2022年08月27日

910 松田聖子姫は初代神武天皇のお妃の後裔か “九州王朝論者でも誰も知らないお話” 〜下

910 松田聖子姫は初代神武天皇のお妃の後裔か “九州王朝論者でも誰も知らないお話” 〜下

20210907


太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


前ブログでも取り上げた歌手の松田聖子姫のお話に踏み込みますが、あくまでも薄い話を引っ張るだけ引っ張ったもので狸の千畳敷の金箔程度の根拠の薄い話の座興としてお聴き頂ければ良いかと思います。

再掲載

九州には蒲地姓の方がおられますご覧のとおり「姓名分&ランキング」でも歴然としています

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蒲地は「カモチ」とも「カマチ」とも呼ばれますが暫く国会でも耳目を集めた鴨池さんもその流れかも

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どう見ても九州の氏族であり、松田聖子さんも生粋のそれも九州王朝の本拠地の一つ久留米市の名家の出自であることが分かるのです

 松田聖子姫がもしかしたら九州王朝の王族に絡む氏族の後裔ではないかと考えたのは67年前のことでした。

 それは、天草諸島へと延びる宇土半島の南側、不知火海に面する宇城市(三角町郡浦)郡浦の郡浦神社を訪問した時だったのです。

 この神社は熊本県在住の方でもあまりご存じではないと思いますが、恐らく5世紀には存在した阿蘇宮司家にとっても非常に重要な神社だったはずなのです。

 これについても以下で書いています。以下再掲載致します。

ひぼろぎ逍遥

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神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 

“郡浦神社(熊本県宇城市三角町)”


懸案である阿蘇南郷谷の八坂神社田尻盛永宮司の「炎のピラミッド」講演用のパワー・ポイント作成のために、十年ぶりに宇城市三角町の郡浦神社を訪れました。

十年前は近くの金桁鉱泉(現在閉鎖中)に入りに行く道すがらの事でしたから、ここにも神社が在るなあ…どうせ阿蘇系だろう程度の理解しかなかったのですから実質的には初見の神社になります。

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一目、手入れの行き届いた良い神社であり、以前と変わらず氏子の方々のご協力が目に浮かぶような神社です。

 今回はパワー・ポイント用の写真を撮る事が目的であり長居をするつもりはなかったのですが、それでも十五分も境内にとどまれば人目に付くのは必定で、宮司が出ておいでになりました。

 菊池(川流域)地名研究会メンバーの○○宮司から、「あそこは女性の宮司さんです…」とお聴きしていましたから、おいでになった時も直ぐに分かり、「宮司さんですね…」とご挨拶が始まった訳です。

関係のある連神社である事から、八坂神社の田尻宮司からも著書の「炎のピラミッド…」が寄贈されており、良くご存じで話しはスムーズに進み、神社に付いてお話をお聴きし付近の摂社をご案内頂くなどご協力頂きました。

写真撮影はこれで良かったのですが、もう一方の目的である祭神については大問題であり、正直言って手こずっています。 

まず、同社の縁起には蒲池姫、健磐龍、速瓶玉、神武天皇とあります(同社縁起を参照)。

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郡浦神社参拝殿


最大の問題は郡浦神社の主祭神と考えられる「蒲池姫とは誰なのか…?」です。

阿蘇神社を中心とする阿蘇宮司家は、この蒲池姫を阿蘇国造社の主祭神である速瓶玉命(大山咋神=佐田大神…)の妃(前妻)の雨宮姫と同一神とするのですが(同年の鴨玉依姫も同じく妃であり恐らく後妻)、百嶋神社考古学では、初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の正妃=アイラツヒメとするのです。

当の郡浦神社の神社縁起も阿蘇神社の見解を受け容れ、蒲池姫を雨宮姫としているようです(後段の神社縁起参照のこと)。

 この問題には初代神武天皇が、藤原により贈)綏靖天皇とされた神沼河耳命の妃であったアイラツ姫(蒲池姫)を神沼河耳命無題.pngの(恐らく死後)正妃としたこと、さらには初代神武天皇の子であり本物の天皇である第4懿徳天皇の正妃であった阿蘇ツ姫(天豊ツ姫=杉山大神=雨宮姫の母)を健磐龍命が妃とした(百嶋先生はカッパラッタとします)事、さらには、藤原が金凝彦神=神沼河耳命を第2贈)綏靖天皇に、草部吉見=彦八重耳命を第5代 贈)孝照天皇に(神武の臣下でしかないものを)格上げしていることなど全てが関係していると思うのですが、紀元2600年(昭和15年)当時の阿蘇神社資料の確認が遅れているため、その理由が何故なのかには踏み込めません。

このため、ここでは保留し、百嶋神社考古学の立場から見た蒲池姫の実像に迫るだけで留めたいと思います。

             郡浦神社本殿

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@  蒲池姫は初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の正妃であり、五瀬命の妹。父は金鎖大神(金山彦=面足彦=第6代 贈)孝安天皇で玉名市の疋野神社の主祭神 これも藤原氏による格上げと考えられる)

母は天御中主=白山姫=天常立とウマシアシカビヒコチの間に生まれた燕脂姫(エンジヒメ)=大市姫=月読命、大山祗命(トルコ系匈奴)の姉

A  雨宮姫は阿蘇北宮、国造神社の主祭神 速瓶玉命(実は大山咋神=佐田大神=松尾大神、日吉神社、日枝神社、山王神社の祭神…)の妃であり、父は言うまでもなく健磐龍命=手研耳(一般的にタギシミミと読まれますが、タケシミミと読むべきで、そうすると健磐龍であることが分かります)、で母が問題の懿徳天皇の正妃であった阿蘇ツ姫(さらわれた皇后陛下)なのです。

その阿蘇ツ姫ですが、父は草部吉見、母が高木大神の娘である拷幡千々姫(タクハタチジヒメ)であり、海を挟んだ宇土半島の正面の島原半島に高木大神(許氏 高皇産霊神)の拠点(南北高来郡〜高千穂三田井)があったことと符合するのです(同社縁起もそう書いてありますね…)。

勿論、速瓶玉命(実は大山咋神)は、恐らく後にでしょうが、金山彦の娘櫛稲田姫(イカコヤヒメ)と豊玉彦(ヤタガラス)の間に生まれた神直日=鴨玉依姫を正妃として、藤原が第10代と格上げした贈)崇神天皇を産むのです。これらの藤原氏の偽装作戦(神武天皇の臣下でしかなかった阿蘇系を自らの先祖であることから持ちあげた)の結果、多くの混乱が生じているものと考えられるのです。

B  問題は蒲池姫が神沼河耳と婚姻関係を結び、夫の死後、神武天皇の正妃となった結果、前夫との間に生まれた健磐龍命にとって、蒲池姫は実の母であり、神武天皇との間に正当皇統の懿徳天皇が産まれている以上、健磐龍にとって懿徳天皇は種違いの兄弟となり、なぜ、蒲池姫を雨宮姫と言いたいのかが全く不明なのです。

C  弟の皇后を奪った(?)事も実情は不明であり、百嶋先生からはその舞台は甲佐神社だったと聴いているのですが因果関係が不明なのです。

単に雨宮姫は健磐龍命の娘である事から、国造神社北宮に対して阿蘇神社が上位であるとしたかったから(もしくは、大山咋系=崇神天皇系に対して対抗したかっただけ)であれば話は単純なのですが、まだ良く分からないのです。

D  当方は真実を知りたいだけでしかありません。そして、それなくしては初期から中期の九州王朝の実像が掴めないため「記」「紀」の偽装を解明しているだけであり、各神社が時代の動きに合わせて祭神を入れ替え必死で生き延びて来た事をとやかく言うつもりなど毛頭ないのです。

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百嶋阿蘇ご一家系譜(部分)

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なお、継続して調べたいと思いますので、ご協力をお願いします。

また、同社縁起冒頭にある四面神社は、海を挟んだ対岸の長崎県島原市(旧有明町)などに分布し、四目紋を神紋とします。

 この四面神こそ、幾つか異なる類型のある古代九州の 白日別命、豐日別命、建日向日豐久士比泥別、建日別命 を意味する神社であり、武田信玄の四菱にも通じるのですが、混乱しますので別稿としましょう。


 面倒な話に長々とお付き合いいただきましたが、百嶋由一郎説に従えば、初代神武を僭称するハツクニシラス神武こと贈る崇神ではなく、本物の神武天皇の本物のお妃であったアイラツヒメの別離後の名である蒲池姫を祀る郡浦神社こそ「蒲池」姓のルーツであろうと考えるからこそ松田聖子姫もその後裔ではないかという話を展開したまでの話で、意地を張らずにお聴き頂ければ有難いと思うものです。

 さて、この蒲池姫こそ本物の神武天皇のお妃となり第4代懿徳天皇を産んだ初代皇后なのです。

 勿論、藤原(後の阿蘇氏=多氏)が天皇系譜に連綿たる呉の太伯の血は継承されておらず、第2代は綏靖は阿蘇の金凝彦(カナコリヒコ=蘇民将来伝承の巨胆)、第3代安寧は博多の櫛田神社の主神大幡主=カミムスビは正統皇統呉の太伯の流れ(周王朝の後裔)の中に実力者であったとしてもこっそり藤原が挿入した臣下でしかなかったのです。

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005アイラツ姫神代系譜       最終神代系譜


初期の九州王朝の天皇の流れは呉の太伯の血を引く本物の皇統を保っていましたが、古事記編纂辺りから藤原の工作が顕著となったようで、厚かましくも全く血の繋がりも存在しない綏靖を第2代として挿入しているのです。何のことはないその理由は神武と別れたアイラツヒメ(金山彦とオチ姫の娘)は阿蘇氏の神沼名河耳との間に産まれた人物こそ阿蘇神社の主神健磐龍となるのであり、実際には第4代懿徳天皇となる人物と一緒に育てられた可能性があり、神武天皇を産んだ蒲池姫の子が阿蘇氏の祖であるとして、阿蘇氏は天皇家の一族にあたると主張しているのです。松田一族についても触れるべきですが逸れました。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記