2023年01月27日

940 阿田片隈神とは何か? “博多の櫛田神社の境内摂社石堂神社から” ❷

940 阿田片隈神とは何か? “博多の櫛田神社の境内摂社石堂神社から” ❷

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


本稿は 939 阿田片隈神とは何か? “博多の櫛田神社の境内摂社石堂神社から” ➊ の続偏になりますので ➊ を読まれてない方はできるだけ先行ブログからお読みください。

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そして、道真の祖先に繋がるヤタガラスの本流氏族となっているのです。

実に良い勉強をさせていただきました。ようやく武夷鳥の実態も突き止められました。

では、念のために敬愛する玄松子様のブログからも確認させていただきます。


稲背脛命 いなせはぎのみこと……

出雲国譲り神話において、大己貴神が御子神事代主命の意見を聞くため使者として稲背脛を熊野諸手船に乗せて遣わした。

熊野諸手船を「天鴿(はと)船」とも呼ぶためか、天夷鳥命と同神とする場合がある。

稲背脛とは、「諾否(いなせ)を問う足」らしい。

稲背脛命 を祀る神社(玄松子が参拝した神社のみ)

伊奈西波岐神社             島根県出雲市大社町鷺浦102

西刀神社                   兵庫県豊岡市瀬戸字岡746

阿須伎神社                 島根県出雲市大社町遙堪1473

大江神社                   鳥取県八頭郡八頭町橋本734

美保神社 大后社に合祀の神使社 島根県松江市美保関町美保関

能義神社 境内 鷺神社           島根県安来市能義町366

宇留布神社                 島根県松江市八雲町平原2038【 稲背脛命:玄松子の祭神記 】


武夷鳥の一族は出雲から鳥取、兵庫に展開したのかも知れません。そして奈良の天理では和爾氏に…

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今のところここまでしか書けません。そのうち玄松子様が歩かれた全7社を巡り、武夷鳥の実感を掴み、改めてリポートを書かせて頂きます。

以前、奥出雲町を三度訪問して全70社を巡り全てをネット上に公開した事を考えれば、10分の1程度の分量で、移動距離は3県に跨り大きくなるものの、一度に済む分量です。


百嶋由一郎が残した神代系譜、講演録音声CD、手描きデータスキャニングDVDを必要な方は09062983254までご連絡ください
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年01月30日

ビアヘロ 202 2023年1月29日(日) 2023年新春三社詣り 福岡市に神武 天照を探るトレッキング

ビアヘロ 202

2023129日(日) 2023新春三社詣り 福岡市に神武 天照を探るトレッキング

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


通説では天照から数世代降って神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)とのでたらめな系譜が流通していますが、それは神武僭称贈る崇神(ハツクニシラススメラミコト)を初代天皇にしたいという後の藤原氏の意向が働いているのであって、神武がウガヤフキアエズの子などと言うインチキ神話が創られたのです。

故)百嶋由一郎は生前“神武天皇は福岡市南区柏原に、天照大神は同じく南区桧原に住んでおられました”と言われていました。今回はこれを樋井川が古代博多湾に注ぐ現場で確認するトレッキングです。


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集合場所:福岡市南区柏原 羽黒神社福岡県福岡市南区柏原372参道駐車場


神社を挟んで付近にはスーパー・マーケット マルキョウ柏原店 福岡市南区柏原6丁目191もあり

午前1000〜 (雨天は2月翌週に延期)昼食:寒い時期ですので昼食はジョイフル桧原店で!


  オープン参加(一般の方も気楽にご参加ください)資料代500円  基本は各自車の用意を…


コース :羽黒神社 → 埴安神社 → 五社神社→ 夫婦岩(上の画像は夫婦岩から)

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 羽黒神社 祭神 大巳貴命左脇殿 天神社(菅原道真公) 右脇殿 綾部神社

大己貴命は、日本書紀では「己」だが、境内案内には「巳」だった。     旧無各社

境内社の天神社祭神は、境内案内には菅原道真となっているが、福岡縣神社誌では埴安神。福岡では埴安神を祀る地禄神社や十六天神社等があり。            敬愛する玄松子様による

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カムヤマトイワレヒコは消されていますね!それが無格社とされた理由ですね。

➁ 埴安神社 祭神 埴安大神 埴安大神は 天照大神のご兄弟で土神様などと言われるとか。誤まり

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 五社神社 祭神 住吉神・春日神・志賀神・神功皇后・玉依姫命 この住吉は底筒男=開化ですね

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今回は最も寒い時期でもあり、移動距離も短いため3社+巨石を巡りますが、各自防寒対策をしっかりお願いします。可能ならば御杖代として宮原誠一氏に御出でいただきます。尚、オープン参加ですので、参加希望の方は090-52892994(事務局中島)or09062983254(古川)まで。参加費資料代500

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002百嶋系図(極秘)003


「宮原誠一の神社見聞諜」近稿 207 「福岡市檜原の天照大神奉祭氏族」をお読みください!

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ

2023年01月31日

ビアヘロ203「宮原誠一の神社見聞諜」の勉強会を始めます!

ビアヘロ203「宮原誠一の神社見聞諜」の勉強会を始めます!

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


当会のメンバーと言うより、エース格の宮原誠一氏による「宮原誠一の神社見聞諜」という良質のブログが在ることは皆さんも良くご存じの事と思います。

宮原氏は「福岡県神社誌」以前の「久留米藩社方開基」という筑後の神社資料を手元に置き、30代から地元の神社を調べてこられた方で、当会の宝とも言うべき研究者です。

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となります。


 宮原氏のブログを見ると、ペラペラの表面だけの説で満足されている部分を抉り、可能な限り古代の真実に迫る内容が満載されています。

まずは、戦後のマッカーサーの占領政策によって神社研究が完全に消失して以降、最良かつ最重要の資料と言えるでしょう。

 最早、神社研究など誰もやっていないのです。誰かやっておられると言うのなら直ちに教えを請いたいと思うばかりですが、今や禰宜はおろか宮司までが総崩れと言う有様で、実に暗澹たる思いがします。

 列島の古代を考えれば、如何に日本が奇跡の国家であるかが良く分かるのですが、その神社研究、古代史研究を天照の国が奈良から自生したなどと言う大嘘が大股で闊歩するようになれば、日本は間違いなく消失への道を下り始めることになるでしょうし。それどころか戦後80年を経ており、最早時すでに遅しであり全く間に合わないかも知れないのです。しかし、それを少しでも喰いとめようと抗っているのが私達なのです。

 故)百嶋由一郎氏も実は熊本県人吉市の某所と分かってきましたが、古来、定期的に行われていた神社研究会に参加されていた様で、通説とは異なる真実の神社研究、神代史研究を続けられていたらしいのです。

 そこでは各地の神社で代々伝えられていた本当の神社の祭神などが密かに伝えられていた様なのです。

 その最後の世代が百嶋氏であり、それ以降は継承者もなく失われるばかりだったのですが、僅かながらもその一部を継承したのが当会だったのかも知れないのです。

 欠史8代などと言う大嘘を吹聴した津田何某とそのエピゴーネンどもは正しくGHQに尾を振る売国者集団であり、こいつらが嘘の歴史をばらまき、日本と日本の神々を欺いた張本人なのです。

 天照、卑弥呼の国が奈良で始まったなどと彼らは本気で考えているのでしょうか?ほとんど漫画の世界です。…お粗末。そのような嘘つき国家は早晩滅びてしまうことになるでしょう。

神社が時の売国権力に尾を振り、嘘だけを吹聴し全く真実を伝えなくなれば国家は瓦解していきます。

 列島に住んできた代々のご先祖様達は戻れぬ故国を跡にする時にも故郷の鎮守の杜にお参りに行き戦地に出征したはずですし。

 我々のご先祖様達は勝てない戦であっても婦女子と父母を守るために命を懸け雄雄しく死んでいったはずです。そこには、表向きの話しとは異なる多くの伝承が残されていたのです。

 その頃までは平気で嘘をつくTVもワイドショーも存在せず、立派な神官、知恵ある誇り高き宮司も数多く残っていたはずなのです。

 話が横道に逸れましたが、そこで、会の宝ともいうべき宮原誠一氏の勉強会を始める話が持ち上がっています。

 筑前筑後の神社研究、百嶋由一郎神社考古学を継承する体制を準備し、研究内容を後世に継ぐ民間研究体制を準備する事にもなるでしょう。

さて、勉強会ですが、街中で集まるのは返って不便です。駐車場も空きを探さざるを得ず、その駐車料金もン日だと千円近くになります。

そこで、いつでも集まれる久留米市でも郊外の北野町の一角で始めることにしました。

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無題.png久留米市 金島ふれあい交流センター(仮案)


カーナビ検索 久留米市北野町八重亀139


 日程などはこれから検討します。

 車で来られる方は駐車場の心配は通常ありません。

 筑後川右岸の平野部は交通量も少なく飯塚方面からも佐賀県からも、小郡ICや久留米ICからも近く便利な場所にあり、県外からの参加者にも集まり易いかと考えています。

 百嶋由一郎氏が残した神社考古学の灯を絶やさないためにも是非お集まりいただきたいと思って止みません。

 問題は、何時やるかです。230年前までは週休二日制が行きわたり、休みも結構取れたためこのような研究会は安定して行うことが可能で、それほど悩む必要も無かったのですが、売国奴小泉、竹中によって非正規雇用が蔓延、国民所得の半減、年金まで壊滅させられる有様になった結果、“歯医者に行かせてくれ”と言えば“明日から来なくていいよ”と言われる始末で、80までどころか死ぬまで働かざるを得ない社会に成り下がってしまったのでした。

 土日じゃないと仕事があるので来られない!年金生活者は平日の方が良い!子育て中のママは保育園に送り込んだ後のお迎えまでの時間が有難い…!と言ったぐあいで、土日と平日に分けざるを得なくなったのでした。結局、ÅグループとBグループの二つに分け、土日と平日を隔月で行い、奇数月と偶数月を交互に同一テーマで勉強会を行い、内容はブログの重要テーマを話してもらうことにしようと考えています。少数でも継続を優先させ、極力、労力と経費を抑え、内部の結束を強め、百嶋由一郎氏の業績の継承を主眼に運営したいと考えています。

 これで将来に向けた百嶋神社考古学の継承への足掛かりができたことになり、我々の活動内容の継承も可能になりそうです。

 村興し町興し果ては世界遺産登録へと通説派による官製文化運動に大半の史談会、郷土史会が自ら迎合する力も失い、解散、休会が目立つ中、九州王朝説論者と自称していた連中までが町興し運動に流れ行政の芸人に成り下がる一方、一時期は古田武彦を乗り越えるとまで豪語していた九州王朝説のグループが何時しか九州王朝説の看板を降ろし(20223月)、只の古代史愛好団体に成り下がる状況にある始末で、事実上、九州王朝系団体は九州からは姿を消失したようです。

 我々も、手垢のついた古田九州王朝論では今後を戦えないと考え、当面、百嶋神社考古学と九州王朝論を最先端で牽引する佃収研究で当面の間荒波で漂流することになりそうです。

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来年の二月に第一回目を平日組のAチームからスタートし、テーマも内容も宮原氏にお任せしますが、恐らくブログから選んだ重要な話から採用される事になるでしょう。

 三月は土日組のBチームですが、第一週か最終週の日曜日しかないと思っています。

 現在、纏まった神社研究グループは我々以外には事実上存在しないと考えています。

 非常に残念なことですが、数名規模で神社を調べるグループに出くわしたことはありますし、当方の集まりに参加される方にも師匠と二人で参拝を続けられている方もおられます。

 ただ、組織立って動いておられるグループ、古代史をも繋ごうとされているものはネット上にも存在せず、振り返れば我々だけが必死で抗っている事に気付きます。これから、集まり易い場所を拠点に、集会を続けますので、多くの方々にご参加いただきたいと思います。

私達はここ34年の停滞期にも全力をあげて集会を継続しました。その間に新しい若手のメンバーが加わってこられました。この会合を継続すれば、更に新たな参加者も加わり、徐々に熱心なメンバーによる研究会に発展するものと思います。これから耳納山を眺める事になるでしょう。

無題.png耳納山系


参加希望の方は090-52892994(事務局中島)or 090-62983254 まで御連絡下さい。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ