2022年08月21日

908 「宮原誠一の神社見聞牒」(176)からの転載 “荒木しず姫(五十鈴姫)の地は荒木の日吉神社か”

908 「宮原誠一の神社見聞牒」(176)からの転載 “荒木しず姫(五十鈴姫)の地は荒木の日吉神社か”

20210907

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


今般、メンバーの宮原誠一氏の新ブログが興味深い為掲載をさせて頂くことにしました。

実は、私の隠れ家(ミ・レフューヒョ)の付近にも五十鈴姫を祀る神社が在るからです。

 その話は後回しにするとして、まずは、宮原提案をお聴きする事にしましょう。


No.176 荒木しず姫(五十鈴姫)の地は荒木の日吉神社か

宮原誠一の神社見聞牒(176)

令和3年(2021)0701


本山天満宮がある上津の西は荒木です。荒木しず姫(五十鈴姫)ゆかりの荒木です。

ですが、ここ久留米市荒木町には荒木しず姫(五十鈴姫)を祀る神社はありません。地名の「荒木」が存在するのみです。

五十鈴姫は崇神天皇の皇后であり、日本書記の手前、近畿の人であり、九州の筑後に、その事蹟が残されていたのではまずいのでしょう。

荒木町荒木の古賀には、領主の荒城朝臣関係の日吉神社が一社あるのみです。荒城氏がここ荒木に日吉神社を建立することは、荒木しず姫ゆかりの荒木ということになります。

現代の荒木には歌手の松田聖子(本名蒲池法子)さんの出身校の荒木中学校があり、近くに荒城氏ゆかりの日吉神社です。聖子さんは旧柳川城の城主だった蒲池氏のご子孫となります。


日吉神社 福岡県久留米市荒木町荒木(古賀)1811番地

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拝殿の唐破風には「右三巴紋」「十六菊紋」で


日吉神社由緒

福岡県久留米市荒木町荒木(古賀)1811番地の1

御祭神 大山咋命(主祭神)

  相殿 素盞鳴命・應仁天皇・大己貴命(大国主)

由緒天慶9(946)

朱雀院の御宇承平中(931937)領主荒城朝臣、大三輪明神を安置し、大宮明神と斎き祭りしが、後花園院の御宇新に社地を相し、創建大宮区十二社と称す。後又慶長中(15961614)郡司辻重勝、代官中島一誠の拝殿再建あり。

 由来、御種蒔御田植の神事あり、又、領主は神領地を寄進し尊崇厚かりきと。

 明治3(1870)社名を日吉神社と改む。

 明治6(1873)310日村社の社格に列す。

 神饌幣帛供進指定大正8(1919)1113日。(境内由緒書案内板)


承平中(931937)に領主荒城朝臣が大三輪明神を安置し、大宮明神と斎き祭る」とあります。大三輪明神は事代主ですが、大宮明神と祀っています。大宮明神は豊玉姫です。

後の後花園院の御宇(1465年頃)に社地名を「大宮区十二社じゅうにそう」と改めています。

十二社(じゅうにそう)の地名は、室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎(中野長者)が応永年間(1394-1428)に熊野三山から十二所権現を祀り、その西新宿四丁目近辺の旧地名を十二社(じゅうにそう)と称したのが起源とされます。

明治3(1870)に社名を日吉神社と改めています。

荒城氏が当初祀った神は大宮売神の豊玉姫と大三輪明神となります。

大物主と三輪の神の関係ですが、一般に言われる大物主は大国主ではなく、本当の大物主は大山咋神です。


一般に言われる大物主は三人おられ、三人の関係を次のように扱っています。

大国主を「義理の大物主」、大山咋を「真の大物主」、事代主を「代理の大物主」。


 1.大国主 大己貴・八千矛神 義理の大物主 大神(おんが)大明神

 2.大物主 大山咋・天葺根命  真の大物主 大神(おおが)大明神

 3.事代主 少名彦・恵比須神 代理の大物主 大神(おおみわ)大明神


おおみわ明神は事代主となります。が、奈良県の三輪山のおおみわ明神となれば大山咋神となります。社号の日吉神社と一致します。しかし、大宮売神とは直に繋がりません。

大三輪明神は事代主、大山咋神のどちらでしょうか?

崇神天皇の皇后は五十鈴姫であり、別名、荒木しづ姫です。その荒木しづ姫の父親が荒木武彦であり、荒木武彦は事代主となります。事代主の母が豊玉姫(田心姫)であり、荒木氏が事代主の子孫であることを考えると、荒城朝臣が久留米市荒木町荒木に、その先祖である事代主と豊玉姫を祀ることは自然です。


三輪明神大神神社(おおみわじんじゃ)

奈良県桜井市三輪1422

主祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ、倭大物主櫛甕玉命 大山咋)

配祀神 大己貴神(おおなむちのかみ 大国主)

     少彦名神(すくなひこなのかみ 事代主)


十二社(じゅうにそう)

東京都新宿区西新宿四丁目近辺の旧地名

東京都新宿区西新宿二丁目にある熊野神社は新宿総鎮守

室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎(中野長者)によって応永年間(1394-1428)に創建されと伝えられている。鈴木九郎は代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた。

鈴木九郎は当初自身のふるさとである熊野三山の若一王子を祀ったところ、商売が成功し家運が上昇したので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされている。(Wikiから要約)

江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれた。


十二所権現

熊野三社に祀る12の権現。

三所権現(本宮、新宮、那智の熊野三社)

五所王子(小守の宮・児の宮・聖の宮・禅師の宮・若王子)

四所明神(一万の宮または十万の宮・勧請十五所・飛行夜叉・米持金剛童子)


熊野三所権現

熊野本宮大社 和歌山県田辺市本宮町本宮     家津御子大神(けつみこ)には阿弥陀如来

 熊野速玉大社 和歌山県新宮市新宮        速玉大神(はやたま)には薬師如来

熊野那智大社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山 牟須美大神(むすび)には千手観音


祭神の一般名称

熊野本宮大社 主祭神・磐長姫(いわながひめ=阿加流姫・耀姫 あかるひめ)

熊野速玉大社 主祭神・速玉男命(はやたまお=大幡主 おおはたぬし)

熊野那智大社 主祭神・熊野夫須美命(ふすみ=元伊弉冉尊 いざなみ)

阿須賀神社  主祭神・事解男命(ことさかお=金山彦 かなやまひこ)


■境内社

境内社は、本殿の左に粟島神社(少名彦神=事代主)、本殿の右に天満神社(菅公)が配置されています。粟島神社と天満神社は摂社の配置です。右手の摂社天満神社が格上となります?

境内右手に社日神社(しゃにちしゃ 祭神・大幡主)、薬師神社(大国主)と事代主ファミリーが祀られています。境内社では天満神社が格上となります、おかしいです。天満神社の祭神は本当に菅公でしょうか?菅公ご先祖の天穂日命(豊玉彦=豊玉姫の父)では?

天満神社の祭神は天穂日命(豊玉彦)だったり、埴安彦(大幡主)だったりします。かならずしも菅公とはかぎりません。

明治になり、崇神天皇の父であり大物主の大山咋神が主祭神となり、社名を日吉神社と改めています。主祭神が大宮売神の豊玉姫から大山咋神へと様変わりしたことになります。

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https://ameblo.jp/kenbuncho2017/image-12683081452-14963682778.html右手は薬師神社(大国主) 左は社日神社
薬師神社は医薬の神様とありますので、祭神は大国主でなく事代主では?右手は九州新幹線高架です

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本殿右から神門を見る、左は社日神社

  

■右三巴紋と十六菊紋

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荒木家の家紋は五三桐紋で、大幡主か神功皇后に関係しますが、事代主の流れから大幡主に関係します。
鬼瓦の社紋は「右三巴紋」で由緒に記載の應仁天皇の紋ではありません。正八幡・大幡主の紋章でしょうか。または、荒木家の表家紋でしょうか?
その下には「半菊に波紋」です。紋章の所有者がわかりません。
参考までに「半菊に一字紋」は一言主(七郎天神・事代主)の紋章です。
拝殿の唐破風には「右三巴紋」「十六菊紋」です。十六菊紋は豊玉姫の紋章の可能性があります。

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領主荒城朝臣が承平年中(931937)に大宮明神(豊玉姫)を祀り創建しています。筑後の神社の創建時期としては比較的新しい神社になります。

 荒木は古代から開けたところです。西に大善寺玉垂宮、御塚・権現塚古墳があります。南は広川が流れ、広川丘陵は八女古墳群です。

 荒木しず姫は西暦300年後半の人です。荒城氏の日吉神社の前に荒木しず姫を祀る古宮があってもおかしくありません。荒木しず姫の痕跡を見つけることはできませんでした。

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https://ameblo.jp/kenbuncho2017/image-12683081452-14963855850.html

久留米市荒木町荒木の航空写真(1961-1969)

  

■荒木・日吉神社の神門前の門神様

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https://ameblo.jp/kenbuncho2017/image-12683081452-14963683249.html

門神社の日吉宮(左側 大山咋)と山王宮(右側 猿田彦)


日吉神社にしては珍しく門神社が配置されています。神門手前の両側に門神社が対面して配置されていました。山王宮と日吉宮の門神社(もんがみしゃ)です。長田の山王宮日吉神社(福岡県朝倉市長田)の「山王宮日吉神社」の名称は、この門神社から来ていました。
荒木の日吉神社も同様の由来でしょうか。本殿の主祭神を大山咋神とすると祭神がタプッテ祀られていることになります。主祭神を大宮売神の豊玉姫とすると自然です。
門神社の代表例は大善寺の玉垂宮に見られます。

大善寺玉垂宮の楼門前の東西坂本社(門神社)

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門神社は坂本神社の一部です。
坂本本社 坂本命
東坂本社 櫛岩窓命(くしいわまど) → 日吉神() → 大山咋の神(海幸彦の子)
西坂本社 豊岩窓命(とよいわまど) → 山王神() → 猿田彦大神(山幸彦)


百嶋神代系譜・天忍穂耳命・崇神帝・五十鈴姫 神代系図2

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■思いっ切り仮説
日吉神社由緒の祭神「大宮明神」を大宮売神の豊玉姫としました。
それで、本殿の主祭神は大三輪明神(事代主)と母の豊玉姫となりますが、「大宮明神」を大宮五十鈴姫と考えたならば、本殿の主祭神は事代主と五十鈴姫であり、五十鈴姫は荒木しづ姫であり、その荒木しづ姫の父親が荒木武彦であり、荒木武彦は事代主となります。
結果、本殿の主祭神は荒木武彦(事代主)と荒木しづ姫(大宮五十鈴姫)の親子を祀ることになります。
荒木氏が事代主の子孫であることを考えると、荒城朝臣が久留米市荒木町荒木に、その先祖である事代主と大宮五十鈴姫を祀ることはなお自然となります。

日吉神社由緒の「荒城朝臣、大三輪明神を安置し、大宮明神と斎き祭り」の「大宮明神」は大宮五十鈴姫だったのです。十六菊紋は皇后の五十鈴姫紋章となります。
すると、この日吉神社は事代主ファミリーを祀る神社となってすっきりします。
そして、崇神天皇の皇后は五十鈴姫であり、別名、荒木静姫です。久留米市立荒木中学校

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荒木には歌手の松田聖子(本名蒲池法子)さんの出身校の荒木中学校で、近くに荒城氏ゆかりの日吉神社の近くです。聖子さんは旧柳川城の城主だった蒲池氏のご子孫です。
 「蒲池法子」名の校門寄付者名盤があります。


紙数の問題からここでは転載のみとして、次ブログでコメントを加えます。(古川)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記