2022年08月03日

902 筑豊から消された諏訪神社 @ “福岡県添田町諏訪神社の由緒には大国主はこの地で開拓したと”

902 筑豊から消された諏訪神社 @ “福岡県添田町諏訪神社の由緒には大国主はこの地で開拓したと”

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 現在、筑豊でも彦山の北麓に鎮座する筑豊で唯一と言っても良い諏訪神社(添田町)と彦山南麓(旧朝倉郡:甘木+朝倉+杷木…)に於ける60社近い田神社の無格社への格下げ(ここでも一社が村社として残されている)事実上の消失との奇妙な付合を考えています。

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この図面は福岡県 諏訪神社 をグーグルで検索し表示させたものです。

一見すると福岡県を万遍なくカバーしている様に見えますが、大きな空白がある事に気付きませんか?

 青枠のエリアがその空白地帯なのです。

 その中心部にあるのが添田町の諏訪神社ですが、この一社を外せば完全な空白地帯が出現するのです。

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この事に気付いたのはつい最近でした。初めて参拝したのは10年近く前の事でしたので、やはり経験を積まないとこういうことは分からないものなのでしょう。

 ともあれ、この一帯には大国主命の臣下として(決して次男などではないのです)国土の開発に尽力した建御名方系の人々がいたはずなのです。

彼らは大国主命国命の譲りの結果、肥前や(長崎供日の諏訪大社は元より佐賀県も諏訪神社が多い所です)日向に逃げ(特に鹿児島県は南方神社が異常に集中しているのです 勿論、諏訪神社もあり知り合いの宮司もおられます)たように見えるのです。

 ただ、神話では信州諏訪の四つの諏訪社があまりにも有名で、諏訪から出ない事を条件に許されたなどとされているのです。

 これは、一部この一帯に逃れた人々が居た(建御名方もそうかも知れません)事は間違いがないと思うのですが、大半の民衆は陸路で逃げる範囲に逃げるしかなかったのです。

 故)百嶋由一郎氏も彼らは球磨川以南に逃げたと言われていました。


無題.png朝倉市甘木草水の村社は、表向きには「菅原神」を主神としているようですが、社名が「田神社」、境内社として五穀神社(埴安命)とあります。このため、元は主神として田神社(埴安命)が祀られていたことが丸分かりになっています。

大幡主の妹は埴安姫ですから、埴安命とは大幡主以外は考えようがありません。

ここでも故)百嶋由一郎氏の説の正しさが証明されつつあるようです。

九州の現場には、まだまだこのような驚愕すべき事実が痕跡を留めているのです。

藤原が捏造した「古事記」「日本書紀」をそのまま鵜呑みにする方々には決して見えてこない事実です。

文献、フィールド、考古学、神社、海外史書…とバランスの取れた研究が必要であることが分かります。

中でも戦前の反省とかから徹底して無視されているのが神社研究なのです。

ひぼろぎ逍遥 スポット 041(前) 6.26 甘木朝倉「田神社探訪トレッキング」での驚愕すべき発見! @

 私は県神社誌で村社と書かれていましたので、一社を除き…としたのですが、甘木の「美風庵だより」氏によるとこれも無格社とのことで、現在確認作業をしています。地元の方ですので間違いはないとおもいますので、愕然としています。この草水の村社田神社は美風庵だより氏が言われるものとは違うのかも知れません。

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現地で鳥居の扁額を眺めると、「天満宮」です。どうやらここも、この周辺の神社同様、あとで菅公を勧請して「天満宮」に衣替えしているようです。おそらく、埴安命(大幡主)の記憶が薄れ、有名な菅公を前面に出すようにしたのでしょう。周囲には無題.png石仏や観音様を安置した御堂が建ち並んでおり、神仏が併せ祀られているかのような雰囲気です。[福岡県神社誌(抄)] 下巻413頁

[社名(御祭神)]田神社(埴安命)[社格]無格社 [住所]朝倉郡蜷城村大字鵜木字屋敷 [境内社(御祭神)]記載なし


 ともあれ、当方は ひぼろぎ逍遥 スポット 041(前) 6.26 甘木朝倉「田神社探訪トレッキング」での驚愕すべき発見! @ で書いたように、残党の管理のために一社は残すのが定策と考えたとすれば、正しく添田の中元寺の諏訪神社もそのような性格を帯びた一社だったのではないかと考えているのです。

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当神社は大和時代前期与利より古事記に散見須留する豊前、豊後、筑前三国の水分中元司(早瀬川)彦山川流域の開拓神登志氐として大国主命尓に比氐いて瀬成大神と合計利氐治水、農耕開発・国土経営当良礼多られた出雲系氏族の氏神と崇米良礼められて…

と、大国主命は国土開発を彦山周辺で行っていた事を同社縁起は奇跡的に伝えてくれていたのでした。

 正しく感動的ですが、タカミムスビ系彦山48大行事社の専制下にありながら良くこの縁起を残してくれたものだと感服するものです。

 尚、「福岡県神社誌」によれば、田川郡内にはもう一社の諏訪神社(旧赤池村上野今殿)があります。

これは現福智町上野にあるのだと思いますが、これについては実踏していないため、中元寺が唯一と言

った勝手な表現をしています、逸る思いとご了解して頂きたいと思うものです。

 それほど中元寺の諏訪神社は立派かつ衝撃的であり、これは大国主命が現出雲の人ではなかった事を今に伝える証言と考えます。頭の片隅には残して頂きたいと思って止みません。


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「福岡県神社誌」下巻199p


一応、祭神についても説明しておきますが、建御名方命は良いとして、手力雄命はスサノウですし、蛭児命も事代主で良いでしょう。

分からないのが、片倉邊命です。聞かない神様です。失礼ながら、通常「片」が付くと恵比須系の人物である可能性が高く、もしかしたら事代主の別名を誤って取り込んでおられるのではないかと思います。


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

192

豊前の諏訪神社(添田町中元寺)への興奮


 この諏訪神社については6年前に訪問していましたが、当時は出雲の国譲りの話が九州で起こった事であるとまでは理解できていなかったため、何故、物部ニギハヤヒ軍団の本拠地に諏訪神社が孤立して在るのかと分かっていませんでした。

 この問題について初見の方は、以下をお読み頂きたいと思います。


 ひぼろぎ逍遥(跡宮)

900

彦山西方の神々を考える個別編 E “小石原山上湖幻想と

高木神社の基層に国譲りを見た”


899

彦山西方の神々を考える個別編 D “小石原村で消された三つの無格社”

894

彦山西方の神々を考える個別編 C “彦山の祭神も

再確認しておきましょう”

893

彦山西方の神々を考える個別編 B “福岡県旧小石原村の

無格社3社”

892

彦山西方の神々を考える個別編 A “福岡県旧小石原村

中心部の高木神社(大行事社)”

891

彦山西方の神々を考える @ “福岡県旧小石原村”

768

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対して

どうしたら関心をもって頂けるかと…A

767

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対して

どうしたら関心をもって頂けるかと…@

762

出雲(旧朝倉郡)の国譲りの背景を考える

   

ビアヘロ021 6.26 甘木朝倉「田神社探訪トレッキング」での驚愕すべき発見! @

ビアヘロ022 6.26 甘木朝倉「田神社探訪トレッキング」での驚愕すべき発見! A

ビアヘロ023 筑前町に「日隅宮」を発見した! 

ビアヘロ 101 出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対してどうしたら関心をもって頂けるかと…

 次号では大国主命の国譲りが何故生じたかを考えることにしたいと思います。

 追補)

最後に建御名方が大国主の子などではない事を百嶋由一郎氏の金神神代系譜からご説明させて頂きます。

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百嶋由一郎金神神代系譜(部分)


あくまで百嶋神代系譜によればですが、建御名方は草部吉見=海幸彦=ヒコヤイミミと自らが滅ぼした金山彦(イスラエル)系ナガスネヒコの妹=瀛ツヨソ足姫(武内足尼)との間に産まれた彦坐王の弟であり、その子が息長宿祢王になるのです。

 恐らくこの人物が、佐賀県佐賀市の(旧三瀬村)北山ダムに沈められ、二度の移転を経て残った野波神社の由緒に書かれる神功皇后の父神であり、大国主命の子などでは全くないのです。

 列島最古の古代王朝などと出雲神話に憧れるのはご自由ですが、ほとんど漫画でしかないのです。

ひぼろぎ逍遥(跡宮)

543

近江散歩 E 佐賀県東部と筑後から琵琶湖周辺に

移動した人々について (縮刷版)


スポット144 三瀬村トレッキング現地リポート スポット171 近江の伊吹山の麓に移り住んだ人々

スポット172 姉川と妹川という名を付した人々と息長系氏族 スポット173 亀屋佐京 などを…

903 筑豊から消された諏訪神社 A “彦山南北安定化作戦こそ三悪神葦原中津国制圧だった”に続く

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記