2020年07月09日

734 合掌造りの里富山県五箇山で見た住吉神社の門光紋 “菅沼集落の塩硝小屋”

734 合掌造りの里富山県五箇山で見た住吉神社の門光紋 “菅沼集落の塩硝小屋

20190316

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 富山県南砺市五箇山でももう一つの合掌造りの里の 菅沼集落に向かう途中で住吉神社を発見しました。

 白山神社が在るとなれば車を止め、八幡宮があったとなると取って引き返しと忙しい限りですが、大抵は空振りに近く、知見を拡げるとしても危険と疲労が広がる方が大きいでしょう。

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住吉神社 カーナビ検索 富山県南砺市五箇山皆葎(カイムラ、カイムロ)507


 「葎」は「リツ」と読むと思いますが、何と読むか疑問だったため地元の方にお尋ねしたら「ムラとも、ムロとも読む…」とのことただ何故かは分かりません。

 夕闇が迫る中、菅沼集落を前に住吉神社を見せて頂きました。

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一般的に住吉神社と言えば、表、中、底筒男命の住吉三神という海の神様ですが、それこそ日本列島でも最も山深い五箇山の地に、この安曇の神が祀られていること自体一つ前のブログで“まず、あれほどの材を組み合わせ巨大な住居をこさえているのですが、これは帆柱や竜骨を組み合せ船や城を造る事ができるような人々が関与しているとしか思えません”このように書いた事の最初のファクトを見出した様な思いがしました。

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勿論、百嶋神社考古学では久留米高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」に基づき住吉三神を解析しています。


表筒男命=安曇磯羅          代表例 下関住吉神社

中筒男命=神武僭称贈る崇神      代表例 博多住吉神社

底筒男命=開化天皇(高良玉垂命)   代表例 大阪住吉神社


※ この解析は百嶋由一郎の特定ですがその根拠については聴いておりません

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 このような山岳集落に住吉の神が祀られていること自体、この五箇山にも安曇族が入っている事を裏付けていると考えます。

 ところが、この地で一つのブレーク・スルーを得ました。

 それは、この住吉神社の神紋に驚いたのからです。

 これまで多くの住吉神社を見て来ましたが、表、中、底の区別をした住吉神社に大分県の佐伯市で遭遇した事が一例あるだけで、殆どの住吉は三神を合祀するものばかりでした。

 しかし、この五箇山の皆葎の住吉神社でどえらいものを発見したのです。

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この神紋は通常「唐花」と呼びますが、故)百嶋由一郎氏は「門光」(モンコウ)と呼ばれていました。

 現在、久留米の高良大社の神紋は表紋として住吉の左三つ巴紋を裏紋として木瓜を用いていますが、住吉はともかくも、木瓜紋は呉太伯の流れを汲む大率紀氏以来の本物の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)〜高良玉垂命〜仁徳天皇への九州王朝の臣下としての金山彦系の神紋であって、大率紀氏の神紋はこの門光なのです。

 それが何故分かるかと言うと、通常宝物庫の奥に仕舞われているのですが、神幸祭の時だけに陽の目を見る神輿に打たれた紋がこの門光なのです。

 個別具体的には藤原が第9代とした開化天皇=高良玉垂命が住吉神社の屋根の紋章とされているとすると、この神社は第9代開化天皇=底筒男命を祀っている可能性があるのです。



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底筒男命こと高良玉垂命=開化天皇の紋章(門光)


 詳しくはメンバーの「宮原誠一氏の神社見聞諜」のNo.59 高良大社に開化天皇(玉垂命)の神紋を発見し
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記