2019年07月21日

608 改訂版)肥後で最も重要な神社 “山鹿市千田(旧鹿央町)の聖母宮”“事代主のブログ氏と…@”

608 改訂版)肥後で最も重要な神社 “山鹿市千田(旧鹿央町)の聖母宮”“事代主のブログ氏と…@”

20180807

太宰府地名研究会 古川 清久


 暑さを避け、分散型の小規模なトレッキングを行なっていますが、最近メンバーに加わられた事代主のブログ氏を熊本県山鹿市にご案内し、一帯の重要な神社数社を再訪しました。

 ここで、大宮神社など6社を廻ったのですが、最後の千田聖母八幡宮と八嶋神社について、多少の修正の必要を感じていた所から良い機会と思い改訂版を出す事にしました。


肥後の神社については、関連する神社については書いているものの草部吉見神社を中心に書いてきたことから、“外に取上げるべき神社はないのか?”とお考えの方も多いと思います。

 これは、関心が向かうがままに書いてきたことからそうなっただけのことで、決して神社誌を書いている訳でも、百科全書的に書いている訳でもない事から、偏った編集になっていることは否めないと思います。そこで、重要度と言った点から考えて見た場合、まず、ナンバーワンの神社と考えられる神社をご紹介したいと思います。もちろん、阿蘇神社でも縁起式内社でも一の宮でもありません。

 我々が重要と考える理由は、奈良平安以前の近畿大和朝廷以前に遡る古い(九州王朝)時代の痕跡を留める高格式の神社となります。この観点から肥後の数社を取上げる事にします。

 ある意味で、“宮地嶽神社に似て…“という表現が直ぐに頭に浮かんできます。

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 「熊本県神社誌」(上米良純臣編著)を持ち出すほどの事はありませんが、同誌によっても千田八幡宮(聖母宮)の御祭神は神功皇后外二神と書かれ、何故か重要なはずの三神が積極的には書かれていません。

 むしろ、摂社の神々の方がしっかりと書かれているのです。

 あえて、穿った見方をすれば、あたかもこの二神は自分たちの奉祭する神ではないとさえ言わんばかりです。ただ、誤解がないように申し上げておきますが、同社縁起では 神功皇后 應神天皇 仲哀天皇 とされており、その二神が 應神天皇 仲哀天皇 であることが解ります。

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さて、これまで当ブログを読んで来られた方はお分かりだと思いますが、縁起はどうであれ、反正天皇3446)年の縁起を持つ千田宮にとっては、冒頭に書いた二神は、鎌倉期か南北朝期に覆い被さって来た神々であることは大体想像できるのではないで無題.pngしょうか。何故ならば、久留米の高良大社から九州の総廟を奪ったのは早くても749年(「高良玉垂宮神秘書」)であり、その権勢が肥後まで及ぶのは相当後の事になるからです。そして、その事は「聖母宮」という社名にも多少は示されている様に思えます。

まず、肥後に来ると八幡宮が減り、阿蘇系の阿蘇神社、歳禰(草部)神社が多くなり、驚くほどの数の菅原神社が存在している事が分かります。

熊本市の藤崎八幡宮を始めとして八幡宮がない訳ではないのですが、北に偏り、目立つところでは、石清水八幡系の玉名市の繁根木八幡宮、玉名市の伊倉の互いに睨みあう伊倉南八幡宮、伊倉北八幡宮…となります。

それ以上に、北部九州では枚挙にいとまの無い神功皇后伝承が急に存在しなくなり、代わりに景行天皇伝承が目立ってくるのです。

では、恐れずに境内に踏み入り、誰も言わない結論(推論)に踏み込むことにしましょう。

 この神社は(と言うよりこの神社もですが…)元は(時期はまだ特定できませんが)久留米の高良玉垂大社の高良玉垂命を祀る神社だったと考えられます。

 それを思わせるいくつかの痕跡があるからですが、それを痕跡と理解できるまでには、かなりの経験を積む必要があり、なかなか理解されないでしょう。

 それを確認して頂くには、「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)の過去のブログを読んで頂くしかありません。


高良玉垂宮だった痕跡


箇条書きすれば、神殿上部の千木 A神殿上部の神紋 B境内摂社(縁起では末社)の若宮神社の存在 C武内神社が住吉大神と別神扱いにされていること D境内摂社(縁起では末社)の安倍神社の存在(まだ、外にもありますが)でしょう。

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神殿上部の千木と神紋


伊勢神宮ばかりではなく、最近の禰宜の多くは神官養成課程の影響でしょうが、「千木の男女はほとんど意味がない…」といった事を言いますし、そうでないとしても「これは息子の応神天皇のものだろう…」と言われそうですが、まともに考えれば、五七の桐が高良玉垂命の神紋である(神功皇后は三五の桐)ことを知っている者としては、千木との関係から高良玉垂命と神功皇后が祀られていたが、神功皇后を残し二神が外され、仲哀天皇と、あくまでその子とされる応神天皇が代わりに入れられた。

 外された二神こそ縁起で摂社とされている(青枠)厳島之大神と住吉之大神であろうと考えられるのです。

 これまでにも何度も言ってきましたが、権力の移動=政治情勢の変化により神社も絶えず影響を受け、祭神は何度も隠され、加えられ、入れ替えられてきました。

 ただ、列島の場合は大陸や半島のように土に埋めてしまうとか焼いてしまうことはない事から、排斥された神々は、境内境外を問わず摂社や分社として残されている場合がほとんどなのです。

 このため、日本の神社では境内境外を問わず本殿の外に残されている神々の配置を見れば自ずと本来の神々が誰であったかが見えて来るのです。

 なお、「五七の桐が高良玉垂命の神紋である(神功皇后は三五の桐)ことを知っている」としましたが、


「ひぼろぎ逍遥」055「みやま市河内に超高格式の玉垂宮が存在する」

「ひぼろぎ逍遥」153「超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた“みやま市河内の高良玉垂の宮”」


をお読みください。

排斥された高良玉垂命は別名として多用される住吉之大神(底筒男命)であることは疑いないとして(これについては、以下をお読みください)、


「ひぼろぎ逍遥」079「玉名市大浜の外嶋宮は二人の住吉大神を祀るのか?」


排斥されたと思われる二神のうちもう一人の神様はどなたなのでしょうか?

これも、博多の櫛田神社の主神である大幡主(実は、神産巣日神、神皇産霊尊神)であることも、直ぐに分かります。これについても、過去何本もブログを書いていますが、以下をお読みください。


「ひぼろぎ逍遥」 073「博多の櫛田神社の祭神とは何か?」 

「ひぼろぎ逍遥」  230 「白川伯王家源流の神社初見“飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”」


無題.png若宮神社の存在


次に若宮神社の存在です。無理してこじつければ、「若宮とは神功皇后の若宮だろうから応神天皇(ホンダワケ)のことだろう」と考えられる方がおられるでしょうが、ちょっと待って下さい。応神は本殿に祭り上げられているのではなかったのですか? 仲哀も当てはまりません。

 つまり、高良玉垂命の若宮、つまり、第14代仁徳天皇(オオサザキ=久留米市山川町の高良皇子神社の九神社の筆頭 斯礼賀志命)こそが、この若宮に該当するのです。


斯礼賀志ノ命神(シレガシ)朝日豊盛ノ命神(アサヒトヨサカリ)暮日豊盛ノ命神(クレヒトヨサカリ)渕志ノ命神(フチシ)谿上ノ命神(タニガミ)那男美ノ命神(ナオミ)坂本ノ命神(サカモト)安志奇ノ命神(アシキ)安楽応宝秘ノ命神(アラオホビ)


高良玉垂命=第9代開化天皇の御長男斯礼賀志命(実は第14代仁徳天皇)こそ久留米高良大社周辺に数多く分布する若宮神社であり、西日本全域に隠されながらも一部残されている若八幡宮、若宮八幡宮、若宮神社であり、恐らく宇佐八幡宮の仮称中宮若無題.png宮神社(オオサザキ=大雀命、大鷦鷯尊)なのです。これについても多くを書いていますが、直近の


「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)123 宇佐神宮とは何か? Q “宇佐神宮の(仮称)中宮に鎮座する若宮神社とは何か?”


 外をお読みください。

 いずれにせよ、現高良大社の宮司(近々にも引退されるようですが)が七年程前の大祭でお会いした当時、筑後と言わず、“多くの若宮神社があるが、あれは全て高良大社のもの”と直接お聴きしたのが印象的でした。


図表は「九州王朝の築後遷宮 玉垂命と九州王朝の都」 古賀達也から


武内神社の存在


次は武内宿禰を祀る摂社(縁起では末社)の存在ですが、消されるも、尚、痕跡を留める西日本の高良神社、高良玉垂命を境内社は、そのほとんどが高良玉垂皇命を武内宿禰としています。

 これは、近畿大和朝廷の威光を背に受け、九州の片田舎の高良玉垂命如きは神功皇后の従者であり良くて従臣に過ぎない…としたいからに外なりません。

 逆に言えば、それほど、高良玉垂命の存在が大きかった事を物語っているからに外ならないのです。

 八幡宮に武内宿禰宜を祀る武内社が置かれ、同時に住吉大御神が別神として摂社扱いになっている事実こそ、逆に高良玉垂命と武内宿禰とが全くの別人である事を示す証拠ですらあるのです。

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境内には丸に三柏紋(実はユダヤのメノラー)の水盤が武内家か

ら寄進されていました武内宿禰のルーツが想像できそうですね


安倍神社の存在


さて、安倍神社の存在についてお話しましょう。

 故)百嶋由一郎先生からお聴きしていた時は、まだ、良く分からなかったのですが、ようやく千田聖母八幡宮が高良玉垂命を祀る神社であったとの確信を持つに至った理由がこの安倍神社の存在です。

 そのためには、まず、安倍氏が何者であるかを理解する必要があります。

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これについても当方のブログで触れてありますが、分かり易いものがありますので以下をお読み下さい。


大彦命(おほひこ=大毘古命)

安倍氏族の始祖は大彦命、古事記では大毘古命とされるが、8代「孝元天皇」の長男で、9代「開化天皇」の実兄、10代「崇神天皇」の叔父であり義父でもあり、11代「垂仁天皇」の祖父という王朝内でも屈指の貴種だとされる。

『古事記』孝元天皇

大倭根子日子国玖琉命(オホヤマトネコヒコクニクル=孝元天皇は、穂積の臣等の祖先、内色許男 (ウツシコオ) 命の妹の内色許売(ウツシコメ) 命を娶り、最初に大毘古(オホビコ) 命。次に少名日子建猪心(スクナヒコタケイゴコロ) 命。次に若倭根子日子大毘々(ワカヤマトネコヒコオホビビ=開化天皇) 命を生んだ。また、内色許男命の娘の伊迦賀色許売(イカガシコメ) 命を娶り、生んだ子は比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト) 命。また、河内の青玉(アオタマ)の娘、名前は波邇夜須毘売(ハニヤスビメ) を娶り、生んだ子は建波邇夜須毘古(タケハニヤスビコ) 命。天皇の子は合わせて五柱。若倭根子日子大毘々の命が天下を治めた。

大毘古命の子の建沼河別命(タケヌナカハワケ)は阿倍の臣等の祖。次の比古伊那許士別命(ヒコイナコシワケ)は膳の臣の祖である。

また、木の国の造の祖先、宇豆比古(ウヅヒコ)の妹・山下影日売(ヤマシタカゲヒメ)を娶り、生んだ子は建内宿禰(タケウチノスクネ) 宿禰の子は合わせて九人(男七人、女二人)。

『日本書紀』孝元天皇

欝色謎命 (ウチシコメノミコト)を立てて皇后とした。皇后は二柱の男子と一柱の女子を産んだ。一人目の男子を大彦 (オオヒコ) 命という。二人目の男子を稚日本根子彦大日日天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒビノスメラノミコト)という。三人目は女子で倭迹迹媛 (ヤマトトトヒメ) 命。

(異伝としてさらにもう一子、少彦男心 (スクナヒコオココロ) 命がいたと記載されている)

また妃の伊香色謎命が彦太忍信(ヒコフトオシマコト)命を産んだ。また同じく妃の河内青玉繋の女の埴安媛 (ハニヤスヒメ)が埴安彦(ハニヤスヒコ)命を産んだ。長子である大彦(オホヒコ)命は、阿部臣、膳(カシワデ)臣、阿閉(アヘ)臣、狭狭城山(ササキノヤマ=近江の安土一帯)君、筑紫 (ツクシ) 国造、越(コシ) 国造、伊賀臣ら、全部で七つの氏族の始祖である。…中略…

無題.pngによる


 皇別氏族の安倍氏が高良玉垂命=第9代開化天皇の実兄(実は腹違いの兄)である大彦の流れである事はお分かりになると思います。

 実は、数代前の宮地嶽神社の宮司家は安部(現櫛田神社)であり、百嶋先生も「宮地嶽神社は開化天皇の一族が代々宮司を務めておられた」と話しておられました。

 また、この一族が「崇神紀」の四道将軍と関係があり、東北の安倍氏(安倍の宗任、貞任)の一族となり、十三湊の安東一族に繋がり、松浦水軍にも繋がっていると言われているのです。

 これらの点から、千田聖母八幡宮に安倍神社が置かれている事自体が、本来は高良玉垂命を祀る神社であった名残であり、その事が分かるとしたのでした。

 ここで重要なのは、境内摂社の祭神が宮地嶽神社の祭神で神功皇后の一族と解釈されている藤 高麿、藤 助麿のお一人がこの境内摂社の祭神とされていることです。

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最後に


境内には諏訪神社が置かれています。言うまでもなく国譲りに反対した大国主命の次男とされていますが、百嶋神社考古学ではそれを否定します。ただ、この方が九州に居た事は間違いないと考えるようになりました。では、仲哀天皇、応神天皇が宇佐神宮の権威を渋々受け容れたとして、本来の祭神を復元してみましょう。

 高良玉垂命=開化天皇(住吉之大神)、大幡主(厳島之大神)、神功皇后or仁徳天皇(若宮神社)

 これが、一社三殿三神の標準的高良玉垂宮だったのではないでしょうか?

孝元天皇、開化天皇周辺の関係が分かり難いと思いますので、通常公開しない、「百嶋由一郎(金神)神代系譜」の一部をご覧いただきましょう。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 12:38| Comment(0) | 日記

2019年07月24日

609 改訂版)八島神社の衝撃 “山鹿市千田聖母宮摂社の八島神社”“事代主のブログ氏と…A”

609 改訂版)八島神社の衝撃 “山鹿市千田聖母宮摂社の八島神社”“事代主のブログ氏と…A”

20180807

太宰府地名研究会 古川 清久


「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)193 突然始った熊本県での百嶋神社考古学トレッキング!で取上げた二十数名のトレッキングにおいて、最初に訪れたのが千田聖母宮でした。その聖母宮の正面に八島神社という興味深い神域があります。

ついでとばかりに、この神社を最初に訪問したのですが、今回はこの神社と言うよりも神域についてのお話です。

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突然始った熊本県での百嶋神社考古学トレッキング訪問神社


@  田聖母八幡宮(山鹿市鹿央町千田) 重要過ぎるので本当の祭神については口頭で…。

A  加茂別雷神社(熊本市植木町豊田字宗像859)高速道植木インターから国道3号線山鹿方面へ1km半豊田交差点より東400m 

B  志々岐阿蘇神社(山鹿市志々岐1730

C  □□□□□(山鹿市来民) 重要過ぎるので社名については書かない方が良いでしょう。

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この神域がいつから存在したのかが良く分からないのですが、聖母宮の縁起には摂社の様な扱いで取上げられています。

 確かに八島が確認でき、トレッキングの中心人物からは“八島は大八島で列島を意味する”との、ありそうな仮説が直ちに提出されました。

これも奇妙な内容でなかなか解読が難しいのですが、「景行天皇が玉杵の里(玉名)より山鹿に…頭八ツの頭の亀にて…天皇を祀り熊襲退治を祈願し給う。」とは、どうも景行天皇に退治された熊襲と思わせるような書きぶりですが、これが、九州王朝による征服説話なのか、大和朝廷による九州王朝の征服説話なのかの見当さえ着かないのです。 勿論、近畿大和朝廷の事績などでは断じてないのですが!

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まずは、地元と思われる方のブログに非常によく書かれてあるものを見つけましたのでお読みください。


八頭の亀退治の話は、八嶋八柱として祀ってあるところを見れば、先住部族と争った結果としてその霊を恐れて祀ったとも想像できる。

八嶋八柱は、高皇産霊日神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊日神(かみむすびのかみ)は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)=皇産霊日神(たまつめむすびのかみと同神という説もある)天地開闢のときの造化三神として最初に高天原に現れた神様、延喜式神名帳にある八座の神々という。(この段参照、HP玄松子の記憶・生産霊神より)

徐福伝説とも関りのある神様で、徐福は3000人の技術者集団とともに日本にやってきたという。断片的に思い付きを記せば、八代妙見宮のシンボルが亀。八嶋神社地の標高が海抜30m、内田川沿いの上梶屋、下梶屋地区が海抜30mで茂賀の浦湖岸?に位置する。「八つの光が昼夜わたたず見えしに」とは製鉄所か?そこに八龍神社が鎮座する等、疑問が膨らむ。

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八柱が気になりますが、始めの高皇産霊日神は高木大神、足皇産霊日神は不明、神皇産霊日神は博多の櫛田神社の大幡主、御食津神は伊勢の外宮の豊受大神、玉皇産霊日神はもしかしたらヤタガラス=豊玉彦、事代主神は恵比寿、生皇産霊日神はもしかしたら生目=垂仁天皇?大宮売神はもしかしたら金山彦の娘?

 となりますが、これ以上は良く分かりません。

ただ、どうも九州王朝を支えた神々が並べられているようで、九州王朝が滅ぼした神々には思えません。

 少なくとも蹴破りによって茂賀浦が失われた際の八匹の亀に象徴される先住者の海人族の痕跡ではないようなのです。

これ以上の推測は無意味と言うより害悪になりますのでやめておきますが、最後に少しヒントになるものを発見した事からご紹介しておきます。

 それは「熊本県神社誌」(上米良純臣編著)です。これには、「往古この辺は茂賀浦と称する一帯の湖であったが、神功皇后朝鮮出兵の途につき香椎の宮にます(ママ)頃奇瑞あり、ここに八神を祀り戦勝を祈願せられたと伝える。」とあるのです。

 とすると、ここに祀られていた(いる)のは、近畿大和朝廷の前に九州王朝を支えた神々であり、その意味での敗惨した神々になりそうです。

 そこで神域を見ていると、注連縄が緩んでおり祠の扉が多少開いていた事から開帳させて見せて頂いたところ、中には剣唐花の神紋の描かれた服を着た神像が鎮座されていたのです。

 剣唐花は高良玉垂命の本当の神紋であり、現在の高良大社の裏紋でもある木瓜紋は本来のものではなく実は臣下である祇園社のそれなのです。

 そこまで分かると、ようやく正面の千田聖母宮との関係が見えて来たのでした。

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剣唐花の紋章(十字剣があることが重要なのです)と神像


 今般、改訂版を出す必要があると考えたのは、以下の文中の内容に誤りがあると考えたからでした。


中には剣唐花の神紋の描かれた服を着た神像が鎮座されていたのです。

 剣唐花は高良玉垂命の本当の神紋であり、現在の高良大社の裏紋でもある木瓜紋は本来のものではなく実は臣下である祇園社のそれなのです。

 そこまで分かると、ようやく正面の千田聖母宮との関係が見えて来たのでした。


剣唐花は高良玉垂命の本当の神紋であり、現在の高良大社の裏紋でもある木瓜紋は本来のものではなく実は臣下である祇園社(祇園社に象徴される金山彦のそれの意味)のそれなのです。

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木瓜紋           剣唐花紋          唐花紋(門光)

まず、現在の高良大社の神紋は住吉(左周り三つ巴)と裏紋の木瓜です。

しかし、高良玉垂宮のこの二つの紋章は高良玉垂命=開化天皇の神紋ではなく、本当の紋章は右端の唐花紋であり、表に出されている木瓜紋は九州王朝の初期を支えたイスラエル系の金山彦(ナガスネヒコの祖父)のそれなのです。

そこで、今回の八嶋神社の剣唐花をどう理解するかで悩んだのですが、聖母宮の神殿上部に打たれた五七の桐紋も高良玉垂命の紋章(仲哀死後のお妃の神功皇后の紋章は三五桐)である上に、聖母宮には神功皇后は祀られるものの、高良玉垂命=開化天無題.png皇は隠されていることから、隠されている場所が八嶋神社であればピッタリではないかとして、剣唐花は高良玉垂命が象徴されているのではないかとして書いたのですが、それは鴨玉依姫(上下賀茂大社)の神紋であるからです。

私の考えは、本来は高良玉垂命が祀られていたのでしょうが、九州王朝の滅亡後藤原(阿蘇氏)の天下になると 神功皇后〜応神天皇〜藤原天皇制へと持っていった阿蘇氏の意向が働き鴨玉依姫の神紋に変えられたのではないかと考えるのです。改訂の必要性を感じたのはそこでした。

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百嶋神社由一郎氏の神代系譜、音声CD、手書きスキャニングDVDを必要とされる方は09062983254まで


以下、同社縁起

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2019年07月26日

ビアヘロ 090 森(山)の栄養は如何に維持されているのか? “平野虎丸 「日本一花の森」開園に寄せて”

ビアヘロ 090

森(山)の栄養は如何に維持されているのか? “平野虎丸 「日本一花の森」開園に寄せて”

20190530

太宰府地名研究会 古川 清久


 環境問題での同志であり実践的林業者でもある平野虎丸氏による「日本一花の森」がオープンし本格稼働しています。既にオープンしていますが、支援グループも複数のため開所祝いも何派にもなるのです。

 詳しくは数多い平野虎丸氏のブログや当方のブログにリンクを張っている「山大学」や「公務員林業の弊害」…を検索し読まれる無題.pngとして、今回はこの自然林の根拠地となる新「平野虎丸邸」のご紹介とその勉強会オープンへ向けて当方が書き下ろした小稿を公開しようと思うものです。

 平野氏は全国的に知られた環境問題の活動家であり、同時にプロの林業家でもあるのですが、林野庁による「公務員林業」を批判し、結果、多くの災害が頻発し、かつ、今後も発生し続ける現状を警告し続けておられます。

 氏は齢80を超えるも、新たに阿蘇外輪山の東麓の高原地帯に50町歩(150万坪)広大な面積の天然の森を造り、資財を投入し、その拠点とするべく50100人は集まれる合宿所(研修所)を造られたのでした。しかも一泊1000円?

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彼の主張は以下に凝縮されています。


公務員林業の弊害

国立公園、国定公園での森林整備を禁止。沢周辺、急斜面での森林整備(林業)を控えることで、日本の生物多様性が守られ、土砂災害を90%減災できます。国土破壊を続ける国営林業廃止を訴えています。

      「土砂災害から命だけは守れます。ご相談ください。090-2082-6618。」


一応は冒頭に「環境問題の同志であり実践的林業者でもある平野虎丸氏」と書きましたが、私は氏の立場とは異なり、“全国の人工林に火を掛け焼き払え!”(後は自然の復林が始まる)という過激なスローガンを掲げていますので(blog「ひぼろぎ逍遥」外)、立派な活動家である平野氏に御迷惑が掛かるといけませんので、一方的な同志(そんな立場は無いのですが)として側面的に支援させて頂いています。

さて、今回のテーマです。西日本の豪雨災害で取り上げた(以下のブログ)行政による環境破壊と言った話は抑え、誰でも良くご存じの森(山)から海へ(森は海の恋人)ではなく、海から森(山)への栄養の循環の問題を多少ともお話したいと思います。


blog ひぼろぎ逍遥

スポット112 行政が引き起こした人災だと何故分からないのか?

スポット115 山に木がある方が安全だと思い込んでいる人に対して!

スポット116災害復旧に意味があるのか?

スポット117ヒート・アイランドを引き起こした無能な国土交通省 “熱 禍”

スポット122大量の土壌流出と大量の木材流出は今後も継続する

スポット123筑後川の南から北の被災地を眺める 悲しい棄民国家の現実

スポット125朝倉から日田にかけての山々の行く末

スポット130九州北部豪雨災害の崩落木材が燃えている!

スポット134九州北部豪雨の棄民とポルトガルの内務相辞任

スポット141林野庁 農水省官僚の照れ隠し

スポット175中津市金吉の土砂崩落はなぜ起きたのか?

スポット191194 2018西日本豪雨〜熱波

スポット203北海道の巨大地震で起こった山崩れの意味するもの

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東北の養殖業者であった畠山 重篤氏が「森は海の恋人」 (文春文庫) 文庫  2006/9/5 で描かれた世界は、海は独立して海として存在しているのではなく山からの栄養によって保たれており、背後に豊かな森(山)と川が無ければ海の豊かさも保てないと言うものでした。氏はこの事を発信され、実際にも森の育成にも力を注がれたのでした。一方、平野氏は畠山氏にも似て林業者の立場から森(山)を本来のものに蘇らせようと努力されておられるのです。しかしながら、一度は「有明海異変」(不知火書房)2003 を書いたものとして、畠山想定の逆コースの海から(勿論平地からも)の栄養が森(山)に還元されなければ森の豊かさは持続されない…と言った問題を提起したいと思います。


森の栄養は如何にして保たれているのか?


 勿論、森の植物も豊かに育つためには栄養が必要です。

しかし、森(山)は雨に打たれ風に飛ばされ一方的に栄養を奪われ続けている様にしか見えません。

 しかし近代に入り産業化される前まで列島の森は豊かであり続けました。

 その豊かな森が見るも無残なばかりの有様になっているのが現在の人工林です。

実に瓦礫の上に根を張らぬ杉桧の大木が乗っているだけとなり今や崩落の順番待ちとなっているのです。

 この重大な危険とその原因は林野庁による拡大造林以来の急傾斜地への過剰な植林だった事は言うまでもありません。それもまだ売れるならばまだしも、今や都会は鉄とコンクリートとガラスとプラスチックスと僅かな外材の合板(大量の接着剤)、地方都市から農村部でも小泉竹中による所得の低下から輸入米松の合板によるマッチ箱型プレハブ住宅に代わっており、もはや国産の杉桧の需要は消失しているのです。

 一部に中国向け輸出が活況との話はなされますが、国有林野事業そのものが大量の税金が投入されたものなのであって、仮に輸出補助金として税金が投入されていないとしても、林業自体に大量の税金が投入されている以上、実質的には大量の輸出補助金付で日本を脅し続けて来た中国を潤しているだけなのです。

では、山の栄養は如何に保たれてきたのでしょうか。

分かり易くするために箇条書きの例示とさせて頂きます。あくまでも例示であって、この外にも色々なものがあるでしょう。最後にその色々も考えて見ましょう。

@  「からす なぜなくの からすはやまに…」と野口雨情が詠った様に、山を塒とする鳥が海岸部で餌を取るるなどして栄養を補給し、山に戻り糞をし、その死骸も森(山)に戻る。

A  当然、狸や猪や鹿や熊(カモシカは岩場まで…)や狼が山に帰りその死骸が山に持ちあげられる。

B  もっと簡単な例は昆虫が山に移動する事によっても栄養が山に戻ることになる。

C  鮎や鮭の溯上とそれを喰う熊が山奥で糞をし、その死骸が小動物ん餌となる事も栄養の持ち上げになる。

D  登山客の糞尿や弁当の食べ残しを捨てる事も(善悪を申し上げてはいないので…)。奇妙に思われるでしょうが以下も当然栄養の循環に関係します。自らの征服欲、達成感のためだけにエベレストなどに登り分解する食糧ならいざ知らず、ゴミを撒き散らす登山家と称する不見識な人物の遭難したままの死骸。

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E  自殺するために山に入りそのまま行方不明になること(富士山青木ヶ原樹海)。=のざらし

F  愛犬家などという奇妙な振れ込みの犬猫ブリーダーにより捨てられた子猫子犬が餓死する事。

G  数千年来と言われる中国の黄砂による黄土高原などからのミネラルを含んだ栄養の供給。

H  201458名が死亡した御嶽山の噴火で未だに行方不明となっている登山客の死骸。

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I  廃棄食物(恵方巻きの馬鹿騒ぎ)の産廃業者、家畜、人糞を含む糞尿処理業者の闇投棄…。野糞、立小便…まだまだあるでしょう。しかし、このような形で様々な栄養の循環があるからこそ山は一方的に海に栄養を供給している様に見えるものの、昆虫が集まりそれを餌とする鳥や動物が森に棲みや結果として豊かな腐葉土が形成され、数千年の数万年の単位で列島の森林は豊かであり続けて来たと想像しています。そこから湧き出す水は数千年単位で平地の湧水として地表にもたらされ、豊かなミネラルを大量に含んだ湧水は海への栄養源となってきたのでした。ただ、膨大な面積となった人工林は一切そのような力を持たないのです。

また、現在公共下水道として地下に潜り暗闇から暗闇へと運ばれる汚水もかつては雑排水として河川に放流=還元され、多くの水棲動物(蛍やトンボに象徴される水棲昆虫、魚、蛙、獺…)により浄化され海へと送り込まれていたのでした(つまり家庭雑排水は川魚の栄養でもあったのです)。人間の人糞でさえ人力で畑に還元され江戸湾の漁業生産は全く衰えなかったのでした。

風呂の雑排水、台所の雑排水もミドリムシから小動物にとっては食糧だったのであり、結果、生物分解が行われ海の生産力は衰えなかったのでした。これを破壊したのが国土交通省である事は明らかです。

こうした問題を考える事無く森林の問題を議論する事には殆ど意味が無く、結局、人が少ない山奥の超過疎地、廃村、耕作放棄地、放置された人工林といった所から自然林の回復が始まるのであって、人工的に本来の森を再生させる運動と、私の様に全ての人工林(御用林、寺社林など一部の旧杣山程度のものは残しても良いのですが)に火を掛け自然の回復を待つ事とどちらが早いかという問題になってしまうのです。

危険極まりない人工林に火を掛けろ


ただ、人間の努力によって人為的に自然林を復元していく事は、雇用を産み、産業を創りだす事になるのですから、やっても良いかも知れません。しかし、現在の社会の中で、そのような産業に自ら進んで進出しようとする若者が居るのかと言えば極めて疑わしく、経済的な問題も考えれば、最終的には焼却処分によって自然の再生力に頼らざるを得ないのではないかと考えているのです。

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「日本一花の森」の場所は阿蘇外輪山の縁を走る国道265号線上ではなく、その東数キロを南北に走る大型広域農道の傍にあるかなり大きな集会所のような自宅です。表には「日本一花の森」の看板が出ており直ぐ分かります。この農道は波野村笹倉から高森町の草部吉見神社東の永野原付近を繋ぐ高規格広域農道(基幹林道阿蘇東部線)で、ここを走っていれば「日本一花の森」に到着する仕組みです。

至って分かり易い場所にあります。念のために住所を明示しておきます。


「日本一花の森」 カーナビ検索熊本県高森町尾下1261

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環境問題、森林問題に関心をお持ちの方は平野虎丸さんにお逢いに行かれたらと思います。

サポート会員(私もなっていますが)は、勿論、森を愛する方は一泊千円でもお泊めされるそうですのでご連絡されたらいかがでしょう090-2082-6618。一部の携帯auは現地では通じませんので…注意を。

食料は持参になるでしょうか? 付近(車で1520分)には、道の駅波野(熊本県阿蘇市波野大字小地野1602)があります。

地下水汲み上げのお風呂も入れますが、温泉が良ければ、県境を越え20分程の


荻の里温泉 カーナビ検索大分県竹田市荻町新藤  0974-64-9595


にでも行かれれば良いでしょう。

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※ひぼろぎ逍遥に朝倉の豪雨災害など多くの人工林問題などを書いていた事もあり、アメブロはアクセス制限を掛けて来たようです。平均500600件のアクセスがあったものが300350件に落ちています。このため新ひぼろぎ逍遥を桜ブログで今年の11日からスタートさせ、神社専門のひぼろぎ逍遥(跡宮)版と併せ現在3本体制で運営しています。ひぼろぎ逍遥(跡宮)が日量1000件、ひぼろぎ+新ひぼろぎで400450件のアクセスとなり、年間アクセスが50万件を超えました。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ