2021年08月21日

668 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている!   郡浦神社 祭神編

668 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている!   郡浦神社 祭神編

20210711

太宰府地名研究会 古川 清久

無題.png

郡浦神社カーナビ検索熊本県宇城市三角町郡浦2666 пF0964-54-0952 社格等: 肥後国三宮郷社


郡浦神社といってもご存じない方が多いでしょうから、位置などについては667号を読まれるとして、ここでは最も対立する祭神問題を取り上げます。

 まず、通説からは、阿蘇神社の意向が直結する同社の由緒を読まれるべきです。立派な文章で書かれており感服しますが、現代人にとっては、かなり精通した方でも直ぐには理解できないかと考えます。

無題.png

上の写真は正面から撮られていますが右側が一部不鮮明で以下別の写真で本文をお読み下さい


祭 神

蒲智比当ス(カマチヒメノミコト)、健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇神社主祭神)、速瓶玉命(ハヤミカタマノミコト、国造神社主祭神)、神武天皇(ジンムテンノウ)の四柱


女性が筆頭神というのは肥後でも妙見宮、雨宮神社、乙姫神社…など限られていますが、阿蘇氏にとっては、自らの権威の源泉とも言うべきものだったのでしょう。

それが南北朝争乱期に菊池氏を盟友として宮方の主翼を形成したことによって増幅され、列島を背負う大族と認識しかつ主張していることからここでもその宣言は格調高くもあり堂々たる風格を感じさせます。

ただ、我々、百嶋神社考古学の者からは異議を唱えざるを得ない点があるためご容赦願いたく思います。

無題.png

同社由緒 読みにくいと思いますので表示を150%〜200%に上げてお読み下さい


何度かお会いした事もある同社の女性宮司は、蒲智比唐ニは甲佐神社(甲佐町)、健軍神社 (熊本市東区)などとも関連する女性神で、島原の普賢神社​祭神の娘でイザナギ、イザナミの神の孫娘にあたる女神である。とされています。…ネット検索を試みて下さい。勿論、当方とは見解を分かちますが。

この郡浦神社の祭神については以前もブログを書いていますので、まず、そちらからお読み頂きます。

 ひぼろぎ逍遥

183

神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 “郡浦神社(熊本県宇城市三角町)”


まず、同社の縁起には蒲池姫、健磐龍、速瓶玉、神武天皇とあります(同社縁起を参照)。

無題.png

郡浦神社参拝殿


最大の問題は郡浦神社の主祭神と考えられる「蒲池姫とは誰なのか…?」です。

阿蘇神社を中心とする阿蘇宮司家は、この蒲池姫を阿蘇国造社の主祭神である速瓶玉命(大山咋神=佐田大神…)の妃(前妻)の雨宮姫と同一神とするのですが(同年の鴨玉依姫も同じく妃であり恐らく後妻)、百嶋神社考古学では、初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の正妃=アイラツヒメとするのです。

当の郡浦神社の神社縁起も阿蘇神社の見解を受け容れ、蒲池姫を雨宮姫としているようです(後段の神社縁起参照のこと)。

 この問題には初代神武天皇が、藤原により贈)綏靖天皇とされた神沼河耳命の妃であったアイラツ姫(蒲池姫)を神沼河耳命の(恐らく死後)正妃としたこと、さらには初代神武天皇の子であり本物の天皇である第4懿徳天皇の正妃であった阿蘇ツ姫(天豊ツ姫=杉山大神=雨宮姫の母)を健磐龍命が妃とした(百嶋先生はカッパラッタとします)事、さらには、藤原が金凝彦神=神沼河耳命を第2贈)綏靖天皇に、草部吉見=彦八重耳命を第5代 贈)孝照天皇に(神武の臣下でしかないものを)格上げしていることなど全てが関係していると思うのですが、紀元2600年(昭和15年)当時の阿蘇神社資料の確認が遅れているため、その理由が何故なのかには踏み込めません。

このため、ここでは保留し、百嶋神社考古学の立場から見た蒲池姫の実像に迫るだけで留めたいと思います。

無題.png

@  蒲池姫は初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の正妃であり、五瀬命の妹。父は金鎖大神(金山彦=面足彦 6代 贈)孝安天皇で玉名市の疋野神社の主祭神 これも藤原氏による格上げと考えられる

母は天御中主=白山姫=天常立とウマシアシカビヒコチの間に生まれた燕脂姫(エンジヒメ)=大市姫=月読命、大山祗命(トルコ系匈奴)の姉 注)一部誤りがありましたのでここで修正しておきます。

A  雨宮姫は阿蘇北宮、国造神社の主祭神 速瓶玉命(実は大山咋神=佐田大神=松尾大神、日吉神社、日枝神社、山王神社の祭神…)の妃であり、父は言うまでもなく健磐龍命=手研耳(一般的にタギシミミと読まれますが、タケシミミと読むべきで、そうすると健磐龍であることが分かります)、で母が問題の懿徳天皇の正妃であった阿蘇ツ姫(さらわれた皇后陛下)なのです。

その阿蘇ツ姫ですが、父は草部吉見、母が高木大神の娘である拷幡千々姫(タクハタチジヒメ)であり、海を挟んだ宇土半島の正面の島原半島に高木大神(許氏 高皇産霊神)の拠点(南北高来郡〜高千穂三田井)があったことと符合するのです(同社縁起もそう書いてありますね…)。

勿論、速瓶玉命(実は大山咋神)は、恐らく後にでしょうが、金山彦の娘櫛稲田姫(イカコヤヒメ)と豊玉彦(ヤタガラス)の間に生まれた神直日=鴨玉依姫を正妃として、藤原が第10代と格上げした贈)崇神天皇を産むのです。これらの藤原氏の偽装作戦(神武天皇の臣下でしかなかった阿蘇系を自らの先祖であることから持ちあげた)の結果、多くの混乱が生じているものと考えられるのです。

B  問題は蒲池姫が神沼河耳と婚姻関係を結び、夫の死後、神武天皇の正妃となった結果、前夫との間に生まれた健磐龍命にとって、蒲池姫は実の母であり、神武天皇との間に正当皇統の懿徳天皇が産まれている以上、健磐龍にとって懿徳天皇は種違いの兄弟となり、なぜ、蒲池姫を雨宮姫と言いたいのかが全く不明なのです。

C  弟の皇后を奪った(?)事も実情は不明であり、百嶋先生からはその舞台は甲佐神社だったと聴いているのですが因果関係が不明なのです。

単に雨宮姫は健磐龍命の娘である事から、国造神社北宮に対して阿蘇神社が上位であるとしたかったから(もしくは、大山咋系=崇神天皇系に対して対抗したかっただけ)であれば話は単純なのですが、まだ良く分からないのです。

D  当方は真実を知りたいだけでしかありません。そして、それなくしては初期から中期の九州王朝の実像が掴めないため「記」「紀」の偽装を解明しているだけであり、各神社が時代の動きに合わせて祭神を入れ替え必死で生き延びて来た事をとやかく言うつもりなど毛頭ないのです。

無題.png

百嶋阿蘇ご一家系譜(部分)

無題.png

百嶋由一郎最終系譜(部分)


 以下、百嶋由一郎氏が主張していた要旨を申し上げますが、吾平津姫という神代史のスーパー・スターがおられます。イスラエル系の製鉄神金山彦を父神に、トルコ系匈奴(半島に移動した王昭君系南匈奴=金武官伽耶金海金氏)の血を引く大山祗の姉大市姫との間に産まれたアイラツ姫が、初代神武天皇の妃となり第4代懿徳天皇を産みます。

 ところが、恐らく神武巡幸を契機として当時南九州にいたと考えられる神武と吾平津姫は別れ、吾平津姫は阿蘇家の神沼河耳(蘇民将来伝承の巨胆)と一緒になり健磐龍を産むのです。

 恐らくこれがアイラツヒメの実家金山彦家にとっては許し難いことであり、金山彦系と列島大率家との齟齬を来したはずです。

 しかも、アイラツヒメが後に藤原が第二代綏靖天皇とする=金凝彦(カナコリヒコ)=神沼河耳の妃となる事によって、列島大率家、金山彦家、大山祗家、阿蘇家にそれぞれ漣が寄せ始めたのです。

 蘇民将来伝承が阿蘇谷、高森町草部、五ヶ瀬町で発生した事については、既に先行ブログで10本ほど公開していますが、神沼河耳(金凝彦)こそ巨胆そのものであり、粗末にされたスサノウは、阿蘇氏に対して敵意を剝き出しにするのです。このためか祇園山直下の五ヶ瀬町鞍岡にいたクラオカミ=神俣姫(スサノウの姉)も阿蘇氏との関係が悪化したようです。

 また、皆さん良くご存じの神武とナガスネヒコ(スサノウの息子)との衝突もあり、金山彦系と列島大率家との齟齬も増幅されることになるのです。

 そうした背景があるも、百嶋神代系譜からは、神沼河耳と神俣姫(スサノウの姉)との間に産まれたのが草部吉見ことヒコヤイミミであり、列島大率家から離れ阿蘇家に移行したアイラツヒメが神沼河耳との間に産まれたのが健磐龍なのです。

 この旧名アイラツヒメこそが名を変えた蒲池姫なのです。

 このことが阿蘇宮司家では伏せられており、それに併せて阿蘇宮司家初代惟人の出自も、多少修正が加えられているのではないかと理解しています。

 そもそも神武(カムヤマトイワレヒコ)が吾平津姫を袖にしたのか(百嶋先生はアイラツヒメを払い下げられた=神武の失策と…)、アイラツヒメが神武を見限ったのかは今となっては分かりませんが、それなりの民族間の衝突、習俗の違いなど多くの問題があったはずです。

 このことから蒲池姫が金山彦系(母方は大山祗系)の吾平津姫だったという事を再認識できれば良いのですが、蒲池姫が神武の妃だった事から阿蘇氏が神武天皇の一族であると強弁する根拠がそこにあるはずなのです。

 つまり健磐龍命の母神が神武天皇のお妃でもあったという事実を持って阿蘇氏は天皇家の一族としているのであり、阿蘇氏が南朝方(宮方)として百年を超え闘い続けた理由もそこにあったはずなのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記