2019年07月28日

ビアヘロ091 九州王朝論者の研究会が総崩れ “研究者がいない九州王朝論の研究会”

ビアヘロ091 九州王朝論者の研究会が総崩れ “研究者がいない九州王朝論の研究会”

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 埼玉県在住者のつれづれ旅日記(のようなもの)氏が帰られた後、奇しくも埼玉県在住者から百嶋神社考古学の資料を貰いたいとの連絡が入りました。

 昨年10月から接触していたblogひろっぷ女史の参入と併せ、多くのメンバー(ブロガー)が参加されるようになり、当会は単なる邪馬台国九州説を楽しむ会とか九州王朝論者のお話を聴き右から左に聞流す会と言ったものではなく、また、通説派の学芸員や教育委員会関係者の御高説を拝聴する会といったものでもなく、自らの頭と足を使って調べ記録を残し古代を探究する本物の研究者とそのサポーターによる研究会への道がようやく開けてきたような気がしています。

 事実、五年程ど前まで十年近くも九州王朝論を拡げるために活動してきたのですが、遡って考えても“自分はこういう事を調べているのだけど発表させて下さい”とか、“今度はこういう事を調べましょう”といった人物が一人も出てこなかった事でした。

 つまり、一つの表現ですが、テントを張って九州王朝論者の話を聴く会としてスタートとしたものの、誰一人として自分の頭を使って調べようとする人物も、積極的に九州王朝論の宣伝を行い通説派の嘘を遍く広めようと言った人は皆無だったのでした。

 今となればただの反省でしかないのですが、結局、数少ない名の通った九州王朝論者やそれに関係する研究者の話を聴き、それに同調している自分を楽しんでいるだけの人々しか集められなかった事を痛感していたのです。

 本音を言わせてもらえば、こんなつまらない何の価値もない人々の世話だけさせられ一喜一憂する事への馬鹿さ加減だけが募り、残り少ない人生をこんな連中のために費やすのはあまりにも無駄だと考えるようになっていました。

 従って、まぼろしの九州王朝宮廷舞「筑紫舞」を現代に伝える宮地嶽神社と組んで、既に天寿が迫っていた古田武彦講演会を全国から800人を集めて実現したのですが、それは古田武彦が一生を掛けて列島の古代にメスを入れた古田武彦を九州王朝の本拠地であった博多で講演させたいとの思いを皆で支え、最後の古田武彦を一目見たいとして達成させたに過ぎなかったのでした。

 そして時は流れ、何時しか古田武彦の初期三部作に新鮮な衝撃を受けた戦後世代がどんどん鬼籍へと送り込まれ続ける時代に入っているのです。

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結果、古代史に関心を持つ人々の次世代でも、三部作も読んだ事もなく、この衝撃さえも知らぬ無い世代が増え、九州王朝論者も特殊な目で見られる時代に突入し始めている事を強く意識しなければならないと思うものです。


それどころか通説に迎合するサモシイ連中までが現れる


それどころか、“行政とか教育委員会との関係は切れない…”と、さも聞いた風な話で学芸員とか通説派の話を持ち込んだり、金に任せて実質的な通説派が持ち込む全国邪馬台国シンポジウムとか村興し、町興し、果ては世界遺産登録に絡めた教育委員会お墨付きの翼賛古代史シンポジウムに尾を振る様な妙な動きに合流して行く連中までが現れ始めるのです。

この人物は元は九州王朝論者として古田と一緒に活動していたと思っていた人物が、名声のためなのか、単にたくさんの聴衆の前で話したかったのか、いわば行政の芸人に成り下がる傾向まで現れる始末で、最早、九州の真実の古代史を探るとか通説が言う列島の古代観は誤りではないか…と言った古代史に対する真摯な興味、関心の一切が消え去り、あたかも通説派によるデマとペテンに満ちた大嘘が大手を振って闊歩し始めているかのようなのです。

古田武彦が一生を掛けて切り開いた世界観などもはや何も無かったかのような様相を示す中、埼玉県から車中泊を繰り返し神社探訪を続け当研究会の研修所を訪ねて来られた若き50代のブロガーからお話をお聴きすると、以前から古田武彦の本を読み九州王朝論者のブログを読んできたが、実際に九州の現場を自分の目で確認したいとトレッキングや伊東まさこ講演会に参加されたのでした。

無論、全ての重要ポイントをご案内する事など不可能なことであり、そのさわりだけをご案内させて頂いたのですが、このような自分の頭で物事を考える人々こそが必要であり重要なのであって、九州王朝本拠地の現場九州に於いて九州王朝の痕跡を探る探究者が消えた時、九州王朝論は消失する事になるのです。

彼も当方の連携ブログにリンクして貰う事となり、昨年10月のこれまた50代に成り立ての女性ブロガーによる「ひろっぷ」と併せ、九州王朝論からの情報発信がさらに強化される事になったのでした。

 話が多少逸れますが、このように、自らの頭で考え自らの足で現場を見ようと思い遠路探訪する人々のために研修所を設けたのであり、今後もこのような人々に活用して頂きたいと思っています。

 また、阿蘇外輪山東麓にも一泊千円で450人は泊まれる施設を準備していますので(こちらには自前の温泉は無いのですが)、九州王朝論に関心をお持ちで九州の現場を自分の目で確認したいと思われる方はどしどしご連絡頂きたいと思います09062983254

 話を戻すと自らの頭で考え自らの足で現場を見ようと思い遠路探訪する人々と九州王朝の本拠地に居ながらエアコンの効いた部屋で居眠りしながら邪馬台国九州説本でも読みながら、渋滞で車の運転が面倒だからと現場を見ようともしない自称九州王朝論者とのどちらが価値があるかは言わずもがなであって、本も出さずブログも書かないような人間はネット社会では存在していないに等しいのです。

ましてや、作業ノートも作成せず、記録も残さず、伝承を拾おうともしないような連中は何の価値もないとしか言いようがないのです。

こちらから少しお尋ねしたいのですが、現在、九州在住者で九州王朝の研究者、調査者、探索者がどれほどおられると思われますか?

 私は全体の傾向が見えるのですが、一応、当グループは(神社研究者中心のため)無関係とし、九州在住者で九州王朝論の立場からの研究者と言えそうな人物は皆無ではないかと思います。

 もし違うと言われる方がおられれば、ブロガーなのか何がしかの著者なのか、ただの古代史ファンなのか名乗り出て頂いても構いません。

 既に、古田武彦なり兼川晋なり、佃収、故)米田良三、他の九州王朝論者なりの説を追い探究を進めておられる人を知りません。

 古田武彦が一生を掛けて切り開いたものでしたが、本拠地がこの様なのですから、事実上の九州王朝論の死を確認せざるを得ないのです。

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私達は、故)古田武彦氏とほぼ同世代の故)百嶋由一郎氏の神社研究の重要性に衝撃を受け(これとて凡そ教育委員会や学芸員が関心を向けるはずのものでもなく、普通の九州王朝論者も見向きもしない話なのであり、足で拾って遭遇した話だったのです)、始めはその驚愕の内容に対する理解に数年を要したのですが、今になりやっと百嶋翁が主張していた話の裏取りの作業が進むようになり、先生が言われていた初期の九州王朝の全貌が見えて来つつあるのです。

 従って、私達はかつて古田武彦が「古事記」が「日本書記」の原型としたとは相容れぬ理解に踏み入り、百嶋翁が主張した“古事記の95%は嘘”という驚愕のメッセジを受け止め、その多くの説明を押し広げ、「記」「紀」が描いた=藤原が自らのウイングを拡げ安泰のために描いた史観の大嘘のテクニックを多少とも理解できるところまで漕ぎ着けて来たのでした。

 私達はこれらの話をネット上に多くのセクターによって拡散させ、私だけでも年間560万件(年間)のアクセスを得られるところまで発信できるようになって来たのでした。

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百嶋由一郎極秘神代系譜(部分)


 一度、百嶋由一郎が主張した神代史観を受入れると、古田説、佃収説、米田良三説、内倉武久説…といった名だたる九州王朝論者の説を一通り受け入れてきた者としても、「記」「紀」史観以前の基層の更なる深い層を探るものであったため、学会通説やそれらに調教された教育委員会から学芸員の言説の大半がほとんど漫画か芸人(学芸人)に見える事から、私達は九州王朝論者の中でも極めて先鋭かつ極少数派の立場に踏み込んでしまった事を認識しているのです。

 ここまで来ると、現場に入ろうともしない、多くのフィールドがあるにも拘わらず、自らの頭で考え現場を探ろうともしない堕落した自称九州王朝論者にしても何の価値もない記紀に惑わされた愚かな人々にしか見えず、哀れささえも感じている状態なのです。

 私達は一般には理解し難いような神代史観を受入れてしまった結果、それが圧倒的な少数派であることも承知した上で、これらを後世に継承する任務を認識しており、心ある九州王朝論者に訴えると共に、その拡散とデータの保管へのご協力をお願いしたいと考えています。現代版「経塚」ですね。

 今や普通の九州王朝論者にはその御努力、御研究にも拘わらず、実際には真実の一端にも辿り着いていないだろうことを思えば、哀れささえも感じるのですが、私達は驚愕の発見の連続で、どのように列島の開拓が始まったのか、多くの知られた神々(勿論実在の人物です)がどこに居住し、どのよう動き、以下に争い、如何に逃げたのか、彼らが何者だったのかが見えるのであって、このような世界を見せてくれた百嶋先生に対して今は感謝の気持ちしかありません。

 まさに現代版ダヴィンチ・コードですが、今後も謎解きを続けたいと考えているところです。

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本当にようやくですが、青森〜東関東に掛けて4件、愛知県2件、高知県1件、大阪府2件、大分県5件、福岡県11件の合計25件のグループが形成されました。

この外にも、鹿児島県、福岡県、山梨県…からも新規に参加される方もおられ検討しています。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。

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※ひぼろぎ逍遥に朝倉の豪雨災害など多くの人工林問題などを書いていた事もあり、アメブロはアクセス制限を掛けて来たようです。平均500600件のアクセスがあったものが300350件に落ちています。このため新ひぼろぎ逍遥を桜ブログで今年の11日からスタートさせ、神社専門のひぼろぎ逍遥(跡宮)版と併せ現在3本体制で運営しています。ひぼろぎ逍遥(跡宮)が日量1000件、ひぼろぎ+新ひぼろぎで400450件のアクセスとなり、年間アクセスが50万件を超えました。

本来、アメブロが不当なアクセス制限を掛けていなければ、両ブログだけで百万件を超えていたとも考えられますが、今後、新ひぼろぎ逍遥が徐々に成長し、五年後には百万件を達成したいと考えています。

まあ、一つの目標でしかありませんが、通説派と間の抜けた一部の九州王朝論者による俗説を正すためにも百嶋神社考古学グループは古代史の大嘘、神代史の大嘘を暴き続け、連携ブログを更に50まで増やし、大嘘つき共を懲らしめてやりたいものです。それにしてもよくもこれだけ優秀な方々が参集してくれたものです。村興し、町興し、世界遺産登録、邪馬台国シンポジウムなどに集る有象無象を蹴散らしましょう。


百嶋由一郎神代系譜、講演音声CD、手書きスキャニングDVDを必要とされる方は09062983254まで
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ