2021年11月27日

850 海幸山幸神話再考 猿田彦を奉斎する神社の分布から考える…

850 海幸山幸神話再考 猿田彦を奉斎する神社の分布から考える…

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


これまで何度も申し上げて来た事ですが、山幸彦とは猿田彦でありニギハヤヒ、五十猛…なのです。

 それは、特に九州の神社を数多く見続けてくれば徐々に分かる事なのですが、神代史の舞台であった九州島以外の例えば奈良、京都…いわゆる畿内の言わば九州島からの移住者によって後付で造られたテーマ・パーク的な神社をいくら調べても、その元々の台本が「記」「紀」である以上、自画自賛的に納得するだけの事でしかないのです。

 かつて欠史八代などと思いついたただの戦後利得者の通説派の御用学者共が奈良近辺をいくら調べてもこの時代の伝承、史跡、記述…といったものがないことからこれらは全て創られた話だろうとして排斥に動いたことは知られています。そんなことは当たり前でしかなく現場が九州島だったからだけなのです。

 彼らは、畿内の巨大古墳に目を奪われ、邪馬台国の卑弥呼もこの一帯に居た人物だったと思い込み、その先入観だけによってこの壮大な嘘話を造りだし、何故かカムヤマトイワレヒコこと初代神武だけは居たはずだとするほとんど漫画としか言えないような学説を日々再生産し続けているのです。こいつらほんとに学者なのか?まあ、こういったさもしい連中の話は気分が悪くなるのでここまでとしますが、九州島は神代史の現場である事からまだまだ研究の余地もあり、しかも、百嶋神社考古学面受の門徒集団に依り日々新たな探求が続けられ多くの新しい論稿が出されているのです。


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これはネット上に公開されている昔々異界とこの世を分けていた猿田彦さん」の資料ですが、有難い事に以下をご覧頂きたいと思います。過去にも何度か使用させて頂いていますが、本ページに所載してあるマップ、地名表等必要ある方はご自由に使用して下さい」と書かれています。

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肥後全体で50社近くある猿田彦神社ですが、以前、有明海〜不知火海周辺に分布するものを20社ほど「熊本県神社誌」で確認しながら現地を踏みました。

遠方であるにもかかわらずかなり正確に調べ把握されているようです。

ただ、資料の住所表示と現在の地番が一致しないため対応確認作業が必要になります。

さて、熊本県下に分布する猿田彦神社の分布を見ると、ある程度の偏りがある事が分かります。

勿論、白い部分は干拓地が多く、近世に内陸部から移り住んだ人々が持ち込んだものが多いはずですが、超遠隔地からの入植はほとんどないはずです。

当初、古代〜神代はなかったはずとして対象にしていなかった熊本市南部の黒枠の部分を徒労となっても見て廻る事にしたいと思っています。

まずは、カーナビで廻る場合の住所の確定作業から入るつもりです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記