2021年04月12日

805(後) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @

805(後) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @

20191231

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久



150

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 D 熊野神社から

立岩神社へ(立岩神社編)

149

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 C 熊野神社から

立岩神社へ(熊野神社編)

148

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 B 日天宮とは何か?

147

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 A 馬見神社とは何か?

146

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 @  馬見神社を考える前に

145

宮地嶽神社と安曇磯羅 L “宮地嶽古墳の被葬者藤

高麻呂、藤 助麻呂とは誰か?”

144

「日負い鶴の神紋」をご存知ですか?“百嶋由一郎手書き資料から”

143

湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 B  “宇奈岐日女は

高木大神の孫娘だった”

142

香春町の現人神社 “近接する大君様(おおきんさん)は神武と崇神の

どちらを祀るのか?”

141

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々 抄録“トレッキング直前手持ち資料から”

140

由布盆地の椎根津彦  

139

湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 A  “祭神配置に認められる阿蘇の神”

138

湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 @  “宇奈岐日女は隠された!”

137

「豊後安倍氏の伝承」を手に入れた

136

朝倉市杷木町の志波宝満宮

135

モンゴル高原のユダヤ人

134

合所ダムの上に物部氏の本家がある “福岡県うきは市新川の高御魂神社”

133

二つ葵の神紋はヤタガラスの古社(再考) “福岡県うきは市 賀茂神社から”

132

葵の紋章のルーツ立ち葵の神社 “福岡県うきは市 賀茂神社から”

131

川崎町の帝階八幡神社とはどこか? “田川郡川崎町の正八幡宮は

帝階八幡神社か?”

130

吾 平(アイラ) B

129

吾 平(アイラ) A

128

吾 平(アイラ) @

127

内倉武久氏による朝倉市長田大塚古墳=継体陵説と杷木神社縁起との整合について

126

女帝神社初見 “景行天皇皇后八坂入姫を祀る神社(古墳)” 

福岡県みやこ町 綾塚古墳

125

宇佐神宮とは何か? S “宇佐神宮の勅使井と百体神社”

124

宇佐神宮とは何か? R “宇佐神宮の隣の国東に鎮座する

八幡神社の境内社について”

123

宇佐神宮とは何か? Q “宇佐神宮の(仮称)中宮に鎮座

する若宮神社とは何か?”

122

宇佐神宮とは何か? P “宇佐神宮の上宮に鎮座する三摂社を実見した?”

121

中山身語正宗と荒穂神社 A“「宗祖上人伝」から見る上人の神社遍歴”

120

宇佐神宮とは何か? O “勅使来訪により呉橋が一般公開された”

119

草部吉見と豊玉彦(ヤタガラス)のご先祖が雲南省から入って来たルートについて

118

川崎町(福岡県田川郡)大石神社の「石」の字には何故「、」が付いているのか?

117

中山身語正宗と荒穂神社 @

116

千木について “男千木と女千木、そして千木は日本だけのものなのか?”

115

霧島岑神社初見 “鹿児島県小林市の岑(ミネ)神社とは何か?”

114

霧島東神社初見 “鹿児島県高原町の霧島東神社は島津の先祖神を祀る神社か?”

113

狭野神社初見"鹿児島県高原町の神武天皇社”

112

少彦名命について勘違いしていましたお詫びします?

111

旧犀川町伊良原の大行事神社に痕跡をとどめた天野一族とは何か?

110

ダムに沈む神社 “みやこ町(犀川町)伊良原の大行事神社”

109

久留米水天宮をお見せしましょう

108

伊勢天照御祖神社 “久留米の佐岐神社は誰を祀るのか?”

107

香春神社 “アメノウズメノミコトを主神として祀る神社である事をご存じですか?”

106

白川伯王家の源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”

105

宇佐神宮とは何か? N “そろそろ本殿の探査に踏み込みましょう”

104

宇佐神宮とは何か? M “到津屋敷をご存じですか?”

103

宇佐神宮とは何か? L “御許山の別名=馬城峰(マキボン)とは

「三国史記」の目支国のマキ”

102

宇佐神宮とは何か? K “境外摂社鷹居社とは何か?”

101

宇佐神宮とは何か? J “安心院の妻垣神社は自称神武こと

崇神天皇を供応したか?”

100

宇佐神宮とは何か? I “安心院の三女神社は筑紫の君が祀った?”

99

宇佐神宮とは何か? H “安心院の三女神社は二女神社だったのか?

98

宇佐神宮とは何か? G “神宮の故地か?今も上宮内二摂社が院内町に鎮座する”

97

宇佐神宮とは何か? F “宇佐神宮の向こう側”

96

宇佐神宮とは何か? E “御許山の大元神社とは何か?”

95

宇佐神宮とは何か? D “宇佐神宮の境内摂社「大尾神社」をご存じですか?”

94

宇佐神宮とは何か? C “宇佐神宮宝物館の神輿は誰のものだったのか?”

93

宇佐神宮とは何か? B “宇佐神宮の神宮寺としての大善寺”

92

宇佐神宮とは何か? A “和気清麻呂は勅使道ではなく舟で上陸した”

91

宇佐神宮とは何か? @ “呉橋から北へと延びる勅使道”

90

驚愕の“炎のピラミッド” 004 図26-1,2 “八坂神社両神社の、境内地

の具体的な対称性”

89

驚愕の“炎のピラミッド” 003 図24-2 “草部吉見神社と神域

(本境内地面積1,900u)”

88

驚愕の“炎のピラミッド” 002 はじめに “阿蘇南北の大地の形成を考える”

87

「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 掲載一覧表

86

驚愕の“炎のピラミッド” 001 阿蘇小国両神社と阿蘇南郷谷八坂神社の

境内地の不思議な対応

85

刺国若比売 “大国主の母”は大幡主の妹の埴安姫=草野姫か?

84

栲(タク)“ミツマタの花咲く季節に栲幡千千姫命(タクハタチチヒメ)

を考える” 

83

タノカンサーの正体とは何か?“甘木公園の田神様(タノカンサー)

福岡県朝倉市甘木から”

82

神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 “郡浦神社

(熊本県宇城市三角町)”

81

大相撲の桟敷席とは何か?

80

金凝彦=贈)綏靖天皇を確認 “遅れ馳せながらも阿蘇神社に金凝彦を認識した”

79

宮地嶽神社と安曇磯羅 K “未来の宮地嶽神社参拝者のために”

78

宮地嶽神社と安曇磯羅 J “宮地嶽神社について現在分かる範囲で” 

77

宮地嶽神社と安曇磯羅 I “宮地嶽神社とは如何なる性格を

持たされた神社なのか?(下)”

76

宮地嶽神社と安曇磯羅 H “宮地嶽神社とは如何なる性格を

持たされた神社なのか?(中)”

75

宮地嶽神社と安曇磯羅 G “宮地嶽神社とは如何なる性格を

持たされた神社なのか?(上)”

74

宮地嶽神社と安曇磯羅 F “「高良玉垂宮神秘書」では磯羅を

玉垂命と別神扱いしている”

73

宮地嶽神社と安曇磯羅 E “雑感” 

72

宮地嶽神社と安曇磯羅 D “志賀海神社と大川風浪宮”

71

宮地嶽神社と安曇磯羅 C “底筒男命と表筒男命” 

70

宮地嶽神社と安曇磯羅 B “安曇磯羅とは何者なのか?”

69

宮地嶽神社と安曇磯羅 A “安曇磯羅が祀られているのか? 否!!

68

宮地嶽神社と安曇磯羅 @ “五人寄れば文殊の知恵”

67

大国主を出雲の神様と考えておられる方に対して。僭越ながらも… 。

66

少彦名命とは何か?

65

天穂日命(アメノホヒノミコト)とは

64

博多の櫛田神社の祭神とは何か?

63

出雲井神社 初見 

62

松江市の高良神社の実見から

61

津山市の高良神社の実見から

60

オレオレデライタオ

59

後の九州王朝東遷の神社で当方をご存じの場合はご連絡下さい。

 “情報をお寄せ下さい!”

58

豊後は日田の大社 大原八幡宮も元は高良玉垂命を祀る

神宮だったのか!“2015新春日田三社詣りトレッキングより”

57

畿内に神沼河耳(第2代綏靖天皇)を単独で祀る神社などありえない!

56

神沼河耳(綏靖天皇)から阿蘇氏を考える“草部吉見を神武の皇子とする訳”

55

金凝神社 “日田市天ケ瀬町五馬市の古社”

54

秦の始皇帝と市杵島姫

53

阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神 B

52

阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神 A

51

阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神 @

50

美作の高良神社の下調べ “津山市押入の高良神社”

49

何故か感涙を禁じえぬあまりに立派な高木神社 “大任町の高木神社”

48

四国に高良神社を探る E “伊予、讃岐は物部のエリア” 

石槌神社は誰を祀るか?

47

四国に高良神社を探る D “讃岐(香川)編”“三豊市菅生神社の境内摂社”

46

四国に高良神社を探る C “讃岐(香川)編”“三豊市の

古刹本山寺は高良神社の神宮寺だったか?” 

45

四国に高良神社を探る B “讃岐(香川)編”“観音寺市

琴弾八幡宮は高良神社だった” 

44

四国に高良神社を探る A “伊予(愛媛)編”“西条市の石岡神社”

43

四国に高良神社を探る @“しまなみ海道〜中瀬戸自動車道 

年末2(車中)泊3日の駆足調査旅行” 捷一号作戦 

42

超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた “みやま市河内の高良玉垂の宮”

41

沖ノ島祭祀は宗像一族のものだったのか? “小田富士夫説から”

40

伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? G “籠神社から

大江山へ向かう前に”

39

伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? F “籠神社が九州から

持ち出された痕跡”

38

伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? E “まずは御由緒から”

37

伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? D “姫 戸”

36

伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? C “神風の伊勢”

35

伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? B “二 見”

34

伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? A “夫婦石”

33

伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮が存在するのか? @ “淡 海”

32

草部吉見神社の由緒書について 

31

百嶋神代系譜について

30

猫坂礎石群はワカヤマトネコヒコ(第9代開化天皇)の宮殿か “大野城市” 

29

伏見稲荷様も九州出身 “春日市の白川伯王益寿稲荷”

28

邪馬台国と対抗した狗奴国は熊本県益城町の朝来山とどのような関係があるのか? 

27

宗像大社は8世紀初頭まで三女神を祀っていなかった! “本当の祭神は大国主命”

26

“志賀島金印シンポジウム”と宗像の神 

25

熊本県南部不知火海沿岸と福岡県築上町の奇妙な地名対応 

24

大国主は九州で生まれた “オオナビコ(大国主命=オオナムチの

幼名)を祀る春日市の伯玄社”

23

コノハナノサクヤヒメを祀る霧島市溝部町の前玉(サキタマ)神社再訪 

22

禁断の百嶋由一郎神社考古学

21

宗像大社の祭神は三女神にあらず!!

20

細石神社とは何か?

19

天照大御神と卑弥呼宗女壹與(臺與)

18

「日本書紀」の裂田の溝(サクタノウナデ)“裂田神社に神功皇后と

一緒にいたのは誰か?” 

17

那珂川町に「天御中主神社」が存在する訳 

16

古表神社と古要神社 “古表神社の例大祭から古要宮へ”

15

天御中主神社が福岡県那珂川町片縄に現存する

14

「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)について “なんとか二本立てブログ体制が

軌道に載ったことから”“石上神社の元宮は美作の

石上布魂神社、元々宮はみやま市のこうやの宮と田中神社”

13

石上神宮所蔵の国宝七支刀はみやま市から美作を経由し

奈良天理へと移された!“石上神社の元宮は美作の

石上布魂神社、元々宮はみやま市のこうやの宮と田中神社”

12

阿蘇神社六の宮の実家 産山村の乙宮神社再訪

11

阿蘇外輪山の外に呉橋がある

10

熊本城の最深部に置かれた王昭君(昭君)の間と木下家

9

なぜ、「可愛」と書いて「エノ」と読む(呼ぶ)のか?

8

三潴の君は、なぜ、水沼の君なのか?

7

草部吉見神は、甑島(薩摩川内市)鹿島町の鹿島神社を通過したか?

6

みやま市の飯江八幡宮にも五七桐が!

5

肥後に高良神社を発見した!

4

久留米高良大社下宮(祇園社)の幸神とは何か?

3

宇佐神宮のお膝元、豊後は日田市に高良玉垂宮がある! 

2

岩倉社 ケベス祭りのケベスとは何か? A

1

岩倉社 ケベス祭りのケベスとは何か? @

20151001スタート

実際にはひぼろぎ逍遥、新ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)の1750本に加え、スポット版、ビアヘロ版 外…が500本以上ありますので、2350本を7年余りで書いたことになります。月産30本弱ですね。
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2021年04月15日

806(前) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

806(前) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

20191231

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ストックまで合わせると、ひぼろぎ逍遥(跡宮)+新ひぼろぎ逍遥+旧ひぼろぎ逍遥(新規を出さず凍結)の三本立で既にアップしたものと準備中のもので2,000本近いブログを書いてきました。

既に、分量だけで言えば私が2003年に出した「有明海異変」(不知火書房)刊換算で40冊ぐらいを書いてきた事になります。検索が大変な為、ここでリストを公開しておこうと思います。

決して手抜きではありませんが暫くお許しを願いたいと思います。タイトルを読むだけでも大変です。

無題.png

880

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多いD“諫早市江ノ浦町江ノ浦神社”

879

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多いC“雲仙市小浜温泉の小浜神社”

878

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多いB“諫早市守山町河上神社”

877

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多いA“諫早市 宗方神社”

876

長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多い@ 

875

往古平戸の早福から越後に移り住んだ一族がいたか? (下)

874

往古平戸の早福から越後に移り住んだ一族がいたか? (上)

873

若松のトレッキングで確認した北九州の方々がほとんど知らない神社 A 十五神社

872

若松のトレッキングで確認した北九州の方々がほとんど知らない神社 @ 田神社

871

宗像の神々 G 福岡県宗像市の熊野神社は宗像大社とどのような関係にあるのか?

870

宗像の神々 F 福岡県福津市の年毛神社の巨大製塩と消された猿田彦祭祀

869

宗像の神々 E 福岡県宗像市の原神社も圧迫された神社だった

868

宗像の神々 D 福岡県宗像市の鹽竈神社は博多の櫛田神社の大幡主を祀る

867

宗像の神々 C 福岡県宗像市にも白鬚の神が鎮座する 白鬚神社

866

宗像の神々 B 福岡県宗像市にも愛宕の神が鎮座する 愛宕神社

865

宗像の神々 A 福岡県宗像市多禮の指來神社とは何か

864

宗像の神々 @ 福岡県宗像市野坂の野坂神社も本来の神々を失っている

863

二つの鳥之子の分布状況を敬愛する玄松子様のデータから

862

鳥之子(天日鷲)も祀る天目一箇神とは鳥之子の祖神=ヤタガラス 

“熊本県山鹿市薄野神社”

861

百嶋由一郎阿蘇ご一家系図の連番の意味が分かった

860

日置姫とはもう一つの鳥之子「武夷鳥」の母神の“瀛ツヨソ足姫”なのか?

859

もう一つの鳥之子 武夷鳥 を祀る神社を探る “周防の防府天満宮”

858

新潟に鳥之子三宮神社があった

857

鳥子三宮神社の基底部を探る A

856

鳥子三宮神社の基底部を探る @

855

古代玉名から姫島への製鉄回廊に生れた波比岐神(疋野神社の主神)は

天皇扱いされた 香春神社

854

古代玉名から姫島への製鉄回廊に生れた波比岐神(疋野神社の主神)は

天皇扱いとされた 疋野神社

853

伊川とは何か? “福岡県飯塚市 伊岐須に注ぐ伊川” A “陝西省渭水盆地”

852

伊川とは何か? “福岡県飯塚市 伊岐須に注ぐ伊川” @ “北九州市の

伊川との対応から”

851

熊本県御船町の神武天皇祭祀を求めて 

850

海幸山幸神話再考 猿田彦を奉斎する神社の分布から考える…

849

海幸山幸神話再考 「高良玉垂宮秘書」を巡って “宮原 誠一論文063の転載 A”

848

海幸山幸神話再考 「高良玉垂宮秘書」を巡って “宮原 誠一論文148の転載 @”

847

海幸山幸神話再考 「高良玉垂宮秘書」を巡って

846

熊本県御船町の神武天皇祭祀を求めて “御船町宮崎神社”

845

景行記の八女津姫とは誰なのか? “八女津媛神社(福岡県八女市)”

844

大原八幡宮再考 北関東の大原神社から C 未知の駅 捄フサ が

描く大原神社(習志野編)

843

大原八幡宮再考 北関東の大原神社から B 未知の駅 捄フサ が

描く大原神社(流山編)

842

大原八幡宮再考 北関東の大原神社から A 未知の駅 捄フサ が

描く大原神社(君津編)

841

大原八幡宮再考 北関東の大原神社から @ 未知の駅 捄フサ が

描く大原神社

840

彦山再考“筑豊と筑後を睨む彦山とは何なのか?” @

839

古事記は何故高千穂を持ち上げたのか?

838

「秦の始皇帝はユダヤ人であった」と日本国史学会の学者が話している

837

続)川崎町(福岡県田川郡)大石神社の「石」の字には何故「、」が

付いているのか?

836

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か M “大帯姫

か大足姫か?”

835

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か L “ツヌガ

ノアラシトは何を…?”

834

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か K “スサノ

ウは姫島に来たのか”

833

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か J “国東の姫島から

周防の柳井へ”(下)

832

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か I “国東の姫島から

周防の柳井へ”(上)

831

「古事記」中つ巻  孝霊編 H “卑弥呼宗女伊予=細姫を妃とした開化天皇の祖父神”

830

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か H “肥後から姫島、国東へ”

829

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か G “櫛稲田姫は山鹿の

稲田村で生れた”

828

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か F “大宮神社

の境内摂社”

827

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か E “大宮神社

の本来の祭神は金山彦”

826

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か D “玉名、山鹿

から国東、姫島へ”

825

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か C “では大帯

八幡社とは何なのか”

824

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か B “何故仲哀を

祀るのか”

823

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か A  "仲哀を

祀る八幡宮群”

822

国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か @ “消えた

祭神を求めて”

821

「古事記」中つ巻  孝安編 G  “孝安は熊本県玉名市にいた景行の父神”

820

「古事記」中つ巻  孝昭編 F  “孝昭は阿蘇高森の草部吉見こと

ヒコヤイ(ハエ)ミミ”

819

「古事記」中つ巻  懿徳編 E “懿徳は安寧の子でなく神武ので僅かに

倭人伝にも登場する”

818

「古事記」中つ巻  安寧編  D “謎だった安寧天皇とは博多の櫛田神社の

大幡主=カミムスビだった”

817

「古事記」中つ巻  綏靖編 C “阿蘇氏の祖には神武の血統が継承

されているとは言えないのだが…”

816

「古事記」中つ巻  神武編 B “槁根津日古とは神武僭称贈る崇神の

弟だった”

815

「古事記」中つ巻  神武編 A “神武巡幸と神武僭称贈る崇神の神武

東征とを分離しよう”

814

「古事記」中つ巻  神武編 @ “笑ってしまいますが…宇沙都比古が

神武を迎えたと言うのです”

813

柴刺が沖縄にもあった“「てぃんぬてぃーだ」 − 琉球とユダヤ民族の

絆 − 與儀喜美江 から”

812

諸塚村再訪 D 諸塚神社参拝殿上部の神紋 “2月の諸塚神楽大祭”

811

再び博多の櫛田宮について


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

806(中) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

806(中) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

20191231

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


現在は更に増え(ストックも含め)ています。

810

集合場所とした大分八幡宮も考えましょう “福岡県飯塚市大分の大分八幡宮”

809

筑豊にも白山姫を祀る神社が在る “福岡県飯塚市上三緒の白山神社”

808

思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥のリストを見直す A

807

思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥のリストを見直す @

806

思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す A

805

思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @

804

北九州市若松区には九州王朝系神社ばかりが鎮座していた…“若松の

神社調査の下調べとして”

803

福岡県篠栗町の神社トレッキングで百嶋由一郎氏が書いた看板を発見した

802

祭神の組み合わせに魅かれる“津和野町 弥栄神社”

801

祭神の組み合わせに魅かれる“津和野町 太鼓谷稲荷神社”

800

集合場所とした大分八幡宮も考えましょう “福岡県飯塚市大分の大分八幡宮”

799

筑豊にも白山姫を祀る神社が在る “福岡県飯塚市上三緒の白山神社”

798

筑豊にも大山祗を祀る三嶋神社が在った “福岡県飯塚市菰田東の三嶋神社”

797

筑豊に本物の神武天皇とその母神を祀る神社があった “福岡県飯塚市高祖神社”

796

諸塚村再訪 C(諸塚元宮) “諸塚山頂の神々の画像を貰いました”

795

諸塚村再訪 B (桂神社) “宮崎県諸塚村の桂神社とは一体何か?”

794

淡路島にはもう一つの高良神社があった “南あわじ市に九州王朝の没落を見た”

793

始めて踏む淡路島の高良神社を確認した “兵庫県南あわじ市“

792

諸塚村再訪 A(七つ山) “宮崎県諸塚村の二つの七つ山と二つの桂正八幡神社”

791

諸塚村再訪 @(太白) “宮崎県諸塚村七つ山諸塚神社”

790

15年来の謎だった熊本県多良木町久米の思川(オメゴウ)の意味が

少し解けてきた A 波津

789

15年来の謎だった熊本県多良木町久米の思川(オメゴウ)の意味が

少し解けてきた @ 思川

788

球磨川以南の肥後の神社を少しずつ A “熊本県旧田浦町井牟田の金山神社”

787

球磨川以南の肥後の神社を少しずつ @ “熊本県旧田浦町波多島の矢具神社”

786

通夜の帰りに筑後と肥後の境界領域の初見の神社を訪ねて見た 

“熊本県南関町の熊野座神社”

785

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の神社に

再訪 D 嘉麻市の荒穂神社

784

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の

神社に再訪 C 飯塚市の日若神社(下)

783

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の

神社に再訪 B 飯塚市の日若神社(上)

782

呉国との通信 江蘇省在住の列島の呉の研究者からのメールにお答えして

781

筑豊 赤村の巨大古墳?にも近接する 大仰な名の大祖神社、太祖神社

とは何なのか?

780

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の神社を再訪 

A 嘉麻市の馬見神社

779

事代主のブログ氏の案内で宮若〜飯塚〜嘉麻の筑豊三市の神社を再訪 

@ 宮若市の天照宮

778

芥屋の大門の参拝神社か…二人の妙齢の美女に随行し糸島の大祖神社を

訪ねてみた A

777

芥屋の大門の参拝神社か…二人の妙齢の美女に随行し糸島の大祖神社を

訪ねてみた @

776

新たに熊本市内に雨宮を発見した “南熊本駅からの帰路発見した

江津湖に近い雨宮”

775

南阿蘇で見落としていた重要な一社 “旧白水村 明神池遊水池と塚群神社”

774

No.121 祓戸の大神(瀬織津比)と櫛稲田姫A “宮原誠一

の神社見聞牒からの転載”

773

No.120 祓戸の大神(瀬織津比)と櫛稲田姫@ “宮原誠一

の神社見聞牒からの転載”

772

沖縄の波上神社とは何か? “ノロの修行に通っているN女史から

波上宮のお札を頂いた”

771

菊池氏とは大山祗系の民族だった!“内倉武久氏ほか4人で宮崎熊本

県境の狭上稲荷神社に…”

770

熊本の二人の女性と博多の櫛田神社を二時間掛けて観察した

769

孝霊天皇と細姫との神像を発見か

768

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対して

どうしたら関心をもって頂けるかと…A

767

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対して

どうしたら関心をもって頂けるかと…@

766

草部吉見から大国主命傘下に移行した市杵島姫

765

八心大市比古を祀る富山の古社への下調べ

764

再び「牟礼」地名を考える

763

草部吉見の政略結婚を考える

762

出雲(旧朝倉郡)の国譲りの背景を考える

761

熊本市にも神武天皇の母君を祀る神社があった

760

博多周辺の天降神社と祭神の東西分裂をどう見るか

759

宮崎市の熊野神社をどう考えるか

758

宮崎県国富町の赤池神社に猿田彦をどう考えるか

757

宮崎市の木花神社から宮崎神話をどう考えるか 下(大将軍社とは何なのか?)

756

宮崎市の木花神社から宮崎神話をどう考えるか 上(宮崎神話日向三代への藤原の介入)

755

日南海岸の鵜戸神宮の元宮か高鍋町の鵜戸神社再訪

754

天御中主命〜大幡主〜ヤタガラスのご先祖様がいた土地とは

753

県境を越えた足元にも九州王朝系神社があった “熊本県小国町

小川内、下城の若宮神社” 

752

地元の鉾納社に15年ぶりに訪問した A “熊本県小国町黒渕の草部吉見系神社” 

751

地元の鉾納社に15年ぶりに訪問した @ “熊本県小国町黒渕の草部吉見系神社”

750

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(再々考)“全国の川上神社の

祭神を調べよう”

749

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(再考)“一体川上神社とは何なのか?”

748

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(下)“金屋集落は廻船業者の街”

747

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(中)“金屋の南さんとは何か”

746

宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(上)“駅館川河口を見下ろす川上神社”

745

阿蘇山上神社トレッキングから阿蘇氏始祖惟人の系譜を疑う

744

平成の御代替わりの阿蘇山上神社トレッキングから阿蘇神社の祭神を再考する

743

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして G “伊賀市の山奥に若宮が…”

742

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして F “主神として大市姫を

祀る神社があった”

741

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして E “伊勢市の伊雑宮(佐美長神社) ”

740

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして D “伊勢市の猿田彦神社”

739

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして C “鈴鹿市の椿大神社”

738

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして B “稚日女尊を祀る香良洲宮”

737

白川郷をパスして

736

阿蘇山上神社から阿蘇氏の祭神を再考する

735

合掌造りの里富山県五箇山の菅沼集落の塩硝小屋

734

合掌造りの里富山県五箇山で見た住吉神社の門光紋

733

合掌造りの里富山県五箇山で見た五七の桐紋 “相倉集落の地主神社”

732

米水津湾の神々 C “米水津竹野浦の天満宮の写真が消えた〜代わり

に津久見市の石鎚神社”

731

米水津湾の神々 B “大分県佐伯市米水津小浦の粟島神社”

730

米水津湾の神々 A “大分県佐伯市米水津宮野浦の天満宮の景行伝承”

729

米水津湾の神々 @ “大分県佐伯市米水津色利浦の立岩神社の衝撃”

728

越前大野の篠座神社初見 (続編)“九頭竜川が生み出した大平野に

蟠踞する大国主祭祀”

727

越前大野の篠座神社初見 “九頭竜川が生み出した大平野に蟠踞する

大国主祭祀”

726

比沼麻奈爲神社初見 “京丹後にもう一つの元伊勢を見出した”

725

佐用都比賣神社(兵庫県佐用町)の奥の院伯母宮は天照大御神の母神を祀る

724

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして A 右離れ立ち葵の神紋を

持つ奈良の墨坂神社

723

伊勢から紀伊の神社調査への下調べとして @ 伊賀の国の一宮 敢國神社

722

僭越ながらようやく稲荷が少しは分かってきたような気がしています

721

那珂川市の伏見宮とは何か? “百嶋翁から伏見稲荷の元宮と聴いた

那珂川の伏見宮”

720

人吉在住の女性によるblog「ひろっぷ」のご紹介

719

福岡県糸島市の桜井神社再考(下)

718

福岡県糸島市の桜井神社再考(中)

717

福岡県糸島市の桜井神社再考(上)

716

福岡県那珂川市の現人神社とは何か?(下)

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福岡県那珂川市の現人神社とは何か?(上)

714

天草市本渡の繭姫神社とは何か?

713

美作国 津山の南に白雲皇帝を探して

712

亡命した菊池氏によって持ち込まれた狭上(サエ)稲荷神社が

今も西米良村の最深部で息続ける(下)

711

亡命した菊池氏によって持ち込まれた狭上(サエ)稲荷神社が

今も西米良村の最深部で息続ける(上)

710

南北朝争乱期に奮闘した菊池氏のゲリラ戦根拠地宮崎県西米良村村

所の村所八幡宮初見

709

神無月ですから少し変わった「出雲」の話をしましょう A

708

神無月ですから少し変わった「出雲」の話をしましょう @

707

人吉盆地の懐深く冬至祭に巡る神社トレッキング A

706

人吉盆地の懐深く冬至祭に巡る神社トレッキング @

705

福津市の須多田古墳から天降神社を考える “伊藤まさこ女史による

古墳の考察から”A

704

福津市の須多田古墳から天降神社を考える “伊藤まさこ女史による

古墳の考察から”@

703

人吉盆地 あさぎり町久鹿の天子神社の「クシカ」とはトルコ系匈奴の

地名ではないのか? A

702

人吉盆地 あさぎり町久鹿の天子神社の「クシカ」とはトルコ系匈奴の

地名ではないのか? @

701

福津市の須多田天降神社古墳の主を教えて欲しいと問合わせされた

寺島さんのルーツについて

700

福津市の天降神社の祭神と須多田天降神社古墳の主を教えて欲しい

との乱暴なお問合わせに…

699

百嶋先生が言われていた宮司や禰宜による秘密の勉強会について

698

神無月ですのでもう少し出雲についてお話ししましょうか

697

物部の大原足尼命を祀る日田の大原八幡神社とは何か?

696

日田の大原八幡神社も物部の神社だった “大分県日田市の大原八幡宮を疑い再考へと”

695

大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県みやこ町の大原八幡神社”

694

大原八幡神社は物部の神社だった “福岡県苅田町の大原八幡神社”

693

福岡県苅田町での神社と古墳のトレッキングから 今回は資料だけをお見せします

692

百済来川が球磨川に注ぐ “球磨川流域の百済来と多良木”

691

人吉盆地の奥深く鎮座する熊野神社の正体を見たのか? “熊本県

あさぎり町岡留熊野坐神社”

690

橘一族を考えるに際して“神主玉の流れから橘一族が生れた”C 

勝手ながら玄松子様から

689

橘一族を考えるに際して“神主玉の流れから橘一族が生れた”B 

百嶋神代系譜から

688

橘一族を考えるに際して“神主玉の流れから橘一族が生れた”A 

関東ビューローから

687

橘一族を考えるに際して“神主玉の流れから橘一族が生れた”@ 

関東ビューローから

686

伊豆能売の神とは何か? F “大本教の伊都能売神諭から”

685

宮原さんに曳かれて天満宮へ “朝倉市古賀の天満宮は天満宮なのか?”

684

宮原さんに曳かれて朝暗神社へ “朝倉市須川の朝暗神社の基層には誰が

祀られているのか?”

683

宇土半島の付け根にも熊野神社があった… “旧松橋町の松橋神社”

682

有明海、不知火海周辺の十五社神社は阿蘇神社ではなかった“宇城市の

十五柱神社から”

681

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… G “そもそも三女神とは何なのか”

680

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… F “宗像大社の境内に

置かれなかった大国主命の長男”

679

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… E “宗像大社の祭神は元から

三女神だったのか”

678

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… D “宗像大社の東に大国主命を

祀る神社がある”

677

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… C “宗像大社の西に大国主命を

祀る神社がある”

676

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… B “神湊の津加計志宮に大国主命

の痕跡を探る”

675

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… A “少し振り返って出雲と

大国主命を考えよう”

674

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… @ “宗像大社を楢ノ木の神紋から

考えましょう”

673

有明海を挟んで久留米を正面に見据える高良玉垂宮 “佐賀県武雄市武雄町

永島の玉垂社”

672

橘 諸兄を主神とする潮見神社 “佐賀県武雄市の故地に息づく橘一族の一社”

671

有明海最奥部に静かに鎮座する海童神社

670

作業中

669

作業中

668

作業中

667

作業中

666

作業中

665

作業中

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作業中

663

作業中

662

作業中

661

作業中

660

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! D 阿蘇神社

祭神編

659

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! D 阿蘇神社

数理編

658

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! 番外 二つの

直角三角形

657

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! C 両神社

祭神編

656

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! C 両神社

数理編

655

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! B 吉松宮

数理編祭神編

654

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! A 阿蘇霜

宮数理編祭神編

653

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国

造神社 祭神編

652

“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国

造神社 数理編

651

阿蘇山を中心に“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が精密に配置されている! 

650

九州王朝成立前夜の解明へ C “出雲の地名起源から伊豆の伊豆山

神社までを考える”

649

九州王朝成立前夜の解明へ B “九州王朝を支えた多くの民族集団”

648

九州王朝成立前夜の解明へ A “雲南省昆明にいた白族が日本列島を開拓した”

647

九州王朝成立前夜の解明へ @ “雲南省麗江にいた多大将軍の一族が

日本列島を開拓した”

646

「風呂地名」の解明へ “千葉県の例から”

645

「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”A

644

「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”@

643

火の君とは歴代の橘一族だった B 緊急提言 全国の九州王

朝論者に告ぐ! “橘一族とは白族!”

642

火の君とは歴代の橘一族だった A 緊急提言 全国の九州王

朝論者に告ぐ! “白族は雲南から”

641

火の君とは歴代の橘一族だった @ 緊急提言 全国の九州王

朝論者に告ぐ! “九州王朝の白族”

640

白雲皇帝を探して “岡山県美咲町大垪和(ハガ)西の謎の古社一の宮神社”

639

志波彦神社(塩竈市)の志波彦とは塩土老翁か豊玉彦か?

638

熊本県西原村の白山比売神社について

637

八代神社(妙見宮)と霊符神社と竹原神社 E 「宮原誠一の神社見聞諜」

へのご招待 (下)

636

八代神社(妙見宮)と霊符神社と竹原神社 E 「宮原誠一の神社見聞諜」

へのご招待 (上)

635

熊本県氷川町上有佐の香取神社について補足“「かんじょみさん」とは

風読みさん?”

634

熊本地震で被害を受けた西原村の阿蘇四ノ宮神社とは何か?

633

鰐大明神が鎮座する佐賀県神埼市志波屋とは

632

鳥子三宮神社再考 “阿蘇系神社と思われている熊本県西原村鳥子神社”

631

熊本地震で被害を受けた境内に雨宮姫を祀る神社 “熊本県西原村宮山の宮山神社”

630

ひぼろぎ逍遥(跡宮)576 宮地嶽神社の戦前の祭神 阿部相凾宮地嶽大明神

について の転載

629

「魏志」伊都の長官「爾支」(ニキ)を祀る神社

628

「伽耶」地名について百嶋メモから

627

「桜川」

626

出羽から陸奥への道 番外 続“山を森と呼ぶ人達”

625

北海道は江差の姥神大神宮と宮地嶽神社 A

624

北海道は江差の姥神大神宮と宮地嶽神社 @

623

続)タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu

622

タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu (下)

621

タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu (上)

620

三角町の波多神社の天四柱神とは何か

619

鈴木神社訪問前にお昼の休憩をした本村神社について 

618

鈴木神社をご存じですか? “熊本県天草市の”鈴木重成公“を祀る神社

617

南阿蘇への迂回路に鎮座する湧水池と塩井社をご存じですか?

616

浦島太郎はなぜ亀に乗って竜宮城に向かったのか? (拡大編)

615

浦島太郎はなぜ亀に乗って竜宮城に向かったのか? (本編)

614

浦島太郎はなぜ亀に乗って竜宮城に向かったのか? (導入編)

613

有明海、不知火海沿岸の猿田彦神社探訪から見えた神像の素性について

612

続)徳島の天津司神社 @〜A  “四国の「もう一つの歴史

教科書問題」氏による近稿からの転載”

611

徳島の天津司神社 @〜A  “四国の「もう一つの歴史教科書問題」氏に

よる近稿からの転載”

610

ヒョウカリイライ(馮河黎来)改訂版

609

改訂版)八島神社の衝撃 “山鹿市千田聖母宮摂社の八島神社”“事代主の

ブログ氏と…A”

608

改訂版)肥後で最も重要な神社 “山鹿市千田(旧鹿央町)の聖母宮”

“事代主のブログ氏と…@”

607

出羽から陸奥への道 番外 続“山を森と呼ぶ人達”

606

古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう A

605

古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう @

604

西原村復興のための「聖徳太子研究会」@〜Cに向けて “宇土の八兵衛の逃亡ルート

603

信州への神社調査のための下調べから ”長野県上田市の生島足島神社“

602

熊本市の中心部に鎮座する大江神社初見 “隠された金山彦神“

601

出羽から陸奥への道 番外 “真室川音頭の真室川についての妄想”

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記