2020年10月01日

ビアヘロ146 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(上)

ビアヘロ146 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(上)

20200810

太宰府地名研究会 古川 清久


 全国の神社の建物が劣化し、それを支えるべきはずの氏子の組織までが壊滅しつつある今、宮崎県高千穂町の一角において、売りに出されていた神社の敷地と社殿を買い取り再建する運動が始まっています。

 かく言う私もこの土地と社殿を管理していた不動産業者との相談にも多少は関与していた事から、参加できる日は阿蘇の外輪山沿いの100キロ近い道をひた走り、社殿を磨いたり参拝殿の床を磨いたりというささやかなお手伝いの作業をさせて頂いています。

 その運動と言うよりも、熊本の霊能者と言うか神ごとに関係する女性先導者自身が、あまりにも素晴らしいそのロケーションと古代にまでも遡る地域の歴史に感じいった事から、何とか再建し皆の拠り所としたいとの思いの実現に踏み出し実際にそれをやってのけておられているのです。

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仮称 ひのみこ社 カーナビ検索 宮崎県高千穂町上野(カミノ)4956地先 ※この地番は上野中学校


 さて、この神社の正面に四恩(シオン)岳がある事がお分かり頂けるでしょう。

 長年、神社調査を行ってきた者として解るのですが、神野、上野(カミノ、ウエノ…)と呼ばれる姓の人若しくは地名は何らかの形でイスラエル系、ユダヤ系と言われる人々との関係が辿れるのです。

 そもそも高千穂も高木大神(タカミムスビ系)の地域であり、故)百嶋翁もユダヤ系ではなくイスラエル系だと言われていました。

 私達にはこの一帯に古くから住み着いておられる方々は遠く西方から移住された方々の末裔ではないかと考えています。

 シオン山とはイスラエルの聖地エルサレムの南にある山とされていますよね。

 少なくともそういった知識を持った人々が入っていた土地だったと考えるのです。

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この上野地区の北には愛宕山があり百嶋神社考古学では「愛宕」はイスラエル系金山彦(「古事記」ではカグツチ)の象徴であり、同じく南の下野地区にも烏岳があり、ヤタガラス(豊玉彦)系の山岳修験(豊前の求菩提山)の南の拠点であった事までが見えてきます。

 熊本の南阿蘇から宮崎の高千穂へと繋ぐ国道傍の住宅地ながら、同社の脇には素晴らしい川が流れ下っています。

 F女史がこの地を惚れ込んだ事の理由にこのロケーションがあった事は言うまでもありません。

 しかし、そればかりではなく霊感を持たれる方はそれなりにの地の歴史的重要性を感じ取り、神社の再建を始められたのでしょう。

 そもそもこの地にあった元々の神社はそれほど古いものではありません。

 同社に残されている創立者田尻武雄氏(この田尻の一族もアーリア系氏族なのですが)の業績を書く碑文によれば、明治の教派神道系の言わば新興宗教団体で、その背後にあるのは石見、出雲、伯耆辺りに閉じ込められている出雲大社が全国的教団として教線を強化するために創られた教団であったと思われます。


出雲大社教 出雲大社教(いずもおおやしろきょう)は、1882年(明治15年)、当時の出雲大社前大宮司・第八十代出雲國造・千家尊福(せんげたかとみ)が創設した教団である。教派神道(神道十三派)の一つ。

明治13年に東京都日比谷の神道事務局に設けられた神宮遥拝所において、神造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)および天照大神の四柱を祀ると決定されたことに対して、出雲派は大国主大神も祀るべきだと主張し、伊勢派との間で大きな論争になったが、伊勢派が明治天皇の支持を得たこともあって、出雲派は敗北し、大国主は祀られないことになった(明治13年の祭神論争)。さらに、明治151月に明治政府が布告した「神官教導職分離令」によって、神社に奉仕する神官と布教を行う教導職が分離され、これによって出雲大社に勤務する神官が国家とは別に独自に出雲信仰の布教を行うことが禁止された。そのため、当時の出雲派(千家)のトップである千家尊福は、出雲大社大宮司を辞職して自らが教団の開祖となり、信仰組織を出雲大社本体および国家神道から分離させる形で明治15年に設立した。出雲大社教は昭和26年に出雲大社と統合されたが、その後も法人としては出雲大社教と出雲大社は別団体となっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』20200811 12:18 による

つまり、良く知られた黒住教、御嶽教、神理教、金光教、天理教…などと同様の明治期の新興宗派であり、主祭神を大国主命とする教団の神社だったのです。

ちなみに隣県の熊本市にも同教団の教会があります。

出雲大社熊本教会: 熊本県熊本市中央区九品寺2丁目6-61  096-364-3779

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実際「古事記」の大国主命と因幡の白兎の話はどなたもご存じですが神殿入口の欄干には耳の取れた兎が


 良くある波乗り兎のモチーフです、誰か耳を治して頂ければ有難いのですがやりようが分かりません。

高千穂にしかも九州に大国主命とは訝しがる方は多いでしょうが、実は九州の方なのです。

これについては百嶋神社考古学の根幹を成す部分で、かなり多いので関心をお持ちの方はとりあえず以下辺りから探ってみて下さい。


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

067 大国主を出雲の神様と考えておられる方に対して。僭越ながらも… 。

675 何度も足を運んでいる宗像大社ですが… A “少し振り返って出雲と大国主命を考えよう”

ビアヘロ 101 

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対してどうしたら関心をもって頂けるかと…

ビアヘロ023 筑前町に「日隅宮」を発見した!


768

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対してどうしたら関心を

もって頂けるかと…A

767

出雲神話の舞台は九州との仮説を信じられない方に対してどうしたら関心を

もって頂けるかと…@

762

出雲(旧朝倉郡)の国譲りの背景を考える

681

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… G “そもそも三女神とは何なのか”

680

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… F “宗像大社の境内に置かれなかった

大国主命の長男”

679

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… E “宗像大社の祭神は元から三女神だったのか”

678

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… D “宗像大社の東に大国主命を祀る神社がある”

677

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… C “宗像大社の西に大国主命を祀る神社がある”

676

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… B “神湊の津加計志宮に大国主命の痕跡を探る”

675

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… A “少し振り返って出雲と大国主命を考えよう”

674

何度も足を運んでいる宗像大社ですが… @ “宗像大社を楢ノ木の神紋から考えましょう”


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 現在、450人のメンバーの人海戦術はもとより、地域の方々からの協力も得て屋根の修理、壁面の防腐剤塗装工事そして床面の手直しを行なっています。たまたま売りに出された神社をネット情報で知った時から数ケ月でここまで漕ぎ着けたF女史の力には改めて心を揺り動かされます。

 特別、収益が得られるわけでもなく、商売ができるわけでもなく、ただただ地域と自らのグループのご家族全体の拠り所として活用したいとお考えのようなのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ

2020年10月02日

ビアヘロ147 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(中)

ビアヘロ147 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(中)

20200812


太宰府地名研究会 古川 清久


 全国の神社や氏子組織が壊滅しつつある今日、宮崎県高千穂町の一角で売りに出された神社の敷地と社殿を買い取り再建する運動が始まっています。本稿は前稿の続編になります。

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仮称 ひのみこ社 カーナビ検索 宮崎県高千穂町上野(カミノ)4956地先 ※この地番は上野中学校


 今回はこの地の重要性を理解して頂く為に ここから1キロほど西にある上野神社という非常に魅力的な神社を以前のブログ ひぼろぎ逍遥(跡宮)から全文再掲載したいと思います。


483 古代の痕跡を今に留める高千穂峡の手前に鎮座する不思議な神社 “高千穂町上野 上野神社”

20170922


 多い時には熊本のメンバー数十人単位で大規模なトレッキングを行うこともありましたが、最近は各自五月雨的に神社トレッキングを行い始めています。

 女性はむしろ土日に休みに難い事もあるため、今後は小規模トレッキングを連発した方が密度も上がり、機動的に動ける上に、重複が避けられ(勿論、何度も行くことによってようやく分かる事もあるため必ずしも重複が良くない訳でもないのですが)平日に何度か行う方が良いのかも知れません。

 第一、何台もの(時として10台も超える)車で狭い神社に移動するのは大変な事なのですから。

 これは、急に時間ができたお二人が神社を訪問するという話を聴き急遽私が加わった小規模トレッキングのリポートなのです。

 これまでは、読者の皆さんにはどうでも良いような話でしょうが、やっている方はそれこそ真剣で、見落としがない様に注意して時間に追われる遠距離の調査を行っているのです。

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烏岳と愛宕岳との線上に上野神社が置かれている事が分かります。

 また、上野(カミノ)集落の正面に四恩山があるのです。

 愛宕岳は二つ、烏岳も二つあり、この一帯がイスラエル系、瀛(イン)氏の集落である事が分かるのです。

 それにしても四恩岳とは凄いですね…。祇園はシオンの置換えでありシオニストのシオンなのです。

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さて、高千穂の神社を取り上げることにします。

 神社研究者にとって高千穂に関して全く触れない訳にも行かないのですが、実のところ、どのように解釈するかはかなり難しく、島津が造った南の高千穂(霧島)はともかくも、ある程度の信憑性をもった北の高千穂の分析には注意を要します。

 故)百嶋由一郎氏からは“高千穂と言うか三田井は、元々、高木大神の支配下にありました。長崎県の諫早、島原一帯から高千穂まで高木大神が支配しておられたのです”といった話を聴いておりました。

 この事からも、隣の熊本県高森町の草部吉見神社の本当の支配者が実は高木大神=ニニギの親父(祖神)であり、草部(クサカベ)の意味も朝鮮半島の伽耶の支配者でもあった高木大神の影響が及んでおり、伽耶部→茅部→草部さらに日下部との表記の変化(鈍化)が起こっているのです。

ついでに言えば鹿児島もカヤカベ教も草部のつまり伽耶部なのです。

祭神を見て真っ先に驚いたのは、神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコ)、吾平津比売命(アヒラツヒメ)という本物の神武天皇と本物のお妃が大切に祀られている事でした。

 インチキ神話の宮崎の事、普通なら神武僭称ハツクニシラス崇神が美々津から東征に出たなどと書きそうなものですが(勿論これは正しいのですが、それは開化天皇=高良玉垂命の命により畿内の支配に入ったのであって、この男が事実上の最初の天皇だなどと言うのは大嘘で、それもただの臣下でしかなかったのです)、これだけでもこの縁起には信憑性が認められるのです。

 次に、伊弉冉命(イザナミ)が祀られるものの、伊邪那岐命(イザナギ)が書かれていない縁起が相当にある事は神社研究者の方はどなたもご存じかと思います。

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これは、直ぐに分かれ、イザナミ=クマノフスミは博多の櫛田神社の大幡主(ヤタガラスの父神)のお妃となられているからなのです(事実、「日本書記」の一書には“別れましょう”と書かれているのです)。

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死んで黄泉国にいかれた伊邪那美神を、伊邪那岐神が追っていったところ、 すでに伊邪那美神の遺体は腐ってうじがたかり、遺体の各部に八雷神が生まれていた。

『古事記』や『日本書紀』本文では、伊邪那岐神は慌てて逃げ帰ったと記されているが、一書には、穏やかに「もう縁を切りましょう」と言い、「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐いた。

その唾から生まれた神が速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津事解之男。唾が玉となって飛ぶ姿の神か。絶縁の神だろうか。

なお、速玉神と記す時、速玉男命とする場合と、熊野速玉大社の祭神・伊弉諾尊とする場合がある。


敬愛する玄松子による

この速玉男命(豊玉彦=ヤタガラス)と泉津事解之男こそが金山彦なのです。

日子火火出見命(ヒコホホデミ)=ニギハヤヒと鸕鷀草葺不合命(ウガヤフキアエズ)とは親子関係ですので、当然の配神です。ただ、由緒で、一柱だけ分からぬ神様がおられます。

花房比売命(ハナブサヒメ)です。これが全く見当が着かないのです。

分からないものを分かったように書くのが一番危険な事ですので、これは今後の課題とします。最後の応神天皇(ホンダワケ)=こんなものは天皇などではありはしない…などが加えられていますが、これは宇佐神宮が羽振りを利かした時代の名残でしょう。

 神話の故郷などと持ち上げられすぎた感のある高千穂ですが、今後少し真面目に考えて見たいと思います。ただ、いなければいけないはずの五瀬命が何故おられないのかが不思議です。

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高木大神の次女である栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)は草部吉見のお妃になられていますね。

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百嶋由一郎極秘系譜(部分)


研究目的で百嶋神代系譜を必要とされる方は09062983254までご連絡ください

無題.png以下省略 


ネット検索を続けていると、「花房姫」が出て来ました。しかも何と日田市の直ぐ近くの話だったのです。

このPDFファイルを発見し何とか見当が着きました。これでは名前を変えても丸わかりで、彦山の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命=草部吉見神(耳が着いているので阿蘇系黎族と直ぐわかりますよね)、この話の花房姫が誰かはタクハタチヂヒメしかありようがないのです。

ただ、この神社は金山彦系(贏氏)、大幡主系(白族)の神社であり、阿蘇系は全く見当たりません。

してみると五瀬命がいないのは不思議です。ただ、三田井は元々高木大神(イスラエルorユダヤ系)の領域だったのであり、タクハタチヂヒメがいても良いのです。

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無題.pngネット上には花房姫の墓まで出て来ます。そのうち遠くはないので足を延ばして見ようと思います。

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どうやら守実温泉で英山社を探せば良いようです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ

2020年10月04日

ビアヘロ148 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(下)

ビアヘロ148 全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(下)

20200812

太宰府地名研究会 古川 清久


全国の神社や氏子組織が壊滅しつつある今日、宮崎県高千穂町の一角で売りに出された神社の敷地と社殿を買い取り再建する運動が始まっています。

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仮称 ひのみこ社 カーナビ検索 宮崎県高千穂町上野(カミノ)4956地先 ※この地番は上野中学校


 さて、この神社の正面に四恩(シオン)岳がある事がお分かり頂けるでしょう。

 長年、神社調査を行ってきた者として解るのですが、神野、上野(カミノ、ウエノ…)と呼ばれる姓の人若しくは地名は何らかの形でイスラエル系、ユダヤ系と言われる人々との関係が辿れるのです。

 そもそも高千穂も高木大神(タカミムスビ系)の地域であり、故)百嶋翁もユダヤ系ではなくイスラエルだと言われていました。

 私達にはこの一帯に古くから住み着いておられる方々は遠く西方から移住された方々の末裔ではないかと考えています。

 シオン山とはイスラエルの聖地エルサレムの南にある山とされていますよね。

 少なくともそういった知識を持った人々が入っていた土地だったと考えるのです。


ここまでは 全国の神社が荒れていく中、…(上)で書いていたことです。

その時点では話を進めるため端折って飛ばしていました。

そこで、再度、四恩岳がイスラエルの聖地エルサレムの南丘のシオン山の置換えという話を蒸し返したいと思います。


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エルサレム シオン丘陵


実は“四恩幼稚園” “四恩保育園” “四恩こども園”…と言うものが全国にあります。


仏教では、人は生まれながらにして四つの恩を戴いているとされています。

これを四恩(しおん)と申しまして、国王(国家)、衆生、三宝そして父母の四つの恩です。

恩という字は心の上に因という字が乗っています。

因は「もとづく」とか「うけつぐ」という意味です。

「心」の上に「受け継いでいるもの」を乗せているのが「恩」なのです。

「受け継いでいるもの」とは「お陰」です。

私たちは様々な「お陰さま」を受けて生きているのです。

その四つの大きなお蔭さまが「四恩」です。

千葉 館山の曹洞宗のお寺 西光寺「法話」による


四恩四種の恩恵。思想が成立している。九世紀初めの般若三蔵訳『諸仏境界摂真実経』下では国王・父母・施主・衆生の四恩が説かれ、『大乗本生心地観経』二では、父母・衆生・国王・三宝の恩が説かれ、父母の恩は共通するが、如来の恩と説法師の恩が三宝の恩にまとめられ、新たに衆生の恩と国王の恩が加えられている。日本では四恩思想は早くから伝えられた。法隆寺金堂釈迦像の銘文や、東大寺法華堂の不空羂索観音像の縁起には四恩の語があり、『日本霊異記』上、三五では四恩のために絵の無題.png仏像を作ったとある。空海の著作中には四恩の語が多く見出され、それらは『心地観経』に基づくものと、それ以外のものとの二系統があるとされる。さらに明治期には『心地観経』と『党網経』の四恩説に基づき、『明治孝節録』『幼学綱要』『教育勅語』に示された儒教的な教育倫理に対する仏教者側の反動として、護法・報恩思想の復古運動が行われた。


 一応、仏教用語に「四恩」がある事は承知していました。

実はこの熊本から高千穂への国道を通過するたびに、非常に美しい山門を持つ神社が在る事に気付いていました。

 まだ詳しくは調べていませんが、江戸時代には仏教が事実上の国教とされていた事もあり、この地区の神宮寺的な存在がこの寺ではないかと思っていました。恐らく上野神社との対応があったのではないでしょうか。

 当然にも「四恩岳」の名称を与えたのもこの一族であり、この地域の首領的な存在であり指導的な立場に在ったのではないかと思っています。そこで、この寺を調べると、案の定、曹洞禅宗の名刹だったのです。


天理教も曹洞禅宗も全てヘブライ系です


 故)百嶋由一郎氏は、“道元もヘブライ人だし曹洞禅宗も全てヘブライ系です”と言われていました。

 この四恩岳が古くからシオン岳と呼ばれてきたものが後に、仏教用語の「四恩」とされたものか、単なる鎌倉以降のものか、国土地理院(陸軍測量部)以降のものかは不明ですが、付近には烏岳が二つ、愛宕山も二つあるなどどうみてもただ事ではないため、勝手ながらシオンの丘説を唱えておこうと思うものです。

 無題.pngシオン修道会がシオンの丘を体現している訳ではありませんが、良く知られているため持ち出しただけです。


シオン修道会(シオンしゅうどうかい、フランス語:Le Prieuré de Sion、英語:Priory of Sion)とは、1960年代以降のフィクション、ノンフィクションで扱われた秘密結社の名称である。


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この高千穂の上野という土地の面白さはとりあえず上野神社の祭神に良くあらわされています。

 一つはイザナミの夫であるイザナギが祀られていません。この点は大半の熊野系神社と同様です。

 我々百嶋神社考古学の者としては、“イザナミ(金山彦の妹)はイザナギと別れ博多の櫛田神社の大幡主=カミムスビ のお妃となっておられます”との説を受入れています。

 元々、高千穂が高木大神の領域であった事は既に述べていますが、にも拘らず、高木大神(タカミムスビ)そのものも、その息子であり、木花開耶比売命(コノハナノサクヤヒメ)の夫であったニニギノミコトも祀られてはいません。

 特に重要なのは、後に藤原氏の祖となる阿蘇系の草部吉見神(高木大神の次女のタクハタチジヒメの夫)も健磐龍命も祀られていない上に、藤原が追放した道真公は祀られているのです。

 してみると、高木大神のエリアであるはずの高千穂にも拘らず、高木大神系が排除されている事がかなり鮮明な特徴と言えるでしょう。

 最後に本物の神武天皇と本物の御妃であるアイラツヒメが祀られています。

これこそが本当の神武天皇の実像であり、宝石のような非常に価値ある祭神となっているのです。

 ここには近畿大和朝廷成立以前の九州王朝でも初期の神々が結晶として揃い踏みしている様に見えるのです。


御祭神

伊弉冉命(イザナミ)

事解男命(コサカオ)

速玉男命(ハヤタマオ)

木花開耶比売命(コノハナノサクヤヒメ)

日子火火出見命(ヒコホホデミ)

豊玉比売命(トヨタマヒメ)

鸕鷀草葺不合命(ウガヤフキアエズ)

玉依比売命(タマヨリヒメ)

神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコ)

吾平津比売命(アヒラツヒメ)

花房比売命(ハナブサヒメ) ※まだ確定的に申し上げられませんがタクハタチヂヒメの可能性あり、草部吉見(ヒコヤイミミ)の妃となる以前の状態が反映されている様に見えるのです

神功皇后命(ジングウコウゴウ)

品陀和気命(ホンダワケ)

武内大臣命(タケウチノスクネ)

菅原道真公(スガワラミチザネ)  

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百嶋由一郎“漢倭奴国王印”神代系譜(部分)


長崎県の大村湾沿岸から諫早市、島原市に掛けての旧南北高来郡から高千穂町三田井の一帯は高木大神=タカミムスビの領域でした。

 そこに真空地帯の様に金山彦系、大幡主(カミムスビ)系と考えられるエリアが存在しているのです。


高来町(たかきちょう)は、長崎県北高来郡にあった町。 2005年(平成17年)31日に諫早市、多良見町、森山町、飯盛町、小長井町と新設合併し、新市制による諫早市の一部となった。

ウィキペディア 20200813 14:11 によ

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ