略
高良大社(高良玉垂宮)の神輿に門光紋が打ってある。高良大社の祭神は玉垂命を前面に出し、神功皇后を隠し、宮地嶽神社の祭神は神功皇后を前面に出し、玉垂命を隠してある、という。高良玉垂宮神秘書からすると、 玉垂命=開化天皇=物部保連=月神 

 右は普段は神輿蔵にあり人目に触れない神輿の直垂に使われている意匠です。これも門光と呼ばれる唐花紋=花菱紋です。

無題.png

002百嶋系図(極秘)003込(部分)


百嶋由一郎が残した神代系譜、講演録音声CD、手書きデータスキャニングDVDを必要な方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記