太宰府地名研究会+丁巳歴史塾2023年1月以降のスケジュール
1月期 2023年1月15日(日)13:00〜16:30 :参加費資料代1000円
ご注意ください!1月からは黒崎から小倉に戻ります!
於:北九州市小倉北区大門一丁目6番43号 九州市生涯学習総合センター
講演者 伊藤 まさ子(福岡市東区在住)blog(「地図で知る古代史の謎」)管理者
テーマ 「法隆寺釈迦三尊像が語る古代史」 |
激動する国際情勢の中で新しい年を迎えました。今回は当グループのエース級研究者である伊藤 まさ子女史による古代史研究をお届けします。さて、このテーマはかつて古田武彦が提起した話といやでも関係します。
【法隆寺釈迦三尊像光背銘に対する古田武彦氏の見解:まとめ】「のんびりと古代史」から引用。
T.上宮法皇は聖徳太子ではない T-1聖徳太子は天子ではない 銘文の中の「上宮法皇」は「天子」ということになる。 「法皇」とあるので仏教に帰依した「天子」、「上宮」を加味すると「上宮に住む仏教に帰依した天子」ということになるので、日本書紀の中で天皇になっていない「聖徳太子」のことではない。T-2亡くなった場所が違う 釈迦三尊像光背銘では上宮法皇は「上宮」内で死んだと考えられる。ところが日本書紀では推古二十九年二月条で、厩戸豊聡耳皇子命は斑鳩宮で薨去している。「上宮」の名をもって「上宮法皇」と「聖徳太子」を同一人物視することはできない。T-3没年月日が違うさらに没年が異なっている。釈迦三尊像の「上宮法皇」は法興三十二年(622)二月二十二日に没したと記されているのに対して日本書紀は推古二十九年(621)二月五日に「聖徳太子」が没したと記されている。没年と月日が異なっているので到底同一人物ではない。T-4推古天皇の不在 釈迦三尊像の光背銘の中に推古天皇が全く登場していない。U.上宮法皇は多利思北弧 U-1法興年号 銘文は法興年号(法興元三十一年)から始まっている。 上宮法皇は法興という九州年号=倭国年号をもつ権力者だった。
U-2『隋書』俀国伝の記述との一致 『隋書』俀国伝に多利思北弧は「出でて政を聴くに跏趺して坐す」とある。
釈迦三尊像の中央の釈迦像は結跏趺坐の姿で作られている。釈迦三尊像の釈迦像は上宮法皇=多利思北弧の姿を模して作成されている。結論 釈迦三尊像は世に言われるように飛鳥仏ではなく、九州王朝で上宮法皇=多利思北弧が崩御した時に作られた仏像である。
2023年1月29日(日)2023年新春三社詣り 福岡市に神武 天照を探るトレッキング集合場所:福岡市南区柏原 羽黒神社(福岡県福岡市南区柏原372)参道駐車場
午前10:00〜 (雨天は2月翌週に延期)羽黒神社、五社神社、埴安神社を巡ります。 昼食:寒い時期ですので昼食はジョイフル桧原店を予定!百嶋由一郎は神武は柏原に天照は桧原に住んでいた。と言われていました。奈良の樫原と檜原のルーツはこの地なのです。宮原氏参加
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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥の読者の皆様、また、グループのブログをお読みの皆様、暑い中、丹念
にお読み頂き有難いと思っています。
古田武彦が亡くなり、また、百嶋由一郎氏が亡くなり数年が流れました。
当初、貴重極まりない百嶋研究の一部でも残せないだろうかと考え、手書きデータや神代系譜文書のDVD化、音声データの保存、複製、宣伝という作業を続けて来ました。しかし、単にデータの保管、配布の体制を確立するだけでは継承ができないと考え、blogで百嶋研究の説明、現場実調を徐々に進め公開してきました。この結果、全国にも理解者が増え始め、神社研究ではなんとか特異な勢力を形成できる所まで漕ぎ着けました。
既に、百嶋研究の一部でも接点を持った全国の二十五人を超えるブロガーが独自の側面から研究を進めておられますし、ブログは書かないまでも、神社調査を行い記録を残している方もおられます。
勿論、統一性は取れてはいませんし、なかなか難解な内容だけに、解明できない問題についてはメンバーの若い世代に託すことになるでしょうが、なお不明なものは後世の研究者に期待する事に成るでしょう。
百嶋先生と知り合いになったのは七年ほど前だったと思いますが、もしも後数年生きておられたならばもう少し古代、神代の謎を継承できたかも知れません。しかし、未熟な者だけで作業を行わざるを得なかった事から今尚皆さんにご迷惑をお掛けしているものと理解しております。
しかし、私達の能力を考えれば、むしろ上出来といったものかも知れません。
さて、メンバーの背骨を形成している中心的思想とは、当然にも九州王朝論です。
百嶋先生も“私も九州王朝論が分かっていない人に神代史を教えても意味がないし、教えたくないですね…”と言われていた事が今でも耳に残っています(吾は百嶋由一郎の面受の弟子なり!)。
さて、四月の近江〜但馬、五月の糸魚川〜諏訪〜山梨、六月の青森と15日間づつ三度に亘って長躯の神社調査を行いました。
ぶっ続けで調査すれば良さそうですが、落ち着いてリポートも書かなければならず、研究会のスケジュールもあってそういう訳にも行かず、各々3,000〜4500キロの往復の調査とならざるを得なかったのです。
今後も、三重、和歌山、岐阜、福井…と、よりきめ細かい調査に入るつもりですが、もはや資金が底を尽きつつあります。
元々、福島の原子力災害辺りから、これ以上行政機関に留まりたくないとの思いが募り、後先き考えずに58歳で早期退職した事から(当時上の娘は大学に在学中だったのですが)年金と言ってもギリギリ暮らせる程度の物で、なんとかここまで働かずに神社調査を行ってきましたが、既に限界点を越え始めたようです。事実、当会は研究を優先するためメンバーから会費を取る事なく僅かな参加費で運営しています。
人手不足の時代、まだ、働こうと思えば職はあるはずですが、拘束時間が長くなれば、研究を進める事ができないまま人生の終末期を迎える事にもなりかねず、できるだけ体力がある間に遠距離の調査に入りたいと思っています。このため、出来る事ならばこのまま神社研究に専念したいものと考えています。
基本的には年金生活で何とかやっていますので、月額であと二〜三万増やせれば、車の維持、車検、保険、介護保険料、研修所の維持、研究会の組織化、ネット規制に対応するためにもう一つ別の発信のためのサイトの準備……と増加する負担にも対応できるのではないかと考えています。
今後、研究内容を保全するためにも、外付けハード・ディスクをタイム・カプセル化して鍾乳洞に保管する(太陽フレアによる磁気データの消失への対策)とか、研修所の維持、後世に残すためにユーチューブ化してオンエアするなど新たな作業に入る必要も生じており、もし可能であれば、通説とは全く異なる百嶋神社考古学の保護と継承のためのご支援をお願いできないかと考えています。
年間一口2000円以上の任意の百嶋神社考古学研究会の支援会員となって頂ければ、九州においでになった際に会員待遇として温泉付き研修所に一泊お泊めできます。九州での神社調査の拠点として活用下さい。
振込用の銀行預金講座、郵便貯金番号は以下の通りです。
大分銀行 若宮支店 000093−7505802 フルカワ キヨヒサ
ゆうちょ銀行 記号17770 預金種目 普通預金 口座番号 11655621 氏名上に同じ
また、もし差支えなければ、以下のメールにお名前と住所と電話番号を以下のメールに送信して頂き、カンパした旨の連絡を頂ければ、神代系譜のDVD(既にお持ちの場合はそれに代わる音声データなど)をお送りできるものと考えています。
携帯のメール・アドレス ariakekai@ezweb.ne.jp携帯 09062983254 (常時対応)