2020年06月01日

721 那珂川市の伏見宮とは何か? “百嶋翁から伏見稲荷の元宮と聴いた那珂川の伏見宮”

721 那珂川市の伏見宮とは何か? “百嶋翁から伏見稲荷の元宮と聴いた那珂川の伏見宮”

20190210

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ひぼろぎ逍遥 705 2019年年頭に那珂川市の神社を探索する 公開しているとおり那珂川市において十数人規模のトレッキングを行ないました。以下その冒頭の部分を再掲載します。


 思えば那珂川町でのトレッキングがそろそろ十年に近づく太宰府地名研究会での神社探訪の起点でした。その当時はまだまだチンプンカンプンのよちよち歩きでしたが、メンバーも年を重ね、少しは神社を見る目が成長しているでしょうから、那珂川市政(市制)スタートを機会に、再度、旧那珂川町でのトレッキング(オープン参加)を企画したいと思います。

 ここではこれらの神社探訪の基礎資料として、簡潔にその概略をお知らせしたいと考えています。

 那珂川市は二千数百年前の神代〜古代に於いて湾入を見せていた古代博多湾の西の最奥部にある天恵の沃土といった場所で、欠史扱いされ架空などとされている神代〜古代に掛けての多くの神々の重要な場所がこの一帯なのでした。

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@  天御中主神社    カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町片縄東1丁目

A  地禄天神社     カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町中原6丁目7-8(地禄と十六は同じ)

B  十六神社      カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町那珂川町片縄北1丁目14-16 

C  現人神社      カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町仲3丁目7-8

D  安徳宮       カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町安徳36.

E  裂田神社      カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町安徳11.

F  伏見神社      カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町山田879

G  大山住神社     カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町別所687

H  日吉神社      カーナビ検索  福岡県筑紫郡那珂川町市ノ瀬441-1


 今回、七年ぶりに那珂川流域での神社調査を行いましたが、あまりにも重要な神社が目白押しのため、3月にも再び第二次那珂川神社トレッキングを行なおうと思っているところです。

 十数人によるトレッキングではありますが、ブロガーだけでも5人、ブログ数8の記録に残る調査体制ですので、将来にも参考になり、新たな発見までもが書き込まれ書きつづられることになるでしょう。

 今回不参加の他のブロガーも数人おられますので、多くの目による神社探査は貴重な資料にもなることでしょう。

ここでは、天御中主神社、裂田神社、日吉神社…などから幾つかリポートしますが、持禄神社=十六神社は同一で博多の櫛田神社の主神である大幡主=神産巣日神、神皇産霊尊で良いのですが、屋敷神などを加えれば、古代の博多湾岸汀線に恐らく千社近くあるのではと言ったのは故)百嶋由一郎氏でした。

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地図の外になりますがこの南、乙子神社から一キロほど上流に日吉神社があります


 さて、ここでは今回のトレッキングでも注視していた伏見宮を取り上げます。

 注視していた理由は、故)百嶋由一郎氏からこの那珂川の伏見宮は京都の伏見稲荷の元宮と聴いていたからです。

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まず「福岡県神社誌」を見れば、その冒頭から肥前の淀姫神社の祭神が祀られたと、また、また、その後、山城国より御香宮神社を勧請した云々と書かれています。


御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)は京都市伏見区にある神社である。式内社で、旧社格は府社。通称御香宮、御幸宮。伏見地区の産土神である。神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀る。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。

また社務所内に小堀遠州が伏見奉行所内に作ったとされる庭園が移設されている。

ウィキペディア(20190211 03:32による


この御香宮の祭神が気になりますが、同社HPにも、京都府神社庁HPにも出てこない事から頼りにできるのは「玄松子」しかありません。以下をご覧ください。


仲哀天皇應神天皇宇倍大明神瀧祭神 河上大明神/高良大明神 仁徳天皇菟道稚郎子尊白菊大明神


「福岡県神社誌」では「武内大臣合祭のことは不明なり」と書いています。

少し調べれば分かりそうなものですが、伏見の御香宮から持ち込まれたものとしか考えようがないではありませんか(お粗末)。

宇倍大明神が武内宿祢であることは 因幡國一之宮 宇倍神社 を持ち出すまでもなく神社関係者なら誰でもご存じの話だと思うのですが奇妙としか思えません。

この御香宮を勧請したとするのならば高良大明神(実は第9代開化天皇)も仁徳天皇(実は高良玉垂命と仲哀亡き後の神功皇后との長子=シレカシノミコト)も白菊大明神も持ち込んだことにしているはずなのです。

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白菊大明神も分かり難いかも知れませんが、伏見稲荷大社内三ノ峰にある白菊大神の稲荷社(京都市伏見区)があることでもお稲荷様である事が分かります。

さて、ここから少し同社の本質に解析を進めたいと思います。

肥前の淀姫が何故ここに持ち込まれているかを不思議に思われる方が多いと思います。

ただ、十年程前からこの事実と言うより現象については気づいていました。

それは糸島市でも大社として知られる桜井神社の参拝殿の天井には淀姫大明神でしたか大元の桜井神社よりも大きな神額が掛けられているのです。

さらに言えば、糸島市でも良く知られた産宮神社の祭神である奈留多姫は表向き第二代綏靖天皇の母とのとんでもない縁起(綏靖天皇の子である草部吉見の子の阿蘇ツ姫の子の雨宮姫の子が奈留多姫なのであって実に四代遡った御先祖様を産んだことにしているのです)になっているものの、その奈留多姫とウガヤフキアエズの間に産れたのが豊姫(淀姫)と逆賊とされた河上タケル(ヤマトタケルの熊襲退治)なのです。また、福岡市南区塩原にも淀姫稲荷神社があることも一応は頭に入れておくべきでしょう。

そして、この伏見神社にも由緒筆頭に淀姫が掛かれ祀られている事は、何らかの政治的変動によって脊振山系の南側から北側に避退している事が見えてくるのです。

このヤマトタケルの熊襲退治は良く知られていますが、何やら鹿児島だか宮崎だかに奈良からヤマトタケル(ヤマトオグナ=オウスノミコト)が攻めてきた事にされていますが、これは熊襲内部の内ゲバでしかなく、恐らく菊池〜山鹿〜玉名方面から佐賀市(旧大和町)の川上温泉郷周辺にいた河上タケルが誅罰されたのであり、その現場は脊振山系の南麓で起こった事だったのです。

当然、攻めてきた方角に逃げる馬鹿はいない事から、その意味でも奈良見当などでは無い事は明らかで、故)百嶋由一郎氏も“河上タケルは許されその一族は福岡市早良区に纏まって逃げ今も集落をなしていますが、知っていても気の毒だからお教えできない…”と言われていました。

これついて情報をお持ちの方はご連絡頂きたいと思います(09062983254まで)。

詳しくお知りになりたい方は旧「大和町誌」にも記述がありますし、当方の「淀姫」(以下)を読まれてもある程度お分かり頂けるでしょう。

九州王朝論の立場とか吹聴している団体が福岡市などにもありますが、こんなことさえ調べようとも知ろうとも、勿論、知ってもいないし、神功皇后が三瀬村で産まれている事も知らないのです。漫画です。


ひぼろぎ逍遥

554

淀 姫 C ” みやま市高田町江ノ浦の淀姫神社について”

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淀 姫 B

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淀 姫 A

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淀 姫 @


また、この熊襲退治の話に絞り込んだパワー・ポイントを作成していますので、希望される方は千円+送料込程度でお送りできます(09062983254まで)。

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予定された紙面が終わりますので、この程度でこの話は終わりとして、次のブログで稲荷の本質に迫りたいと思います。


百嶋由一郎最終神代系譜(部分)(下)

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記