2021年04月09日

804 北九州市若松区には九州王朝系神社ばかりが鎮座していた…“若松の神社調査の下調べとして”

804 北九州市若松区には九州王朝系神社ばかりが鎮座していた…“若松の神社調査の下調べとして”

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 最近、北九州一帯で活動されている丁巳歴史塾との提携話が進んでいますので、改めて遠賀川右岸の山鹿(ここではそう呼ばせて頂きますが)島=江川の北岸一帯の神社を概括して見ました。

すると、天御中主〜大幡主(神産巣日神)〜ヤタガラスを中心に九州王朝を支えた一族が崇敬していたと思える神々が並んでいる事に気付きました。このため都市化によって遅れていた北九州方面への神社探査の先駆けとしてまずは若松辺りから神社調査を進めて見たいと思います。

今回は「福岡県神社誌」…と言った基礎的資料を一先ず置いて概要だけをお話しして見たいと思います。

まず、実質的に北九州に入ったなあと実感する筑豊から玄海灘に注ぐ大河遠賀川東(右)岸の玄海灘側から作業をする事にしますが、以前、遠賀川河口に集中する「イヅノメ」を祀る神社群(45社)が実は宗像三女神のお一人の豊玉姫を祀る神社であることはご報告致たしました。以下オンエア済。


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

686

伊豆能売の神とは何か? F “大本教の伊都能売神諭から”

454

伊都能売神(イヅノメノカミ)を奉斎する方々へ A

453

伊都能売神(イヅノメノカミ)を奉斎する方々へ @

438

伊豆能売の神とは何か? E “伊豆能賣の中間調査を終えて思う事” 

437

伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と

呼ばれたのか?”

436

伊豆能売の神とは何か? C “遠賀川左岸に伊豆能賣を発見した

 ”遠賀町の伊豆神社“ 

435

伊豆能売の神とは何か? B “遠賀川右岸の二つ目の伊豆神社の

元宮か?”久我神社 

434

伊豆能売の神とは何か? A “二つ目の伊豆神社” イヅノメの

神が少し分かってきました

433

伊豆能売の神とは何か? @ “遠賀川河口の両岸に伊豆神社が並ぶ”

    

 今回はそれに続く東側に展開する神々のお話になります。


無題.png

この洞海湾と玄海灘と江川に囲まれた仮称山鹿島とでもいう一帯に住み着いた人々がどのような人々であったかがこの神社群を見ると大まかには推定できるのです。

その話に入る前に外部の方は江川水道をご存じない方が多いと思いますので簡単に説明しておきます。


無題.png一級河川遠賀川水系 江川は、八幡西区と若松区の区境を流れ、東は洞海湾に注ぎ、西は一級河川遠賀川に合流する、全区間で潮位の影響を受ける感潮河川です。
現在、江川流域で「北九州学術・研究都市整備事業」による大規模開発が進められており、早急な河川改修が望まれています。

 古くは東から進んだ神功皇后を熊鰐が出迎え、太閤殿下の九州侵攻作戦でも利用した非常に便利な水道が江川だったのです。

この川は海辺に住む人々しか理解できない山から海ではなく海から海に流れる海の運河というか水道なのです。               蜑住アマズミ(汐分橋付近

 話を戻します。まず、どのような神社が存在するかを見て頂く為にグーグル検索を使わせて頂きます。

 ただ、全ての神社を一度で表示する事はできませんのでこれ以外にもかなりの漏れがあると考えて頂きたいと思います。

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先にこの一帯には、天御中主〜大幡主(神産巣日神)〜ヤタガラスの流れを汲む白族系の神々が祀られていると申し上げました。きっとこの一族の血を継承される方々も少なからずおられるはずなのです。

東の洞海湾の出口には白山神社が2社鎮座しています。細分化した地図には藤ノ木に白山神社が2社あり、更に北の小竹地区にも白山神社がありますのでこれらと併せ4社の白山神社があることになるのです。

これも白山姫が天御中主と分かれば、この一帯が白族系の人々が住み着いている事が分かるのです。

日本ではあまり白族という概念が流通していませんが、それは一民族一国民と錯覚し誇りとさせた戦前以来の皇国史観の延長にあるもので致し方ありません。


無題.png【ペー語(白語)】第1回 〜ペー族(白族)とペー語(白語)〜 2018-01-25

ペー族(白族)ペー族は、中国の少数民族の一つです。現在の人口は約195万人(2010)、そのうち約100万人が雲南省の大理白族自治州に住んでいます。自称は「ぺーニ Berp nid」、「ペーヅ Berp zi」、「ペーホ Berp huo」です(ローマ字表記は後述のローマ字ペー文(大理方言)、以下同じ)。また歴史的には、漢語(中国語)で民家とも呼ばれていました。民家の名称は、1949年の中華人民共和国成立後にも使用されており、1956年、正式に「白族」の名称に改められました。



 この白山姫が石川県の白山姫神社ひいては東北の白山神社系に繋がっている事は言うまでもありません。

 ただ、神社も宮司も積極的に説明しないため、妙見、天御中主と同一とはあまり知られていません。

 これが肥後八代の妙見神社、筑後久留米の水天宮、佐賀県の伊万里辺りから散見される白山神社から糸島から旧二丈町にも分布している白山神社と同じものだとはなかなか思考が付いて行かないのです。

 代表例は福吉の白山神社でしょう。正月の元旦には神楽が舞われる事で知られる神社です。

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白山神社 カーナビ検索 福岡県糸島市二丈福井4909


祭神は左殿:伊弉諾尊 中殿:菊理姫命(白山比咋大神)右殿:伊弉册尊 であり、神社の表記でも菊理姫命=白山姫=天御中主と分かるのです(なお、大阪の富田林には美具久留御魂ミククルミタマ大神神社が在ります)。

 この天御中主の弟である白川伯王の孫娘が市杵島姫であり、宗像三女神の杵島姫命、田心姫命、湍津姫命を祀る神社で良いのですが、主神は市杵島姫であることは言うまでもありません。

 次に戸明神社、戸脇神社が魚釣池の西側に4社ほどが並んでいます。

 戸明は戸開であり、手力男命=スサノウの命で良いと考えられます。戸脇神社も「産土神名帳」氏に依れば、天手力雄命としていますので間違いないのです。

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 神功皇后伝承の残る蜑住(アマズミ)地区の西に多くのスサノウ系氏族が展開しているのですが、その理由は不明です。彼は新羅の王子様であって半島からの侵入者と考える事は一応可能です。ただ故地は列島らしいのです。この白山姫の弟の白川伯王の子である博多の櫛田神社の主神大幡主の傍に素戔嗚大神(祇園宮)として鎮座されておりスクラムを組んだ同族に近いものと考える事はある程度理があるのです。


博多の櫛田神社

【縁起】博多の総氏神様としては最古の歴史を有し、天照皇大神(大神宮)、大幡主大神(櫛田宮)、素戔嗚大神(祇園宮)が祀られています。以前は3つの社にそれぞれ祀られていたそうです。大幡主大神は孝謙天皇天平宝字元年(757年)託宣によって鎮座され、素戔嗚大神は天慶4年(941年)藤原純友の乱の追討使小野好古が戦勝奉賽のために勧請されたといわれています。天照皇大神の奉祀についてはあまりにも古く史実としてはっきりしないそうです。無題.png


無題.png図に少し外れていますが、かなりの八剣(ヤツルギ)神社があります。これも菅原神社と併せ、スサノウを祀る神社と考えて頂いて良いと思われます。博多の櫛田神社の大幡主の傍にスサノウがおられますので納得。

 恵比須神社が二社見えます。大国主の命の長男とされるのがこの人物ですが、百嶋神社考古学ではそれを認めません。ただの臣下でしかないのです。さらに言えば、宗像神社の本当の祭神が大国主命と言う事が理解できれば、この山鹿島の一角に同社が鎮座する意味は理解できるのです。

無題.png

北九州の方にとって分かり難いのが十五社神社でしょう。

ところがこの神社が集中的に存在している場所があります。天草です。恐らく60から70社近くはあると思います。

現在、この神社は阿蘇12神+3柱という構造を取っていますが、これは阿蘇氏の権勢が天草まで広がった南北朝争乱期に十王(ジューオウ)という現地音に併せて阿蘇12神+3神が持ち込まれているのです。

十王とは龍王だとしたのは柳田国男でしたが、R音が苦手な民族はD音で代行したのです。

日本語の尻取り遊びにR音(実はL音なのですが)が少ないのもこれと関係しており、ラジオ、ラッパ、ライオンで後が亡くなる事は皆さん良くご存じで、日本人は元はこの音を使っていなかったのです。

この天草周辺(佐賀県から福岡県に掛けての有明海湾奥にも分布している…佐賀市には=南の有明海側に十五という大字までありますが)十五社は阿蘇の神々と考えると大間違いで、少なくとも鎌倉以前は豊玉彦=ヤタガラス=大幡主(カミムスビ)の子を祀る神社のはずなのです。

第一、馬で地上を征圧した阿蘇氏が船で動かざるを得ない天草を元々支配していたとは考え難いのです。

 この外、非常に興味深いのが安屋の笠松神社です。

 この神社は未踏ながらネット検索を行うと祭神は天忍穂耳命、天穂日命とされるようで、前者は阿蘇高森の草部吉見神、後者は豊玉彦=ヤタガラス=龍王神…で良いのです。「県神社誌」は後で確認します。


由緒不明・・・ですがご神体は竜神様と云われている石らしいです。

昔、この辺りで疫病が流行り、安屋の人々が竜神様の祟りだと恐れ、ここに祀ったとのこと。

年代は不明です。竜神様をお祀りしてあるのに御祭神に含まれていないのは「?」ですが、あまり突っ込みますまい・・・また、この神社は畜産農家(牛)のかたがたの崇敬が厚く、7月には「牛魂祭」が執り行われております。

無題.pngによる


下調べのためのもので、未踏の神社をネット情報だけで書くという狡猾な事をやっているので、申し訳ないのですが、これも地場のブロガーによるもので、日々の”楽しい”をみつけるブログから


無題.pngそれにしても、まだ、八大龍王と刻まれる理由はわかりません。そこで、「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)を調べてみると、ここ笠原神社から南東に700mほど下ると、坊ヶ渕と呼ばれる場所がありました。

坊ヶ渕は、昔、遠賀・鞍手・嘉麻・穂波4群の雨乞所として有名。渕は竜神が祀ってある。その龍は8頭の大竜で、古来竜は雨を呼ぶといわれ、この渕の竜神に雨乞の祈願をした。「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)


 これで十五神社同様龍王(八大龍王)祭祀と考えてきた我々の想定が裏付けされた事にもなりそうです。

 ただ、牛馬の話が出てきますので牛頭天皇とされるスサノウを考える価値があります。

 博多の櫛田神社の主神が大幡主でその子がヤタガラス=龍王であり、大幡主の脇神がスサノウですので 許容範囲とは言えそうです。

 無題.pngさて、最後に北九州の方には分かり難い田神社の話をすることにします。

 まずこの神社は甘木、朝倉、杷木の一帯に60社ほどあります。

 ところが、一社を除き全てが無格社扱いとなっているのです(「福岡県神社誌」下巻所収無格社一覧)。

 普通、無格社と言えば氏子がいない小さな祠程度のものを想像しますが、この田神社はきちんとした社殿、境内を持つ堂々たる神社という風格を持つものも多数あるのです。

 このことから何らかの政治的な争乱によって消された神社である事は明らかなのです。

これについては粗方の見当を付けていますが、別稿とします。既にネットには出ています。

 敢て一言言えば出雲の国譲り大国主の国譲りと関連しているのです。大国主は九州人です。

 では、祭神はと言えば埴安彦+埴安姫、埴安彦単独…がほとんどで、博多の櫛田神社の大幡主、その妹神である埴安姫(金山彦のお妃)を祀るものなのです。


鹿児島限定と考えられている田神様(タノカンサー)については、これまでにも ひぼろぎ逍遥(跡宮)として、083タノカンサーの正体とは何か?“甘木公園の田神様(タノカンサー)福岡県朝倉市甘木から”217 甘木に二つ目のタノカンサーを発見した!(共通掲載)として書いていますが、二つ目、三つ目の田神社を発見したことから、今回改めて「福岡県神社誌」上中下を調べてみると驚愕すべき事実に直面したのでした。 

ざっと目を通しただけの荒いカウントですからその範囲で理解して頂きたいのですが、「田神社」として幟を揚げた神社は甘木インター南の朝倉市甘木草水に一社(旧村社)が存在しているだけなのですが、愕くことに、無格社として朝倉郡を中心に同郡だけでも40社近く(範囲を広げると60社)が拾えたのでした。

今回はこのリストを公開する紙面がありませんので村社として掲載されている一社を紹介するだけに留めますが、これを基礎資料として今後の調査を考えたいと思っています。

鹿児島のタノカンサーが甘木朝倉になどあるはずがない!とお思いの方は多いと思いますが、詳しくは、blogひぼろぎ逍遥(跡宮)のバックナンバーをお読み頂くとして、百嶋由一郎先生は“「田神様」(タノカンサー)は大幡主と大山秖の二神による擬神体を成していた”と言われていました。

今回、朝倉郡だけでも40社近い無格社を発見した事によってその実体がある程度掴めた事にはなるのですが、その先にどう考えても隠されている(九州王朝の発展期に於ける南九州経営の事績か?)のではないかという新たな謎が浮上してきたのでした。

朝倉市甘木草水の村社は、表向きには「菅原神」を主神としているようですが、社名が「田神社」、境内社として五穀神社(埴安命)とあります。このため、元は主神として田神社(埴安命)が祀られていたことが丸分かりになっています。大幡主の妹は埴安姫ですから、埴安命とは大幡主以外は考えようがありません。ここでも故)百嶋由一郎氏の説の正しさが証明されつつあるようです。

九州の現場には、まだまだこのような驚愕すべき事実が痕跡を留めているのです。

藤原が捏造した「古事記」「日本書紀」をそのまま鵜呑みにする方々には決して見えてこない事実です。

文献、フィールド、考古学、神社、海外史書…とバランスの取れた研究が必要であることが分かります。

中でも戦前の反省とかから徹底して無視されているのが神社研究なのです。

ひぼろぎ逍遥

スポット 041(前) 6.26 甘木朝倉「田神社探訪トレッキング」での驚愕すべき発見! @


簡略化して言えばこの一帯の山地には大山祗を祀る山神社、大山祗神社が大量にあり、平地には大幡主を祀る田神社があるのです。

この二人の神代史のスターが南九州=古代日向のタノカンサーになっているのです。

「神社誌」でこの事を調べていて北九州にも田神社が在る事には気づいていましたがその一つなのです。

無題.png最期に、御嵜神社と言う小さな祠の話でとりあえずの作業を終える事にします。詳しくは実踏後に「神社誌」と突き合せて選別しトレッキング用の資料を作ります。

 さて、この神社ですが始めは見当が付きませんでした。

 傍に妙見崎灯台があることから天御中主系の神社であろうことは推測が着きました。


御祭神

再び無題.pngによる


 始めから神代史のスターが揃い踏みしていますが、これは明治期の再編成によるもののはずであって、本質は現在の宮地嶽神社の祭神「


妙見社もある事から、若松とは天御中主命とそのファミリーばかりが鎮座している事が分かります。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)



 総じて、この若松一帯は、阿蘇系、応神天皇の八幡神、ニギハヤヒ系の物部神がほとんどない事が特徴のようです。どうやら若松に鎮座する神社の概要が見えてきました。今年の五月にでも二日制の神社トレッキングを行ないたいと思います。


百嶋由一郎氏が残した神代系譜、講演録音声CD、手書スキャニングDVDを必要な方は09062983254

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2021年04月12日

805(前) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @

805(前) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @

20191231

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ストックまで合わせると、ひぼろぎ逍遥(跡宮)+新ひぼろぎ逍遥+旧ひぼろぎ逍遥(新規を出さず凍結)の三本立で既にアップしたものと準備中のもので2,000本近いブログを書いてきました。

既に、分量だけで言えば私が2003年に出した「有明海異変」(不知火書房)刊換算で40冊ぐらいを書いてきた事になります。検索が大変な為、ここでリストを公開しておこうと思います。

決して手抜きではありませんが暫くお許しを願いたいと思います。タイトルを読むだけでも大変です。

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500

南阿蘇に急造された新興パワー・スポット “高森町の上色見熊野座神社”

499

佐賀県唐津市浜玉町にも武雄神社がある

498

大分県豊後大野市への神社探訪 “朝地町綿田の俵積神社”

497

大分県豊後大野市への神社探訪 “朝地町朝倉の舘雲見神社”

496

大分県豊後大野市への神社探訪 “朝地町梨小の神男嶽神社”

495

肥後、薩摩国境の温ノ谷に息づく神社を参拝して見た “水俣市湯ノ鶴温泉の湯出神社”

494

高良大社と宮地嶽神社の謎を解くみやま市山川町の謎の神社

493

百嶋神社考古学が描く列島の古代 B 全国の九州王朝論者の皆さんに! 

“列島は多民族国家” 

492

百嶋神社考古学が描く列島の古代 A 全国の九州王朝論者の皆さんに! 

“出雲神話とは” 

491

百嶋神社考古学が描く列島の古代 @ 全国の九州王朝論者の皆さんに! 

“はじめに”

490

素晴らしい龍の手水盤のある神社 “国東市糸永の八坂神社”

489

神功皇后は佐賀県の脊振山中で産まれた! “宮原誠一の「神社見聞諜」からの転載”

488

賀茂族の立葵が眩しい神社 “島根県安来市加茂の賀茂神社”

487

トレッキングで訪問する八幡宮について “福岡県うきは市若宮八幡宮”

486

九州トップの観光地の湯布院を静かに見守る謎の古社 “若宮八幡神社”

485

ヤマタノオロチ退治異伝(「高良玉垂宮神秘書」)“宮原誠一研究のご紹介”

484

有明海のど真ん中 湯島の神社探訪 “上天草市湯島の諏訪神社”

483

古代の痕跡を今に留める高千穂峡手前に鎮座する不思議な神社 

“高千穂町上野 上野神社”

482

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… M 朝来市の

足鹿神社再訪

481

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… L 朝来市の

赤淵神社の驚愕 下

480

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… K 朝来市の

赤淵神社の驚愕 上

479

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… J 朝来市の

當勝(マサカツ)神社の感動

478

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… I 宍粟山中の

大社 御形神社

477

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… H 朝来に移動中に

遭遇した大生部兵主神社

476

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… G 京丹後周辺の

「口石」類型地名について

475

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… F 竹野神社

(京丹後市)初見

474

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… E 宇良神社

(伊根町)浦島神社再々訪

473

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… D 大宮売神社

(京丹後市)下

472

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に…  C 大宮売神社

(京丹後市)上

471

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… B 月山富田城を

望む名もない神社について

470

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… A 京都府

京丹後市の地名に関して

469

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… @ 兵庫県

豊岡市 宇日、多久日の三宝荒神

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20178月豊後高田トレッキング B 二つの身潅神社(豊後高田市真玉)

467

20178月豊後高田トレッキング A 春日神社(豊後高田市真玉)

466

20178月豊後高田トレッキング @ 若宮八幡神社(豊後高田市)

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熊本県の興味深いエリア宇城市海東地区の霊符神社初見

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南国指宿市の指宿神社

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南国指宿市の若宮神社

462

南九州市の川辺町の九玉神社とは何か?

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南さつま市の辺境に市杵島姫と草部吉見の故地を発見した? 阿多の白川の日枝神社

460

姫島の比売語曽神社初見 “大分県姫島村比売語曽神社”

459

二田物部のルーツは対馬の仁田だったのではないか?

458

宗像沖ノ島世界遺産登録といった愚行が半潰れになって多少はほっとした!

457

盛り蕎麦と掛け蕎麦 “籠池氏と加計氏とはどのような人々なのか?”

456

三峯神社の殷の鳥居 ”金山彦系神社(埼玉県秩父市)”

455

赤村の超巨大古墳発見の背景について “福岡県赤村内田の前方後円墳?”の転載

454

伊都能売神(イヅノメノカミ)を奉斎する方々へ A

453

伊都能売神(イヅノメノカミ)を奉斎する方々へ @

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姫島の大帯八幡社再訪への予習 “大分県姫島の大帯八幡社”

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姫島の女神とは何か? “大分県 伊美沖の比売語曹(ヒメコソ)社”

450

中国地方の製鉄神とは誰なのか?“島根県川本町のたたら神社の例から”

449

平家物語にも登場する関山の神社 “熊本県南関町の大津山神社”

448

熊本市に大国主を主神として祀る神社がある “川東大巳貴神社”

447

ヤマタノオロチ退治異伝(「高良玉垂宮神秘書」)“宮原誠一研究のご紹介”

446

盛り蕎麦と掛け蕎麦  “籠池氏と加計氏とはどのような人々なのか?”

445

安 保(アボ) “「船王後墓誌」に見る「青」地名”

444

国東半島は九州王朝の紀氏の国 A “国東市岐部の岐部神社”

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国東半島は九州王朝の紀氏の国 @ “国東市伊美の別宮社”

442

トレッキングで訪れた馬敷の大山祗神社

441

高良大社と宮地嶽神社の謎を解くみやま市山川町の謎の神社

440

見た目に美しい八幡社二題 A “日出町の若宮八幡神社”

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見た目に美しい八幡社二題 @ “杵築市の若宮八幡社”

438

伊豆能売の神とは何か? E “伊豆能賣の中間調査を終えて思う事” 

437

伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と

呼ばれたのか?”

436

伊豆能売の神とは何か? C “遠賀川左岸に伊豆能賣を

発見した ”遠賀町の伊豆神社“ 

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伊豆能売の神とは何か? B “遠賀川右岸の二つ目の伊豆神社の

元宮か?”久我神社 

434

伊豆能売の神とは何か? A “二つ目の伊豆神社” イヅノメの

神が少し分かってきました

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伊豆能売の神とは何か? @ “遠賀川河口の両岸に伊豆神社が並ぶ”

432

出雲の長浜神社の岐の神 “長浜神社再訪”

431

飯塚市伊岐須の高宮八幡宮とは何か? “基層に長脛彦を感じる古社”

430

奥出雲の神々 番外編 A 島根県神社庁リストにない神社 大谷の大荒神社

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奥出雲の神々 番外編 @ 島根県神社庁リストにない神社 小馬木の板敷神社

428

奥出雲の神々 34 郡村の大領神社

427

奥出雲の神々 33 八代の三柱神社

426

奥出雲の神々 32 八代の仰支斯里神社

425

奥出雲の神々 31 馬馳の八幡宮

424

奥出雲の神々 30 佐白の伊賀武神社

423

奥出雲の神々 29 三成の八幡神社

422

奥出雲の神々 28 上三所の居去神社

421

第三次奥出雲調査に行かなければならない C

420

奥出雲の神々 27 三成の愛宕神社

419

奥出雲の神々 25 三澤の三沢神社

418

奥出雲の神々 25 三澤の三沢神社

417

奥出雲の神々 24 三成の諏訪神社

416

奥出雲の神々 23 河内の金刀比羅神社

415

奥出雲の神々 22 鴨倉の鹿島神社

414

奥出雲の神々 21 鴨倉の建御名方神社

413

奥出雲の神々 20 下阿井の八幡宮

412

奥出雲の神々 19 亀嵩の湯野神社

411

第三次奥出雲調査に行かなければならない B

410

奥出雲の神々 18 上阿井の大原神社

409

奥出雲の神々 17 横田の本山神社

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奥出雲の神々 16 中村の羽鳥神社

407

奥出雲の神々 15 横田の伊賀多氣神社

406

奥出雲の神々 14 横田の諏訪神社

405

奥出雲の神々 13 横田の総荒神社

404

奥出雲の神々 12 稲原の稲田神社

403

奥出雲の神々 11 中村聞語山の八満宮

402

奥出雲の神々 10 稲原光森山の天満宮

401

第三次奥出雲調査に行かなければならない A

400

奥出雲の神々 09 大呂の大呂神社

399

奥出雲の神々 08 大呂の鬼神神社

398

奥出雲の神々 07 竹崎の王子神社

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奥出雲の神々 06 竹崎の萬歳山之神社

396

奥出雲の神々 05 下横田の新宮神社

395

奥出雲の神々 04 八川の八幡宮

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奥出雲の神々 03 小馬木の八幡宮

393

奥出雲の神々 02 大谷の大谷神社

392

奥出雲の神々 01 大馬木の天満宮

391

第三次奥出雲調査に行かなければならない

390

ダムに追われた石壺神社 “島根県雲南市木次町の石壺神社”

389

伊勢の外宮の豊受大神は伏見のお稲荷はん “島根県雲南市吉田町

吉田の兎比神社から”

388

山上の巨大平野の若宮様 “広島県北広島町八幡原の亀山八幡神社”

387

国東半島 朝来川の八坂神社 “大分県杵築市弁分の八坂神社”

386

国東半島のただならぬ天満宮 “大分県国東市向田天満宮”

385

国東半島の古社奈多八幡宮とは何か? “大分県杵築市八幡奈多宮”

384

国東半島の秋葉様 “国東市国東町来浦の市杵島神社”

383

国東半島の殷の鳥居(瀛の鳥居) “国東市国東町来浦の八坂神社”

382

国東半島に展開した紀氏と神社 “杵築市大田の白鬚田原神社”

381

心惹かれる宇佐市院内の藤群神社

380

北岡神社について “新幹線熊本駅北の古社”

379

須 久

378

伊佐市で「柴刺」(シバサシ)に遭遇した

377

六所神社の衝撃

376

二田物部のルーツを久留米市田主丸に見出したら、さらに南の八女市星野の

仁田にも… A

375

二田物部のルーツを久留米市田主丸に見出したら、さらに南の八女市星野の

仁田にも… @

374

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! F 野坂の浦(熊本県芦北町

田川)?の猿田彦

373

大分、宮崎県境の山上神社へ “大分県佐伯市宇目町の鷹鳥屋神社”

372

花本大神をご存知ですか? “博多の櫛田神社の花本大神と豊後大野の宇田

姫神社について”

371

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 C 宮崎県五ヶ瀬町鞍岡の祇園神社の更

に深部へ

370

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 B 分離先行トレッキング

369

宮脇淳子先生をご存知ですか?

368

以前鳥居の前まで行って引き返した御手洗神社 “大分県豊後大野市三重町

上田原の御手洗神社”

367

健男霜凝彦を祀る神社が久住町にもあった “大分県竹田市久住町久住神社”

366

熊本県産山村で遭遇した神社探訪者から問われた玉祖神社と

八女津媛神社について B

365

熊本県産山村で遭遇した神社探訪者から問われた玉祖神社と

八女津媛神社について A

364

熊本県産山村で遭遇した神社探訪者から問われた玉祖神社と

八女津媛神社について @

363

「ひぼろぎ逍遥」 阿蘇の乙姫とは何か? “産山村乙宮神社のお姫さま”再考

362

ある神社の摂社の祭神が隠され逆に推定の正しさが見えてシマッタ!

361

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 A 鳥瞰

360

阿蘇氏が天皇家の一族であると言う理由について

359

鳥 子(トリコ) “宇土の八兵衛の逃亡ルート” A

358

鳥 子(トリコ) “宇土の八兵衛の逃亡ルート” @

357

贈)崇神天皇のお妃五十鈴姫を祀る神社が日田市天瀬町にある

356

高 良(コウラ)“薩摩に避退した九州王朝系氏族を発見した” E

355

高 良(コウラ)“薩摩に避退した九州王朝系氏族を発見した” D

354

高 良(コウラ)“薩摩に避退した九州王朝系氏族を発見した” C

353

高 良(コウラ)“薩摩に避退した九州王朝系氏族を発見した” B

352

高 良(コウラ)“薩摩に避退した九州王朝系氏族を発見した” A

351

高 良(コウラ)“薩摩に避退した九州王朝系氏族を発見した” @

350

和風諡号から考えてみた

349

勝沼ワインの里の大善寺 G “ぶどう寺と宮地嶽神社には何故「三階松の

神紋」があるのか?”

348

勝沼ワインの里の大善寺 F “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像が

あるのか?”(追補)A

347

年毛神社と神代製塩池について “宗像、津屋崎境界領域の謎の古社”

346

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜

345

勝沼にも高良神社があった “山梨市の大井俣窪八幡神社”

344

勝沼ワインの里の大善寺 E “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像が

あるのか?”(追補)

343

勝沼ワインの里の大善寺 D “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像が

あるのか?”(下)

342

勝沼ワインの里の大善寺 C “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像が

あるのか?”(中)

341

勝沼ワインの里の大善寺 B “ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像が

あるのか?”(上)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

805(中) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @

805(中) 思えば良くも悪くも書いてきたものだ ひぼろぎ逍遥(跡宮)のリストを見直す @

20191231

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


340

旧石和町に物部神社があった “山梨県笛吹市春日居”の石尊神社

339

石尊神社とは何か? “山梨県笛吹市春日居”の石尊神社

338

憧れの東金砂、西金砂神社(茨城県太田市) 北関東への神社調査 H 

337

朝倉市杷木町の大山祗神社とおしろい祭 

336

栃木、茨城県境に跨る鷲子山上神社  北関東への神社調査 D

335

鹿児島、宮崎のヤゴロードンの痕跡か?栃木に弥五郎坂が

あった 北関東への神社調査 A

334

那須与一の那須神社に高良神社を発見した! 北関東への神社調査 @

333

高知県東洋町五社神社の祭神をどう考えるか

332

薩摩半島に岐(クナト)の神を発見した A “鹿児島県出水市

野田町の熊野神社”

331

薩摩半島に岐(クナト)の神を発見した @ “みなみ薩摩市

坊津の船戸神社”

330

高知市春野町の荒倉神社の天闇龗大神 

329

白川白王を祀る高知県佐川町の白王神社 

328

伊予の伊予神社に九州王朝の影を見た

327

龍王とは豊玉彦=ヤタガラス 那賀町日浦の龍王神社の神とは豊玉彦 

326

阿波と土佐の国境に鎮座する若宮神社と境外摂社高良神社

325

白人神社とは何か? “那賀郡那賀町拝宮の白人神社”

324

鈍川温泉の石折神社 “鈍(ニブ)川の鈍(ニブ)とは丹生(ニュウ)のこと

323

玖珂の斎宮神社の倭姫命 

322

阿波の忌部の朝立彦神社初見 “境内摂社の若宮神社とは何か?”

321

白王姓を「白土」姓に変えざる得なく追い込んだ明治神道の横暴の証拠を見た

320

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 050 “佐世保市の大宮姫神社は誰を祀るか?”

319

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 049 “道川内、乙千屋の両天子宮の周辺調査”

318

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 048 “薩摩半島先端の大宮姫伝説”

317

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 047 “天子宮調査雑感”

316

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 046 “筑前の天子社の痕跡”

315

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 045 “天降川渓谷、安楽温泉神社は天子宮か?”

314

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 044 “内之浦の天子山は九州王朝終焉の地か?”

313

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 043 “大崎町の天子丘は隼人の聖域?”

312

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 042 “志布志市の山宮神社は大宮姫を祀る!”

311

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 041 “志布志市の野井倉神社は誰を祀るのか?”

310

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! E 鹽土老翁神から

猿田彦=ZALT彦説

309

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! D 水俣市塩浜運動公園の

塩釜神社

308

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! C 天草市五和町

塩屋大明神正面の塩田跡

307

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! B 天草市志柿の中之塩屋大明神

306

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! A 上天草市阿村の塩釜神社

305

塩土老翁と猿田彦の祭祀圏を天草灘に探る! @ 宮崎の野島神社から

304

打上神社と蟻通明神

303

亀甲大の神紋を使う三つの神社“亀甲大紋の意味とは…?” 

302

阿蘇高森の草部吉見神のお妃達

301

日南海岸の野島神社の塩筒大神(塩槌翁)と猿田彦(白髭大明神)の

複合が肥後にも…

300

大宮神社と猿田彦大神 S “総括:百嶋由一郎神代系譜と猿田彦”

299

大宮神社と猿田彦大神 R “広島県庄原市の蘇羅比古神社にも

山幸と豊玉姫が…”

298

大宮神社と猿田彦大神 Q “岡山県津山市の大美禰神社も

天宇受賣命を祀る古社”

297

大宮神社と猿田彦大神 P “『儺の国の星 拾遺』の真鍋大覚は猿田の意味

を知っていた”

296

大宮神社と猿田彦大神 O “猿田彦は何故猿田彦と呼ばれたのか?”

295

大宮神社と猿田彦大神 N “ひぼろぎ逍遥051 出雲の佐田神社と安心院の

佐田神社 再掲”

294

大宮神社と猿田彦大神 M “鹿島、香取でご存じの香取神社の経津主も猿田

彦大神なのです”

293

大宮神社と猿田彦大神 L “福岡県豊前市の四公神社“

292

大宮神社と猿田彦大神 K “全国展開された猿田彦大神“

291

大宮神社と猿田彦大神 J “古代日向のヤゴローどん も猿田彦なのです“

290

大宮神社と猿田彦大神 I “山幸彦=猿田彦のもう一つのルーツについて”

289

大宮神社と猿田彦大神 H “猿田彦専門のサイトから”

288

大宮神社と猿田彦大神 G “猿田彦がニギハヤヒで山幸彦であることについて”

287

大宮神社と猿田彦大神 F “山幸彦=ニギハヤヒは博多の櫛田神社の主神の

大幡主の子であった”

286

大宮神社と猿田彦大神 E “佐野経夫(神理教教団)と菊鹿町「吾平」の

ウガヤフキアエズ陵”

285

大宮神社と猿田彦大神 D “佐野経夫(神理教教団)と猿田彦大神”

284

大宮神社と猿田彦大神 C 転載 “櫛稲田姫(クシナダヒメ)は

熊本県山鹿市で産まれた! ”

283

大宮神社と猿田彦大神 B “大宮神社の地主神が大宮神社の主祭神か?” 

282

大宮神社と猿田彦大神 A “大宮神社の猿田彦大神石塔と摂社群” 

281

大宮神社と猿田彦大神 @ “山鹿市の大宮神社とは何か?

280

海幸彦を主神として祀る神社 “宮崎県日南市北郷町の潮嶽神社初見”

279

とって返したワダツミ神社 “宮崎県日南市の海宮神社初見”

278

梅雨明け直前日南市にアイラツヒメを探る!たった四人のトレッキング

277

大中臣神社とは何か? “福岡県小郡市の草部吉見神社初見”

276

海幸彦を祀る神社を見に行こう “宮崎県北郷町潮嶽神社初見”

275

球磨川流域 旧坂本村の五社宮の底筒男命とは誰か!

274

大分市の「邯鄲」(カンタン)地名とは何か?

273

兵庫県佐用町の佐用都比売神社とは何か?

272

朝倉市(甘木)古賀の松尾神社は田神社(タノカンサー)だった!

271

田神社(タノカンサー)は朝倉郡を中心に50社近く存在した

270

王太子宮をご存知ですか? C “広島県尾道市浦崎の住吉神社”

269

王太子宮をご存知ですか? B “広島県福山市藁江の王太子神社”

268

王太子宮をご存知ですか? A “広島県福山市内海町の皇森神社”

267

王太子宮をご存知ですか? @ “広島県尾道市福山市の知られざる古社群”

266

再び、再び、支那について

265

熊本県玉名市(旧玉名村)は「土車(トゥチャ)の里」だった! 

264

博多の大幡主の一族は雲南省昆明から海南島を経由してやって来た

263

東瀛遊

262

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く K “真庭郡新庄村の御鴨神社”

261

チョッパリとパンチョッパリ

260

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 040 “桜島の姫宮神社は大宮姫を祀るのか?”

259

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 039 “鹿児島県垂水市鹿児島

神社下宮は天子神社か?”

258

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 038 “人吉盆地、旧深田村草津山の天子神社”

257

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 037 “崖崩れに消えた垂水市二川の天子神社”

256

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 036  “鹿児島県旧霧島町田口の天子神社”

255

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 035  “人吉盆地最大の天子神社の

発見(多良木町王宮神社)”

254

伊倉 天子宮は誰を祀るか?034  “球磨焼酎と多良木町久米の天子”

253

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 033 “八代徳淵港の正倉院説と、天子

宮調査のお粗末な実態”

252

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 032 “錦町の天下神社は天子宮か?”

251

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 031 “熊本県芦北町の新たな天子宮の発見”

250

神阿多津比売命を確かめましょう “湯原温泉の社の佐波良、刑部神社”

249

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く G “湯原温泉の社の

佐波良、刑部神社”

248

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く F “湯原温泉の社の横見神社”

247

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く E “湯原温泉の社の二宮神社”

246

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く D “真庭市湯原温泉の

社地区は古代の神域”

245

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く C “庄原市東城町川鳥の

八幡神社”

244

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く B “庄原市東城町飯盛山

直下森の白髪神社”

243

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く A “庄原市東城町

天照真良建雄神社

242

真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く @ “庄原市西城町

木山神社(爾比都売神社)

241

春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 G “三次市日下の鹿島神社”

240

山口市に石鎚神社があるのをご存知ですか?

239

山口県は豊の国  “豊田町の高格式 豊田神社“

238

人吉盆地の懐深く最高格式神社に再訪  “熊本県多良木町の

王宮(オウグウ)神社“

237

あまりに立派な貴船神社 “福岡県鞍手郡小竹町勝野の貴船神社”

236

福岡県鞍手郡に高木大神の娘を単独で祀る神社があった “小竹町絹干神社”

235

飯塚市の二つの許斐神社は誰を祀るのか?

234

熊本県山鹿市の大宮神社とは何か? (再考)

233

人吉盆地の雨宮神社(熊本県相良村)再訪 “悲劇の雨宮姫”

232

熊本県人吉市矢黒町の矢黒神社は ヤゴローどん が祀られているのではないか?

231

熊本県芦北町乙千屋の天子宮の境内社に鹿児島、宮崎のヤゴローどん が!

230

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 030  “筑前では消された天子宮の痕跡”

229

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 029  “天子宮分布図とデータ・ベース”

228

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 028  “京都五條の天使宮は天子宮か?”

227

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 027  “筑前、筑後において消された

天子宮、天子社の痕跡”

226

伊倉 天子宮は誰を祀るか?  026  “福岡市西区周船寺の

伊覩(イカン)神社は天子宮か”

225

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 025  “福岡県筑後市水田天満宮の天子神社”

224

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 024   “愛知の天子(アマコ)神社は天子宮か?”

223

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 023  “岡山の武苔(ムトウ)神社は天子宮か?”

222

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 022  “佐賀県鹿島市七浦の天子神社”

221

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 021010“道君首名による統治の背景”

220

鹿児島のヤゴローどんは 山幸彦(ニギハヤヒ) “鹿児島県曽於市の岩川八幡宮”

219

青井阿蘇神社に物部の神紋を見た! “熊本県人吉市青井阿蘇神社”

218

鹿児島県の大隅半島に橘神紋を探る! “大根占の河上神社”

217

甘木に二つ目のタノカンサーを発見した!(共通掲載)

216

アコウの木が出迎える南大隅町の鬼丸神社

215

鹿児島の大隅半島大根占の河上神社と福岡県八女市黒木の猫尾城が繋がった

214

ウマシアシカビヒコヂを祀る祠があった “福岡市東区和白の須賀神社”

213

勝沼ワインの里の大善寺 A “大善寺の全国的傾向”

212

勝沼ワインの里の大善寺 @ “山梨県甲州市勝沼町勝沼の五所神社の神宮寺”

211

阿蘇白川水源の白川吉見神社に祀られている神様をご存知ですか?

210

以前から分からなかった百嶋神代系譜の符号の意味が分かりました!

209

阿蘇の草部吉見と博多の大幡主の御先祖がおられた海南島について

“コピーペーストも活用しよう”

208

天草下島の都呂々神社で阿蘇の草部吉見とトロロ芋を考える 

“熊本県苓北町都呂々神社”

207

突然遭遇した建設神社 “宮崎県小林市山神原”

206

宮地嶽神社と安曇磯羅 N “宮崎県高千穂町の山上の宮地嶽神社”

205

宮地嶽神社と安曇磯羅 M “天草下島宮地岳町の宮地嶽神社は消されていた”

204

日南にも阿多があり、阿多神社がある “宮崎県日南市油津の阿多神社”

203

神武天皇の本当のお妃を祀る神社 “宮崎県日南市油津の吾平津神社”

202

熊本県山鹿市の大宮神社とは何か?

201

宮崎市(日南海岸)のアコウの茂る野島神社

200

菊池市七城町岡田の加茂別雷神社 “雷さんが居られるんですよ”

199

山鹿市志々岐の志々岐阿蘇神社の大国主命

198

志々岐(シジキ) A

197

志々岐(シジキ) @

196

八島神社の衝撃 “山鹿市千田聖母宮摂社の八島神社”

195

肥後で最も重要な神社 “山鹿市千田(旧鹿央町)の聖母宮”

194

飯塚市(旧庄内町)筒野の日吉神社

193

突然始った熊本県での百嶋神社考古学トレッキング!

192

豊前の諏訪神社(添田町中元寺)への興奮

191

櫛稲田姫(クシナダヒメ)は熊本県山鹿市で産まれた!

190

草部吉見神社近郊の神社 高畑年禰神社(年禰社)の衝撃 A

189

草部吉見神社近郊の神社 高畑年禰神社(年禰社)の衝撃 @

188

草部吉見神社からもほど“近い?”早楢宮のイチョウの絨毯

187

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 H 荒穂の神とは誰なのか?再考

186

四国の高良神社調査(徳島‐高知編)E “徳島県四万十市蕨岡の高良神社” 

185

四国の高良神社調査(徳島‐高知編)D “吾北村の若宮神社”

184

四国の高良神社調査(徳島‐高知編)C “徳島市内 飯谷町 高良の

高良神社”

183

四国の高良神社調査(徳島‐高知編)B “徳島市内 応神町 古川 の

高良神社” 

182

四国の高良神社調査(徳島‐高知編)A “阿波の山上集落に佐連の

高良神社を探る”

181

四国の高良神社調査(徳島‐高知編)@ “阿波の山上集落に末貞の

高良神社を探る”

180

天高く、青空に誘われ日向の神社探訪 D “三島神社正面の河野家墓地群”

179

天高く、青空に誘われ日向の神社探訪 C “西都原に大山祗命の痕跡がある!”

178

朝倉市佐田の山奥深く瀛津嶋(イツクシマ)比賣命を発見した!”安倍貞任後裔の

秘密集落の高木神社“

177

天高く、青空に誘われ日向の神社探訪 B “白髭神社に再々訪”宮崎県

児湯郡川南町の三宝荒神

176

天高く、青空に誘われ日向の神社探訪 A “都農神社をご存知ですか?”

175

天高く、青空に誘われ日向の神社調査 @ 

174

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 G 多賀神社(中間市)

173

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 F 六嶽神社(宮若市)

172

「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 E 天照宮(宮若市)

171

豊の国古代史研究会 神社トレッキング資料から

170

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 020 “熊本県葦北郡田浦町の天子宮”

169

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 019 “鹿児島県大崎町の天子地名と二つの古墳”

168

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 018 “宝満山の天子社は見つからなかった”

167

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 017 “鹿児島県旧内之浦町の

天子地名について”

166

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 016 “鹿児島県志布志市の安楽、

野井倉地名について”

165

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 015 “第13回熊本地名シンポジウムは

天子宮をどのように把らえたか”

164

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 014 “『倭国史談』平野雅曠に登場する天子宮”

163

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 013 “芦北町湯浦温泉の天子宮”

162

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 012 “八代と津奈木の天子宮”

161

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 011 “道君首名の末裔としての金光上人”

160

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 010 “道君首名による統治の背景”

159

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 009 “道君首名と天子宮”

158

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 008 “球磨地方の天子地名”

157

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 007 “大津町の天子宮”

156

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 006 “古倉(古伊倉)”

155

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 005 “小天町の天子社の戦慄すべき起源”

154

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 004  “熊本県玉名市と佐賀県江北町の

同一地名群と有明海を挟む謎の天子社

153

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 003 “安楽寺領の天子社の排他性“

152

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 002 “熊本県玉名市と佐賀県江北町の

対応する同一地名群”

151

伊倉 天子宮は誰を祀るか? 001 “クラとは祭りの場”

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記