2020年06月12日

725佐用都比賣神社(兵庫県佐用町)の奥の院伯母宮は天照大御神の母神を祀る

725佐用都比賣神社(兵庫県佐用町)の奥の院伯母宮は天照大御神の母神を祀る

20190207

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


以前、ひぼろぎ逍遥(跡宮)ビアヘロ060天照大御神の母神は播磨の佐用町で祀られている “百嶋神社考古学概論入門編 A”を書きました。

故)百嶋由一郎氏が“兵庫県(播磨)の佐用町の佐用都比賣神社に祀られているようだ…”と話していた事からその仮説の重要性は十分に承知していたつもりですが、その問題をある程度理解できるようになってからは中々訪問する機会を得ませんでした。

今般、岡山県津山市の「津川原」(これについてもリポートを書いています)の探訪に入ったついでに隣県の佐用町まで足を延ばし実見する機会を得ましたので、再びリポートさせて頂くことにしました。

以下はビアヘロ060の冒頭の部分ですが、思い起こして頂く為に一部を再掲載させて頂きます。

今般、岡山県津山市〜兵庫県佐用町〜鳥取県鳥取市〜京都府京丹後市〜石川県金沢市〜富山県五箇山〜岐阜県白川郷〜飛騨高山まで進み長野県安曇野〜山梨県山中湖湖畔の友人の別荘に行く予定でしたが、雨に祟られ飛騨高山で引返す事にしました。

往復2000キロ10日間の旅でしたが、草臥れただけだったかも知れません。

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ただ、ブログばかり書いていると腱鞘炎、頸肩腕症候群、眼精疲労も辛く、ネタ切れもあり、思わず飛び出してしまったのでした。以下再掲載。


 天照大御神と言えば知らぬ者の無い列島開闢に関わる最高神ですが、この神の母神が兵庫県の佐用町の佐用姫神社の境内摂社に祀られています。

 天照大御神の母神などという話をすると、それこそ好い加減な輩と言われそうですが、我々百嶋神社考古学の者には、それこそ国史扱いにされている「古事記」「日本書紀」そのものが偽書であり、事実、百嶋由一郎氏も「古事記」の95%が嘘だと言い切っておりました。

このため通説派の方々のご指摘など耳に入れる意志が毛頭ない事は言うまでもありません。彼等の誤りだとの指摘の根拠はと問えば「記紀」に求められておられるのですから議論する価値などありはしないのです。勿論、これも百嶋由一郎氏から面受の者として聴いた話です。

 “天照、”神武“は、勿論、同時代に糸島から福岡市南区の油山の裾野の一帯に住んでいた”(直接このフレーズの表現ではありませんが、そういう趣旨で話されていました)“神武は福岡市南区柏原(カシワラ)、天照は福岡市南区桧原(ヒバル)に居られた…”決して南九州だかの高千穂などではないのです。

 そして、福岡市南区には樋井川まで流れているのです。

 勿論、この神武は神武僭称贈る崇神(ハツクニシラス…)ではなく、呉の太伯(周王家姫氏カムヤマトイワレヒコ)後裔の本物の神武の話です。以下、グループの宮原誠一氏から引用します。


テーマ:神社見聞調考 2017(平成29)301日 宮原誠一の神社見聞蝶(004)

No-0041/8)3人の豊姫ともう一人の玉依姫

古代有名氏神で女性神に、豊玉彦の姫君である豊玉姫・玉依姫(海童女二神)、安曇磯良の妃・豊姫(ゆたひめ)、神武天皇の母・玉依姫がおられ、この4名の姫君は神社の祭神、由緒等で混乱・誤記があちこちと見られる。

ここでは百嶋神社考古学神代系図に沿って、この4名の姫君の関係を明らかにすると共に、その神格を紹介します。

豊姫(とよひめ)は、豊玉姫、玉依姫、豊姫(ゆたひめ)の総称として用いられ、これが混乱の原因になっているようです。豊姫の呼び方は、トヨ姫、ユタ姫、ヨド姫とも呼ばれ、この読み名も混乱に拍車をかけている。

豊玉姫は竜宮神・乙姫神ともいわれ、豊姫(ゆたひめ)は河上大明神ともいわれる。

1 四姫君の総論

まず、四姫君について、次のようにまとめた。

1.()玉依姫

白川伯王(白族)の子・福岡市櫛田神社祭神・大幡主の姉にあたり、玉依姫(たまよりひめ)と呼び、神武天皇の母に当たる。以後、()玉依姫と称し、区別し用いる。

2.豊玉姫

豊玉彦(海神)の姫君で豊玉姫、「とよたまひめ」と称す。彦火火出見命(饒速日)の妃でその子は鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)であり、乙宮の祭神、竜宮神・乙姫神でもある。豊比盗_社の祭神は、この「豊玉姫」を指す。後に大国主の妃になられ、別名「田心姫」とも言い、福岡県・宗像大社の祭神の一人であり、海北の「道主貴みちぬしむち」でもある。

3.()玉依姫

豊玉彦(海神)の姫君で玉依姫、「たまよりひめ」と称す。日吉神社の祭神「大山咋」の妃で崇神帝の母であり、その前は鵜草葺不合命の妃であり、安曇磯良(あずみいそら)の母であった。宝満宮の祭神であり、以後、()玉依姫と称し、区別し用いる。

玉依姫は、藤大臣物部保連(玉垂命)と神功皇后の異国征伐時に、父である海神・豊玉彦に干珠・満珠の玉を借受けにゆく姫君として有名。

4.豊姫

鵜草葺不合命と奈留多姫(なるたひめ)の間の姫君で豊姫、「ゆたひめ」と称す。熊襲タケル後の河上タケルの妹に当たる。安曇磯良の妃となられ、後に佐賀県・川上神社(與止日女神社)の河上大明神になられる。奈留多姫は天忍日命と雨宮姫との間の姫君。(高木大神・神沼河耳 神代系図(6)参照)

以上が四姫君の概要である。

)から4)の三姫君は豊姫の総称として用いられてきた。

豊玉彦は海神と呼ばれ、後の天穂日命である。その父は大幡主であり、外洋航海の腕効きでもあった。海神・豊玉彦の二人の姫君、豊玉姫・()玉依姫は海童女二神と呼ばれる。鵜草葺不合命は大海祗(おおわたつみ)であり、その子、豊姫・大海姫は海童少女二神と呼ばれ、福岡市の志賀海神社の祭神でもあり「少童命(わたつみのみこと)」二神とも呼ばれる。なお、志賀大明神は安曇磯良であり、安曇磯良・豊姫・大海姫はいずれも鵜草葺不合命の子である。この三神を総して、海祗(わたつみ)三神という。安曇磯良は筑前国では「志賀大明神」、日立国では「鹿島大明神」、大和国では「春日大明神」となられている。

ここで、百嶋由一郎氏が残された神代系譜をご覧頂きましょう

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百嶋由一郎極秘系譜(部分)天御中主+大幡主+高木大神が造化三神ですね…


ご覧の通り、列島大卒:姫氏(呉の太伯=「君長」)と白川伯王の娘の神玉依姫=玉前様(千葉県長生郡一宮町一宮にある神社 式内社、上総国一宮 旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社に祀られている)の間に産れたのが本物の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)であり、同じく列島大卒:姫氏と高木大神の叔母の間に産れたのが大日女貴→卑弥呼→天照大御神と書かれているのです。

 つまり、神武と天照とは腹違いの弟と姉の関係にあったことになるのです。

 それを、天照から下って、下って神武天皇と描いた背景には、藤原がその直接の起源を偽神武こと贈る崇神を神武と思わせ権威付けしたかったからであろうと考えていますが、それを知ってか知らずか(多分、津田を始めとして真面目に調べてなどいないはずですが)、神武は崇神に準える必要から残し、二代〜九代までは全て架空としているのです。

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神武天皇の母神 神玉依姫を祀る玉前神社 カーナビ検索 千葉県長生郡一宮町一宮3048(左)


天照大神の母神 大伽耶の姫を祀る佐用都姫神社 カーナビ検索 兵庫県佐用町本位田甲261(右)


詳しくは、と言っても、作業を始めた段階でしかないのですが、ひぼろぎ逍遥(跡宮)273 として、兵庫県佐用町の佐用都比売神社とは何か? 20160709太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

 をお読み頂きたいと思います。


ひぼろぎ逍遥

632

上総国の龍宮 一宮町 玉前神社 (下)

631

上総国の龍宮 一宮町 玉前神社 (上)

610

神武天皇の母神は千葉県一ノ宮町に祀られている “百嶋神社考古学概論入門編 B”

609

天照大御神の母神は播磨の佐用町で祀られている “百嶋神社考古学概論入門編 A”

   

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 百嶋先生からお話をお聴きした時には既に一度訪問していましたが、十年前の事でもあり全くチンプンカンプンで如何なる神社であるかが全く分かりませんでした。

その後、再訪してある程度の文書も記したのですが、九州王朝は8世紀に奈良から最も遠い但馬に避退した(海路で考えれば九州への倍の距離が必要)。その手引きをしたのは橘一族であったという先生の説を自ら検証するために踏み入った延長上の訪問でした。それでも見飛ばしていてはどうにもなりません。

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今回は蔦紋を使う高木大神の社殿裏の最奥部の安全な場所に伯母宮があるのですから、天照大御神の父神か天照の腹違いの弟である神武(呉太伯の後裔)の母神との表現である事が分かります。

最早、同社の宮司や禰宜に聴いてもお分かりになる方はおられないと思うのですが、最低でも神武天皇が白族(天御中主命)系の母神だったのに対して、天照大御神は高木大神系のお妃との間に産れた方であった事が分かります。

 ここで分からないのは同社の神殿上部には縦切りの男千木が置かれていることです。

 佐用都姫は宗像の市杵島姫に違いありません。

この女神様は藤原の祖である阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)と大国主命を夫としています。

 播磨は「風土記」に依るまでもなく大国主命の領域でもあります(射楯兵主神社)。

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同社案内板(上)同社神殿上部


佐用都比賣神社は表向き女神様を看板にしていますが、千木は男神を意味しており、もしかしたら大国主命が祀られた時代があり、藤原の世となり草部吉見を祀った時代もあったのではないかと思わせます。

 何故ならば、大国主命は播磨の支配者であった時代があり(但馬の出石にスサノウを押し込め、播磨、但馬を支配した)、近畿大和朝廷の時代には高木大神の次女である栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)をお妃としたヒコヤイミミが祀られていた可能性もあるのです。

 また、神紋からは元々高木大神を祀る神社だったのかも知れません。

 屋根には「郡古霊」と書かれているようです。

佐用郡の古霊との控えめな表記で修飾語を多用する高木大神としては非常に珍しい書き方です。

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百嶋由一郎氏が残された神代系譜、音声CD、手書きスキャニング・データを必要な方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記