2020年07月15日

736 阿蘇山上神社から阿蘇氏の祭神を再考する

736 阿蘇山上神社から阿蘇氏の祭神を再考する

20190318

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 阿蘇山頂(勿論、通常阿蘇山と言われる中岳のことですが)の噴火口の唇のような場所に阿蘇山上神社があります。阿蘇山の火口と言えばロープ・ウエイと東宝の「空の大怪獣ラドン」しか思い出さないのですが、観光地を好まないだけに参拝は数十年前に一度だけという有様で、画像は借用するしかありません。

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画像はいつもお世話になっている無題.png氏を借用させて頂きました。



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阿蘇山上神社 カーナビ検索 熊本県阿蘇市黒川808-3


 平成の御代替わりの一月前に熊本のメンバーでもあるF女史の呼び掛けにより阿蘇山上神社に参拝する企画が準備され、当方にもその話が持ち込まれました。

 このため、熊本県在住メンバーの数名を誘い参加する事になりましたが、数十年前に一度訪問した事があるだけで、事実上は初見になります。

 本稿はそのための下調べになりますが、恐らく新たな知見が得られるはずもなく、とりあえずネット上で得られる情報だけで考えて見たいと思うものです。

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画像は再び「神社探訪」氏による 深謝


式内社 肥後國阿蘇郡 健磐龍命神社 名神大 阿蘇神社奥宮


御祭神


北の御池(噴火口)一の宮 健磐龍命荒魂

中の御池(噴火口)二の宮 阿蘇都比当ス荒魂

南の御池(噴火口)五の宮 彦御子命神霊


草千里や阿蘇山人口スキー場を越えると、ロープウェイ乗り場がある。その左手に鎮座。

阿蘇神社の一の宮・二の宮・五の宮の三柱の神の荒魂を、阿蘇噴火口に祀ったもの。

社伝によると、欽明天皇十四年三月(552)、

阿蘇山の噴火に際し、阿蘇宮の御三社を祀り、社家の内笠忠基に奉仕させ、天宮祝と称したとある。

敬愛する「玄松子」氏による


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熊本県神社誌を見るとこの程度の記述しかなくほぼ役に立ちません。では、何故、阿蘇神社で通常12神とされる祭神の中でも何故この三神が選ばれたのでしょうか?欽明期ですので九州王朝の時代の阿蘇神社はこの程度の仰々しくない祭祀だったのでしょうか?とまれ阿蘇大神荒魂とあり健磐龍を意味しています。

結局、「玄松子」氏や「神社探訪」氏の方が余程正確という事になるのですが、問題はここからです。

我々、百嶋神社考古学では現在の阿蘇神社の祭神には疑問を持っています。

それについては、これまで草部吉見神社を軸に数十本書いてきたブログをお読み頂くしかありませんが、この山上神社の三神とされる 一の宮 健磐龍命荒魂、二の宮 阿蘇都比当ス荒魂、五の宮 彦御子命神霊 はそのまま受けるとして、二の宮は阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)と高木大神(タカミムスビ)の次女 栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)の間に産れた女神であり、このお妃から後の阿蘇氏の流れが生れているのです。そこまでは良いのですが、ただ、以前から五の宮 彦御子命 が具体的には誰なのかについて疑問があるのです。

 勿論、阿蘇家側の言い分は承知していますので、五の宮 彦御子命 が事実上の阿蘇家初代の阿蘇惟人(コレヒト)とするのでしょう。

阿蘇家のスタートとなった健磐龍命と草部吉見の娘(阿蘇ツ姫)との間に産れた雨宮姫を軸に、阿蘇北宮の阿蘇国造速瓶玉(大山咋)の間に産れた高橋、速日のどちらも事実上の阿蘇家初代の惟人には相当せず、この雨宮姫(私は悲劇の雨宮姫として数本書いていますが)と天忍日(アメノオシヒ=こちらは草部吉見と栲幡千千姫の間に産れた)のが阿蘇惟人と奈留多姫(福岡県糸島市の産宮の主神)であり、阿蘇惟人は母神の阿蘇都比売は変わらぬものの、実父である天忍日から義父である速瓶玉に父神が変更されている様なのです。

まずは「熊本県神社誌」(169p)から官幣大社阿蘇神社の略系譜を見て頂きましょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)

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阿蘇家による通説と百嶋神社考古学との違いは十分お分かり頂けると思いますが、百嶋由一郎最終神代系譜に従えば、阿蘇惟人が雨宮姫とウガヤフキアエズとの間に産れているにも拘わらず、雨宮姫と速瓶玉の間に産れたとされている理由が分からずにいましたが、ようやく謎が解けてきました。

 それは、雨宮姫の娘である奈留多姫(福岡県糸島市の産宮の主神)=後に建見名方の妃となる八坂刀女 とウガヤフキアエズとの間に産れたのが河上タケル(ヤマトオグナに誅罰された逆賊熊襲タケル)と豊姫(ユタヒメ)=淀姫=久留米高良大社の安曇磯羅(表筒男)の妃だからなのです。それに輪を掛けて阿蘇氏(出雲の国譲り武甕槌)に抵抗したいわば逆賊の建御名方にも阿蘇氏の血が入っている事も阿蘇氏が隠したかった事だと思われるのです。このため、阿蘇惟人が天忍日と雨宮姫との間に産れているのですが、義理の父神である国造(北宮)神社の速瓶玉の子として系譜を正したのではないかと推定できるのです。

 この河上タケルに阿蘇氏が関係している事はひぼろぎ逍遥から「淀姫」を検索して下さい。

 恐らく故)百嶋由一郎氏(菊池至誠会福岡支部長 当時)も上米良純臣(菊池至誠会会長=元青井阿蘇神社宮司 当時)も本当は重々ご存じだったと思います。

 ただし、「熊本県神社誌」を監修したのも上米良宮司であったのですから何を言っているんだと言われるでしょうが、お二人がこの事を知らなかったとは到底思えませんので私も早く百嶋先生の元に向かい確認したいと思うこの頃です。

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百嶋由一郎018阿蘇系譜@-2(部分)


百嶋由一郎氏が残された神代系譜、音声CD、手書きスキャニング・データを必要な方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記