2021年04月15日

806(後) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

806(後) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

20191231

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

600

出羽から陸奥への道 S “東北遠征を終えて手にした小さな成果について”

599

出羽から陸奥への道 R “男鹿半島にやってきた阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミ神”

598

出羽から陸奥への道 Q “山形県鶴岡市出羽三山神社の神々(沢に鎮座する摂社から)”

597

出羽から陸奥への道 P “山形県鶴岡市出羽三山神社初見”

596

出羽から陸奥への道 O “十和田湖の手前 秋田県鹿角市の三宝荒神”

595

出羽から陸奥への道 N “鮭川村の白鬚神社の龍神様と弁天様”

594

出羽から陸奥への道 M “親不知の手前朝日岳南麓の山崎神社”

593

出羽から陸奥への道 L “亡国の東京電力柏崎刈羽原発正面の見日神社”

592

出羽から陸奥への道 K “山形県鶴岡市由良の春日神社”

591

出羽から陸奥への道 J “兵庫県香美町の黒野神社”

590

出羽から陸奥への道 I “青森県五戸町の高良神社”

589

出羽から陸奥への道 H “青森県弘前市の鬼神社”

588

出羽から陸奥への道 G “酒田平野の大物忌神社(遊佐町)”

587

出羽から陸奥への道 F “酒田平野の縣社大物忌神社(酒田市)”

586

出羽から陸奥への道 E “京丹後市峰山町金毘羅神社の狛猫”

585

出羽から陸奥への道 D “津軽は五所川原市の奇妙な日吉鳥居”

584

出羽から陸奥への道 C “喜多方市の山三郷総鎮守 宗像神社初見”

583

出羽から陸奥への道 B “兵庫県豊岡市の高良神社”

582

出羽から陸奥への道 A “山を森と呼ぶ人達”

581

出羽から陸奥への道 @ “往復4500キロの大遠征”

580

神社についてのお尋ねにお答えします

579

二丈町トレッキングで発見したどえらい稲荷 “福岡県糸島市二丈町松末の

松末稲荷神社”

578

清水の滝の奥の金山彦祭祀 “佐賀県小城市の八天神社”

577

阿波の天津賀佐彦神社は神武巡幸の痕跡なのか? “徳島県美馬市美馬町西荒川”

576

宮地嶽神社の戦前の祭神 阿部相凾宮地嶽大明神について

575

近江散歩 24 宮原誠一氏に教えて頂いた”水沼君の「潟の真名井」と丹後の

「與佐の真名井」”

574

近江散歩 23 伊藤女史に言われるまま向かった式内社 “兵庫県豊岡市の

與佐伎神社”

573

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 L “金山彦を祀る岐阜県大垣市の南宮大社”

572

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 K “琵琶湖の北端の鹽津神社”

571

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 J “諏訪大社(春宮)には呉橋がある”

570

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 I “信濃〜甲斐は日本海側から入った人々が

開発した”

569

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 H “身延の若宮八幡神社は単独で仁徳を

祀る神社であった”

568

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 G “身延の賀茂神社への疑問”

567

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 F “諏訪大社(秋宮)再訪”

566

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 E “思えば遠くへ来たもんだ…”

565

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 D “天津司舞の天津司神社にやって来た”

564

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 C “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(下)

563

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 B “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(上)

562

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 A “糸魚川市の奴奈川神社は市杵島姫を祀る”

561

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 @ “甲府ィお参り願ほどき”

560

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 で考えさせられた甲信越の山上楽園の人々

559

近江散歩 22 竹野神社再訪 “京都府京丹後市出石町”

558

近江散歩 21 出石神社再訪 “兵庫県豊岡市出石町”

557

近江散歩 S 女性達に囲まれて大江山皇大神宮の内宮再訪

556

近江散歩 R 女性達に囲まれて大江山皇大神宮の外宮再訪

555

近江散歩 Q 夕闇迫る中、急坂を登って頂いた養父市大屋町の御井神社

554

近江散歩 P 丹後で合流した 地図を楽しむ古代史の謎 の

伊藤女史のブログの転載

553

近江散歩 O 九州王朝の勅使門を持つ粟鹿神社再訪 “兵庫県朝来市和多山”

552

近江散歩 N 気比神社再訪 “兵庫県豊岡市”

551

近江散歩 M 豊郷町の阿自岐神社は朝来市の足鹿神社と同系統の神社か?”

550

近江散歩 L 阿自岐神社初見 “阿自岐は阿志義岐の移動か”

549

近江散歩 K 甲良神社初見 “甲良町の二つの高良神社”

548

近江散歩 J 多賀神社初見 “遅れ馳せながらも多賀大社初見”

547

近江散歩 I 大国主神社“滋賀県高島市新旭町”

546

近江散歩 H 西浅井の鹿取五神社 “滋賀県長浜市(西浅井町)”

545

近江散歩 G 長浜市草野の上許曽神社 “滋賀県長浜市草野町”

544

近江散歩 F 丹生神社 “滋賀県長浜市余呉町”

543

近江散歩 E 佐賀県東部と筑後から琵琶湖周辺に移動した人々について (縮刷版)

542

近江散歩 D 石作神社 “滋賀県長浜市木之本町”

541

近江散歩 C 熊野神社 “島根県松江市八雲町熊野”

540

近江散歩 B 大荒比古神社 “滋賀県高島市安曇川町”

539

近江散歩 A 塩津神社 “滋賀県西浅井町塩津浜”

538

近江散歩 @ 白鬚神社 “滋賀県安曇川町”

537

赤村の超巨大古墳をグーグル・アースで発見された方とリンク

しました 早速「淀姫命」を転載します

536

赤村の超巨大古墳発見の背景について “福岡県赤村内田の前方後円墳?”

535

九州王朝論にとっても神代史研究にとっても、土佐、伊予の神社調査は

急務かつ極めて重要

534

愛媛の白王神社 “愛媛県西予市鬼北町の白王神社”

533

三瓶山の麓に弥彦神社(山幸彦=ニギハヤヒ)を発見した “大田市川合

町川合の伊夜彦神社”

532

八幡宮の基層に九州王朝を見た “島根県大田市仁摩の石見八幡宮”

531

檮原街道の白皇神社 “愛媛県西予市城川町田穂の白皇神社”

530

霊符神社の護符 “熊本県八代市霊符神社”

529

臙脂色から大山祗 大市姫を考える “福岡県朝倉市大山祗神社のおしろい祭り”

528

熊本県菊陽町にも若宮が祀られていた! “熊本県菊陽町若宮八幡宮”

527

熊本空港直下の二社を見る “熊本県大津町の窪田日吉神社と窪田阿蘇神社”(下)

526

熊本空港直下の二社を見る “熊本県大津町の窪田日吉神社と窪田阿蘇神社”(上)

525

白川の向こう側 “熊本県菊陽町の楠森天神社と井口天神社”

524

姶良町山中で遭遇した若宮神社 “鹿児島姶良市北山の若宮神社初見”

523

可愛山稜裏のニギハヤヒの墓所 “鹿児島県薩摩川内市の河合陵神社初見”

522

鹿児島県姶良市寺師の大王神社初見

521

菅原道真公の御両親

520

熊本県西原村鳥子の鳥子阿蘇三之宮神社再訪 

519

佐賀県に阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)を祀る神社がある 

“佐賀県小城市牛尾神社”

518

2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 E “鳥取県若桜町の若桜神社”

517

2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 D “鳥取県岩美町小田の小田神社”

516

2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 C “鳥取県岩美町院内の前田神社”

515

2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 B “鳥取県大山町の大神山神社”

514

2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 A “島根県出雲市多伎町の小田神社”

513

2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 @ “島根県浜田市国分町の大歳神社”

512

別役さんからのコメントを頂いて

511

氷川は龍王の国でもあった ”氷川町の龍神宮”

510

関東の鹿島、香取の香取神社は有明海から移動したのかも知れない?A

 ”氷川以北の鹿島神社”

509

関東の鹿島、香取の香取神社は有明海から移動したのかも知れない?@

 ”氷川以南の香取神社”

508

八代市の妙見宮は列島に亡命した雲南省昆明の白族の中心的な神社だった

507

あまりにも銀杏が美しい神社 “熊本県氷川町の三神宮”

506

熊本県には多くの熊野系神社がある “熊本県氷川町立神峡谷の熊野座神社”

505

熊本県の興味深いエリア宇城市海東地区の霊符神社初見

504

古代九州王朝の貿易港か? 熊本県八代市徳淵港の古春日神社

503

鹿児島県南九州市頴娃町石垣の石神神社は月読命ではなく金山彦だった!

502

大山祗とは月読命が貶められたもの!? A

501

大山祗とは月読命が貶められたもの!? @


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

806(中) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

806(中) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

20191231

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


現在は更に増え(ストックも含め)ています。

810

集合場所とした大分八幡宮も考えましょう “福岡県飯塚市大分の大分八幡宮”

809

筑豊にも白山姫を祀る神社が在る “福岡県飯塚市上三緒の白山神社”

808

思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥のリストを見直す A

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思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥のリストを見直す @

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思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

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思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @

804

北九州市若松区には九州王朝系神社ばかりが鎮座していた…“若松の

神社調査の下調べとして”

803

福岡県篠栗町の神社トレッキングで百嶋由一郎氏が書いた看板を発見した

802

祭神の組み合わせに魅かれる“津和野町 弥栄神社”

801

祭神の組み合わせに魅かれる“津和野町 太鼓谷稲荷神社”

800

集合場所とした大分八幡宮も考えましょう “福岡県飯塚市大分の大分八幡宮”

799

筑豊にも白山姫を祀る神社が在る “福岡県飯塚市上三緒の白山神社”

798

筑豊にも大山祗を祀る三嶋神社が在った “福岡県飯塚市菰田東の三嶋神社”

797

筑豊に本物の神武天皇とその母神を祀る神社があった “福岡県飯塚市高祖神社”

796

諸塚村再訪 C(諸塚元宮) “諸塚山頂の神々の画像を貰いました”

795

諸塚村再訪 B (桂神社) “宮崎県諸塚村の桂神社とは一体何か?”

794

淡路島にはもう一つの高良神社があった “南あわじ市に九州王朝の没落を見た”

793

始めて踏む淡路島の高良神社を確認した “兵庫県南あわじ市“

792

諸塚村再訪 A(七つ山) “宮崎県諸塚村の二つの七つ山と二つの桂正八幡神社”

791

諸塚村再訪 @(太白) “宮崎県諸塚村七つ山諸塚神社”

790

15年来の謎だった熊本県多良木町久米の思川(オメゴウ)の意味が

少し解けてきた A 波津

789

15年来の謎だった熊本県多良木町久米の思川(オメゴウ)の意味が

少し解けてきた @ 思川

788

球磨川以南の肥後の神社を少しずつ A “熊本県旧田浦町井牟田の金山神社”

787

球磨川以南の肥後の神社を少しずつ @ “熊本県旧田浦町波多島の矢具神社”

786

通夜の帰りに筑後と肥後の境界領域の初見の神社を訪ねて見た 

“熊本県南関町の熊野座神社”

785

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の神社に

再訪 D 嘉麻市の荒穂神社

784

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の

神社に再訪 C 飯塚市の日若神社(下)

783

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の

神社に再訪 B 飯塚市の日若神社(上)

782

呉国との通信 江蘇省在住の列島の呉の研究者からのメールにお答えして

781

筑豊 赤村の巨大古墳?にも近接する 大仰な名の大祖神社、太祖神社

とは何なのか?

780

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の神社を再訪 

A 嘉麻市の馬見神社

779

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の神社を再訪 

@ 宮若市の天照宮

778

芥屋の大門の参拝神社か…二人の妙齢の美女に随行し糸島の大祖神社を

訪ねてみた A

777

芥屋の大門の参拝神社か…二人の妙齢の美女に随行し糸島の大祖神社を

訪ねてみた @

776

新たに熊本市内に雨宮を発見した “南熊本駅からの帰路発見した

江津湖に近い雨宮”

775

南阿蘇で見落としていた重要な一社 “旧白水村 明神池遊水池と塚群神社”

774

No.121 祓戸の大神(瀬織津比)と櫛稲田姫A “宮原誠一

の神社見聞牒からの転載”

773

No.120 祓戸の大神(瀬織津比)と櫛稲田姫@ “宮原誠一

の神社見聞牒からの転載”

772

沖縄の波上神社とは何か? “ノロの修行に通っているN女史から

波上宮のお札を頂いた”

771

菊池氏とは大山祗系の民族だった!“内倉武久氏ほか4人で宮崎熊本

県境の狭上稲荷神社に…”

770

熊本の二人の女性と博多の櫛田神社を二時間掛けて観察した

769

孝霊天皇と細姫との神像を発見か

768

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対して

どうしたら関心をもって頂けるかと…A

767

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対して

どうしたら関心をもって頂けるかと…@

766

草部吉見から大国主命傘下に移行した市杵島姫

765

八心大市比古を祀る富山の古社への下調べ

764

再び「牟礼」地名を考える

763

草部吉見の政略結婚を考える

762

出雲(旧朝倉郡)の国譲りの背景を考える

761

熊本市にも神武天皇の母君を祀る神社があった

760

博多周辺の天降神社と祭神の東西分裂をどう見るか

759

宮崎市の熊野神社をどう考えるか

758

宮崎県国富町の赤池神社に猿田彦をどう考えるか

757

宮崎市の木花神社から宮崎神話をどう考えるか 下(大将軍社とは何なのか?)

756

宮崎市の木花神社から宮崎神話をどう考えるか 上(宮崎神話日向三代への藤原の介入)

755

日南海岸の鵜戸神宮の元宮か高鍋町の鵜戸神社再訪

754

天御中主命〜大幡主〜ヤタガラスのご先祖様がいた土地とは

753

県境を越えた足元にも九州王朝系神社があった “熊本県小国町

小川内、下城の若宮神社” 

752

地元の鉾納社に15年ぶりに訪問した A “熊本県小国町黒渕の草部吉見系神社” 

751

地元の鉾納社に15年ぶりに訪問した @ “熊本県小国町黒渕の草部吉見系神社”

750

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(再々考)“全国の川上神社の

祭神を調べよう”

749

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(再考)“一体川上神社とは何なのか?”

748

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(下)“金屋集落は廻船業者の街”

747

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(中)“金屋の南さんとは何か”

746

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(上)“駅館川河口を見下ろす川上神社”

745

阿蘇山上神社トレッキングから阿蘇氏始祖惟人の系譜を疑う

744

平成の御代替わりの阿蘇山上神社トレッキングから阿蘇神社の祭神を再考する

743

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして G “伊賀市の山奥に若宮が…”

742

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして F “主神として大市姫を

祀る神社があった”

741

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして E “伊勢市の伊雑宮(佐美長神社) ”

740

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして D “伊勢市の猿田彦神社”

739

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして C “鈴鹿市の椿大神社”

738

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして B “稚日女尊を祀る香良洲宮”

737

白川郷をパスして

736

阿蘇山上神社から阿蘇氏の祭神を再考する

735

合掌造りの里富山県五箇山の菅沼集落の塩硝小屋

734

合掌造りの里富山県五箇山で見た住吉神社の門光紋

733

合掌造りの里富山県五箇山で見た五七の桐紋 “相倉集落の地主神社”

732

米水津湾の神々 C “米水津竹野浦の天満宮の写真が消えた〜代わり

に津久見市の石鎚神社”

731

米水津湾の神々 B “大分県佐伯市米水津小浦の粟島神社”

730

米水津湾の神々 A “大分県佐伯市米水津宮野浦の天満宮の景行伝承”

729

米水津湾の神々 @ “大分県佐伯市米水津色利浦の立岩神社の衝撃”

728

越前大野の篠座神社初見 (続編)“九頭竜川が生み出した大平野に

蟠踞する大国主祭祀”

727

越前大野の篠座神社初見 “九頭竜川が生み出した大平野に蟠踞する

大国主祭祀”

726

比沼麻奈爲神社初見 “京丹後にもう一つの元伊勢を見出した”

725

佐用都比賣神社(兵庫県佐用町)の奥の院伯母宮は天照大御神の母神を祀る

724

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして A 右離れ立ち葵の神紋を

持つ奈良の墨坂神社

723

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして @ 伊賀の国の一宮 敢國神社

722

僭越ながらようやく稲荷が少しは分かってきたような気がしています

721

那珂川市の伏見宮とは何か? “百嶋翁から伏見稲荷の元宮と聴いた

那珂川の伏見宮”

720

人吉在住の女性によるblog「ひろっぷ」のご紹介

719

福岡県糸島市の桜井神社再考(下)

718

福岡県糸島市の桜井神社再考(中)

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福岡県糸島市の桜井神社再考(上)

716

福岡県那珂川市の現人神社とは何か?(下)

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福岡県那珂川市の現人神社とは何か?(上)

714

天草市本渡の繭姫神社とは何か?

713

美作国 津山の南に白雲皇帝を探して

712

亡命した菊池氏によって持ち込まれた狭上(サエ)稲荷神社が

今も西米良村の最深部で息続ける(下)

711

亡命した菊池氏によって持ち込まれた狭上(サエ)稲荷神社が

今も西米良村の最深部で息続ける(上)

710

南北朝争乱期に奮闘した菊池氏のゲリラ戦根拠地宮崎県西米良村村

所の村所八幡宮初見

709

神無月ですから少し変わった「出雲」の話をしましょう A

708

神無月ですから少し変わった「出雲」の話をしましょう @

707

人吉盆地の懐深く冬至祭に巡る神社トレッキング A

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人吉盆地の懐深く冬至祭に巡る神社トレッキング @

705

福津市の須多田古墳から天降神社を考える “伊藤まさこ女史による

古墳の考察から”A

704

福津市の須多田古墳から天降神社を考える “伊藤まさこ女史による

古墳の考察から”@

703

人吉盆地 あさぎり町久鹿の天子神社の「クシカ」とはトルコ系匈奴の

地名ではないのか? A

702

人吉盆地 あさぎり町久鹿の天子神社の「クシカ」とはトルコ系匈奴の

地名ではないのか? @

701

福津市の須多田天降神社古墳の主を教えて欲しいと問合わせされた

寺島さんのルーツについて

700

福津市の天降神社の祭神と須多田天降神社古墳の主を教えて欲しい

との乱暴なお問合わせに…

699

百嶋先生が言われていた宮司や禰宜による秘密の勉強会について

698

神無月ですのでもう少し出雲についてお話ししましょうか

697

物部の大原足尼命を祀る日田の大原八幡神社とは何か?

696

日田の大原八幡神社も物部の神社だった “大分県日田市の大原八幡宮を疑い再考へと”

695

大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県みやこ町の大原八幡神社”

694

大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県苅田町の大原八幡神社”

693

福岡県苅田町での神社と古墳のトレッキングから 今回は資料だけをお見せします

692

百済来川が球磨川に注ぐ “球磨川流域の百済来と多良木”

691

人吉盆地の奥深く鎮座する熊野神社の正体を見たのか? “熊本県

あさぎり町岡留熊野坐神社”

690

橘一族を考えるに際して“神主玉の流れから橘一族が生れた”C 

勝手ながら玄松子様から

689

橘一族を考えるに際して“神主玉の流れから橘一族が生れた”B 

百嶋神代系譜から

688

橘一族を考えるに際して“神主玉の流れから橘一族が生れた”A 

関東ビューローから

687

橘一族を考えるに際して“神主玉の流れから橘一族が生れた”@ 

関東ビューローから

686

伊豆能売の神とは何か? F “大本教の伊都能売神諭から”

685

宮原さんに曳かれて天満宮へ “朝倉市古賀の天満宮は天満宮なのか?”

684

宮原さんに曳かれて朝暗神社へ “朝倉市須川の朝暗神社の基層には誰が

祀られているのか?”

683

宇土半島の付け根にも熊野神社があった… “旧松橋町の松橋神社”

682

有明海、不知火海周辺の十五社神社は阿蘇神社ではなかった“宇城市の

十五柱神社から”

681

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… G “そもそも三女神とは何なのか”

680

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… F “宗像大社の境内に

置かれなかった大国主命の長男”

679

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… E “宗像大社の祭神は元から

三女神だったのか”

678

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… D “宗像大社の東に大国主命を

祀る神社がある”

677

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… C “宗像大社の西に大国主命を

祀る神社がある”

676

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… B “神湊の津加計志宮に大国主命

の痕跡を探る”

675

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… A “少し振り返って出雲と

大国主命を考えよう”

674

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… @ “宗像大社を楢ノ木の神紋から

考えましょう”

673

有明海を挟んで久留米を正面に見据える高良玉垂宮 “佐賀県武雄市武雄町

永島の玉垂社”

672

橘 諸兄を主神とする潮見神社 “佐賀県武雄市の故地に息づく橘一族の一社”

671

有明海最奥部に静かに鎮座する海童神社

670

作業中

669

作業中

668

作業中

667

作業中

666

作業中

665

作業中

664

作業中

663

作業中

662

作業中

661

作業中

660

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! D 阿蘇神社

祭神編

659

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! D 阿蘇神社

数理編

658

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! 番外 二つの

直角三角形

657

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! C 両神社

祭神編

656

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! C 両神社

数理編

655

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! B 吉松宮

数理編祭神編

654

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! A 阿蘇霜

宮数理編祭神編

653

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国

造神社 祭神編

652

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国

造神社 数理編

651

阿蘇山を中心に“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が精密に配置されている! 

650

九州王朝成立前夜の解明へ C “出雲の地名起源から伊豆の伊豆山

神社までを考える”

649

九州王朝成立前夜の解明へ B “九州王朝を支えた多くの民族集団”

648

九州王朝成立前夜の解明へ A “雲南省昆明にいた白族が日本列島を開拓した”

647

九州王朝成立前夜の解明へ @ “雲南省麗江にいた多大将軍の一族が

日本列島を開拓した”

646

「風呂地名」の解明へ “千葉県の例から”

645

「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”A

644

「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”@

643

火の君とは歴代の橘一族だった B 緊急提言 全国の九州王

朝論者に告ぐ! “橘一族とは白族!”

642

火の君とは歴代の橘一族だった A 緊急提言 全国の九州王

朝論者に告ぐ! “白族は雲南から”

641

火の君とは歴代の橘一族だった @ 緊急提言 全国の九州王

朝論者に告ぐ! “九州王朝の白族”

640

白雲皇帝を探して “岡山県美咲町大垪和(ハガ)西の謎の古社一の宮神社”

639

志波彦神社(塩竈市)の志波彦とは塩土老翁か豊玉彦か?

638

熊本県西原村の白山比売神社について

637

八代神社(妙見宮)と霊符神社と竹原神社 E 「宮原誠一の神社見聞諜」

へのご招待 (下)

636

八代神社(妙見宮)と霊符神社と竹原神社 E 「宮原誠一の神社見聞諜」

へのご招待 (上)

635

熊本県氷川町上有佐の香取神社について補足“「かんじょみさん」とは

風読みさん?”

634

熊本地震で被害を受けた西原村の阿蘇四ノ宮神社とは何か?

633

鰐大明神が鎮座する佐賀県神埼市志波屋とは

632

鳥子三宮神社再考 “阿蘇系神社と思われている熊本県西原村鳥子神社”

631

熊本地震で被害を受けた境内に雨宮姫を祀る神社 “熊本県西原村宮山の宮山神社”

630

ひぼろぎ逍遥(跡宮)576 宮地嶽神社の戦前の祭神 阿部相凾宮地嶽大明神

について の転載

629

「魏志」伊都の長官「爾支」(ニキ)を祀る神社

628

「伽耶」地名について百嶋メモから

627

「桜川」

626

出羽から陸奥への道 番外 続“山を森と呼ぶ人達”

625

北海道は江差の姥神大神宮と宮地嶽神社 A

624

北海道は江差の姥神大神宮と宮地嶽神社 @

623

続)タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu

622

タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu (下)

621

タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu (上)

620

三角町の波多神社の天四柱神とは何か

619

鈴木神社訪問前にお昼の休憩をした本村神社について 

618

鈴木神社をご存じですか? “熊本県天草市の”鈴木重成公“を祀る神社

617

南阿蘇への迂回路に鎮座する湧水池と塩井社をご存じですか?

616

浦島太郎はなぜ亀に乗って竜宮城に向かったのか? (拡大編)

615

浦島太郎はなぜ亀に乗って竜宮城に向かったのか? (本編)

614

浦島太郎はなぜ亀に乗って竜宮城に向かったのか? (導入編)

613

有明海、不知火海沿岸の猿田彦神社探訪から見えた神像の素性について

612

続)徳島の天津司神社 @〜A  “四国の「もう一つの歴史

教科書問題」氏による近稿からの転載”

611

徳島の天津司神社 @〜A  “四国の「もう一つの歴史教科書問題」氏に

よる近稿からの転載”

610

ヒョウカリイライ(馮河黎来)改訂版

609

改訂版)八島神社の衝撃 “山鹿市千田聖母宮摂社の八島神社”“事代主の

ブログ氏と…A”

608

改訂版)肥後で最も重要な神社 “山鹿市千田(旧鹿央町)の聖母宮”

“事代主のブログ氏と…@”

607

出羽から陸奥への道 番外 続“山を森と呼ぶ人達”

606

古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう A

605

古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう @

604

西原村復興のための「聖徳太子研究会」@〜Cに向けて “宇土の八兵衛の逃亡ルート

603

信州への神社調査のための下調べから ”長野県上田市の生島足島神社“

602

熊本市の中心部に鎮座する大江神社初見 “隠された金山彦神“

601

出羽から陸奥への道 番外 “真室川音頭の真室川についての妄想”

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

806(前) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

806(前) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

20191231

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ストックまで合わせると、ひぼろぎ逍遥(跡宮)+新ひぼろぎ逍遥+旧ひぼろぎ逍遥(新規を出さず凍結)の三本立で既にアップしたものと準備中のもので2,000本近いブログを書いてきました。

既に、分量だけで言えば私が2003年に出した「有明海異変」(不知火書房)刊換算で40冊ぐらいを書いてきた事になります。検索が大変な為、ここでリストを公開しておこうと思います。

決して手抜きではありませんが暫くお許しを願いたいと思います。タイトルを読むだけでも大変です。

無題.png

880

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多いD“諫早市江ノ浦町江ノ浦神社”

879

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多いC“雲仙市小浜温泉の小浜神社”

878

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多いB“諫早市守山町河上神社”

877

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多いA“諫早市 宗方神社”

876

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多い@ 

875

往古平戸の早福から越後に移り住んだ一族がいたか? (下)

874

往古平戸の早福から越後に移り住んだ一族がいたか? (上)

873

若松のトレッキングで確認した北九州の方々がほとんど知らない神社 A 十五神社

872

若松のトレッキングで確認した北九州の方々がほとんど知らない神社 @ 田神社

871

宗像の神々 G 福岡県宗像市の熊野神社は宗像大社とどのような関係にあるのか?

870

宗像の神々 F 福岡県福津市の年毛神社の巨大製塩と消された猿田彦祭祀

869

宗像の神々 E 福岡県宗像市の原神社も圧迫された神社だった

868

宗像の神々 D 福岡県宗像市の鹽竈神社は博多の櫛田神社の大幡主を祀る

867

宗像の神々 C 福岡県宗像市にも白鬚の神が鎮座する 白鬚神社

866

宗像の神々 B 福岡県宗像市にも愛宕の神が鎮座する 愛宕神社

865

宗像の神々 A 福岡県宗像市多禮の指來神社とは何か

864

宗像の神々 @ 福岡県宗像市野坂の野坂神社も本来の神々を失っている

863

二つの鳥之子の分布状況を敬愛する玄松子様のデータから

862

鳥之子(天日鷲)も祀る天目一箇神とは鳥之子の祖神=ヤタガラス 

“熊本県山鹿市薄野神社”

861

百嶋由一郎阿蘇ご一家系図の連番の意味が分かった

860

日置姫とはもう一つの鳥之子「武夷鳥」の母神の“瀛ツヨソ足姫”なのか?

859

もう一つの鳥之子 武夷鳥 を祀る神社を探る “周防の防府天満宮”

858

新潟に鳥之子三宮神社があった

857

鳥子三宮神社の基底部を探る A

856

鳥子三宮神社の基底部を探る @

855

古代玉名から姫島への製鉄回廊に生れた波比岐神(疋野神社の主神)は

天皇扱いされた 香春神社

854

古代玉名から姫島への製鉄回廊に生れた波比岐神(疋野神社の主神)は

天皇扱いとされた 疋野神社

853

伊川とは何か? “福岡県飯塚市 伊岐須に注ぐ伊川” A “陝西省渭水盆地”

852

伊川とは何か? “福岡県飯塚市 伊岐須に注ぐ伊川” @ “北九州市の

伊川との対応から”

851

熊本県御船町の神武天皇祭祀を求めて 

850

海幸山幸神話再考 猿田彦を奉斎する神社の分布から考える…

849

海幸山幸神話再考 「高良玉垂宮秘書」を巡って “宮原 誠一論文063の転載 A”

848

海幸山幸神話再考 「高良玉垂宮秘書」を巡って “宮原 誠一論文148の転載 @”

847

海幸山幸神話再考 「高良玉垂宮秘書」を巡って

846

熊本県御船町の神武天皇祭祀を求めて “御船町宮崎神社”

845

景行記の八女津姫とは誰なのか? “八女津媛神社(福岡県八女市)”

844

大原八幡宮再考 北関東の大原神社から C 未知の駅 捄フサ が

描く大原神社(習志野編)

843

大原八幡宮再考 北関東の大原神社から B 未知の駅 捄フサ が

描く大原神社(流山編)

842

大原八幡宮再考 北関東の大原神社から A 未知の駅 捄フサ が

描く大原神社(君津編)

841

大原八幡宮再考 北関東の大原神社から @ 未知の駅 捄フサ が

描く大原神社

840

彦山再考“筑豊と筑後を睨む彦山とは何なのか?” @

839

古事記は何故高千穂を持ち上げたのか?

838

「秦の始皇帝はユダヤ人であった」と日本国史学会の学者が話している

837

続)川崎町(福岡県田川郡)大石神社の「石」の字には何故「、」が

付いているのか?

836

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か M “大帯姫

か大足姫か?”

835

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か L “ツヌガ

ノアラシトは何を…?”

834

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か K “スサノ

ウは姫島に来たのか”

833

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か J “国東の姫島から

周防の柳井へ”(下)

832

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か I “国東の姫島から

周防の柳井へ”(上)

831

「古事記」中つ巻  孝霊編 H “卑弥呼宗女伊予=細姫を妃とした開化天皇の祖父神”

830

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か H “肥後から姫島、国東へ”

829

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か G “櫛稲田姫は山鹿の

稲田村で生れた”

828

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か F “大宮神社

の境内摂社”

827

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か E “大宮神社

の本来の祭神は金山彦”

826

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か D “玉名、山鹿

から国東、姫島へ”

825

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か C “では大帯

八幡社とは何なのか”

824

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か B “何故仲哀を

祀るのか”

823

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か A  "仲哀を

祀る八幡宮群”

822

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か @ “消えた

祭神を求めて”

821

「古事記」中つ巻  孝安編 G  “孝安は熊本県玉名市にいた景行の父神”

820

「古事記」中つ巻  孝昭編 F  “孝昭は阿蘇高森の草部吉見こと

ヒコヤイ(ハエ)ミミ”

819

「古事記」中つ巻  懿徳編 E “懿徳は安寧の子でなく神武ので僅かに

倭人伝にも登場する”

818

「古事記」中つ巻  安寧編  D “謎だった安寧天皇とは博多の櫛田神社の

大幡主=カミムスビだった”

817

「古事記」中つ巻  綏靖編 C “阿蘇氏の祖には神武の血統が継承

されているとは言えないのだが…”

816

「古事記」中つ巻  神武編 B “槁根津日古とは神武僭称贈る崇神の

弟だった”

815

「古事記」中つ巻  神武編 A “神武巡幸と神武僭称贈る崇神の神武

東征とを分離しよう”

814

「古事記」中つ巻  神武編 @ “笑ってしまいますが…宇沙都比古が

神武を迎えたと言うのです”

813

柴刺が沖縄にもあった“「てぃんぬてぃーだ」 − 琉球とユダヤ民族の

絆 − 與儀喜美江 から”

812

諸塚村再訪 D 諸塚神社参拝殿上部の神紋 “2月の諸塚神楽大祭”

811

再び博多の櫛田宮について


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記