2021年06月03日

812 諸塚村再訪 諸塚神社参拝殿上部の神紋 “2月の諸塚神楽大祭”

812 諸塚村再訪 諸塚神社参拝殿上部の神紋 “2月の諸塚神楽大祭”

20200217

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 2020年の21516日、5年ぶりに復活した諸塚神社+桂八幡神社+桂正八幡神社三社合同の神楽大祭が行われました。

 ここ20年近く通い続けた椎葉村栂尾から多少目先を変え、再び同地に入るようになりました。

始めて入ったのは10年以上前だったのですが、栂尾同様にハードなルートである事もあり、この間敬遠して来たのは事実です。

ただ、百嶋由一郎氏も重視していた神社でもある事から、そろそろ懸案だった諸塚神社、桂八幡神社、桂正八幡神社へと踏み込んだのが昨年の秋でした。

 今回は、2月の極寒期に33番どころか40番の長丁場の神楽奉納が行われるとのその意気込みに魅かれ長躯諸塚村の裏口の日之影町側から九州山地でもひときわ深い僻陬の地を訪ねました。

無題.png
無題.png
無題.png

無題.png以前のブログでも少し触れましたが、大きな字があるのか、同じ名の二つの字があるのかは不明ですが、諸塚神社を挟んで東西に二つの七つ山地区があり桂正八幡宮、桂八幡神社があります。

 そして、その真ん中に諸塚神社と立岩神社神社があるのです。

 しかも、諸塚神社の奥に葛地区がある訳で、これが「カツ」の置換えならば、桂、葛とは、この地区に住み着いた一族の素性を語ってくれている様にも見えます。

 恐らく桂には桂木=葛城(葛城王朝)が象徴されているはずです。

また、七つ山という地名も恐らく天御中主命=妙見信仰=北辰信仰(北極星もしくは北斗七星を神格化したもの)のはずで、この地に修験が深く根ざしていた事を思わせます。

事実、諸塚神社の筆頭神に天御中主命が置かれている事は象徴的ですらあります。

 私自身は昨年秋の桂正八幡宮の祭礼に訪れるまで、暫くの間諸塚村に足を向ける事はありませんでした。

 それは諸塚神社の祭神(2728神)の多さに圧倒され暫くの間たじろいでいたからでした。

 ただ、お誘いがあった事もありましたが、いつまでも敬遠している訳にもいかず、そろそろ何とかしなければと足を向ける事にしたものです。

 先行ブログで書いてきた事ですが、上宮には28神が祀られ、起源2600年(昭和16年)には大々的に神武天皇を奉斎しておきながら、現在の諸塚神社には神武天皇は祀られていないと言う事実にも直面ししばらく当惑していましたが、これは終戦(敗戦)後の進駐(占領)軍対策で慎重に神武が消されていることから上宮には28神の神名がなく、下宮では27神しか拾えないという同社の謎が解けて来たようです。


40番神楽大祭

無題.png

この間20年近くに亘って宮崎県椎葉村の栂尾神楽を定点観測の如く見て来ました。

 しかし、極限の限界集落の中で必死に伝統を守って来た栂尾神楽に悲壮感と純粋さを感じ琴線を動かされてきた者としては、さすがに将来への不安を感じていました。

一方、毎年3番程度しか舞ってこなかった桂正八幡を軸に五年ぶりに復活させると言う諸塚神楽にどれほどのものが…とは思ったのですが、その所作、神事、神楽の出し物、囃子歌…と、阿蘇系神楽と言われてきた栂尾神楽と重なる部分が多く、この点、銀鏡、高千穂、特に芸能化され毒々しい(ケバケバしい)石見神楽のような俗化されたものを好まないものとしては極めて好感の持てるものだったのです。

 何よりもホウジャ(祝子者)さん=舞子の数と年齢層が意外と若く神楽本来の姿に戻っている事に感銘を受けたのでした。

無題.png 今回は三神社合同という事があったからかも知れませんが、その熱気と若さと神楽を囲む人々の明るさとその多さに改めて感銘を受けたのでした。

 これで、栂尾に加え諸塚にも足を延ばさざるを得なくなりましたが、今は新たな人生の宝を得たような思いもしています。

 最後に百嶋神社考古学の立場から、もう一点これは凄いと言う小さな発見をしました。

 百嶋先生の話に諸塚神社が部分的に出てきます。

 それは“古代の日向とは鹿児島宮崎を併せた大山祗の領域で(その証左に日向一の宮は都濃神社=大国主命を主祭神にする、二宮がニニギの妃となったコノハナノサクヤを主祭神とする)、倭国大乱の時期に神武を匿い保護していた所の様だ…という話でした。

 間違っても霧島神宮や宮崎神宮などを軽々に持ち上げるのは慎重になるべきでしょう。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)⇒

 そうした中、神楽の終了間際に同行の熊本のFグループで大阪から来られていたから参拝殿上部の「神紋が気になるのですが何ですかね」…と問われ、私も雨の中でもありうっすらとしか見えなかった事から迂闊にも見落としていたのですが、スマホで撮り画像を引き延ばすと、何と桜だったのです。

 お分かりでしょうか…?

 桜はコノハナノサクヤのシンボルであり、その父神である大山祗のものなのです。

無題.png

さすがは百嶋由一郎先生と改めて感服したのですが、西米良の狭江稲荷に引き続き、古代日向が大山祗のものであり、諸塚神社の北に聳える山上に祀られる13基の古墳と諸塚という地名も神武天皇が亡くなった所だとかいった伝承まで聴こえてくる諸塚の謎の一端を見た思いがしたのでした。

無題.png

百嶋由一郎氏が残した神代系譜、講演録音声CD、手書スキャニングDVDを必要な方は09062983254


ここで手書きデータから「諸塚山伝説大率家」百嶋神社考古学初期02221215)を見て見ましょう。

無題.png
無題.png
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記