860 日置姫とはもう一つの鳥之子「武夷鳥」の母神の“瀛ツヨソ足姫”なのか?
20210111
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
これは最近気づいた事です。この日置姫なる耳慣れない人物が何者であるのか?疋野、日置の一族に繋がる人物なのか非常に興味深い御姫様です。

彦国オキツ、武内足尼と言えばスサノウと櫛稲田姫との間に生れた製鉄神の後裔氏族ですが、一般的にはナガスネヒコとその妹オキツヨソ足姫として知られる神武に弓を引いたとされる金山彦系氏族のプリンセスです。それが何故日置姫と呼ばれるかが理解できないのです。メモにある姓氏1039pの意味は当然にも国立国会図書館所蔵の「姓氏家系大辞典」であり、それに「日置姫」として出ているという意味なのです。
本は5万から10万と手が出ませんがDVDならば3000円程度で入手できそうですのでそのうち手に入れたいと思います。
第5代・考昭天皇(紀元前 500年頃)の皇后は、尾張出身の世襲足媛尊(よそたらしひめ)(別名を日置姫命・ヒオキヒメのミコト)と言われています。 技術立国日本の古代史より
孝昭天皇(皇紀186-268) の皇后を世襲足媛と申すが,質事紀には. 『世襲足命亦名日置姫命』と申し奉つた事が記載せられて居る古事記には『 張連の祖奥津余曾の妹名は余曾多本毘賣命』となつて居る。之れは日置と云 Title 古代日本の曆に就て - Core
記紀によれば、孝昭天皇の皇子で、母は瀛津世襲の妹・世襲足媛命(よそたらしひめ『日本書紀』本文、『古事記』では余曽多本毘売命、日置姫)。

いずれも百嶋由一郎金神神代系譜(部分)
瀛ツヨソ足姫=ナガスネヒコの妹(スサノウと櫛稲田姫の間に生れた兄妹)は、神武天皇との戦いに敗れ、始め草部吉見(贈る孝昭天皇)の戦利品となったか、天足彦(彦坐王)と建南方を生み、後にはヤタガラスの妃となり、葛城高那比唐ニ武夷鳥の姉妹を生んでいるようなのです。
これで謎が少し解けて来ました。彼女が瀛の文字を使っているのは、金山彦が秦の始皇帝と姻戚関係を結んでいたからであり、後に栄えある金山彦の血を引く武夷鳥の一族は新潟から栃木、埼玉、茨城一帯に新天地を求めた事まで見えてくるのです。
私は疋野神社(熊本県玉名市)の一族が製鉄技術を携え山鹿から香春岳の採銅所を経て国東半島から姫島まで移動していたと考えていたのですが、瀛ツヨソ足姫は本拠地の菊池から玉名辺りにいたからこそ日置姫(疋野神社:熊本県玉名市)と呼ばれた可能性を否定できないのです。
つまり、ナガスネヒコの反乱により山鹿を拠点にしていた金山彦(これについては以下のリストをお読み下さい)の一族は敗残し、瀛ツヨソ足姫は草部吉見の戦利品となるも後にヤタガラスの庇護を受けているのです。
このことから、製鉄に関する技術を持っていたのはやはり金山彦系であり、それがナガスネヒコ戦争の結果、阿蘇系の支配下に入り、直接的には御年神(草部吉見と韓国息長大姫大目命の子)=疋野(日置)神社の管理下に入った可能性があるのです。こうして、瀛ツヨソ足姫が日置姫と呼ばれた理由への仮説の提出ができたことになるのです。最期に百嶋メモに依れば、天日鷲・鳥子大神、武夷鳥の一族が共に「鳥子」と呼ばれた理由は、この両氏族が共にナガスネヒコ戦争の結果生じた氏族であり、栄えある秦の始皇帝(羸政=インチョン)と姻戚関係を結んだ同族のイスラエル系製鉄集団の後裔氏族であったからだと思えます。従って、周防の防府に武夷鳥系の鳥子(防府天満宮)があることは象徴的で、玉名、山鹿〜香春の採銅所〜国東〜姫島から目と鼻の先に在るのが周防なのです。このため、この両集団は暫く一緒に動いていたのではないかとさえ思うのです。
なにやら日本版バビロン捕囚を思わせますね。
ひぼろぎ逍遥(跡宮)
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819 | 「古事記」中つ巻 懿徳編 E “懿徳は安寧の子でなく神武ので 僅かに倭人伝にも登場する” |
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