2020年06月24日

729 米水津湾の神々 @ “大分県佐伯市米水津色利浦の立岩神社の衝撃”

729 米水津湾の神々 @ “大分県佐伯市米水津色利浦の立岩神社の衝撃

20190313

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 寒い部屋でユーチューブ動画をTVに写し(芸人とオカマと外人と化け物で創られる地上波は見る価値はないため…世界最高水準の8KTVで世界最低水準の安物番組を見させられているのが日本列島民族ですので)それを視聴しながらブログを書き続けるとしても精神衛生上良くない上に体の変調(頸肩腕症候群、腱鞘炎、眼精疲労)をきたす事から、40年間やった魚釣りを15年ぶりに復活させ、少しは外で体を動かそうと飛騨から戻って舌の根も乾かぬ間に神社調査と魚釣りを併せた奇妙な旅に出たのでした。

 場所は大分県でも最東南部(豊後水道に突き出した鶴見崎の南側の大きな入江)でした。

 魚釣りを始めた20代前半から釣り雑誌を読み漁っていた頃憧れの眼差しを注いでいたのがこの米水津、蒲江、その南の島野浦(宮崎県)一帯でした。

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勿論、この一帯でも何度か神社を見て廻っていますが、判別する材料が乏しかった昔は見過ごしていたものが、徐々に小さな差を見分ける事が多少はできるようになってきたようなのです。

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同社は米水津湾の南側の高台に置かれた神社で何の変哲もない集落の鎮守様と言った普通の神社でしょう。

しかし、同社の由緒が岩に刻んであり、私にとっては非常に新鮮な驚きとも発見とも言うべき知見を得たのでした。

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150段の参道の左手に置かれた由来記にはかなり興味深い事が書かれていました。


祭神:天津日高日子穂穂出見命 上筒之男命


それは、冒頭の “当権現山に鎮座まします天津日高日子穂穂出見命 上筒男命 を祭祀する立岩神社は…” “明治六年村社に列し立岩大権現・粟島神社を立岩神社に改称した。” の部分でした。

 まず、粟島神社は通常は少彦名命を祀るもので、この点、小浦の粟島神社と対応している様にも見えますがこれは今後の課題です。

 少なくとも粟島祭祀については触れて無い訳で、過去は祭祀があったとしても、現在の祭神は 天津日高日子穂穂出見命 一柱(天津日高日子穂穂出見命と上筒男命との二柱という風にも読めますが)となりそうです。

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 これが明治期の村社昇格により通りの良いものが選ばれたものか、元々祭祀が存在したのかは不明ですが、我々が関心を持つのはそこではありません。

 問題は、天津日高日子穂穂出見命 上筒男命 上筒男命単独(住吉三神の内上筒男命だけを単独で祭祀している)祭祀が重要な上に、もしかしたら天津日高日子穂穂出見命を上筒男命と認識している可能性も考えられるのです。

 皆さんご存じの通り、住吉神社の祭神については通常住吉三神として一括され、上、中、底をセットで祭り、各々に神としての独立性を問題としないのが一般的な傾向なのです。

 ところが、同社に於いては上筒男命を独立して祭祀しているのです。

 これは非常に稀なことで、○ 上筒男命を単独で祭祀している事 ○ もしかしたらそれを天津日高日子穂穂出見命と認識している可能性があるのです。

 我々 百嶋神社考古学 の立場では、上筒男命がアヅミノイソラ、中筒男命が神武僭称贈る崇神、底筒男命も藤原が第9代とした開化天皇(妃は神功皇后)=高良玉垂命とします。

 筒男命を祀るのは住吉神社が代表的ですが、瀬戸内海から壱岐、対馬を軸に祀られる住吉神社でも代表的な博多の住吉は贈る崇神、下関のそれはアズミノイソラ、大阪のそれは開化=高良玉垂命であり、事実、故)百嶋由一郎氏もそのように話しておられました。

 ただ、神社探訪の現場でも、その実例に遭遇する事は無く、百嶋先生の話の裏取りが無かったのでした。

 ところが、今回この痕跡のような事例に遭遇しようやく糸口を掴んだ思いを持っています。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


まず、天孫邇邇芸命と木花之佐久夜毘売命の御子で鵜葺草葺不合命の父。邇邇芸命に、一夜の交わりで妊娠したのを疑われた木花之佐久夜毘売命が、 疑いを晴らすために産屋に火を放って、その中で火照命・火須勢理命・火遠理命の三柱の御子を生む。とするのが通説です。


日本神話で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子。母は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)。山幸彦の名で知られ、海神の娘豊玉姫(とよたまひめ)と結婚して鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)をもうけた。火遠理命(ほおりのみこと)。天津日高日子穂穂出見命(あまつひこひこほほでみのみこと)。→海幸山幸(うみさちやまさち)

デジタル大辞泉の解説による


 通説が、日子穂穂出見命を天孫邇邇芸命と木花之佐久夜毘売命の御子で鵜葺草葺不合命の父とするのは、前半は偽装で、後半は正しいのです。

 つまり、日子穂穂出見命=ニギハヤヒ=山幸彦の子が鵜葺草葺不合命(妃は豊玉姫)であると言うのは正しく、二代降った子の安曇磯羅が実は上筒男命なのです。従って、立岩神社の祭神とする日子穂穂出見命の流れの孫神の安曇磯羅が上筒男命であるとする由来は何らかの真実を伝えている様に思うのです。

ここで、百嶋由一郎最終神代系譜をご覧ください。

 左の赤枠が底筒男、青枠が中筒男、右の上筒男(表筒男)であり、同時代に生きた神々だったのです。

 まだ、魚釣りもあり米水津〜蒲江は何度も入ると思いますので、この豊後の最東南部が古代から神代に掛けてどのような世界であったのかが少しずつでも見えてくるのではないかと思っています。

 実は、この神社の南に聳える高峰は石槌山です。

 石槌と言えば愛媛の石槌神社であり、佐伯市の北隣の津久見市の一の宮赤八幡宮の傍にも小さな石槌神社が在り、地元の集落では今でも四月にフェリーに乗ってバスで愛媛の石槌神社に参拝する風習が連綿と続いていると話されていましたが、この恐らく金山彦信仰圏がこの米水津にも存在していたと考えています。それ以外にも大国主命、少彦名命祭祀や大三島の大山祗祭祀もあり相当に面白い所です。


百嶋由一郎氏が残された神代系譜、音声CD、手書きスキャニング・データを必要な方は09062983254まで

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記