794 淡路島にはもう一つの高良神社があった “南あわじ市に九州王朝の没落を見た”
20191105
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
淡路島のリポートを粗方書いて残りは伊藤女史が書くだろうとほっとしているところでしたが、一つだけ書き忘れていた事がありました。
多少とも九州の高良神社に対して関心を持っておられる方には見当が付くと思いますが、南あわじ市には地元で神代(ジンダイ)と呼ばれるクマシロ、コウジロ地名が存在します。
当然にも、この地名とは高良大社の九州王朝系の最期の宮司家であった神代勝利(クマシロ)とルーツを一にする人々が住んでいた土地と考えられるのです。

神代八幡神社 カーナビ検索 兵庫県南あわじ市神代地頭方633
ひぼろぎ逍遥
788 | 始めて踏む淡路島の高良神社を確認した “兵庫県南あわじ市“ |
今回取り上げるのは、神代地区に存在していたもう一つの高良神社の痕跡です。

創立年代不詳。 (神社庁は正しくクマシロと呼んでいますね…古川)
東神代宮とも雨宮とも称す。鎌倉前後地頭職当地に居館して當社を崇敬するも、中古兵乱の為、古文書其の他を悉く焼失散逸。江戸時代、寛永4年(1627)、領主蜂須賀候より社領七畝十二歩を寄進。天保13年(1842)本殿を、同14年(1843)拝殿を、嘉永5年(1852)幣殿を何れも再建。文久2年(1862)、社務所を再建。
明治3年(1870)、徳島藩東民政掛より毎年金千疋を寄進せられ、明治6年(1873)、村社に列せらる。本殿及び拝殿幣殿、昭和40年(1965)台風により倒壊し、同43年再興。
兵庫県神社庁
祭神 応神天皇
境内社 内玉垣神殿の右 高良神社 祭神 武内宿禰
左 松浦神社 祭神 中筒男命
境内の東 若宮神社 祭神 仲哀天皇 (これが仲哀というのは誤りですね:古川)
西 厳島神社 祭神 市杵姫命

「神代」地名と高良神社に関係がある事は今回の件でも明らかになりましたが、高良神社と若宮神社(高良玉垂命=開化天皇と神功皇后の長子シレカシノミコトが仁徳天皇=若宮神社なのです)が存在する事によってこの八幡宮が元は高良神社であった事が良く分かります。(根拠「高良玉垂宮神秘書同紙背」…)
また、由来碑に書かれている松浦神社 祭神:中筒男命は、恐らく神武僭称贈る崇神(ハツクニシラス)であって、九州王朝の本州東方進出の過程で崇神系(実は阿蘇草部吉見と市杵島姫の子である大山咋の子が崇神なのです)が八幡神=応神として高良神社に覆い被さった事が見えてきます。
恐らく、南あわじ市周辺には神代一族の末裔も多数おられる事でしょう。
そこで、姓名分布&ランキングで調べて見た所、実に鮮明でした。
洲本市から南あわじ市に掛けて20件が拾えたのです。この方々こそ、本来、古代の淡路島の支配者であった人々だったはずなのです。

いつも利用させて頂いている「姓名分布&ランキング」ですが、「神代」姓の分布は言うまでもなく福岡県久留米市にピークがある事がお分かり頂けるでしょう。
これは神代(クマシロ)家が高良大社最後の九州王朝系の宮司家であるからですが、戦国期この一族は福岡県と佐賀県の県境の旧三瀬村などを拠点にレコンキスタ(高良大社奪還)運動を続けます。
この一族は淡路島にも進出していたようで、地名と姓名の分布が良く対応しています。
山口県でも周南市、宇部市、柳井市など瀬戸内海側にピークがあり、本来は、久留米の高良大社の指揮の下、畿内への進出が行われていた事が見えるのであり、高良神社と対応する若宮神社とは玉垂命と神功皇后との長子であることを考えれば、浪花高津宮に九州王朝最後の天皇の仁徳が祀られている事とも符合してくるのです。

百嶋由一郎極秘神代系譜(部分)
@ 高良神社と若宮神社(高良玉垂命=開化天皇と神功皇后の長子シレカシノミコトが仁徳天皇=若宮神社なのです)が存在する事によってこの八幡宮が元は高良神社であった事が良く分かります。「高良玉垂宮神秘書同紙背」…
A 「高良玉垂宮神秘書同紙背」によれば、高良大社が九州の(という意味は列島の意味ですが)宗廟を宇佐に奪われるのは749年ですが、それ以降、阿蘇高森の草部吉見神社〜ただの臣下でしかなかった崇神を祖とする後の藤原がそうしたのですが、高良玉垂命と神功皇后の間に産れた仁徳を隠し、怪しげな応神を持ち上げ宇佐八幡宮を列島の宗廟でもあるかのごとく仕組むのですが、それがこの淡路島でも等しく引き起こされたことが良く見えるのです。
B 今回、非常に面白いと思ったのは、東神代宮とも雨宮とも称す。の部分でした。
この神社が雨宮と呼ばれていたという伝承(恐らく社伝)は、この高良神社が阿蘇系=藤原系に転換していく過程で如何なる勢力が力を発揮したかを示しています。
それは、この雨宮社と呼ばれた理由は、阿蘇系の雨宮姫を奉斎する後裔一族だった事を意味しています。
藤原の祖先にあたる阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)=海幸彦=武甕槌=鹿島大神と高木大神(タカミムスビ)の次女栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)の間に産れた天ノ豊津姫=阿蘇ツ姫=天ノ比理刀刀♀ヲ川姫=杉山姫=と草部吉見の弟の建磐龍(タケイワタツ)の間に産れたのが雨宮姫なのです。従って、阿蘇氏と高木大神系の後裔氏族が応神を持ち込み八幡宮に換え、淡路島全体の支配権までも奪っていった事が良く分かるのです。


百嶋由一郎氏が残された神代系譜、音声CD、手書きスキャニング・データを必要な方は09062983254まで