2022年06月06日

883 北宮阿蘇神社は何故菊池川沿いに置かれているのか “熊本県菊池市の北宮阿蘇神社”

883 北宮阿蘇神社は何故菊池川沿いに置かれているのか “熊本県菊池市の北宮阿蘇神社”

20210420

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


これまで阿蘇系神社に関しては草部吉見(ヒコヤイミミ)系を含め数十本のブログを書いてきました。

ただ、行政機関や村興し町興しか考えないサイトはともかくとして、通常の神社ウォッチャーから神代史を真面目に取り上げている人々さえも、阿蘇系神社を菊池一族が幾つも持ち込んでいるという事実に対して何の疑問も示しておられないようです。

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北宮阿蘇神社 カーナビ検索 熊本県菊池市北宮64


これについては菊池一族に象徴される菊池氏が何やら阿蘇氏と同族でもあるかのような理解(誤解)既が遍く広がっているからなのかも知れません。

それは、阿蘇氏が違い鷹の羽紋を草部吉見系が五枚鷹の羽紋(実は三枚鷹の羽ではないのです)を、そして菊池氏が並び鷹の羽紋を使う事からなのかも知れません。

菊池氏が阿蘇系の氏族ではないとの考えが浮かんだのは10年も前の事でしたが、では、その証拠の様なものがないかと考え続け数年になってようやく糸口を見出した気がしています。

まず、菊池氏が鷹羽紋を使い始めたのは鎌倉期に遡るとしますが、主要には南北朝争乱期に阿蘇氏との統一戦線が成立して以降と思われ、それ以前は日足紋を使っていたとされています。

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勿論、阿蘇氏が日足紋を使用したという話聴いた事がありませんし、多くの神社を見てきた経験からもそのような例はなさそうですので間違いはないと考えています。

 そこでそろそろ菊池氏の本拠地の神社も書く必要があると考え、気乗りのしない作業に入る事にした訳です。

無題.png既に菊池氏の主な縁の地は何度となく訪れてきたのですが、あまりリポートを書いた事はありませんでした。

まず、城山に在る所謂菊池神社は明治期以降のもので、取上げるべきそれ以前の神社としてはどうしても北宮阿蘇神社とならざるを得ないのです。

しかし、この神社も阿蘇神社と言うよりも、さらに高格式の阿蘇北宮=国造神社であって、所謂阿蘇神社そのものを勧請したといったものでもないのです。

結局、菊池神社のように表面上菊池一族が祀っているのは菊池武光、武時…といった先祖神であり、列島のどの民族、どの氏族もが祀る神代史の主要な神様が表面的には祀られていないのです。

その意味ではこの北宮阿蘇神社も菊池氏によって慎重に国造神社が選択された物であって、同じ阿蘇系神社でも草部吉見と宗像三女神の間に生れた大山咋(阿蘇では速瓶玉としますが)を祀るものであり、そのお妃も鴨玉依姫となりさらに高格式のお妃を貰っておられるのです。

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「熊本県神社誌」でも(147p)国造(クヲツヲ)速瓶玉命としており通常の阿蘇12神を祀る阿蘇神社ではないのです。

 境内には5社宮なるものがあり、

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境内社 五社宮


後は、天満宮と稲荷社があるのですが、阿蘇の速瓶玉を祀る以前は、元々このような神様が先住神として祀られていたはずなのです。

 現在特に重要と考えているのは稲荷社であり、これこそが菊地氏が本来祀るべき祭神のはずなのです。

 稲荷社というものは最も多い神社でありながら一体誰が祀られているのかほとんど知られていないのですが、大山祗と埴安姫(博多の櫛田神社の主神=大幡主=カミムスビの妹)の間に生れたミヅハノメの娘が伊勢外宮の豊受大神=伏見稲荷であり、これこそが菊地一族が本来祀るべき神様なのです。

 従って、大山祗こそが菊地氏が祀りたい祀るべき神なのであり、最近気づいたのですが、その事が川(菊池川)向うにも表れているのです。

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城下に水を取り込む重要な水源には築地区水神さん、当方が菊地氏の祖と考える大山祗がしっかりとガードしている事が分かるのです。

 この事については以下で詳しく取り上げていますので併せてお読み頂きたいと思います。


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菊池氏とは大山祗系の民族だった!“内倉武久氏ほか4人で

宮崎熊本県境の狭上稲荷神社に…”

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亡命した菊池氏によって持ち込まれた狭上(サエ)稲荷神社が

今も西米良村の最深部で息続ける(下)

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亡命した菊池氏によって持ち込まれた狭上(サエ)稲荷神社が

今も西米良村の最深部で息続ける(上)

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最後になりますが、私にも五社宮が容易には分かり難いので考えて見たいと思います。

 末尾の山崎だけは「熊本県神社誌」の同社のページにそのまま書かれていますので直ぐに分かります。


◎本社五社宮の中に祀る山崎霊社は、菊池二代経隆の孫西郷太郎政治隆の子西郷大夫隆基を祀るものといい、この西郷氏は西郷隆盛の祖先という。


八幡宮は阿蘇氏の後裔である藤原氏が近畿大和を中心に九州王朝が亡んだあとor滅ぼした後入替わった後継国家の言わば国教のようなものであり、その前身は本来正八幡宮と呼ばれる、博多の櫛田神社の主神の大幡主=カミムスビを祀る神社だったはずです。

 それを応神というどこから持ち込まれたか(恐らく藤原が勝手に用意した)全く怪しげな人物を起源とする八幡宮に衣替えしたもので、それに抵抗したのが、現在も僅かに残る正八幡宮なのです。

 一方、春日は藤原氏が自らの一族を祀るためとして戦神を祀ったものとされ、常陸の鹿島神社の武甕槌=草部吉見=ヒコヤイミミを持ち込み再建したものなのです。

 ただ、その背後には、稲荷様=伊勢外宮=豊受大神…の母神であるミヅハノメがあり、大山祗の長女こそがこの春日大社の本来の祭神なのです。

さて若宮ですが、阿蘇初代とする惟人としたいか、甲佐宮に住む(国造速瓶玉命の第一の御子)八井耳玉命で良いのでしょう。ただ、百嶋神代系譜に依れば、阿蘇惟人は阿蘇宮司家が主張する天豊ツ姫=阿蘇ツ姫(草部吉見の娘)と建磐龍の間に生れた雨宮姫と天忍日(高木大神の次女タクハタチヂヒメの息子)との間に生れており、それを速瓶玉と雨宮姫との間に生れたものとして描いている様なのです。

まだ、これからなのでいずれお話しする事になるでしょう。

最後に新宮です。当然にも新彦+新比売の夫婦神かそのどちらかのはずですが、決め手に限界があります。ただ、この辺りに阿蘇初代とされる阿蘇惟人の出自の謎がありそうなのです。

無題.png菊地の阿蘇北宮の菊池川からの参道

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記