805(後) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @
20191231
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
150 | 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 D 熊野神社から 立岩神社へ(立岩神社編) |
149 | 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 C 熊野神社から 立岩神社へ(熊野神社編) |
148 | 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 B 日天宮とは何か? |
147 | 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 A 馬見神社とは何か? |
146 | 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 @ 馬見神社を考える前に |
145 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 L “宮地嶽古墳の被葬者藤 高麻呂、藤 助麻呂とは誰か?” |
144 | 「日負い鶴の神紋」をご存知ですか?“百嶋由一郎手書き資料から” |
143 | 湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 B “宇奈岐日女は 高木大神の孫娘だった” |
142 | 香春町の現人神社 “近接する大君様(おおきんさん)は神武と崇神の どちらを祀るのか?” |
141 | 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々 抄録“トレッキング直前手持ち資料から” |
140 | 由布盆地の椎根津彦 |
139 | 湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 A “祭神配置に認められる阿蘇の神” |
138 | 湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 @ “宇奈岐日女は隠された!” |
137 | 「豊後安倍氏の伝承」を手に入れた |
136 | 朝倉市杷木町の志波宝満宮 |
135 | モンゴル高原のユダヤ人 |
134 | 合所ダムの上に物部氏の本家がある “福岡県うきは市新川の高御魂神社” |
133 | 二つ葵の神紋はヤタガラスの古社(再考) “福岡県うきは市 賀茂神社から” |
132 | 葵の紋章のルーツ立ち葵の神社 “福岡県うきは市 賀茂神社から” |
131 | 川崎町の帝階八幡神社とはどこか? “田川郡川崎町の正八幡宮は 帝階八幡神社か?” |
130 | 吾 平(アイラ) B |
129 | 吾 平(アイラ) A |
128 | 吾 平(アイラ) @ |
127 | 内倉武久氏による朝倉市長田大塚古墳=継体陵説と杷木神社縁起との整合について |
126 | 女帝神社初見 “景行天皇皇后八坂入姫を祀る神社(古墳)” 福岡県みやこ町 綾塚古墳 |
125 | 宇佐神宮とは何か? S “宇佐神宮の勅使井と百体神社” |
124 | 宇佐神宮とは何か? R “宇佐神宮の隣の国東に鎮座する 八幡神社の境内社について” |
123 | 宇佐神宮とは何か? Q “宇佐神宮の(仮称)中宮に鎮座 する若宮神社とは何か?” |
122 | 宇佐神宮とは何か? P “宇佐神宮の上宮に鎮座する三摂社を実見した?” |
121 | 中山身語正宗と荒穂神社 A“「宗祖上人伝」から見る上人の神社遍歴” |
120 | 宇佐神宮とは何か? O “勅使来訪により呉橋が一般公開された” |
119 | 草部吉見と豊玉彦(ヤタガラス)のご先祖が雲南省から入って来たルートについて |
118 | 川崎町(福岡県田川郡)大石神社の「石」の字には何故「、」が付いているのか? |
117 | 中山身語正宗と荒穂神社 @ |
116 | 千木について “男千木と女千木、そして千木は日本だけのものなのか?” |
115 | 霧島岑神社初見 “鹿児島県小林市の岑(ミネ)神社とは何か?” |
114 | 霧島東神社初見 “鹿児島県高原町の霧島東神社は島津の先祖神を祀る神社か?” |
113 | 狭野神社初見"鹿児島県高原町の神武天皇社” |
112 | 少彦名命について勘違いしていましたお詫びします? |
111 | 旧犀川町伊良原の大行事神社に痕跡をとどめた天野一族とは何か? |
110 | ダムに沈む神社 “みやこ町(犀川町)伊良原の大行事神社” |
109 | 久留米水天宮をお見せしましょう |
108 | 伊勢天照御祖神社 “久留米の佐岐神社は誰を祀るのか?” |
107 | 香春神社 “アメノウズメノミコトを主神として祀る神社である事をご存じですか?” |
106 | 白川伯王家の源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)” |
105 | 宇佐神宮とは何か? N “そろそろ本殿の探査に踏み込みましょう” |
104 | 宇佐神宮とは何か? M “到津屋敷をご存じですか?” |
103 | 宇佐神宮とは何か? L “御許山の別名=馬城峰(マキボン)とは 「三国史記」の目支国のマキ” |
102 | 宇佐神宮とは何か? K “境外摂社鷹居社とは何か?” |
101 | 宇佐神宮とは何か? J “安心院の妻垣神社は自称神武こと 崇神天皇を供応したか?” |
100 | 宇佐神宮とは何か? I “安心院の三女神社は筑紫の君が祀った?” |
99 | 宇佐神宮とは何か? H “安心院の三女神社は二女神社だったのか?” |
98 | 宇佐神宮とは何か? G “神宮の故地か?今も上宮内二摂社が院内町に鎮座する” |
97 | 宇佐神宮とは何か? F “宇佐神宮の向こう側” |
96 | 宇佐神宮とは何か? E “御許山の大元神社とは何か?” |
95 | 宇佐神宮とは何か? D “宇佐神宮の境内摂社「大尾神社」をご存じですか?” |
94 | 宇佐神宮とは何か? C “宇佐神宮宝物館の神輿は誰のものだったのか?” |
93 | 宇佐神宮とは何か? B “宇佐神宮の神宮寺としての大善寺” |
92 | 宇佐神宮とは何か? A “和気清麻呂は勅使道ではなく舟で上陸した” |
91 | 宇佐神宮とは何か? @ “呉橋から北へと延びる勅使道” |
90 | 驚愕の“炎のピラミッド” 004 図26-1,2 “八坂神社両神社の、境内地 の具体的な対称性” |
89 | 驚愕の“炎のピラミッド” 003 図24-2 “草部吉見神社と神域 (本境内地面積1,900u)” |
88 | 驚愕の“炎のピラミッド” 002 はじめに “阿蘇南北の大地の形成を考える” |
87 | 「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 掲載一覧表 |
86 | 驚愕の“炎のピラミッド” 001 阿蘇小国両神社と阿蘇南郷谷八坂神社の 境内地の不思議な対応 |
85 | 刺国若比売 “大国主の母”は大幡主の妹の埴安姫=草野姫か? |
84 | 栲(タク)“ミツマタの花咲く季節に栲幡千千姫命(タクハタチチヒメ) を考える” |
83 | タノカンサーの正体とは何か?“甘木公園の田神様(タノカンサー) 福岡県朝倉市甘木から” |
82 | 神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 “郡浦神社 (熊本県宇城市三角町)” |
81 | 大相撲の桟敷席とは何か? |
80 | 金凝彦=贈)綏靖天皇を確認 “遅れ馳せながらも阿蘇神社に金凝彦を認識した” |
79 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 K “未来の宮地嶽神社参拝者のために” |
78 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 J “宮地嶽神社について現在分かる範囲で” |
77 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 I “宮地嶽神社とは如何なる性格を 持たされた神社なのか?(下)” |
76 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 H “宮地嶽神社とは如何なる性格を 持たされた神社なのか?(中)” |
75 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 G “宮地嶽神社とは如何なる性格を 持たされた神社なのか?(上)” |
74 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 F “「高良玉垂宮神秘書」では磯羅を 玉垂命と別神扱いしている” |
73 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 E “雑感” |
72 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 D “志賀海神社と大川風浪宮” |
71 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 C “底筒男命と表筒男命” |
70 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 B “安曇磯羅とは何者なのか?” |
69 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 A “安曇磯羅が祀られているのか? 否!!” |
68 | 宮地嶽神社と安曇磯羅 @ “五人寄れば文殊の知恵” |
67 | 大国主を出雲の神様と考えておられる方に対して。僭越ながらも… 。 |
66 | 少彦名命とは何か? |
65 | 天穂日命(アメノホヒノミコト)とは |
64 | 博多の櫛田神社の祭神とは何か? |
63 | 出雲井神社 初見 |
62 | 松江市の高良神社の実見から |
61 | 津山市の高良神社の実見から |
60 | オレオレデライタオ |
59 | 後の九州王朝東遷の神社で当方をご存じの場合はご連絡下さい。 “情報をお寄せ下さい!” |
58 | 豊後は日田の大社 大原八幡宮も元は高良玉垂命を祀る 神宮だったのか!“2015新春日田三社詣りトレッキングより” |
57 | 畿内に神沼河耳(第2代綏靖天皇)を単独で祀る神社などありえない! |
56 | 神沼河耳(綏靖天皇)から阿蘇氏を考える“草部吉見を神武の皇子とする訳” |
55 | 金凝神社 “日田市天ケ瀬町五馬市の古社” |
54 | 秦の始皇帝と市杵島姫 |
53 | 阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神 B |
52 | 阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神 A |
51 | 阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神 @ |
50 | 美作の高良神社の下調べ “津山市押入の高良神社” |
49 | 何故か感涙を禁じえぬあまりに立派な高木神社 “大任町の高木神社” |
48 | 四国に高良神社を探る E “伊予、讃岐は物部のエリア” 石槌神社は誰を祀るか? |
47 | 四国に高良神社を探る D “讃岐(香川)編”“三豊市菅生神社の境内摂社” |
46 | 四国に高良神社を探る C “讃岐(香川)編”“三豊市の 古刹本山寺は高良神社の神宮寺だったか?” |
45 | 四国に高良神社を探る B “讃岐(香川)編”“観音寺市 琴弾八幡宮は高良神社だった” |
44 | 四国に高良神社を探る A “伊予(愛媛)編”“西条市の石岡神社” |
43 | 四国に高良神社を探る @“しまなみ海道〜中瀬戸自動車道 年末2(車中)泊3日の駆足調査旅行” 捷一号作戦 |
42 | 超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた “みやま市河内の高良玉垂の宮” |
41 | 沖ノ島祭祀は宗像一族のものだったのか? “小田富士夫説から” |
40 | 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? G “籠神社から 大江山へ向かう前に” |
39 | 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? F “籠神社が九州から 持ち出された痕跡” |
38 | 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? E “まずは御由緒から” |
37 | 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? D “姫 戸” |
36 | 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? C “神風の伊勢” |
35 | 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? B “二 見” |
34 | 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? A “夫婦石” |
33 | 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? @ “淡 海” |
32 | 草部吉見神社の由緒書について |
31 | 百嶋神代系譜について |
30 | 猫坂礎石群はワカヤマトネコヒコ(第9代開化天皇)の宮殿か “大野城市” |
29 | 伏見稲荷様も九州出身 “春日市の白川伯王益寿稲荷” |
28 | 邪馬台国と対抗した狗奴国は熊本県益城町の朝来山とどのような関係があるのか? |
27 | 宗像大社は8世紀初頭まで三女神を祀っていなかった! “本当の祭神は大国主命” |
26 | “志賀島金印シンポジウム”と宗像の神 |
25 | 熊本県南部不知火海沿岸と福岡県築上町の奇妙な地名対応 |
24 | 大国主は九州で生まれた “オオナビコ(大国主命=オオナムチの 幼名)を祀る春日市の伯玄社” |
23 | コノハナノサクヤヒメを祀る霧島市溝部町の前玉(サキタマ)神社再訪 |
22 | 禁断の百嶋由一郎神社考古学 |
21 | 宗像大社の祭神は三女神にあらず!! |
20 | 細石神社とは何か? |
19 | 天照大御神と卑弥呼宗女壹與(臺與) |
18 | 「日本書紀」の裂田の溝(サクタノウナデ)“裂田神社に神功皇后と 一緒にいたのは誰か?” |
17 | 那珂川町に「天御中主神社」が存在する訳 |
16 | 古表神社と古要神社 “古表神社の例大祭から古要宮へ” |
15 | 天御中主神社が福岡県那珂川町片縄に現存する |
14 | 「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)について “なんとか二本立てブログ体制が 軌道に載ったことから”“石上神社の元宮は美作の 石上布魂神社、元々宮はみやま市のこうやの宮と田中神社” |
13 | 石上神宮所蔵の国宝七支刀はみやま市から美作を経由し 奈良天理へと移された!“石上神社の元宮は美作の 石上布魂神社、元々宮はみやま市のこうやの宮と田中神社” |
12 | 阿蘇神社六の宮の実家 産山村の乙宮神社再訪 |
11 | 阿蘇外輪山の外に呉橋がある |
10 | 熊本城の最深部に置かれた王昭君(昭君)の間と木下家 |
9 | なぜ、「可愛」と書いて「エノ」と読む(呼ぶ)のか? |
8 | 三潴の君は、なぜ、水沼の君なのか? |
7 | 草部吉見神は、甑島(薩摩川内市)鹿島町の鹿島神社を通過したか? |
6 | みやま市の飯江八幡宮にも五七桐が! |
5 | 肥後に高良神社を発見した! |
4 | 久留米高良大社下宮(祇園社)の幸神とは何か? |
3 | 宇佐神宮のお膝元、豊後は日田市に高良玉垂宮がある! |
2 | 岩倉社 ケベス祭りのケベスとは何か? A |
1 | 岩倉社 ケベス祭りのケベスとは何か? @ |
20151001スタート |