2020年01月15日

676 何度も足を運んでいる宗像大社ですが… B “神湊の津加計志宮に大国主命の痕跡を探る”

676 何度も足を運んでいる宗像大社ですが… B “神湊の津加計志宮に大国主命の痕跡を探る”

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太宰府地名研究会 古川 清久


 宗像大社の東側を北に流れ玄海灘に注ぐ釣川の河口、宗像大社の中津宮が鎮座する宗像大島へのフェリーの出船場にもほど近い所に 津加計志宮 (津加計志神社)があります。

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思えば、津加計志宮についてはこれまで何度か目にしていたものの、放置していただけに恥ずかしい限りでしたが、やはり、最低でも地元の町誌程度には目を通しておくべきでした。

出典は旧玄海町の教育委員会が編纂していた「神湊・江口の史話と伝説」(吉武謹一)です。

幸いに地元在住のひぼろぎ逍遥の読者からご紹介を頂き、以下、その全文を掲載させて頂きました。

お読み頂ければ分かりますが、宗像大社のお膝元としか言いようのないこの神社には、大国主の八世の孫とされる阿多賀多須命大国主命のお妃のお一人のタゴリヒメ(百嶋神社考古学では豊玉姫)が祀られているのです。

このことによって、直ちに宗像大社を云々できるとは思いませんが、宗像の一族がどのような流れの方々であったのかが多少とも見えてきた様なのです。

それは、まず、全文をお読み頂いてからにしましょう。きっと宗像大社の謎を解く一端が見えてくるのではないかと思います。

実は、福津市と宗像市には大国主を祀る神社が数社あります。福津市の楯崎神社と宗像市(岡垣町手野)の大国主神社です。ご紹介は次に回すとして、ここでは以下をお読み頂きます。

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宗像三女神について以前から気になっていた事があります。

 それは、九州の西岸では市杵島姫(サヨヒメ)に頻繁に遭遇し、東岸では豊玉姫(タゴリヒメ)が増えてくるという現象です。

 丁度その境界が神湊辺りになるのですが、市杵島姫は豊玉彦の姉のアカルヒメの娘であり、豊玉姫は彦山の高木大神の長女である豊秋ツ姫と豊玉彦との間に産れたプリンセスです。

 これは地域的な棲み分けなのか、権力交替によって生じたものなのか分かりませんが、金山彦系が第一期の九州王朝を支え、第二期を大国主系が支え、第三期は神功皇后〜といった印象を受けています。

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「宗像氏の初代の大領」の「大領」の意味が分かり難いと思います。故)古田武彦氏の「郡評論争」にこの「大領」が出ていたことを思い出しましたので「新古代学の扉」からご紹介しておきます。

 この大領とは九州王朝時代の阿田方須命の官職名であった事がお分かり頂けると思います。

大化の改新と九州王朝  古田武彦

郡評論争 … そして戦後になりまして、坂本太郎さんの弟子というか、大学の学生でありました井上さん(発表当時は教養部の講師か助教授)の研究発表がされたわけです。その内容は津田氏の疑いには根拠がある。証拠は一点に限定して論じたいのだが、要するに大化改新の詔勅では郡という行政単位を使って

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述べられている。郡司とか、郡に関する規定とか具体的に数字も挙げて述べられているし、大領、少領というような長官名副官名もでてくるのです。ところが金石文に依ってみると郡という行政単位が使われた痕跡がない、(七世紀後半)、それらは皆評である。評という行政単位が使われていた。例としてレジメに挙げておきました。この例をみても評を使い郡を使われた跡がない。するとこの点をとっても大化改新の詔勅というものを信用するわけにはいかない、という口頭発表をされたわけです。…

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記