2022年08月24日

909 松田聖子姫は初代神武天皇のお妃の後裔か “九州王朝論者でも誰も知らないお話” 上〜

909 松田聖子姫は初代神武天皇のお妃の後裔か “九州王朝論者でも誰も知らないお話” 上〜

20210907

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


この話は、前ブログ 908 「宮原誠一の神社見聞牒」(176)からの転載 “荒木しず姫(五十鈴姫)の地は荒木の日吉神社か”の続編とお考えになって結構です。

 宮原氏の緻密なお話に続けてこれからお話するのはオチャラケた好い加減な話に受け取られるのは転載させて頂いた手前同氏に申し訳ないのですが、最後はかなり重要な内容に繋がりますので、ご辛抱の上お読み頂ければと考えています。

宮原誠一氏は“久留米市荒木町には荒木しず姫(五十鈴姫)を祀る神社はありません”とされています。

 それはそれで良いのですが、実は百嶋神社考古学の研修所がある大分県日田市の中川駅と天瀬温泉駅(JR九大線)の間に筑後川の支流玖珠川の川沿いにこの五十鈴姫を祀る神社があるのです。

 これについては以下で書いておりますので興味がおありの方はお読み下さい。以下、部分を再掲載


 ひぼろぎ逍遥

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贈)崇神天皇のお妃五十鈴姫を祀る神社が日田市天瀬町にある



福岡県の久留米市から大分県日田市を抜け別府、大分方面に向かう久大線沿いに走る国道210号線の傍らに五十鈴姫神社があります。

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無題.png伊勢の五十鈴川は知られていますが、古代史に五十鈴姫が登場します。


ヒメタタライスズヒメ

ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)は、神武天皇の皇后である。

神武天皇は、東征以前の日向ですでに吾平津姫を娶り子供も二人いたが、大和征服後、在地の豪族の娘を正妃とすることで、天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されることになった。

『日本書紀』では「媛蹈鞴五十鈴媛命」と記す。『古事記』では「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)と記し、別名、「富登多多良伊須岐比売」(ホトタタライスキヒメ)としている。

皇后の名の中にある「タタラ」とは、たたら吹きを指したり、その時に用いられる道具を示す場合もあり、このことは、皇后の出身氏族が、製鉄と深い関係がある東部出雲(島根県松江市、安来市、奥出雲町を含む)地域であったことを物語っていると考えられている(加藤義成『古事記参究』素行会(1986年)など)

ウィキペディア20170131 19:20 によ


無論、百嶋神社考古学の洗礼を受けた者が、このような神代系譜を真に受けている訳ではないのですが、この系譜に登場する初代(1)神武天皇に第10代贈)崇神天皇を偽装したい藤原の意図が透けて見える構造となっているのです。

 その話に踏み入る前に、まず、境内を見回すと、何故か花梨の木が二本神木宜しく植えられていました。

 また、他地区からの持ち込みの可能性もあるのですが、久留米水天宮(天御中主命)、お稲荷さん、密教法具を持った僧形の像も置かれていました。

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この水天宮、稲荷が元々の祭神だった可能性もあるのですが、今のところ何とも言えません。

まず、この五十鈴姫は初代神武天皇のお妃などでは全くなく、贈)崇神のお妃と考えています。

無題.png贈)崇神の息子に豊城入(ニュウ)彦がいます。当然、豊の国にいたのです。百嶋先生は、“後に、久留米市豊城に入って住んでいた”と、話されていました。

そして、大分と久留米を繋ぐ街道筋に、その母(義理?)であり、贈)崇神のお妃を祀る神社があってもおかしくはないのです。

そして、元々あった水天宮や豊受大神(稲荷さん)を押し退けても、これまた、おかしくはないのです。

現段階では現地の神社の聴き取り作業ができていないためこれ以上の事は書けませんが、百嶋先生が作成された「荒木の静チャン+チビッ娘鮎チャン系譜」を見て頂きましょう。

少し小さい場合は縮尺を150%に上げて見て下さい。

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百嶋由一郎「八女津姫系譜」A


豊城入彦の母親とは違いますが、同じく贈)崇神のお妃である五十鈴姫(別名荒木の静チャン)は、事代主(古々代ヘブライ系)と活玉依姫(母=鴨玉依姫、父=大山咋)の間に産れているとします。

この五十鈴姫の娘国片姫も開化の側室になり、九躰皇子の四人を産んでいるようで、今のところ、この系統が後の九州王朝の正統皇統仁徳天皇など九躰皇子の五人の系統を脅かしていったのではないかと考えています。

系譜を見られれば分かる事ですが、この五十鈴姫をお妃とした贈)崇神(所謂神武僭称偽神武)はニニギの系統の古計牟須姫と贈)孝安天皇との間に産れた三沼君(三潴)の妹チビッ娘鮎チャンも妃としていますし、「景行紀」に登場する八女津姫について“いつも山中におられます”と言う猿大臣(海)=大海姫も妃としているのです。

チビッ娘鮎チャンとか荒木の静チャンとかおちゃらけた名称で馬鹿にされる方もおられるかも知れませんが、まず、郷土史、神社伝承と言ったもので、そのように呼ばれていたというものを知らないため、これ自体は、百嶋先生のおふざけかなとも考えています。ただ、後でこの事だったのかと気付かされるところが多いため、何らかの根拠がある可能性も捨て切れません。

チビッ娘鮎チャンは子供の頃の愛称としても、百嶋先生が、五十鈴姫を何故「荒木の静チャン」と呼んでいたかについては、この間考えあぐねていましたが、最近になって、当会の百嶋研究に精通したU女史が一つのヒントを与えてくれました。

それは、「静チャンをズズー弁で言って見たら分かりますよ…」だったのです。

「シズ」は「スンズ」ですね、それが、後に、五十鈴姫の「スズ」に置き換わった可能性、若しくは、元々、久留米市荒木周辺でも「スンズ」と呼ばれていた事さえも考えても良いのかも知れません。

当然ながら、雲州、伯州、つまり、島根県、鳥取県の辺境部を中心に東北の所謂ズズー弁に相当する言語特性が確認されている事はかなり知られています。

さらに、百嶋先生の講演録にも天草の一部に、ズズー弁に近いものがあったような話もされており、普通は、荒木の「シズ」チャンが、畿内から東日本で「スズ」チャンに置き換わったと考える方が合理的ではあるのですが、九州にもかつてズーズー弁が存在した可能性を鼻から排除する気にもなりません。

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百嶋由一郎「八女津姫系譜」 @


無題.png今回は、初代神武天皇を僭称する贈)崇神天皇の一人の妃(五十鈴姫)の子=国片姫が九州王朝の高良玉垂命(開化)の妃として入り九躰皇子の四人(側室腹)を産んでいる可能性がある事を知って頂くだけにしておきます(百嶋先生は、崇神は神功皇后、開化よりかなり高齢の臣下だったと話されていました)。なお、関東にも五十鈴姫神社がかなりあるようです。

さて、ここから宮原誠一氏も取り上げられた歌手の松田聖子姫のお話にしたいのですが、残念ながら紙面が不足します。


九州には蒲地姓の方がおられますご覧のとおり「姓名分&ランキング」でも歴然としています

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蒲地は「カモチ」とも「カマチ」とも呼ばれますが暫く国会でも耳目を集めた鴨池さんもその流れかも

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どう見ても九州の氏族であり、松田聖子さんも生粋のそれも九州王朝の本拠地の一つ久留米市の名家の出自であることが分かるのです

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記