2019年07月03日

602 熊本市の中心部に鎮座する大江神社初見 “隠された金山彦神“

602 熊本市の中心部に鎮座する大江神社初見 “隠された金山彦神“

20180713

太宰府地名研究会 古川 清久


 古代史とか神社探訪と言った事からではないのですが、梅雨明け十日の熊本の中心部に行く機会がありました。熊本在住の女性メンバーからの要請があって、金春流という能の本流に関して家元とお会いする機会を得たからでした。その時間調整の合間を縫って参内したのが大江神社でした。

 「大江」という地名については最近になって金山彦と関係があるのではないかという見当が着いていたことから、これには試験航海の意味も持たせていました。そして案の定金山彦祭祀を見出したのでした。

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大江氏は奈良の柏原の金山彦神社の関係者とも言える人々です。

土師氏、秦氏 の名前は消えて行きますが、土師氏は、菅原氏、秋篠氏、大江氏と名前を変えて朝臣として生き延びていくのです。

そもそも、大江山の酒呑童子の大江山の皇大神宮のお膝元には京都府加佐郡大江町があり、正面を流れ降る由良川沿いには大川神社が数社あり、金山彦が主祭神として祀られているのです。

 白川を渡れば熊本城というか、白川の東側に広がる住宅地の一角にある何の変哲もない神社ですが、落ち着いた風情がある上にそれなりの気品も感じられる良い神社が鎮座しています。

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「熊本県神社誌」によれば、祭神は天御中主命、熊野大神の二神と(乙)(1)熊野座神社を加えた(同社の由緒でも)イザナギ、イザナミを加えた四神とされています。

 重要なのは、熊野大神と多少ぼやかされているものの実は金山彦のことなのです。

 「古事記」にはそんなことは何も書いてないのですが、百嶋神社考古学では伊弉冉(イザナミ)命は金山彦の妹であり、後に夫の伊弉諾(イザナギ)命から離脱し大幡主の妃へと移られているのです。

金山彦の妹であるイザナミはスサノウの母神でもあり、那賀須泥毘古or登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)の祖母にもなるのです。

恐らく、神武天皇に弓を引いたとされる事からそれを嫌って熊野大神とぼやかしていると思えるのです。

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事解之男神が金山彦である事がお分かり頂ければ、本質的にはイザナミ(スサノウの母神)、ナガスネヒコ(スサノウの子)…と繋がる神社である事がお分かり頂けたのではないでしょうか?

 補強のために「宮原誠一の神社見聞牒」から引用しておきましょう。


平成29(2017)0705

No.12 大幡主と伊弉冉命、そして3人の大物主

伊弉諾命(いざなぎ)と伊弉冉命(いざなみ)の夫妻の王子が素戔嗚尊(すさのお)であることは古事記・日本書紀でも、百嶋神社考古学でも同じですが、伊弉諾命と伊弉冉命が夫婦であったのは一年程度と云われる。その後、伊弉冉命は博多の櫛田神社の祭神・大幡主の妃となられる。

その大幡主と伊弉冉命が夫婦で祀られている神社を紹介します。まずは、大幡主ご一統の紹介。


百嶋由一郎先生講演「宇佐神宮とは何か」 2012317
糸島の細石神社が三雲というところにあります。ご祭神は磐長姫ですが、その素性がごまかされている。この磐長姫の素性は龍・蛇であるが、何十年も蓋をされていた。この方のご出身地は朝鮮半島で、お父さんは博多の櫛田神社の神様で大幡主、お母様は伊弉冉命、伊弉冉命は後々、伊弉冉ではまずいので別の名前に変わっている。それは熊野夫須美命(くまのふすみのみこと)に名前を変えていらっしゃる。

博多の櫛田神社の神様ご一統の熊野大社における配置を申し上げておく。
熊野夫須美神社即ち、熊野那智大社は熊野夫須美命、元は伊弉冉命、熊野速玉大社は大幡主命(博多の櫛田神社の神様)、熊野本宮大社、これは秘密もいいところ、なんとかなんとか・・・・素戔鳴尊のお妃です。旦那は朝鮮半島から追いかけてきた天日槍(素戔鳴尊)です。日本に入られる前のお名前は阿加流姫(あかるひめ)です。
阿加流姫のコースを申し上げます。まず、日本に最初に入ってこられた場所は但馬国、現在の兵庫県です。それから大分県の国東半島の姫島です。そして国東半島に上陸します。そして奥の方にはいられて安心院です。そして表に出てこられたのは神相撲をしている古表宮です。""""の意味です。そして、いまでは磐長姫となられたのです。磐長姫は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の義理のお姉さまです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋由一郎氏が残された音声CD、神代系譜、手書スキャニング・データが必要な方は090062983254まで


紀伊・熊野大社の配置を整理すると。

 熊野本宮大社  和歌山県田辺市   主祭神・磐長姫(阿加流姫)

 熊野那智大社  和歌山県那智勝浦町 主祭神・熊野夫須美命(元、伊弉冉命)

 熊野速玉大社  和歌山県新宮市   主祭神・大幡主

 関連神社

 阿須賀神社   和歌山県新宮市   主祭神・事解男命(ことさかおのみこと金山彦)


伊弉冉命は金山彦の妹であり、後、夫・伊弉諾命から大幡主の妃へと移られる。

前掲「No.11くらおかみの神を祀る八龍神社」の「ヤマタノオロチの説話」では、金山彦夫妻が足名椎(あしなつち)夫妻、大山祗はオロチに例えられ、その争いを仲裁したのが素戔嗚尊とされる。金山彦の別名・事解男は「紛争の解決に努めた男」、大山祗の別名・酒解男は「酒で紛争を解決させられた男」と云われる。

「宮原誠一の神社見聞牒」より

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百嶋由一郎020阿蘇系譜B


 この地区は、元々、大江渡鹿(オオエトロク)と言われた土地です。

 「大江」地名と金山彦が繋がった瞬間でもあったのです。

 さて、社殿の建て方が少し気になります。元は裏側、西側から参道が付けられていたと言う話を聴きました。私も参道が少し怪しいな…と思ったのですが、本来は金山彦+イザナミを祀る金山彦系の神社だったと思えるのですが、恐らく明治期に通りが良いように神武天皇に弓を引いたナガスネヒコの祖父神になる金山彦を隠し(熊野大神などと大幡主系に埋没させ)天御中主命を表に上げたものの、熊野の日の出の方角に参道を付け替えたようにも思えるのです。

 もう一つ、友人と言うか、メンバーと言うか熊本在住の霊感の強い(熊本地震を前に阿蘇大橋が落ちると半年前から騒いでいた人物です)美形の女性でアイラツヒメのフリークからの指摘もうけました。

 それは、祭神にはアイラツヒメも含まれていたはずで、実際にこの地に居たという可能性を指摘しているのです。私は金山彦は熊本県山鹿市の大宮神社に祀られており、付近には櫛稲田姫、吾平都姫も居たと読んでいるのですが今後の課題です。

 これについては、ひぼろぎ逍遥(跡宮)から283   大宮神社と猿田彦大神 B “大宮神社の地主神が大宮神社の主祭神か?”外をお読み下さい。 


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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記