841 大原八幡宮再考 北関東の大原神社から @ 未知の駅 捄フサ が描く大原神社
20200820
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
以前、実質的には西豊後の一宮と言える大分県日田市の大原八幡宮について書いています。

ひぼろぎ逍遥
709 | 物部の大原足尼命を祀る熊本市東隣の大原八幡神社とは何か? “菊陽町の大原阿蘇神社” | |
708 | 物部の大原足尼命を祀る日田の大原八幡神社とは何か? | |
704 | 日田の大原八幡神社も物部の神社だった “大分県日田市の大原八幡宮” | |
703 | 大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県みやこ町の大原八幡神社” | |
702 | 大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県苅田町の大原八幡神社” | |
この一連の作業で把握できた事は九州王朝が亡んだあと近畿大和朝廷が本格的に九州を呑み込んでいく過程で祭神が完全に入れ替えられていると言う事でした。
現在、日田の大社大原は誉田別命(ホンダワケノミコト)応神天皇、大帯姫命(オオタラシヒメノミコト)、比売大神(ヒメオオカミ)宗像三女神を祀るとします。
ところが、福岡県みやこ町、苅田町の大原八幡を見ると、


ところが、「福岡県神社誌」によれば豊後日田の大原からの勧請としながら、通常応神天皇とされる誉田別命は残しつつも、大原足尼、ニギハヤヒ…という物部氏そのものの神社であった事が分かって来たのでした。つまり、現在、日田の大原八幡宮はその事実にホウカムリして宇佐八幡宮と同体の如く装っているのです。


大原神社については、まだ、全貌が掴めませんのでグループのメンバーである千葉県在住「未知の駅」女史の大原神社に関するリポート三本が出揃いましたので、お願いして転載させて頂くことに致しました。
これは基礎調査の段階と考え頂いて構いません。

未知の駅 捄フサ

@大原神社と大原足尼(君津編) 君津市平山字宮後823
A大原神社と大原足尼(流山編) 流山市平和台4-1650-1
B大原神社と大原足尼(習志野編) 習志野市実籾字葉抜1-30-1
切が悪いのでここまでとして以降4本を転載させて頂きます。

この表示は九州の分布を正確には表していません これ以外にもあると思って下さい
ただ、元大原とあるように、大分県日田市の大原神社が中心であったとは言えそうです。
少なくとも、福岡県 苅田、みやこ の二社は日田の大原からの勧請です。
やはり、関東へも九州から展開しているものと考えて良いのではないでしょうか。
これは全くの偶然でした。西日本中心の分布としても全体の傾向を示しています。少なくとも北にはないのです。
