808(前) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥のリストを見直す A
20191231太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

ストックまで合わせると、ひぼろぎ逍遥(跡宮)+新ひぼろぎ逍遥+旧ひぼろぎ逍遥(新規を出さず凍結)の三本立で既にアップしたものと準備中のもので2,000本近いブログを書いてきました。
既に、分量だけで言えば私が2003年に出した「有明海異変」(不知火書房)刊換算で40冊ぐらいを書いてきた事になります。検索が大変な為、ここでリストを公開しておこうと思います。
決して手抜きではありませんが暫くお許しを願いたいと思います。タイトルを読むだけでも大変です。
880 | 熊本市南区城南の小木阿蘇神社初見 |
879 | 熊本市南区川尻の川尻神社初見 |
878 | 肥後の「豊」地名について “豊前豊後の前の豊の国” を考える |
877 | 「三日月地名」について A “フィールド編” 七星宮の祭神が知りたい!千葉氏と佐賀県小城市 |
876 | 2021年1月8〜9日豪雪に見舞われた日田市天瀬町の研修所 |
875 | 2021年年頭書き下ろしブログ第一号 “メリケン国統領選挙で見えた人工地震” |
874 | 佃 収 先生の新著について “早わかり「日本通史」(概要編) 新「日本の古代史」(佃説) |
873 | 「三日月」地名について @ “フィールド編”兵庫県佐用町 |
872 | 2021年丁巳歴史塾+太宰府地名研究会合同講演会(トレッキング)の企画について |
871 | 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が終わった |
870 | 景行記の八女津姫とは誰なのか? “八女津媛神社(福岡県八女市)” |
869 | 丁巳歴史塾との合同神社トレッキング資料を公開します B 水祖神社(飯塚市) |
868 | 丁巳歴史塾との合同神社トレッキング資料を公開します A 高宮八幡宮(飯塚市) |
867 | 丁巳歴史塾との合同神社トレッキング資料を公開します @ 厳島神社(飯塚市) |
866 | 鰐神社再訪 “佐賀県神埼市志波屋の二つの鰐神社” |
865 | 「ち」の話 “「海幸山幸神話」の釣針回収に遭遇した” |
864 | 球磨川の大水害は林野庁+農水省と国交省が引き起こした!“その張本人共が猛々しくも開き直る” |
863 | 高千穂町東部の神社も面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 K ” 天孫降臨と槵觸神社” |
862 | 高千穂町東部の神社も面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 K ” 天岩戸神社” |
861 | 高千穂町東部の神社も面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 J ” 高千穂神社” |
860 | 高千穂町東部の神社も面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 H ” 瀬織津姫神社” |
859 | 高千穂町を見下ろす神社 “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 G ”祖母山山上の祖母嶽神社の神々” |
858 | 高千穂町西部の神社が面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 F ”お隣りの柚木野神社” |
857 | 高千穂町東部の神社も面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 E ”金山彦と落立神社” |
856 | 高千穂町東部の神社も面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 D ”菊宮神社” |
855 | 高千穂町東部の神社も面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 C ”逢初(アイソメ)天神社” |
854 | 高千穂町東部の神社も面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 B ”高千穂町岩戸 石神神社” |
853 | 高千穂町西部の神社が面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 A 田原熊野神社” |
852 | 高千穂町西部の神社が面白い “ひのみこ社周辺の神々下調べ 追補 @ 黒口神社” |
851 | 高千穂町の一角で神社を再建する運動が始まった “ひのみこ社のご由緒について” |
850 | 妙なウイルス騒ぎで実質半年間延期させられた北九州小倉北区での連続講演を開始します |
849 | 明治まで穴迫稲荷神社には熊本、宮崎、大分から多くの信者が参拝に来られていた |
848 | 大分県日田市の「求来里」(ククリ)地名にようやく見当が付いた |
847 | 人吉盆地(熊本県)在住メンバーによるblg「ひろっぷ」からの転載 C |
846 | 人吉盆地(熊本県)在住メンバーによるblg「ひろっぷ」からの転載 B |
845 | 人吉盆地(熊本県)在住メンバーによるblg「ひろっぷ」からの転載 A “立葵の季節” |
844 | 人吉盆地(熊本県)在住メンバーによるblg「ひろっぷ」からの転載 @ “日向と影向” |
843 | 高千穂町上野の下野八幡神社への下調べ B 枳(ゲズ)とは何か?下“川口敦子論文から” |
842 | 高千穂町上野の下野八幡神社への下調べ A 枳(ゲズ)とは何か?上“川口敦子論文から” |
841 | 高千穂町上野の下野八幡神社への下調べ @ |
840 | 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(追補) |
839 | 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(下) |
838 | 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(中) |
837 | 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(上) |
836 | 数十年に一度の災害を毎年起こす国 A “崩落が進む超伐期人工林の無様” |
835 | 公開講座配布の資料から “杵島から筑波へ歌垣から辿る古代” |
834 | 数十年に一度の災害を毎年起こす国 @ “昔の川は大雨でも濁らなかった” |
833 | 北九州の丁巳歴史塾との“コロナ退散神社トレッキング”に向けて(下)“飯塚市水祖神社”外 |
832 | 北九州の丁巳歴史塾との“コロナ退散神社トレッキング”に向けて(上)“飯塚市水祖神社”外 |
831 | 熊本市を中心とした同県二つ目の神社トレッキング・グループが動き始めました A |
830 | 熊本市を中心とする同県二つ目の神社トレッキング・グループが動き始めました @ |
829 | 熊本市東部域に阿蘇神社拡大以前の祭司圏を発見した |
828 | 筑豊田川郡の神々 A 香春町の現人神社とは贈る崇神天皇を祀る神社(下) |
827 | 筑豊田川郡の神々 @ 香春町の現人神社とは贈る崇神天皇を祀る神社(上) |
826 | 熊本市東部の神社から二つの小山神社を参拝する(事前調査版) |
825 | ヤマトタケルの熊襲退治で川上猛が居た砦は室(ムロ)と呼ばれていた |
824 | 大分県佐伯市米水津湾でのメジナ釣りで体調を整え欠史8代と百嶋神社考古学に挑む |
823 | 今後公開予定の 新ひぼろぎ逍遥+ひぼろぎ逍遥(跡宮)の新テーマのリスト |
822 | 中津市の薦神社は大幡主を主神として祀る正八幡宮だった |
821 | 大国主軍団とニギハヤヒ軍団は日向から全国に雄飛した |
820 | 鹿児島県内の大国主命を祀る神社を拾い出して見た |
819 | 大国主命を祀る神社で祝詞を上げたらサヨヒメが降りてこられました |
818 | 何故、肥後では大国主祭祀が消されたのか?(下) |
817 | 何故、肥後では大国主祭祀が消されたのか?(上) |
816 | ザ・ドリフターズの志村けん の同級生だったという恵面(エズラ)さんの恵面姓とは何か? A |
815 | ザ・ドリフターズの志村けん の同級生だったという恵面(エズラ)さんの恵面姓とは何か? @ |
814 | 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(特番)“武人永末千里(元航空自衛隊)氏の証言から” |
813 | 牟礼地名を追って “群、室、無呂、村…地名はトルコ系匈奴が持ち込んだものではないか?” |
812 | 北九州市若松区の神社トレッキングへの資料として(詳細編) 丁巳歴史塾との合同企画 下 |
811 | 北九州市若松区の神社トレッキングへの資料として(詳細編) 丁巳歴史塾との合同企画 上 |
これを書いた時点から更に70本が追加されました(上)!
810 | 西浦、西野浦、西之浦と寒グロ釣り |
809 | 北九州の皆さんとお知り合いになれた事から D 北九州の隣の宗像大社とは何ですか? |
808 | 北九州の皆さんとお知り合いになれた事から C 北九州沖を東に移動した出雲” |
807 | 北九州の皆さんとお知り合いになれた事から B 苅田、みやこ町の大原八幡神社を探る |
806 | 北九州の皆さんとお知り合いになれた事から A 旦過の町は古来交通の要衝では豊の国は |
805 | 北九州の皆さんとお知り合いになれた事から @ 古代豊の国 |
804 | 篠栗町の太祖宮〜呑山観音を探るトレッキング ”山の神とオコゼの繋がりを確認した“ |
803 | 山口県阿東町徳地に二つの石風呂を確認した |
802 | 航空戦艦「伊勢」と柳田国男 (再掲載) |
801 | 柳田国男が椎葉村に入って一泊目の地 |
800 | 筑豊に本物の神武天皇とその母神を祀る神社があった “福岡県飯塚市高祖神社” |
799 | 淡路島にはもう一つの高良神社があった “南あわじ市に九州王朝の没落を見た” |
798 | 15年来の謎だった熊本県多良木町久米の思川(オメゴウ)の意味が少し解けてきた A 波津 |
797 | 15年来の謎だった熊本県多良木町久米の思川(オメゴウ)の意味が少し解けてきた @ 思川 |
796 | 讃岐うどんと餃子から粉食を考える “列島には粉食を好む民族が侵入している” |
795 | 諸塚村再訪 C(諸塚元宮) “諸塚山頂の神々の画像を貰いました” |
794 | 諸塚村再訪 B (桂神社) “宮崎県諸塚村の桂神社とは一体何か?” |
793 | 諸塚村再訪 A(七つ山) “宮崎県諸塚村の二つの七つ山と二つの桂正八幡神社” |
792 | 諸塚村再訪 @(太白) “宮崎県諸塚村七つ山諸塚神社” |
791 | 淡路島にはもう一つの高良神社があった “南あわじ市に九州王朝の没落を見た” |
790 | 愛媛県佐多岬の岬三崎港の三島神社初見 |
789 | 淡路島で最も重要な神社をご紹介致します “大和大国魂神社(兵庫県南あわじ市)“ |
788 | 始めて踏む淡路島の高良神社を確認した “兵庫県南あわじ市“ |
787 | 懸案だった二つの天都賀佐比古(彦)神社を参拝 “徳島県美馬市” |
786 | 古代の神域を探る肥後〜豊後国境越敷岳に登る40人トレッキングのサポート役を…(下)穴森 |
785 | 古代の神域を探る肥後〜豊後国境越敷岳に登る40人トレッキングのサポート役を…(中)越敷 |
784 | 古代の神域を探る肥後〜豊後国境越敷岳に登る40人トレッキングのサポート役を…(上)甑 |
783 | 九州王朝論者の皆さん 熊本県菊池市に呉王夫差の後裔が住み着いたといわれる「神来」 |
782 | 九州王朝論者の皆さん 熊本県菊池市に呉王夫差の後裔が住み着いたといわれる「神来」 |
781 | モンゴル高原から東に向かった日本人と西に向かったトルコ人 |
780 | 呉国との通信 江蘇省在住の列島の呉の研究者からのメールにお答えして |
779 | 早々に魚釣りを切り上げ神社探訪に A “大分県臼杵市の卯寅稲荷神社初見” |
778 | 早々に魚釣りを切り上げ神社探訪に @ “大分県臼杵市佐志生の皇産霊神社” |
777 | 呉国との通信 江蘇省在住の列島の呉の研究者からのメールにお答えして |
776 | 新たにナガスネヒコの重要拠点を発見した “佐賀県唐津市伊岐佐の三光神社” |
775 | クブツツイとは何か |
774 | 南方神社を探ってみた “日向の諏訪神社とは何なのか?” |
773 | 戦国武将の朝倉氏の祖先は筑前朝倉郡を通過し東国に展開した “旧朝倉郡の皆さんへ” |
772 | 甲佐神社背後の甲佐岳山頂に吉見神社が置かれている |
771 | 菊池一族とは大山祗系民族だった! “内倉武久氏ほか4人で宮崎熊本県境の狭上稲荷神社に…” |
770 | 号外1 野草盗掘者? 捕まえてみれば教育者 認定NPO専務理事 拡散希望 |
769 | 再び「牟礼」地名を考える A 作業ノートから |
768 | 再び「牟礼」地名を考える |
767 | 出雲(旧朝倉郡)の国譲りの背景を考える |
766 | 改めて玉依姫を考える “崇神は神武ではない!三人の玉依姫問題再考“ |
765 | 森(山)の栄養は如何に維持されているのか? “平野虎丸 「日本一花の森」開園に寄せて” |
764 | 臼杵市の江無田も谷川健一が想定した「江ノ尾」地名か? |
763 | “長崎市の峰山神社について知りたい”とのお尋ねに対して分かる範囲で…(下) |
762 | “長崎市の峰山神社について知りたい”とのお尋ねに対して分かる範囲で…(上) |
761 | ハイトンネル |
760 | 九州王朝 仁徳の難波高津宮の元宮を発見したか!(下)伊藤まさこ女史の那珂川市高津宮の転載 |
759 | 九州王朝 仁徳の難波高津宮の元宮を発見したか!(上)宮原誠一氏による 那珂川市高津宮の転載 |
758 | 令和元年賛美と日本劣等民族凋落への道標 |
757 | 神社調査の帰りに佐伯市米水津の波止釣り “大分県佐伯市米水津西野浦” |
756 | 釣竿片手に神社調査 D “日向〜延岡〜北浦〜蒲江” 大山祗系祭祀の門川神社 |
755 | 宇佐の駅館川河口に難升米の一族の後裔を発見したか? “宇佐市金屋町の川上神社の南姓の集中” |
754 | 釣竿片手に神社調査 C“日向〜延岡〜北浦〜蒲江”と九州東岸の神社を探る 若宮神社 |
753 | 釣竿片手に神社調査 B“日向〜延岡〜北浦〜蒲江”と九州東岸の神社を探る 五十猛神社 |
752 | 釣竿片手に神社調査 A“日向〜延岡〜北浦〜蒲江”と九州東岸の神社を探る 安之神社 |
751 | 釣竿片手に神社調査 @“日向〜延岡〜北浦〜蒲江”と九州東岸の神社を探る 大御神社 |
750 | 磯邊姓の方からのお問い合わせにお答えして |
749 | 阿蘇山上神社トレッキングから阿蘇氏始祖惟人の系譜を疑う |
748 | 平成の御代替わりの阿蘇山上神社トレッキングから阿蘇神社の祭神を再考する |
747 | 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(再々々考)“全国の川上神社の祭神を調べよう” |
746 | 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(再々考)“全国の川上神社の祭神を調べよう” |
745 | 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(再考)“一体川上神社とは何なのか?” |
744 | 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(下)“金屋地区は廻船業者の街” |
743 | 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(中)“金屋の南さんとは何か” |
742 | 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(上)“駅館川河口を見下ろす川上神社” |
741 | 阿蘇山上神社から阿蘇氏の祭神を再考する |
740 | 越前大野の篠座神社初見 “九頭竜川が生み出した大平野に蟠踞する大国主祭祀” |
739 | 九頭竜ダムに沈められた穴馬総社 |
738 | 比沼麻奈爲神社初見 “京丹後にもう一つの元伊勢を見出した” |
737 | 佐用都比賣神社(兵庫県佐用町)の奥の院伯母宮は天照大御神の母神を祀る |
736 | 神武天皇は佐賀市富士町(旧北山)のお生まれか?を百嶋神社考古学はどのように考えるか? A |
735 | 神武天皇は佐賀市富士町(旧北山)のお生まれか?を百嶋神社考古学はどのように考えるか? @ |
734 | 神武天皇は佐賀市富士町(旧北山)のお生まれか?を公開されたDr.久保田のP.P.のご紹介 |
733 | 2019年第二次那珂川市の神社を探索する “那珂川神社巡りトレッキングに参加を”A(仮案) |
732 | 産の宮神社に見る藤原氏の影 “福岡県糸島市の産宮神社”(下) |
731 | 産の宮神社に見る藤原氏の影 “福岡県糸島市の産宮神社”(上) |
730 | 九州王朝研究に参加する人が徐々に増えています! |
729 | 市房山の神とは何か? “列島最高位の神を祀る熊本県湯前町の里宮神社” |
728 | 市房山の麓に潮神社が存在する “熊本県湯前町湯楽里の潮神社と宮崎県日南市の潮嶽神社” |
727 | 後の熊襲=菊池氏の北上したルート(一ツ瀬川)上の神社を歩く A 児原稲荷神社 |
726 | 後の熊襲=菊池氏の北上したルート(一ツ瀬川)上の神社を歩く @ 伊吹戸主神社 |
725 | 2019年2月に行なう古代糸島水道を探るトレッキング “下調べから” |
724 | 西都市から狭上稲荷神社に向かう道すがら参拝した児原(コバル)稲荷神社 |
723 | 菊池氏とは熊襲(トルコ系匈奴)であった “ようやくその尻尾を掴んだ” |
722 | 高良大社後裔 神代 勝利を救った佐賀市富士町の嘉村一族の久保田姓はどこから持ち込まれたのか |
721 | 今坂 様からの問い合わせにお答えして |
720 | 人吉盆地最奥部 市房山湯山温泉での冬至祭(忘年会)と神社トレッキング(歳末三社詣り) |
719 | 人吉盆地 あさぎり町久鹿の天子神社の「クシカ」とはトルコ系匈奴の地名ではないのか? A |
718 | 人吉盆地 あさぎり町久鹿の天子神社の「クシカ」とはトルコ系匈奴の地名ではないのか? @ |
717 | 神無月ですからもう少し出雲の話をしましょうか |
716 | 人吉盆地の最奥部で行われる冬至祭に向けた三社巡りについて A |
715 | 人吉盆地の最奥部で行われる冬至祭に向けた三社巡りについて @ |
714 | 神無月ですから少し変わった「出雲」の話をしましょう A |
713 | 神無月ですから少し変わった「出雲」の話をしましょう @ |
712 | 栂尾神楽の栂尾神社と黒木一族 |
711 | 2018栂尾神楽グラフィティ ”宮崎県椎葉村栂尾の阿蘇系神楽“ |
710 | 百済来川が球磨川に注ぐ “球磨川流域の百済来と多良木” |
709 | 物部の大原足尼命を祀る熊本市東隣の大原八幡神社とは何か? “菊陽町の大原阿蘇神社” |
708 | 物部の大原足尼命を祀る日田の大原八幡神社とは何か? |
707 | 日田市の会処宮について “「事代主のブログ」からの転載”A |