2021年11月01日

841 大原八幡宮再考 北関東の大原神社から @ 未知の駅 捄フサ が描く大原神社

841 大原八幡宮再考 北関東の大原神社から @ 未知の駅 捄フサ が描く大原神社

20200820

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 以前、実質的には西豊後の一宮と言える大分県日田市の大原八幡宮について書いています。

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ひぼろぎ逍遥

709

物部の大原足尼命を祀る熊本市東隣の大原八幡神社とは何か? 

“菊陽町の大原阿蘇神社”

708

物部の大原足尼命を祀る日田の大原八幡神社とは何か?

704

日田の大原八幡神社も物部の神社だった “大分県日田市の大原八幡宮”

703

大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県みやこ町の大原八幡神社”

702

大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県苅田町の大原八幡神社”

   

この一連の作業で把握できた事は九州王朝が亡んだあと近畿大和朝廷が本格的に九州を呑み込んでいく過程で祭神が完全に入れ替えられていると言う事でした。

現在、日田の大社大原は誉田別命(ホンダワケノミコト)応神天皇、大帯姫命(オオタラシヒメノミコト)、比売大神(ヒメオオカミ)宗像三女神を祀るとします。

 ところが、福岡県みやこ町、苅田町の大原八幡を見ると、

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ところが、「福岡県神社誌」によれば豊後日田の大原からの勧請としながら、通常応神天皇とされる誉田別命は残しつつも、大原足尼、ニギハヤヒ…という物部氏そのものの神社であった事が分かって来たのでした。つまり、現在、日田の大原八幡宮はその事実にホウカムリして宇佐八幡宮と同体の如く装っているのです。

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大原神社については、まだ、全貌が掴めませんのでグループのメンバーである千葉県在住「未知の駅」女史の大原神社に関するリポート三本が出揃いましたので、お願いして転載させて頂くことに致しました。

 これは基礎調査の段階と考え頂いて構いません。

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未知の駅 捄フサ

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@大原神社と大原足尼(君津編) 君津市平山字宮後823

A大原神社と大原足尼(流山編) 流山市平和台4-1650-1

B大原神社と大原足尼(習志野編) 習志野市実籾字葉抜1-30-1


 切が悪いのでここまでとして以降4本を転載させて頂きます。

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この表示は九州の分布を正確には表していません これ以外にもあると思って下さい


ただ、元大原とあるように、大分県日田市の大原神社が中心であったとは言えそうです。

少なくとも、福岡県 苅田、みやこ の二社は日田の大原からの勧請です。

やはり、関東へも九州から展開しているものと考えて良いのではないでしょうか。

これは全くの偶然でした。西日本中心の分布としても全体の傾向を示しています。少なくとも北にはないのです。

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2021年11月03日

842 大原八幡宮再考 北関東の大原神社から A 未知の駅 捄フサ が描く大原神社(君津編)

842 大原八幡宮再考 北関東の大原神社から A 未知の駅 捄フサ が描く大原神社(君津編)

20200820

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


百嶋神社考古学グループ 未知の駅 捄フサ からの転載です


未知の駅 捄フサ


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@大原神社と大原足尼(君津編) 君津市平山字宮後823


大原足尼を御存じでしょうか。

私は昨年末にHP「ひぼろぎ逍遥」の古川さんから初めて聞いた名前でした。

なんでも筑紫豊国の国造だったそうで、奉斎している神社が全国に幾つか鎮座しており千葉県にもあるとのことでした。

確かにそういう名前の神社があることは知っていました。

ですが千葉県にはかつて夷隅郡大原町がありましたので、てっきりその関係かなー、と漠然と考えておりました。

年末年始は多忙でなかなか調査に出動できなかったのですが、

やっと参拝できたのでご報告いたします。


大原神社オオハラジンジャ 君津市平山字宮後823

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JR平山駅を通り過ぎると線路の向う側に見える鳥居 右側に見えるこんもりした杜が神社です

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人気はまったく無く・・・        でも久々に「これぞ古社!」という趣のある神社

無題.png特徴的な真中が太い注連縄

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拝殿の上には鳥!!          大原神社は周囲を田圃で囲まれた地に鎮座しておりました。

御祭神は天兒屋根命と天太玉命の二柱。

社伝によれば往古南都の春日神社を遷し祀れるといいます。

ところが、本殿を見てみると・・・

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本殿右側

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本殿左側

フルール・ド・リスがあるんですよ〜。

本殿の華やかな装飾からも女神様だとわかります。

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本殿の脇に随身が           本殿の右に鎮座する小社

「千葉県神社明細帳」では境内社に

熊野神社(速玉男之命・事解男之命・伊弉册命)

須賀神社(素盞嗚命・奇稲田姫命)

佐田彦神社(猿田彦命・鈿女命)

とあります。おそらくこの道祖神のお社が佐田彦神社だと思われます。

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佐田彦命についてですが、サタヒコはサルタヒコと間違えられて混乱が生じている社が多々見受けられます。

社名表記が「佐田彦」である場合や猿田彦の表記でも読みが「サタヒコ」の場合は、真の御祭神は佐田大神であると考えた方がいいと思います。

佐田大神とは大山咋命のことです。

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本殿左側に1つだけあった石祠   神楽殿 屋根には五三桐紋

やはり女神様だ! 見えやすい用に拡大して載せたかったのですが、撮影の腕がヘッポコでしてブレていたため拡大してもぼやけていてハッキリ確認できない状態でした。

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神楽殿の奥にある境内社たち

こちらは明治期に合祀された、元は近隣に点在していた小社であると思われます。

先程の「明細帳」によると合祀した神社は以下。

明治41年に熊野神社(伊弉册命・速玉男命・事解男之命

白滝神社(日本武命)

阿夫利神社(高龗命)

浅間神社(木花開耶姫命)

秋葉神社(火産霊命)

弁天社(水速能賣命)

明治43年に同村の山滝野に鎮座していた

八坂神社(須佐之男命)

荒神社(火産霊命)

稲荷神社(稲蒼魂命)二柱

八幡神社(誉田別命)

日枝神社(大山咋命)

どの神社の御祭神か不明ですが大山津見命・大物主命・埴山比賣命もいらっしゃいます。


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戦争関係の板碑と一緒に砲弾が・・・!神社でちょいちょい見かけますが信管は抜いてあるのかな(汗)

遙拝所だと思われる仕切られた場所

さて、隠されている真の主神である女神さまについてです。

表向きの御祭神である天兒屋根命と天太玉命から考えると、候補としては春日神社の比賣神さま天比理刀当スです。

ですが大原神社は大原足尼を奉斎している神社という説を忘れてはいけません。

大原足尼もスクネを足尼と表記していることから女性であるとわかります。

こちらの女神様は

@大原足尼

A天比理刀当ス

B比賣神

の、どなたかです。

残念ながら、それ以上のヒントは得られなかったので調査はここまで。

補足ですが近隣にある君津市山滝野にも大原神社があるようですが、山滝野は明治期には「松丘村」の範囲内で平山も含めて一村でした。

だから平山の大原神社に明治43年に多数の社が合祀されたと考えられます。

現在山滝野に大原神社が鎮座している理由としては、山滝野の住民が「やっぱり神様がいないと不安だな〜」と考えて平山の大原神社から分祀してもらって神様を連れてきたのだと思います。

平山大原神社の御祭神に関しては、未来の自分が真実に辿り着くことを期待して次の神社へGO!


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2021年11月06日

843 大原八幡宮再考 北関東の大原神社から B 未知の駅 捄フサ が描く大原神社(流山編)

843 大原八幡宮再考 北関東の大原神社から B 未知の駅 捄フサ が描く大原神社(流山編)

20200820

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


未知の駅 捄フサ からの転載です


未知の駅 捄フサ

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A大原神社と大原足尼(流山編) 流山市平和台4-1650-1

A大原神社と大原足尼(流山編)                  2019, 02, 02 (Sat) 09:00

大原神社調査bQはこちらです。大原神社ダイバラジンジャ 流山市平和台4-1650-1

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当地は旧住所だと流山町西平井字大原となります。

字名が「大原」ということは、かなり古くから鎮座していたと思うのですが、神社の入口にあった看板には下記の通り。

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『大原神社だいばらじんじゃ江戸時代初期創建の旧西平井村の氏神。祭神は大原権現。明治42年(1909)七郎神社を合祀。境内には青面金剛像が刻まれた庚申塔などの石造物や保存樹木のスギなどがある。』


看板には御祭神が大原権現とありました。明治15年作成の「千葉県神社明細帳」には「不詳」と記載があります。昭和62年発行の「千葉県神社名鑑」には「瀬織津比当ス・速開津比当ス・氣吹戸主命・速佐須良比当ス」とあります。おそらく瀬織津比当ス以下3柱の方達は明治42年に合祀された七郎神社の御祭神だったのではないでしょうか。

千葉県内の神社調査をしていると、本体となる神社の御祭神が不明だった場合、後から合祀した神社の御祭神をメインに持ってくるという不思議な作戦が実行されております。不明のままでは格好がつかないからでしょうね。わかるんですけども、止めてほしい。そうなると大原権現が御祭神名ではないかと考えられますが、こちらも江戸時代の神社名であっただけで真の御祭神のお名前ではないと思います。しかし、一つだけ確実なことが。本殿を見てみると・・・

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フルール・ド・リスですよ!君津の大原神社同様、こちらも女神さまですね。

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社地は急な坂道の途中にあり、これだけの高低差があります。画像は江戸川方面を写したものですが、往古は江戸川低地は水面下となっておりました。

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Flood Maps にて7m海面上昇した場合】

ですから高台に鎮座している神社であることは、その土地が縄文海進時から何らかの特別な地として活用されていたという証拠でもあります。また地図で見ると平和台は下のように岬になります。

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古代の航海では平和台の北部・三輪野山にある集落に行くための陸路の目印となったと考えられます。

しかも当神社は北を拝する向き「北拝」なのです。これまで県内のあちこちで神社を見てきましたが、北拝の神社は特別な意味のある神社だと考えています。

妙見神を奉斎していないのに北拝している当神社は一体どんな秘密を隠しているのですかね。

以下境内にあった石仏や石碑・石祠です。

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庚申塔たち         青面金剛さまたち


ひぃぃっ!!ここにも成田山のお不動様がいるっ!!コワイヨー!本当に成田山のお不動様は苦手です。

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山神宮と●●宮     ●●宮と●十二神

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阿夫利神社        山神社と青面金剛      冨士嶽浅間大神

当地周辺は非常に開発が進み新興住宅地となっております。きっと開発時に周辺の石碑が大原神社に集められたのだと思いますが、稲荷社がひとつもない神社は初めてです(もしかしたら摩耗してしまっている中にあるのかもしれませんが)流山まできたので、ずっと行きたかった赤城神社にも寄ったのですが、それは大原神社調査報告が終わってからにしますね。お楽しみに!

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記