2023年04月18日

957 信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)⓫ 佐久市 近津神社 

957 信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)⓫ 佐久市 近津神社 

20220923

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


近津神社はリポートするほどのものが無かったため次の若宮八幡神社の話をしましょう。と、書いていましたが反省してリポートさせて頂きます。

無題.png

 今回のメインのターゲットは佐久の高良神社+若宮神社 複合体(コンプレックス)であり、これこそ藤原が第9代にせざるを得なかった開化天皇=高良玉垂命と仲哀死後の神功皇后との間に生まれた仁徳天皇=オオササギ=シレカシノミコトとしていました。このため、早く先に進みたいと思ったのでした。


❾ 近津神社 カーナビ検索長野県佐久市長土呂1182

無題.png

正一位近津大明神


 近津神社は佐久市でも市街地中心部北側の丘陵地に置かれた神社です。

 もうかなり遅くなっていましたので、写真は翌朝に撮ったものです。

無題.png

神紋は諏訪のものですね これは諏訪大社や金山彦系の影響下の神社という意味だと思います


御祭神:味耜高彦根神(アジスキタカヒコネ)実はウガヤフキアエズ

境内社:子安神社、天満宮、天照皇大神宮、芝宮神社、正八幡宮…

無題.png

御祭神 味耜高彦根神 開墾・鍛治技術集団の守り神と書かれていますね


「味=アジ」は金属、鉄を意味する古代半島語…といった話は聞きますが?「鉏」は文字通り鋤鍬のスキであり製鉄神と分かります…彼は福岡県久留米市の高良大社におり、一時は住吉の神(上筒男の神)でもあったのですここら辺の話は高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」などを理解する必要があります

無題.png

境内社:正八幡宮 千木をご覧下さい 女千木ですので神殿の主は女神様です アジスキタカヒコネはウガヤフキアエズ(久留米高良大社)です 次葉に系図を出しておきます とすると、女千木の主は母神の豊玉姫か?お妃の鴨玉依姫(下賀茂大社)か、大国主と市杵島姫の間に生まれた下照姫のどなたかです

無題.png

境内社:天照大神 芝宮神社(墨坂神社)これは上田市にもありますね


無題.png

墨坂大神は崇神天皇を祀る奈良県宇陀市の「墨坂神社」の勧請でしょう 藤原による乗っ取り進出ですね それで高木大神系の天照と一緒に並んでいるのです

無題.png

百嶋由一郎 最終神代系譜(部分)


百嶋由一郎が残した神代系譜90枚、講演録音声 CD340時間9枚、手書きデータ・スキャニング・データを必要な方は、09062983254までご連絡ください


追補)

無題.png

正八幡は宇佐八幡宮以前の八幡宮で、カミムスビ神で知られる神産巣日神、神皇産霊尊、神魂命

、博多の櫛田神社の主神である大幡主以外ではありえない大物で、誉田王ごときではないのです

無題.png

一般的に天のヤチマタ故事から猿田彦とアメノウヅメなどと解されますが誤りですナガスネヒコ兄妹です

無題.png

さて、記紀を引用し学会通説に阿るようなくだらない話はしませんが、私が見た範囲だけでも、信濃、甲斐には目立たないものの味耜高彦根神を見掛けます。そういえば島根の奥出雲町でも良く見掛けました。

私も始めは驚いたのですがもう慣れてしまいました。九州の久留米近辺からの製鉄集団が入っていると推定され、流石は甲州金山の国でもあり、冶金、掘削、土木の国だと感服するばかりです。さらに掘り下げたい方は、当グループの「宮原誠一の神社見聞諜」や北関東の百嶋研究から突き抜けた常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった 番外28.比多珂は天日鷲だった? などのサイトをお読みください。

私の場合は穏やかに百嶋神代系譜から理解できる範囲で推定していこうと考えています。

以下主神のアジスキタカヒコネについて…


古事記』では阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神と表記し、別名に迦毛大御神(かものおおみかみ)、『日本書紀』では味耜高彦根命、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子と表記する。また、阿遅鋤高日子根神とも。

大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子。同母の妹に高比売命(たかひめのみこと)がいる。農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、阿遅速雄神社(大阪府大阪市鶴見区)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)などに祀られている。すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祀っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。なお『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。

神名の「スキ(シキ)」は鋤のことで、鋤を神格化した農耕神である。『古事記伝』では「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語であり、「シキ」は磯城で石畳のことであるとしている。他に、「シキ」は大和国の磯城(しき)のことであるとする説もある。「高日子」は「高比売」の対、「根」は「根元」の意の親称と解して、名義を「立派な鋤の、高く輝く太陽の子」と考える説もある。

なおアメノワカヒコとそっくりであったとの記述から、元々アメノワカヒコと同一の神で、穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする説もある

ウィキペディア20220924 09:24


ただ、そんなことはどうでもいい話で、彼がどこを拠点に活動したいかなる人物であるかを掴む必要があるのです。

福岡県久留米市の高良大社は九州王朝の本拠地の一つですが、そこに残された「高良玉垂宮神秘書」には冒頭から、海幸山幸神話(ウミサチヤマサチという名こそ使っていませんが)二柱が綴られています。

我々は古事記などの神話はこれを参照した原型だと考えています。

 簡単に話しますが、山幸は海幸から釣り針を借り受け失います。返せと言われてもどうしようもなく途方に暮れていると、塩土老翁(実はカミムスビこと博多の櫛田神社の主神の大幡主)は龍宮に行き龍王(大幡主の子豊玉彦=ヤタガラス)に会えとアドバイスします。

 山幸は対馬のワダツミ神社に行き、豊玉姫と出会い三年添うも何故か豊玉姫は子育てを放棄します。そこで送り込まれるのが玉依姫(我々は区別するために鴨玉依姫とします)で、何時しか成長したウガヤフキアエズは乳母(育ての親の)である鴨玉依姫との間にはアズミノイソラ(後の上筒男命)が生まれますが、周囲から引き離されます。この鴨玉依姫は後に阿蘇系の(ヒコヤイミミと市杵島姫との間に生まれた)大山咋(クイ)と大恋愛の末に活玉依姫、ツヌガノアラシト(神武僭称贈る崇神)、シイネツヒコを生みます。さらに後、開化天皇の指揮下で四道将軍が北陸、関東、吉備、畿内に送られ、九州王朝の植民国家も含む新たな国が生まれていた本州の中央部まで征服、開拓、移住が進められます。

 その中心的な役割を果たしたのが後の贈る崇神であり、これが後の藤原の事実上の祖となるのです。

 このことから、藤原によって大きな功績のあった崇神を初代神武であると偽装する主張が捏造されるのです。 つまりウガヤフキアエズの子が神武天皇だという訳です。こうして宮崎のインチキ神話が流布され、とうとう欠史8代全て架空などと言うとんでもない説を拡げるに至るのです。 

 まあ、アメリカ民主党による日本支配の手先となった、戦後のヤミ市在日系パチンコ業界、言論界、NHK、TV局、学会、大手新聞社…こうして、思い込みから奈良県周辺だけをちょろちょろ調べて、欠史8代に相当する伝承、史跡、記録…が全くないから、これらは架空で(津田何某)、戦後の歴史学は科学的だ…と倒錯した流れが造られ、歴史の偽造、偽装が進められているのです。こいつらは馬鹿か嘘吐き!

 古代史の舞台はほとんどが九州島であり、そこで起こったのでした。鉄も取れない奈良県の山の中から起こったはずはないのです。それはともかくも、ウガヤフキアエズは高良玉垂命=開化天皇に三種の神器を返還します。このため、ウガヤは若くはあるものの、一旦は高良大社の首座を平和裏に自主返上します。そのウガヤが、何故、本州各地に祀られているのかが今後の新たな課題となります。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記