2021年02月06日

793 始めて踏む淡路島の高良神社を確認した “兵庫県南あわじ市“

793 始めて踏む淡路島の高良神社を確認した “兵庫県南あわじ市“

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 四国の高良神社についてはほぼ全社を確認していますが、淡路島まで足を踏み入れた事は一度もなく、同社が淡路島に存在する事も頭の片隅にはあったのですが、高知の「もう一つの歴史教科書問題」 無題.png 氏から“淡路島に行かれるなら高良神社も…”とアドバイスを受け、淡路島は兵庫県であった事を改めて思い出した次第です。

 ともあれ、無題.pngの伊藤女史に随行する讃岐、淡路への調査旅行がなければ決して踏まなかった神社のはずなのです。

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淡路島の中心部である洲本市から南あわじ市一帯の要路に位置する場所であることは間違いないのですが


伊藤女史は立派な所にお泊りになりましたが、当方は車中泊を決め込み早朝から同社を訪問しました。

 鎮守の社と言うには余りにも狭い一角に追いやられているという印象は否めませんが、良く手入れされ掃除も行き届いた神社でした。

 鳥居の神額は高良社、参拝殿の神額は高良神社、石の神殿は高良大明神…とあり紛れもない高良神社でした。

 境内には他の祭祀は無く、むしろ他所から降ろされた神社、移転させられたか、地域の努力によって守られた神社ではなかったか…との印象も持ちました。

 実は迂闊でしたが、淡路島にはもう一つの高良神社があるようです。

 後で気づいたのですが、それこそ後の祭りであって、今となってはどうにもなりません。

兵庫県南あわじ市賀集八幡南207 高良神社 祭神 武内宿祢 以下は兵庫県神社庁データ


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広田田の高良神社神殿(久留米の高良神社には筑後川の洪水で流されるため石造神殿が多いのですが)


さて、参拝殿から北の丘陵を望むと国道28号線を挟んで神社の参道らしきものが見えました。

同社はここから降ろされたのでしょうか?

その神社は応神天皇を筆頭とする新参の八幡神社でありその神宮司だったようです。

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案の定八幡神社とその神宮司が新しい支配者として豪奢な神殿と造像起搭の面持で鎮座していました

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何度も取り上げて来た高良神社ですがここでは百嶋神代系譜から誰が祀られているかをお知らせしましょう
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百嶋由一郎極秘系図(全部)


百嶋由一郎氏の資料(音声CD、神代系譜DVD、手書き資料)を必要とされる方は09062983254までご連絡ください。実費程度で、貴重な資料が手に入ります。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記