2021年08月18日

667 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている!   郡浦神社 数理編

667 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている!   郡浦神社 数理編

20210711

太宰府地名研究会 古川 清久


郡浦神社と言っても殆どの方がお分かりにならない神社と思います。

 天草へと伸びる宇土半島南側真ん中付近の不知火海に面した海岸部に置かれた神社です。


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宇土半島南を走るバイパスからも数百メートル内側に入り、静かで落ち着いた神社ですが、いつも丁寧に掃除がされており、集落丸抱えで、宮司も宮司家がなく、地域で選ばれた方が代々宮司をされているようです。さて、炎のピラミッドですが、この神社もきちんとした計測に基づいて造られているのでした。
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神殿背後の崖地には、海食涯と思える痕跡があり、古くは波の洗う場所だった事が伺えます。

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2021年08月21日

668 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている!   郡浦神社 祭神編

668 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている!   郡浦神社 祭神編

20210711

太宰府地名研究会 古川 清久

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郡浦神社カーナビ検索熊本県宇城市三角町郡浦2666 пF0964-54-0952 社格等: 肥後国三宮郷社


郡浦神社といってもご存じない方が多いでしょうから、位置などについては667号を読まれるとして、ここでは最も対立する祭神問題を取り上げます。

 まず、通説からは、阿蘇神社の意向が直結する同社の由緒を読まれるべきです。立派な文章で書かれており感服しますが、現代人にとっては、かなり精通した方でも直ぐには理解できないかと考えます。

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上の写真は正面から撮られていますが右側が一部不鮮明で以下別の写真で本文をお読み下さい


祭 神

蒲智比当ス(カマチヒメノミコト)、健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇神社主祭神)、速瓶玉命(ハヤミカタマノミコト、国造神社主祭神)、神武天皇(ジンムテンノウ)の四柱


女性が筆頭神というのは肥後でも妙見宮、雨宮神社、乙姫神社…など限られていますが、阿蘇氏にとっては、自らの権威の源泉とも言うべきものだったのでしょう。

それが南北朝争乱期に菊池氏を盟友として宮方の主翼を形成したことによって増幅され、列島を背負う大族と認識しかつ主張していることからここでもその宣言は格調高くもあり堂々たる風格を感じさせます。

ただ、我々、百嶋神社考古学の者からは異議を唱えざるを得ない点があるためご容赦願いたく思います。

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同社由緒 読みにくいと思いますので表示を150%〜200%に上げてお読み下さい


何度かお会いした事もある同社の女性宮司は、蒲智比唐ニは甲佐神社(甲佐町)、健軍神社 (熊本市東区)などとも関連する女性神で、島原の普賢神社​祭神の娘でイザナギ、イザナミの神の孫娘にあたる女神である。とされています。…ネット検索を試みて下さい。勿論、当方とは見解を分かちますが。

この郡浦神社の祭神については以前もブログを書いていますので、まず、そちらからお読み頂きます。

 ひぼろぎ逍遥

183

神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 “郡浦神社(熊本県宇城市三角町)”


まず、同社の縁起には蒲池姫、健磐龍、速瓶玉、神武天皇とあります(同社縁起を参照)。

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郡浦神社参拝殿


最大の問題は郡浦神社の主祭神と考えられる「蒲池姫とは誰なのか…?」です。

阿蘇神社を中心とする阿蘇宮司家は、この蒲池姫を阿蘇国造社の主祭神である速瓶玉命(大山咋神=佐田大神…)の妃(前妻)の雨宮姫と同一神とするのですが(同年の鴨玉依姫も同じく妃であり恐らく後妻)、百嶋神社考古学では、初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の正妃=アイラツヒメとするのです。

当の郡浦神社の神社縁起も阿蘇神社の見解を受け容れ、蒲池姫を雨宮姫としているようです(後段の神社縁起参照のこと)。

 この問題には初代神武天皇が、藤原により贈)綏靖天皇とされた神沼河耳命の妃であったアイラツ姫(蒲池姫)を神沼河耳命の(恐らく死後)正妃としたこと、さらには初代神武天皇の子であり本物の天皇である第4懿徳天皇の正妃であった阿蘇ツ姫(天豊ツ姫=杉山大神=雨宮姫の母)を健磐龍命が妃とした(百嶋先生はカッパラッタとします)事、さらには、藤原が金凝彦神=神沼河耳命を第2贈)綏靖天皇に、草部吉見=彦八重耳命を第5代 贈)孝照天皇に(神武の臣下でしかないものを)格上げしていることなど全てが関係していると思うのですが、紀元2600年(昭和15年)当時の阿蘇神社資料の確認が遅れているため、その理由が何故なのかには踏み込めません。

このため、ここでは保留し、百嶋神社考古学の立場から見た蒲池姫の実像に迫るだけで留めたいと思います。

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@  蒲池姫は初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の正妃であり、五瀬命の妹。父は金鎖大神(金山彦=面足彦 6代 贈)孝安天皇で玉名市の疋野神社の主祭神 これも藤原氏による格上げと考えられる

母は天御中主=白山姫=天常立とウマシアシカビヒコチの間に生まれた燕脂姫(エンジヒメ)=大市姫=月読命、大山祗命(トルコ系匈奴)の姉 注)一部誤りがありましたのでここで修正しておきます。

A  雨宮姫は阿蘇北宮、国造神社の主祭神 速瓶玉命(実は大山咋神=佐田大神=松尾大神、日吉神社、日枝神社、山王神社の祭神…)の妃であり、父は言うまでもなく健磐龍命=手研耳(一般的にタギシミミと読まれますが、タケシミミと読むべきで、そうすると健磐龍であることが分かります)、で母が問題の懿徳天皇の正妃であった阿蘇ツ姫(さらわれた皇后陛下)なのです。

その阿蘇ツ姫ですが、父は草部吉見、母が高木大神の娘である拷幡千々姫(タクハタチジヒメ)であり、海を挟んだ宇土半島の正面の島原半島に高木大神(許氏 高皇産霊神)の拠点(南北高来郡〜高千穂三田井)があったことと符合するのです(同社縁起もそう書いてありますね…)。

勿論、速瓶玉命(実は大山咋神)は、恐らく後にでしょうが、金山彦の娘櫛稲田姫(イカコヤヒメ)と豊玉彦(ヤタガラス)の間に生まれた神直日=鴨玉依姫を正妃として、藤原が第10代と格上げした贈)崇神天皇を産むのです。これらの藤原氏の偽装作戦(神武天皇の臣下でしかなかった阿蘇系を自らの先祖であることから持ちあげた)の結果、多くの混乱が生じているものと考えられるのです。

B  問題は蒲池姫が神沼河耳と婚姻関係を結び、夫の死後、神武天皇の正妃となった結果、前夫との間に生まれた健磐龍命にとって、蒲池姫は実の母であり、神武天皇との間に正当皇統の懿徳天皇が産まれている以上、健磐龍にとって懿徳天皇は種違いの兄弟となり、なぜ、蒲池姫を雨宮姫と言いたいのかが全く不明なのです。

C  弟の皇后を奪った(?)事も実情は不明であり、百嶋先生からはその舞台は甲佐神社だったと聴いているのですが因果関係が不明なのです。

単に雨宮姫は健磐龍命の娘である事から、国造神社北宮に対して阿蘇神社が上位であるとしたかったから(もしくは、大山咋系=崇神天皇系に対して対抗したかっただけ)であれば話は単純なのですが、まだ良く分からないのです。

D  当方は真実を知りたいだけでしかありません。そして、それなくしては初期から中期の九州王朝の実像が掴めないため「記」「紀」の偽装を解明しているだけであり、各神社が時代の動きに合わせて祭神を入れ替え必死で生き延びて来た事をとやかく言うつもりなど毛頭ないのです。

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百嶋阿蘇ご一家系譜(部分)

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百嶋由一郎最終系譜(部分)


 以下、百嶋由一郎氏が主張していた要旨を申し上げますが、吾平津姫という神代史のスーパー・スターがおられます。イスラエル系の製鉄神金山彦を父神に、トルコ系匈奴(半島に移動した王昭君系南匈奴=金武官伽耶金海金氏)の血を引く大山祗の姉大市姫との間に産まれたアイラツ姫が、初代神武天皇の妃となり第4代懿徳天皇を産みます。

 ところが、恐らく神武巡幸を契機として当時南九州にいたと考えられる神武と吾平津姫は別れ、吾平津姫は阿蘇家の神沼河耳(蘇民将来伝承の巨胆)と一緒になり健磐龍を産むのです。

 恐らくこれがアイラツヒメの実家金山彦家にとっては許し難いことであり、金山彦系と列島大率家との齟齬を来したはずです。

 しかも、アイラツヒメが後に藤原が第二代綏靖天皇とする=金凝彦(カナコリヒコ)=神沼河耳の妃となる事によって、列島大率家、金山彦家、大山祗家、阿蘇家にそれぞれ漣が寄せ始めたのです。

 蘇民将来伝承が阿蘇谷、高森町草部、五ヶ瀬町で発生した事については、既に先行ブログで10本ほど公開していますが、神沼河耳(金凝彦)こそ巨胆そのものであり、粗末にされたスサノウは、阿蘇氏に対して敵意を剝き出しにするのです。このためか祇園山直下の五ヶ瀬町鞍岡にいたクラオカミ=神俣姫(スサノウの姉)も阿蘇氏との関係が悪化したようです。

 また、皆さん良くご存じの神武とナガスネヒコ(スサノウの息子)との衝突もあり、金山彦系と列島大率家との齟齬も増幅されることになるのです。

 そうした背景があるも、百嶋神代系譜からは、神沼河耳と神俣姫(スサノウの姉)との間に産まれたのが草部吉見ことヒコヤイミミであり、列島大率家から離れ阿蘇家に移行したアイラツヒメが神沼河耳との間に産まれたのが健磐龍なのです。

 この旧名アイラツヒメこそが名を変えた蒲池姫なのです。

 このことが阿蘇宮司家では伏せられており、それに併せて阿蘇宮司家初代惟人の出自も、多少修正が加えられているのではないかと理解しています。

 そもそも神武(カムヤマトイワレヒコ)が吾平津姫を袖にしたのか(百嶋先生はアイラツヒメを払い下げられた=神武の失策と…)、アイラツヒメが神武を見限ったのかは今となっては分かりませんが、それなりの民族間の衝突、習俗の違いなど多くの問題があったはずです。

 このことから蒲池姫が金山彦系(母方は大山祗系)の吾平津姫だったという事を再認識できれば良いのですが、蒲池姫が神武の妃だった事から阿蘇氏が神武天皇の一族であると強弁する根拠がそこにあるはずなのです。

 つまり健磐龍命の母神が神武天皇のお妃でもあったという事実を持って阿蘇氏は天皇家の一族としているのであり、阿蘇氏が南朝方(宮方)として百年を超え闘い続けた理由もそこにあったはずなのです。

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2021年08月22日

ビアヘロ181 丁巳歴史塾7月は三題噺になってしまいました

ビアヘロ181 丁巳歴史塾7月は三題噺になってしまいました

太宰府地名研究会(神代史研究班) 古川 清久


古典落語の世界には三題噺というものがあります。

 「笑点」など一度も見たこともないのですが、古典落語の大御所といわず、三題噺は普通におこなわれる余興のようなものと思ってください。

 始めは事代主のブログ氏に単独講演して頂こうと依頼したのですが、少し目先を変えて私と伊藤女史を加えて三人で色々なご質問にお答えしようという多少思いあがった企画が持ち上がりました。


三題噺(さんだいばなし)とは、落語の形態の一つで、寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』20210717 10:59による


ここでは、私が話そうと思う内容を新たに書き降ろし、それをお読み頂こうという事にした訳です。まあズルですね。本来は無題.png自然と盛り込むものですが、一人のパネラーとして話す場合は、我を抑え、疑問に素早くお答えし、他のパネリスト(パネリストはともかくパネラーは日本語英語ですかね)へ迷惑を掛けない様にしなければならないのです。では、メリットは無いのかと言われそうですが、そういう事もなく、三人のミツワ石鹸(古いですね…PGサンホームが継承した事までは覚えていますが)の様に重なった部分が相互に現れるため、重なる部分が新たな展開に繋がる場合があるのです。つまり、良く言えば、三人寄れば文殊の知恵なのです。勿論、上手くいけばの話ですが。そこで、私が百嶋由一郎氏の外向きの話をして、事代主のブログ氏が内向きの話(百嶋由一郎氏の原点である久留米高良大社の「高良玉垂宮神秘書」の要点を列挙する)になりそうです。

 「宮神秘書」という難解かつ読み辛い書物を、分かり易く解説するというのですから、私としても有り難いことこの上なく、「宮原誠一の神社見聞諜」の宮原氏がこの先駆者であり、この分野では最も詳しいのですが、嬉しい限りです。

伊藤女史からは神籠石の話をすると聴いていましたが、私の話が多少は8月のトレッキングで山口県防府市の玉祖神社〜防府天満宮〜天御中主神社でもあるから、例の大室寅之助の出身地である光市、多布施町の石城山神籠石も絡めた話になり、全て繋がりがあるシンポジウムになりそうです。石城山神籠石については、過去、数回訪れ、中心部に祀られている神社の祭神についても「ひぼろぎ逍遥」でリポートしていますので、興味を持たれたら探して下さい。以下。


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山口県光市の石城山神籠石と石城神社 A 石城神社 

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山口県光市の石城山神籠石と石城神社 @ 石城山神籠石


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石城山神籠石 地理院地図(山口県光市)

百嶋神社考古学の最も重要な話の一つ


@ 後の藤原氏となる阿蘇氏は漢族から雲南省麗江に追い詰められた黎族の抵抗派(苗族などは帰順派)で怒江を降りサイゴンから黒潮に乗り海南島へ入り力を蓄え熊本県苓北町から阿蘇へ入る(前3世紀辺り)。


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麗江の支那 手書きデータ 百嶋神社考古学初期03230121阿蘇の草部吉見系は支那人です

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奈良県田原本町の多神社


A 雲南省昆明(顛池の畔)や麗江の大理にいた白族の一派も、漢土から脱出し始めます。大理の白族は黎族の阿蘇氏と共にサイゴン経由ですが、昆明の主力はそのまま紅(ファン)河を降り、直接、ハノイ沖の海南島へ入り、熊本から隈地名と共に北上し博多の櫛田神社の大幡主の一族、下賀茂神社の一族となるのです。

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根子岳の南麓、阿蘇南郷谷の高森町には白川(白水)が流れ出す色見、上色見熊野神社がありますが、この熊野系神社こそ白族の神社であり、天御中主命=白山姫の流れを汲むものなのです。旧白水村も在りましたね。熊野本宮大社はアカル姫(スサノウと別れた市杵島姫の母神)=イワナガヒメを、熊野那智大社はイザナギと別れたイザナミ(クマノフスミ)を、熊野速玉大社は櫛田神社の大幡主=カミムスビを祀る神社群なのです。この南阿蘇一帯に入ったのが白族系、金山彦系、スサノウ系の人々で、どうも阿蘇系は阿蘇谷に住み分けているようです。白族は南阿蘇を気に入ったみたいですね。棲み分けですね。

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B 大山祗の一族は半島の金官伽耶から入った王昭君の一族(トルコ系匈奴=南匈奴)で海稲作漁撈の民ではないため空白だった火山灰土壌で稲作不適地で畑作地帯の古代日向(鹿児島+宮崎)に展開した。

Cスサノウは新羅の皇子ですが、イザナギ(昔氏)とイザナミ(イスラエル系金山彦の妹)の子で、櫛田神社の大幡主の隣に祀られています。いずれ9月にご紹介する予定である「炎のピラミッド」研究の南阿蘇村の八坂神社(祇園社)の田尻盛永宮司の神社もスサノウが筆頭神です。

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この黎(リー)族と白(ペイ)族こそが日本列島民族の34割程度になっているのではないかと考えています。スサノウ系+金山彦系に高木大神系(イスラエル系先行居住神)に江南から入って来た海人族(福建省、浙江省)の越人+周王朝(イスラエル系)の後裔の呉の王族がポリネシアン、バジャウを加えたのが列島に進出した主要民族で、これに百済、新羅、高句麗、漢族、秦氏、渤海が入ってくると列島は民族の坩堝となり、小規模には楚も邯鄲も土舎も早い段階で入っている。これが倭国〜日本国なのです。

これらを全て取り込んだのが我が列島であり多くの民族を一体化させることが急務になるのです


@ 神武 神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコノスメラミコト)       九州王朝正統皇統

A 綏靖 神渟名川耳天皇(カンヌナカワミミノスメラミコト)            阿蘇系(黎族)

B 安寧 磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコタマテミノスメラミコト)         大幡主(白族)

C 懿徳 大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト)      九州王朝正統皇統

D 孝昭 観松彦香殖稲天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト)          阿蘇系(黎族)

E 孝安 日本足彦国押人天皇(ヤマトタラシヒコクニオシヒトノスメラミコト) 玉名半阿蘇系(黎族)

F 孝霊 大日本根子彦太瓊天皇(オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト)   九州王朝正統皇統

G 孝元 大日本根子彦国牽天皇(オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト)  九州王朝正統皇統

H 開化 稚日本根子彦大日日天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト) 九州王朝正統皇統

I 崇神 御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリビコイニエノスメラミコト)       黎族+白族

J 垂仁 活目入彦五十狭茅尊(イクメイリビコイサチノミコト)         宮崎生目神社主神

K 景行 大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)    玉名半阿蘇系(黎族)

L 成務 稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト)               素性系統不明

M 仲哀 足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)            九州、山口に痕跡

N 応神 誉田別天皇(ホンダワケノスメラミコト)               宇佐素性系統不明

O 仁徳 大鷦鷯天皇(オホサザキノスメラミコト)               九州王朝正統皇統

※以下省略

初期16代の天皇+贈る天皇を見るとその事が良く分かります。

後の藤原が好きなように拵えた皇統符ですが、通説派が説明に窮し投げ出した結果欠史8代などと言われる近畿大和とは縁もゆかりもない29代の天皇(そもそも何故初代神武を外し良いとこ取りしているのでしょう?勿論、崇神を神武に仕立てたいからですが)を含む天皇群の中に阿蘇系、白族系などの全く血脈の繋がらない人物が天皇扱いにされているのです。当然、藤原は阿蘇系ですのでご覧の通りです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ