ビアヘロ186 2022年1月23日(日) 2022年新春三社詣でトレッキング宗像〜宮若 (案)
20211029
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)
今回は2022年新春三社詣でトレッキングの計画をお知らせします。
オープン参加(一般の方も気楽にご参加ください)資料代500円のみ 基本は各自車の用意を…
午前10:30にとれとれプラザかのこの里(福岡県宗像市原町153-1 0940-36-7665)に集合し、宗像市2社、
宮若市1社の三社詣りを行います。
寒い時期ですので昼食は13時以降にファミレスなどで行います。
当日雨天の場合は、中止、若しくは2月に延期します(参加は要連絡)。
御杖代 古川 清久(太宰府地名研究会編集員)090-6298-3254

1 光岡八幡宮 福岡県宗像市光岡949 集合地点からほど近い神社 異形の楠で著名 2 八所宮 福岡県宗像市吉留3186 非常に難解な4組の夫婦神を祀る神社 昼食休憩 仮 案 ジョイフル福岡宮若店 福岡県宮若市本城664-2 0949-34-5855 3 若宮八幡宮 福岡県宮若市水原395 この若宮は本来高良玉垂命の若宮=仁徳を祀るものでは |

1 光岡八幡宮
蛸足の如き異形の楠でとうとうパワー・スポット扱いされるまでに至った光岡八幡宮ですが、境内の造成の際に根の張った部分の土を後世に取り過ぎただけの事で御神木ではなかったことを意味しています。
光岡姓自体が岡山市と豊田市に集中する特異なものであるため以前調べたことがあったのですが、物部氏の匂いだけで終わってしまいました。
さて、八幡宮とはなっていますが、どうもそれ以前の祭祀が見え隠れしています。
御祭神神功皇后 誉田天皇(応神天皇) 武内大臣(宿禰) 闇龗神 市来島姫命 素盞鳴命
赤間宿と言えば出光興産の出光佐三の生家があることでも知られるところですが、彼は宇佐八幡宮の宮司家の一つでもあったようで、その点から同社にもその影響が及んでいただろうことが容易に想像できそうです。
しかも、同社の祭神を見ると宇佐神宮が二の門に宗像三女神を置いていることに対して、市杵島姫だけが祀られていることからして、この地が市杵島姫の後裔氏族が住み着いていたのではないかと言う想いが馳せるのです。これについては出光佐三も…。かつて宇佐には出光村もあったのですが…。
ともあれ、市杵島姫は豊玉姫や鴨玉依姫(勿論腹違い従妹の関係もあるのですが)のように豊玉彦=ヤタガラスの娘ではなく、彼の兄であるアカルヒメ(実は細石神社の主神磐長姫)とスサノウの間に生まれた娘であり、スサノウが祭神とされていることに関連があるように思えます。
さらに追及すれば闇龗神(クラオカミ)がスサノウの姉であり、しかも蘇民将来伝承の巨旦将来の妻であったことまで考えれば、どうやら、この神社にはスサノウ=新羅の王子様に通じる人々が本来の宮司家だったのではないかとまで想いが一気に滑るのです。
蘇民将来伝承の真相については ひぼろぎ逍遥 スポット版 075蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 089蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜A鳥瞰 外数本公開していますの関心をお持ちの方は検索してください。
従って、本来の祭神は 闇龗神 市来島姫命 素盞鳴命だったはずであり、神功皇后 誉田天皇(応神天皇) 武内大臣(宿禰) は後世の追加された祭神で、何時しか六神体制になってしまったのではないかとの思考の暴走が止まらないのです。
そもそも集合場所のとれとれプラザ かのこの里「かのこ」自体が市杵島姫が熱烈に愛した「かのこゆり」にちなんで命名されているのです。このかのこの話を知っておられる事に感動を禁じえません。
鹿児島県薩摩川内〜阿久根沖に浮かぶ甑島のかのこユリはつとに有名ですが、市杵島姫の夫である阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミと共に甑島とその周辺の阿多に暫く住んでいたと百嶋先生は語っておられました。このことはいずれ神武巡行伝承と甲府の天津司神社と天津司舞としてお話します。事実、甑島には鹿島町があり武鹿島の命こと後の鹿島大神(塚原卜伝が崇拝した)=武甕槌を祀る鹿島神社があるのです。これは後日の勧請はあるとしても起源はこちらにあります。この話の一部分でもご存じの方がかのこの里の命名者なのです。
それもこれも海賊と呼ばれた男こと 出光佐三 がパーレビ王朝崩壊後のモサデク政権下のイランに原油を直接買い付けに行ったという危険な行為を行ってまで石油メジャーに対抗したという人物だった事に触発されたからなのでしょう。思えば、佐世保港に日章丸が廻航した折、親父(陸軍航空士官学校出のポツダム中尉)に連れられ日章丸という巨大タンカーの甲板に上がった印象が今も残っていたからなのかも知れません。このため赤間の宿には実際に市杵島姫が住んでいた可能性さえ感じます。
彼女は新羅で生まれているはずですが、アカルヒメに抱えられ姫島〜国東(奈多)〜飯塚の鹿毛馬神籠石の厳島神社辺りで幼少期を過ごしたはずで、彼女の別名サイ、サエ、サヨ…の佐與がこの厳島神社の大字田島隣の大字なっているのです。
ついでにサイは中国語のユリを意味するとの話を聴いたことがあるのですがいまだ確認できていません。

日章丸事件 (にっしょうまるじけん、 ペルシア語: حادثهکشتینیشومارو )は、 1953年 (昭和28年)に起きた 石油 の輸入とそれに付随した訴訟および国際的な衝突。 イギリス の影響下にあった イラン は 第二次世界大戦 後独立していたものの、当時世界最大と推測されていたその石油資源はイギリス資本たる 石油メジャー 「アングロ・イラニアン社」( BP の前身)の管理下に置かれ、イラン国民はもとより政府にもその利益がほとんど分配されない状況にあった。 その中で、イランは 1951年 に石油の国有化を宣言し、アングロ・イラニアン社の資産を接収する。 反発したイギリスは中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買付に来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明する。
1962年、当時世界最大のオイル・タンカーとなった日章丸(出光興産三隻目の油槽船)は旧佐世保海軍工廠で最後に完成した第七船渠(現第四ドック)で造られたもので、小学校低学年で出光興産の勃興期に一端を見たことになるのです。

2 八所宮
土煮尊(ういじにのみこと)沙土煮尊(すいじにのみこと)大戸道尊(おおとのじのみこと)大戸邊尊(おおとべのみこと)面足尊(おもたるのみこと)綾惶根尊(あやかしこねのみこと)伊弉諸尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)の話から始めましょう。
天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第三の神。 宇比地邇神と須比智邇神は、最初の男女の神。『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊に続いた 神世七代の第四代の神。宇比地は泥土、須比智は砂土で、土砂を神格化した神。大地を鎮める盛り土の神とする説もある。泥土根尊と書いて「ういじねのみこと」と読む場合も「すいじねのみこと」と読む場合もあるらしい。(「玄松子」より)


何故か光岡八幡宮 若宮八幡宮については「神社誌」の無格社一覧にさえ搭載されていないようです。
このため、現地情報にネット情報程度で解析せざるを得ません。
八所宮としては幸いに神社誌に記述がありますが、通常このような神様が祀られているはずもなく、実在性(勿論何処かには居たはずですがここであったというものがあるわけではないのです)土煮尊、沙土煮尊、大戸道尊、大戸邊尊はたまに見かけます。

一方、面足尊は実在性をかなり強く感じます。勿論、金山彦と考えて頂いて間違いないでしょう。
イザナミ、イザナギは良くご存じですが、スサノウのご両親になります。
八所宮についてはこのぐらいにしますが、この造化三神などを中心とする祭神は「記」「紀」を押し付けるものとして採用されただけで、恐らくは最後尾の神こそが元々の同社の神々であったはずなのです。
稲荷は伊勢の外宮様ですし、大歳は阿蘇の草部吉見=ヒコヤイミミ(藤原の祖)、菅公、闇龗(スサノウの姉)、須賀神社もスサノウになります。これらが赤間地区の本来の祭り神のはずなのです。
一方、身内の摂社として藤原側の神が神直日、大直日として祀られています。分かり易いですね。

さて、話を軌道に戻しましょう。宗像市の八所宮と同じ祭神を持つ神社が宮若市にも同名の八所宮として存在します。これも気づいたのは最近ですが、同社の由緒によれば、以下。
八所神社由緒当社ハ今ヲ去ル二百八十年前ノ靈元天皇延宝八年宮中守護神シテ八神田二祭祀セル八柱ノ大神等ヲ隣郡宗像ヨリ勧請シ八所神社ト称シ当村ノ鎮守トシ奉斎セルニ創マル明治五年村社ニ列シ大正八年神饌幣帛料供進神社二指定セラレ今日ニ及明治百年拾月吉日建立境内由緒碑村社 八所神社 鞍手郡宮田町大字長井鶴字奈喜野祭 神埿土煮命,大戸之道命,面足命,伊弉諾命,沙土煮命,大戸之邊命,惶根命,伊弉册命由 緒 延宝八年宗像郡八所神を勧請す,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日 十月二十五日神饌幣帛料供進指定 大正九年六月三日主なる建造物 本殿,弊殿,拜殿,社務所,籠社境内坪数 四百五十七坪氏子区域及戸数 長井鶴 戸数三百十八戸境内神社 須賀神社(素戔嗚命) 天満神社(菅原神) 大日霊貴社(埴安姫神,闇龗神,迦具土神) 高龗神,埴安姫,闇龗神は今宮神社,迦具土神は豊日別神社として祭祀ありしを合祀す。
福岡県神社誌 上巻本殿後境内社 貴船大神 佐夜の神 大日社 天満宮 祇園社。
とされており、寸分違わぬ祭神に驚いています。佐夜の神は市杵島姫でしょうね。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
ただの別名ですが、大山咋(阿蘇国造神社)、鴨玉依姫(下賀茂大社)の大恋愛のお二人です。ただ、その現場は筑前山家の宝満宮二社とまでは百嶋先生から聴いています。
3 若宮八幡宮
最後に若宮八幡宮を考えます。御祭神は 応神天皇・神功皇后・仁徳天皇・武内宿禰
宗像〜宮若に入ると猫のマスコット像が目立ちます。この猫が宮若市の名称にまで関係があるなどとまでは申し上げませんが、猫峠、猫宮…などとなると、非常に気に掛かるのです。
これについて百嶋先生は第7代孝霊天皇:大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)、第8代孝元天皇:大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)、第9代開化天皇:稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひび)の三代=宮地嶽神社の三階松に対応するネコ=根本の意味でだろうと語っておられました。私も実質的にはその痕跡ではないかと考えています。
ただ、もう一つの考え方ですが、仁徳天皇(シレカシノミコト)は仲哀亡き後の神功皇后を妃とした開化天皇=高良玉垂命の五人の皇子の長子でありその意味で若宮と呼ばれたのかも知れません。
事実、祭神には仁徳(一般にはオオササギの命とされる)が祀られ、論争のあった高良玉垂命とは武内宿禰と有馬の殿様が決めた武内宿祢と決められてしまったのでした。それを考えれば、応神という天皇でも何でもない贈る天皇が挿入されているも久留米の高良大社の祭神残っているという印象を受けます。
2022年が良い年であればいいのですが、多分、国家の没落にまで突き進むようで不安でなりません。