661 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! 草部吉見神社 数理編
20210701
太宰府地名研究会 古川 清久
田尻(宮司)想定“阿蘇の「炎のピラミッド」”を形成する11の神社群への再リポートを始めましたが、ようやく峠が見える所までやってきました。既に田尻研究に遭遇して7〜8年は経過しています。
思えば、祇園神社の境内を踏んだ折、たまたま宮司とお会いする機会を得て(偶然掃除をされていた時だったのです)、ご著書を手にしたのですが、最近になってようやく“阿蘇の「炎のピラミッド」”とは、阿蘇山を中心とした神社群の意味であって、大方の皆さんのご理解であろう阿蘇系神社群の話との理解は、やはり正しくはないとの思いを深めています。
冒頭から阿蘇の神社群の基層に侵入する話になりましたが、おいおいお話していく事にしましょう。
自前でも良いのですが誤りが無いように敬愛する「玄松子」氏のサイトに従います。
式内社 肥後國阿蘇郡健磐龍命神社名神大 肥後國阿蘇郡阿蘇比盗_社肥後國一宮旧官幣大社
御祭神 以下の十二宮を祀る
一の神殿左手男神四柱
一宮 健磐龍命
三宮 國龍明神
五宮 彦御子明神
七宮 新彦明神
九宮 若彦明神
二の神殿右手、妃神四柱
二宮 比当セ神
四宮 比東芬q明神
六宮 若比当セ神
八宮 新比当セ神
十宮 彌比当セ神
これが良く知られた「阿蘇十二神」と言われるものです。
右が古川作成の阿蘇12神ですが、続柄がなければ誰の事なのか全く分からないと思います。
一応、私が理解できる範囲でどなたなのかを書いておきますが、無論、同社や関係神社から異論が提出される可能性は十分に考えられます。
しかし、誤りを恐れていれば全く解明が進みませんので、ご批判は覚悟のうえで少し掘り下げて見ようと思います。
百嶋神代系譜でこれを解明するには5〜6枚の神代系譜を読み解かなければなりません。
何分困難な課題であってここでは作業仮説としてご理解いただきたいと思います。
一の宮 健磐龍命
二の宮 健磐龍のお妃(実体は阿蘇氏の高木大神一族への入婿)=天豊ツ姫(別名阿蘇ツ姫)であり 草部吉見神(父神)と高木大神の次女栲幡千々姫(タクハタチヂヒメ)(母神)の間に産れたプリンセス
三の宮 草部吉見神(健磐龍命の腹違いの実兄)=別名:国龍命 藤原が格上げし第6代贈る孝昭天皇(天足彦国押人命)としているが 勿論、第4代威徳天皇の実子などではない
四の宮 三の宮=草部吉見神のお妃(実体は阿蘇氏の高木大神一族への入婿)であり 高木大神の次女栲幡千々姫(タクハタチヂヒメ)
五の宮 これがかなり際どいのですが阿蘇家が惟人を初代としている事から 当然にも健磐龍系と草部吉見系との両方の流れを汲む(当然にも高木大神系でもある)雨宮姫と天忍日(アメノオシヒ)の子惟人
六の宮 五の宮=阿蘇惟人のお妃(自信はないのですが産山村の乙宮の主祭神かその娘ではないでしょうか)これについては ひぼろぎ逍遥(跡宮)をお読み下さい
363 | 「ひぼろぎ逍遥」 阿蘇の乙姫とは何か? “産山村乙宮神社のお姫さま”再考 |
七の宮新(乳)彦=草部吉見と栲幡千々姫の間に産れた天忍日=興ツ彦であり阿蘇ツ姫の弟
八の宮 新(乳)姫=健磐龍(一の宮)と天豊ツ姫(二の宮)の間に産れた雨宮姫であり阿蘇家初代惟人の母神
九の宮これが最も分かり難いのですが、一応、日中咋としておきます 草部吉見神社の検討と併せ再考したいと思います
十の宮 三の宮=草部吉見と市杵島姫の間に産れた興ツ姫で七の宮=新(乳)彦のお妃彌姫

百嶋由一郎神代系譜 005アイラツ姫系譜(部分)
百嶋由一郎氏が残された神代系譜、音声CD、手書きスキャニングDVDを必要な方は09062983254まで
このシリーズも研究会の活動が拡大し作文が中断し掲載も遅れていましたが、今回、再度新たに書き下ろし完了させる事にしました。11社ですので10本で6社を扱います。このためどこかで調整します。 |

草部吉見神社 カーナビ検索 熊本県阿蘇郡高森町草部2715 пF 0967-64-0355


何度も訪れている神社ですが、宮司は同社について図表は一枚しか書かれていません(部分的な重複掲載はありますが)。これだけの数値構造でも何故このような境内地を造る必要性があったのか?何故そうしなければならなかったのか?全く不思議でなりません。