2022年02月15日

866 宗像の神々 B 福岡県宗像市にも愛宕の神が鎮座する

866 宗像の神々 B 福岡県宗像市にも愛宕の神が鎮座する

20210129

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


愛宕神社と言えばどこにもありそうでなかなかない神社ですが、多くの神々が集う宗像故か?

 丁度、赤間の一角にもありましたので、この神が何者かをお話ししておきたいと思います。

 場所は3号線で博多と北九州を移動すると赤間辺りに福岡教育大がありますがその南1キロ辺りに2つの愛宕神社があるのです。

 この神社は東京都港区や京都の愛宕が有名で、防火 防災に霊験のある神社として知られ


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まず、「福岡県神社誌」を見ることにしましょう。

 愛宕と言えば九州では福岡市の姪浜の愛宕神社が頭に浮かんで来ます。

それは神社ではなく地名としての「愛宕」でした。そこで、かなり前に薩摩半島で愛宕地名を探して廻った事もありました。

 さて、本題に入りますが、祭神は金山彦で良さそうです。


主神 軻遇突智大神 従神 宗像三女神(田心姫神 端津姫神 市杵島姫神) 惶根命


分かり難いのは、面足尊(おもだるのみこと)と並び扱われる惶根尊(かしこねのみこと)です。

 恐らく、金山彦のお妃である埴安姫で良いのではないかと思います。

 宗像三女神の中でも鴨玉依姫はこの夫婦神の娘であり、三女神が取り込まれている事とも辻褄が合う訳です。

 ただ、金山彦は孫のナガスネヒコの代になり神武=呉太伯系と衝突し表向き九州からは消えるのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


記紀の神代史は実体のない名前だけの神様が続出し殆ど理解不能ですが、それでも苦闘すると、“国之常立神より下、伊邪那美神より前は、二神がセットで現れ、各一代と数える。その6番目が於母陀流神(面足神)と妹阿夜訶志古泥神(惶根神)である”という多少の法則性が拾えます。

そうした中敬愛する「正見行脚」氏も宗像でも重要な八所宮に絡め同社に対してコメントを加えておられました。


特に「吉留の八所宮」は、本愛宕神社の鎮座地・冨士原地区(旧藤原村の産神であり、その祭神の一「綾かしこねの尊」が「惶根命」である。

無題.png「惶根命」は、日本神話に出てくる「神世七代(かみよななよ)(天神七世あまつかみのななせい)第七代「伊弉諾尊・伊弉冉尊」の実母「惶根尊=阿夜訶志古泥神」(あやかしこねのかみ)のことで、実父「面足尊=淤母陀琉神」(おもだるのかみ)と合わせて、この二神が神世第六代の天神である。

 因みに「吉留の八所宮」は、「神世七代」のうちの四代(四世)八神(八柱)を祭神している。このことが社名の由来となっているが、八柱の神とは次の八尊(みこと)である。


「正見行脚」氏も “「伊弉諾尊・伊弉冉尊」の実母「惶根尊=阿夜訶志古泥神」(あやかしこねのかみ)のことで、実父「面足尊=淤母陀琉神」(おもだるのかみ)”と書かれており私も安心しましたが、第七代「伊弉諾尊・伊弉冉尊」の実母 の部分は依然問題です。

これについては、百嶋由一郎最終神代系譜を見るとお分かりになるのですが、イザナミは金山彦の妹であり、実母ではないのです。

勿論「正見行脚」氏は「記」「紀」に沿って解読されているからでそれ自体誤りではありません。

ただ、我々は百嶋神社考古学で考えればどうなるかの試算、試案を試みているのであって、「記」「紀」が何故そう描いたかを逆に考えるのです。

 なお、関東に行くと、金山彦+埴安姫は磐裂根裂(イワサクネサク)と呼ばれます。

磐裂が金山彦、根裂が埴安姫になるのですが、足名槌、手名槌と同じような表現です。

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2022年02月18日

867 宗像の神々 C 福岡県宗像市にも白鬚の神が鎮座する

867 宗像の神々 C 福岡県宗像市にも白鬚の神が鎮座する

20210129

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 さて、白鬚神社と言えば琵琶湖のそれ(白髭神社 滋賀県高島市鵜川215)が最も知られています。

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まず、白髭、白髪、白鬚…と色々な表記がされますが、一応同じ神社と考えて良いと思います。

宗像に近い所では宗像の近所の古賀市、筑豊の福智町、北九州市小倉南区、嘉麻市…とかなり拾えます。

また、地名としての白髪も白髪岳…といったものが九州でも拾えます。

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白鬚神社 カーナビ検索 宗像市平等寺518


 祭神ですが「福岡県神社誌」上巻 によれば 猿田彦 天細賣神 須佐之男神 倉稲魂神 の4神です。

 猿田彦と天細賣神は付近に猿田峠があるだけに何やらリアルな感じがします。

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「福岡県神社誌」上巻173174


さて、宗像にしては強面の二組の夫婦神が祀られた白鬚神社は幾分の違和感が伴います。

筑豊の物部地帯ならば似つかわしいのですが、このような剝き出しの刀の様な神社が何故許されたのでしょうか?

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 猿田彦(ニギハヤヒであり山幸彦また五十猛…)とアメノウズメ(伊勢の外宮の豊受大神であり伏見稲荷様)、そしてスサノウと神大市姫(大山祗の長女)の間に生れた辛国息長大姫大目姫(香春岳の主神)という伊勢の外宮様の父神と夫神という実に頼もしい最強の親衛隊です。これはこれで良いのですが。

私達百嶋神社考古学の者には、直ぐに佐賀県佐賀市久保泉の白髪神社が念頭を過ります。


無題.png『推古天皇34年(626)邑長祠を立て、江州(滋賀県)白鬚の神を奉ず、このとき江より来る者19人、明丸・石丸・泰郎丸・千徳・彌頭.関行・犬王・倉童等皆丸を以て、祠の傍に宅す、後丸を以て其の宅を呼ぶ、総べて19丸。花納丸はその一也、祠に最も近し、云云』とある。残りの丸は地名として、吉丸・米丸・有吉・太郎・三郎・六郎・彌以・光富・有富・乗貞の合計19丸で、その所在地は付図の通りである。丸の所在地には、もと古墳らしきものがあり、石の小祠には薬師・不動・天神等の仏の名が刻まれていた。

 白鬚神社の項で述べた祭神・勧請年代・十九丸の性格を、この花納丸文書と照合すれば、古墳後期の百済新羅系農耕祭祀集団に比定される。一説にはシラギがシラヒゲに転じたともいう。(金達寿説)   出典:久保泉町史跡等ガイドブックp.9899


宗像市の方はご存じのとおり、この一帯にも丸地名が多く○○丸姓の方もおられるはずです。このルーツは佐賀市なのです。

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2022年02月21日

868 宗像の神々 D 福岡県宗像市の鹽竈神社は博多の櫛田神社の大幡主を祀る

868 宗像の神々 D 福岡県宗像市の鹽竈神社は博多の櫛田神社の大幡主を祀る

20210130

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 今回の鹽竈神社は旧郡の津屋崎と宗像に二社確認できます。宗像の神々とは旧宗像郡の意味ですので。

 しかし、何故かこの二社は「福岡県神社誌」には登載されていないのです。

 もしかしたらと思い同誌下巻に登載されている無格社一覧を調べると確かにこの二社が浮かび上がりました。

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「県神社誌」無格社一覧に於いて確認できる様に宗像のそれは明らかに祭神入替が行われています。

 これは宗像大社、宗像市、引いては宗像市に住む人間の性格を良く表している様にさえ思います。

 怒ると言うよりも笑ってしまいますが、ついつい“何が「応神」が鹽竈神社の祭神か言って見ろ”と言いたくなります。これほどの大嘘を平然とつけるのが神に仕える神官であり地域の指導者というのです。

 まず、思い出して頂きたいのは海幸山幸神話です。

借りた釣針=「ち」を失い途方に暮れる山幸彦(実は猿田彦=ニギハヤヒ)に龍宮に行き龍王(実はヤタガラス)に会えとのアドバイスをしたのが塩土翁(実はカミムスビ神=大幡主)で、恐らく対馬のどちらかの海神or和多都美(ワダツミ)神社で豊玉姫と出会い3年一緒に暮らすのです。

 この仲立ちをした人物こそ塩土翁(実は龍王=ヤタガラスの父)であり鹽竈神社の祭神のはずないのであり、ここに宇佐の応神などありえるはずはないのです。

このように氏子の一族がこれまで祀って来た神を平気で入れ替えそのままにしておくからこそ神社への尊崇の念も自らの祖神を守ろうとする気持ちも失い神社への共感も結束への思いを失い社殿の再建もできなくなるのです。ここについては応神+4神が誰なのかは再確認が必要です。

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情報が不足していますので、敬愛する「正見行脚」氏を参考にさせて頂きましょう。


「鹽竈神社」()その1〜概要・祭神(宗像市稲元)

無題.png“応神天皇(第十五代天皇)、見屋根命(文章の神)、素盞嗚神、猿田彦社(道案内の神)、大歳神”…

…“[主神について()]・上記祭神五柱のうち主神は「応神天皇」だと思われるが、本来「鹽竈神社」とは係わりのないと思われる応神天皇が主神となっている背景には、恐らく当社が旧宗像郡稲元村の産神・稲元八幡宮(主神:応神天皇)の摂社(※福岡縣神社誌に記載あり)であったことと係わっているのではないかとも思える。・宗像地方にはことのほか、応神天皇を主神とする八幡神社が多く、応神天皇の出生地は宇美八幡宮(糟屋郡宇美町)とされ、その母神功皇后は香椎(福岡市東区)の女王とされ、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)に葬られたと考えると、応神天皇は神功皇后とともに古代九州王朝(倭国)の系譜に属する大君で、当地を含む宗像地方は九州倭国に属した地区であったとも考えられる。因みに稲元八幡宮は、宇佐八幡宮から勧請したとの説もある。

 そう考えると古代宗像族がヤマト王権に従属しヤマト王権のために沖ノ島祭祀を行ったとする定説は疑問が多い。


・当社「鹽竈神社」の前方には、今も広い水田が広がっており、「稲元」の地名は、宗像地方で最も古く稲作が始まった地であることに由来するとも言われており、当地が歴史的に早くに開けた地区であることが伺える。

・当社「鹽竈神社」の本来の主神は、その社名からして、応神天皇ではなく、鹽竈神社総本宮の主神にして潮流を司る神(海洋神)「塩竈大明神・塩竈明神」だったと思う。

 宗像の地には海洋神・宗像大神がおられることも相まって、当地稲元にあった入海の海岸線や塩浜の後退(下記)とともに、この主神名が消えていったのだろう。

3鹽竈神社参道口・「塩竈大明神」とは、先代旧事本紀や日本書紀にある日本神話の神「塩土老翁」(しおつちのおじ)のことで、日本書紀では「塩筒老翁」とも書き、古事記では「塩椎神」(しおつちのかみ)と表記され、「事勝国勝長狭神」(ことかつくにかつながさ)の別名ともいう。

・「塩土(しおつち)」とは、「潮つ霊・潮つ路(潮流)」のことだとされているので、「塩土老翁 (しおつちのおじ)」とは「潮流を司る老翁神」=事勝国勝長狭神ということになるのか。

・因みに、宗像地方で「塩竈大明神」を祭る神社の一に「年毛(としも)神社」(福津市勝浦943)があるが、福岡縣神社誌は「鹽津智翁」の名を掲げている。

 年毛神社は旧勝浦村の産神であり、寛文6(1666)頃に勝浦で塩田(27ヘクタール)が開発されたとき、潮流を司る神(塩田・塩浜の守り神)として鹽竈神社総本宮(宮城県塩竈市)から「塩竈大明神」(鹽津智翁=塩土老翁)が勧請され、さらに明治44(1911)に塩田が閉鎖された後も祭神の一として残ったのだと思う。

・ということは、「鹽竈神社」が鎮座する稲元1丁目(旧稲元村野添)は、現在、海岸線(玄界灘)からかなり離れたところにあるが、それは、かつて当地まで入り込んでいた入海(海岸線)が徐々に江口まで後退したことによるもので、ここには、塩浜、或は塩田(?)があったのかもしれない。現在、当地を貫流する釣川の本流が入海の名残だと考えられる。

・なお、上記年毛神社境内の案内板には、「塩竈大明神」を「猿田彦神」と記してあり、「鹽津智翁(塩土老翁)」の名が消えている。

 宗像地方は、海洋神「宗像大神」の鎮座地であり、塩田がなくなった勝浦においては、潮流を司る「塩竈大明神」の神名に「鹽津智翁(塩土老翁)」は不要とされたのだろうか。

・因みに、「猿田彦神」を主神とする「白鬚神社」においては、この「白鬚」と「老翁」を結び付けてか、その祭神名を「塩土老翁」としている例がある。

 これが「塩土老翁」と「猿田彦神」を同神と考えたことによるものであれば、逆に年毛神社においては、勝浦塩田閉鎖後、「塩竈大明神」の神名を「鹽津智翁(塩土老翁)」から「猿田彦神」に変えたのではないかとも考えられる。

・当稲元「鹽竈神社」の祭神五柱のなかにも「猿田彦神」の名があるので、年毛神社と同様に考えることもできなくはない。もしそうだったら当社の主神は「猿田彦神」ということになる。


年毛神社と同社社伝の古代製塩についてはいずれ取上げる予定でしたが、図らずも「正見行脚」が先行しておられました。また、祭神としては福津市津屋崎の塩釜神社がその社名としては正しいと考えます。

既に、塩土老翁と猿田彦のコンビによる製塩(そもそも猿田は山幸彦であり塩田の貶めた表記であり…これは冗談で構いませんがサルタはソルトでもあるのです、塩土は塩筒であり製塩土器に繋がるのです)については、天草で猿田彦と大幡主=塩土翁の製塩については以下で取り上げていますのでお読み下さい。

この点でも山幸彦=猿田彦=ニギハヤヒ説の一部が裏付けられたのです。


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

310

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! E 鹽土老翁神から猿田彦=ZALT彦説

309

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! D 水俣市塩浜運動公園の塩釜神社

308

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! C 天草市五和町塩屋大明神正面の塩田跡

307

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! B 天草市志柿の中之塩屋大明神

306

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! A 上天草市阿村の塩釜神社

305

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! @ 宮崎の野島神社から


百嶋由一郎神代系譜DBD、講演録音声CD、手書きデータ・スキャニングDVDを必要な方は09062983254

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