2019年07月14日

ビアヘロ089 お蔭様で ひぼろぎ逍遥(跡宮)日量平均アクセス数が1000件の大台を超えました

ビアヘロ089 お蔭様で ひぼろぎ逍遥(跡宮)日量平均アクセス数が1000件の大台を超えました

20190531

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 以下は、ひぼろぎ逍遥(跡宮)の20195月のアクセス実績を纏めたものです。

 これまで、月間アクセスが平均で900件代になった事は何度もあるのですが、ついぞ1000件を超えた事はありませんでした。しかし、ここにきてなんとか大台超えとなったようです。

 本来ならば、9か月先行しファイル数も多いアメブロ版「ひぼろぎ逍遥」がもっと多くのアクセス数を示していなければならないはずなのですが、CO2温暖化論デマ、ヒート・アイランドは国土交通省と農水省が引き起こした(打ち水大作戦の大間抜け)、昨年の九州北部の人工林崩落災害は林野庁が引き起こした…といった記事を連載していますので、恐らくアクセスを制限しているようです。結果、日量300350件に貶められているのです。本来なら両ブログで100万件でも決しておかしくはなかったのですが、だからと言って真実を書かないなら大嘘つき共の提灯持ちでしか無いことになるのです。

 ましてや、自称九州王朝論者でも行政権力の芸人に成り下がった連中がいる訳で情けない限りです。

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※ひぼろぎ逍遥に朝倉の豪雨災害など多くの人工林問題などを書いていた事もあり、アメブロはアクセス制限を掛けて来たようです。平均500600件のアクセスがあったものが300350件に落ちています。このため新ひぼろぎ逍遥を桜ブログで今年の11日からスタートさせ、神社専門のひぼろぎ逍遥(跡宮)版と併せ現在3本体制で運営しています。ひぼろぎ逍遥(跡宮)が日量1000件、ひぼろぎ+新ひぼろぎで400450件のアクセスとなり、年間アクセスが50万件を超えました。


ひぼろぎ逍遥は6年前からアメブロで書いてきたものです。

既に900本近いブログを公開しており、それまで500600件と安定したアクセスを保っていたものが、二〜三年前から後発のひぼろぎ逍遥(跡宮)に抜かれるケースが多くなり、今や桜ブログのひぼろぎ逍遥(跡宮)が1000件、ひぼろぎ逍遥が日量300件のアクセスという逆転状況を示すようになってきました。

どう考えても、アクセスや検索の順位…といったものに制限が掛けられているとしか考えられず、早めに手を打つべきと考え、不正をやっていないと考えられる桜ブログに移行したのが今年の1月でした。

既に、新ひぼろぎ逍遥の記事数も70本になり、徐々にアクセスも上がってきましたので、何れはアメブロから完全離脱も考えているところです。

言論の自由が存在しているとか存在すべきであるなどとお花畑のような話はしませんが、ブログを二本立てにしておいて本当に良かったと思うこの頃です。

アメブロが嫌ったのは九州北部豪雨絡みの以下の記事が考えられますが、実はそれ以外にも多くを書いています。

blog ひぼろぎ逍遥

スポット112 行政が引き起こした人災だと何故分からないのか?

スポット115 山に木がある方が安全だと思い込んでいる人に対して!

スポット116災害復旧に意味があるのか?

スポット117ヒート・アイランドを引き起こした無能な国土交通省 “熱 禍”

スポット122大量の土壌流出と大量の木材流出は今後も継続する

スポット123筑後川の南から北の被災地を眺める 悲しい棄民国家の現実

スポット125朝倉から日田にかけての山々の行く末

スポット130九州北部豪雨災害の崩落木材が燃えている!

スポット134九州北部豪雨の棄民とポルトガルの内務相辞任

スポット141林野庁 農水省官僚の照れ隠し

スポット175中津市金吉の土砂崩落はなぜ起きたのか?

スポット191194 2018西日本豪雨〜熱波

スポット203北海道の巨大地震で起こった山崩れの意味するもの


647

SK建設によって水没させられたパテト・ラオの村々の悲惨を思う” @

634

キリシタン史跡世界文化遺産登録に狂奔する列島文化の堕落を撃て

626

行政が引き起こした列島のヒート・アイランド化によって豪雨と災害と灼熱地獄が発生した A

625

行政が引き起こした列島のヒート・アイランド化によって豪雨と災害と灼熱地獄が発生した @

624

日本版ニューオーリンズと化した倉敷市真備町の全町水没


スポット191193豪雨と熱夏

スポット031熊本人工地震について@

スポット032熊本人工地震についてA

スポット037首都圏のダムに水が貯まらない

スポット084地球温暖化が嘘である事をNASAが認めた

スポット085天皇のビデオ・メッセジに寄せて

スポット091 再度の3.11を警戒しクジラが打ち上げられないかと思っていたら…

スポット095半島は北主導で統一される! 2017,4,27

スポット098ケナフを植えたらCO2が減らせるなどと本気で考えた佐賀県職員

スポット100宗像沖ノ島世界遺産登録半潰れ

スポット106CO2温暖化論がデマである事をトランプが暴露した

打ち水大作戦の大間抜け

 まだまだありますが、恐らくこういった記事が商売上気に入らなかったからだろうと思います。

どちらにせよ、ひぼろぎ逍遥(跡宮)版だけでも日量1000件を達成し、他の二ブログと併せれば14001500件⇔年間50万件以上となり、将来的には100万件も視野に入って来たのです。ようやく一つの峠を越えた気がしています。既にグループ全体でのアクセスは200万〜250万件近くなっているはずで、百嶋神社考古学のグループは、古代史、神代史、神社研究に風穴を開ける時が来るかも知れません。

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本当にようやくですが、青森〜東関東に掛けて4件、愛知県2件、高知県1件、大阪府2件、大分県5件、福岡県11件の合計25件のグループが形成されました。

この外にも、鹿児島県、福岡県、山梨県…からも新規に参加される方もおられ検討しています。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:15| Comment(0) | ビアヘロ

2019年07月15日

606 古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう A

606 古代史から離脱し神代史(本当の古代史)へ移行しよう A

20180803

太宰府地名研究会 古川 清久

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B  藤原の祖草部吉見の父神で、阿蘇神社の最奥神殿に祀られる金凝彦は蘇民将来伝承の巨胆か?


金凝彦(カナコリヒコ)という神様はあまり知られていませんが、阿蘇神社を訪問された方は一番奥の神殿(熊本地震でも倒壊せずに残った神殿です)に祀られているのがこの神様です。


阿蘇神社の祭神 12柱、阿蘇十二神

一宮  :健磐龍命   初代神武天皇の孫      二宮  :阿蘇都比当ス 一宮の妃

三宮  :國龍神    二宮の父で、神武天皇の子  四宮  :比東芬q神  三宮の妃

五宮  :彦御子神   一宮の孫          六宮  :若比盗_   五宮の妃

七宮  :新彦神    三宮の子          八宮  :新比盗_   七宮の娘

九宮  :若彦神    七宮の子          十宮  :彌比盗_    七宮の妃

十一宮 :國造速瓶玉神  一宮の子 阿蘇国造の祖

十二宮 :金凝神     一宮の叔父 2代綏靖天皇(藤原が自らの血筋を天皇家風に格上げした)


阿蘇高森草部吉見神社の祭神 12柱(参考)

一の宮 日子八井命   二の宮 比東芬q命   三の宮 天彦命    四の宮 天比当ス

五の宮 阿蘇都彦命   六の宮 阿蘇都比当ス  七の宮 新彦命    八の宮 彌比当ス

九の宮 速瓶玉命     十の宮 若彦命     十一の宮 新比当ス  十二の宮 彦御子命


無題.pngこの系譜は草部吉見神社の大祭の時に公開されます。「ひぼろぎ逍遥」035を参照下さい。

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百嶋神代系譜(蘇民将来、巨胆将来)部分


さて、蘇民将来伝承はかなり知られているようですが、ご存じない方も茅の輪潜りはされた方が多いでしょう。


すなわち、旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうのかみ、むとうしん)を裕福な弟の将来(『備後国風土記』では「或本作巨旦將來也」とあり、巨旦将来〈こたんしょうらい〉と表記され、金神のこととされる)は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟将来の一族を滅ぼした。武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と正体を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。

蘇民将来の起源

武塔神や蘇民将来がどのような神仏を起源としたものであるかは今もって判然としていない。

武塔神については、密教でいう「武答天神王」によるという説と、尚武の神という意味で「タケタフカミ(武勝神)」という説が掲げられるが、ほかに朝鮮系の神とする説もあり、川村湊は『牛頭天王と蘇民将来伝説』のなかで武塔神と妻女頗梨采女(はりさいじょ)の関係と朝鮮土俗宗教である巫堂(ムーダン)とバリ公主神話の関係について関連があるではないかとの説を述べている。蘇民将来についても、何に由来した神かは不明であるものの、災厄避けの神としての信仰は平安時代にまでさかのぼり、各地でスサノオとのつながりで伝承され、信仰対象となってきた。   ウィキペディア20170211 0938による


 この蘇民将来伝承に関心を持たれる方は、ひぼろぎ逍遥(跡宮)から以下をお読み下さい。


371

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 C 宮崎県五ヶ瀬町鞍岡

の祇園神社の更に深部へ

370

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 B 分離先行トレッキング

361

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 A 鳥瞰

346

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜


詳しくは上を読まれるとして、重要なのは、この蘇民将来伝承の巨胆(草部吉見神の父神)と考えられるのです。

 まず、蘇民将来伝承はイスラエルの話にも似て、武塔神(スサノウ)が一夜の宿を断った裕福な巨胆の一族を皆殺しにするが、武塔神は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印としてその娘を除く弟巨胆将来の一族を滅ぼしたというものです。

 故)百嶋由一郎氏の手書きメモ(018阿蘇系譜@-2)には、豊かな弟の神沼河耳=金凝彦が巨胆であり、

貧しい兄の蘇民の神八井耳が蘇民であると記されているのです。

 阿蘇氏の本拠地が阿蘇谷から南阿蘇そして草部にあることは言うまでもありません。

 そして、スサノウの姉の神俣姫(クラオカミ)=神沼河耳=金凝彦(巨胆)を祀る神社が阿蘇の高森の草部吉見神社の南20キロほどの宮崎県五ヶ瀬町鞍岡に鞍岡神社(祇園神社)があり、今も蘇民将来伝承が色濃く残っているのです。

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祇園山の麓の祇園神社の縁起に見る「蘇民将来、巨胆将来」


 詳しくは4本の拙稿をお読み頂きたいのですが、まず、阿蘇の草部吉見神社を中心に半径230キロの中に阿蘇神社、草部吉見神社、鞍岡神社(祇園神社)が揃っているのです。

 恐らく、故)百嶋由一郎氏もこの事にお気付きになっていたと思うのですが、この鞍岡神社には神沼河耳=金凝彦(巨胆)のお妃であった闇龗神(クラオカミ)も祀られているのです。

 そもそも、この女神は鞍岡にいたからこそクラオカミと呼ばれていたのです。

 ここまで、見えて来ると、武塔神(スサノウ)が、何故、神沼河耳=金凝彦(巨胆)を皆殺しにしたかも見えてきたのです。

 もう一度、神代系譜をご覧になってください。 そもそもスサノウは金山彦の妹であるイザナミがイザナギとの間に産んだ子であり、金山彦の従姉弟にあたる神です。

無題.png そして、この闇龗神(クラオカミ)はそのスサノウの姉にあたるのです。では、右の方に目を移して下さい。神沼河耳=金凝彦(巨胆)は、闇龗神(クラオカミ)をお妃としながらも、神武天皇のお妃であったアイラツヒメをもう一人のお妃にしているのです。

しかも、そのアイラツヒメは金山彦の新たな敵となりつつあった熊襲(トルコ系匈奴)の大山祗の娘である神大市姫を妃として金山彦との間に産れた女神だったのです。

これを、金山彦の実質的な後継者であったスサノウは姉の不遇、粗末な扱いを絶対に許す事はできなかったと考えられるのです。

このスサノウ × 阿蘇戦争の背後には金山彦系から新興勢力の大山祗もう一つの対立が見えてきたのです。

 これで、高龗神が滅ぼされる時に闇龗神の一族が害されない様に過ぎ越しの印が必要とされた理由が見えてきたのでした。

 本当にイスラエルの過ぎ越しにそっくりの話ですが、それもそのはず、金山彦もイスラエル系であったと言っておられたのも百嶋由一郎先生でした。なんとかそこまでは理解できる所までやってきたようです。

そもそも鳥居の「トリイ」はヘブライ語アラム方言で「門」という意味なのです。

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百嶋神社由一郎氏の神代系譜、音声CD、手書きスキャニングDVDを必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2019年07月18日

607 出羽から陸奥への道 番外 続“山を森と呼ぶ人達”

607 出羽から陸奥への道 番外 続“山を森と呼ぶ人達”

20180805

太宰府地名研究会 古川 清久


先に、ひぼろぎ逍遥(跡宮)582 出羽から陸奥への道 A “山を森と呼ぶ人達”として森地名を取り上げましたが、これはその続編にあたります。以下、冒頭の部分をお読み下さい…。

まず、山を「森」(モリ)と呼ぶ傾向を考えますが、そもそもフランス語では、Montagne(モンターニュ)と言いますね(モン・ブラン、モン・サン・ミッシェル…)、スペイン語はMontañ(モンターンニャ)、イタリア語も似たり寄ったりですが、英語は言うまでもなくMountain(マウンテン)ですし、ウルドゥー語もmountain(マウンテン)です。

面白いのはポリネシア語圏のハワイ島にマウナ・ロア=長い山、マウナ・ケア=白い山…があることです。

ちなみにトルコ語の山はdağ(ターグ)で以前から「岳」や「嶽」に通底しているような気もしています(百嶋神社考古学では熊襲はトルコ系匈奴とします)。


青森県弘前市を最後にいよいよ九州に向かって南下する時がやってきました。

弘前から国道7号線で日本海沿いに南下するのが無難で普通の選択なのでしょうが、同じ道を引き返して帰るは愚である…とばかりに、古代出羽の国の中心部を南下する事にしました。

勢い、105号線でマタギの里として知られる秋田県北秋田市阿仁辺りを通る事にしたのですが、その途中でかなり興味深い事に気付きました。

突然妙な話を持ち出しますが、皆さんは山を何と呼ばれているでしょうか?

山は山じゃないか…と言われるでしょうが、実はそうとも言えないのです。

 これまで、高知県の西部と言うか南部と言うか、当然ながら愛媛県の西南部も含むのですが、このエリアでは山は「〇〇森」と表記されているのです。

勿論、会話上では「山」で通じないなどという事はないのですが、地図をご覧になればお分かりの通り、大半、「〇〇森」と表記されているのです。

 これをどう考えるかですが、かつて山を普通に「森」(モリ)と呼ぶ人々が多数派であった痕跡ではないかと思うのです。

 この「〇〇森」は四国の西南部に広く分布しており、以前から注目していました。

 ところが、今回、青森、秋田、山形、福島…など東北地方の神社調査、民俗調査に入ったのですが、秋田県北秋田市の阿仁地域を横断したところ、「〇〇森」型表記が支配的である事に気付いたのでした。

 まず、山を「山」以外で表記する例は外にもあります。

 当然ながら「岳」「嶽」「峰」は普通に存在しますが、「山」でも「セン」と呼ぶ傾向も中国地方から兵庫県に於いてかなり見掛けるもので、大山(ダイセン)、氷ノ山(ヒョウノセン)、蒜山(ヒルゼン)、弥山(ミセン)、烏ケ山(カラスガセン)…これらは、一応、山岳修験のもたらしたものと理解しています。

 これで、山を「ヤマ」「サン」と呼ぶのが必ずしも当然とは言えない事がお分かり頂けたのではないかと思います。

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さて、ここで多少思い当たることがあります。

 そもそも「山」という文字はホコ(鉾、銛)の形をしています。

海神(ネプチューン)の持つ三叉槍の形が「やま」であるとすれば、祇園山笠の山鉾が「山鉾」(ヤマボコ)と呼ばれている事にも奇妙な付合を感じています。

 まずは、山が森と表記されている四国南西部の事例をご覧頂きましょう。

 これは高知県須崎市の西の津野町の○○森ですが、別に特殊なものではなく、四国南西部全域に普通に分布している一例ですので、後はご自分でお調べになって下さい。

 まだ、半信半疑かと思いますので愛媛県の例を出しておきましょう。

 司馬遼太郎の効果で良く知られるようになった西土佐の檮原町の直ぐ北の西予市○○森の例です。

 無論、山奥の集落には違いが無いのですが、恐らく四国全域には数百の○○森型表記が確認できるのではないでしょうか?

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まだまだありますのでご自分で


 以下省略。

 さて、現在、東北に展開した斯波氏(室町幕府将軍足利氏の有力一門で細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられる有力守護大名)を調べているのですが、理由は簡単で、五年ほど前から戦国大名の朝倉氏が古くはこの斯波氏の臣下であったことに気付いていたからでした。

その上に、福岡県の現朝倉市に朝倉、志波という二つの大きな地名が関係していると考えたからです。

そこで、岩手県盛岡市などを中心に多くの地名を調べていたのですが、この「森」地名の典型的な例に気付いた事からご紹介しようと思い立ったものです。

 盛岡市の「七ツ森」地名(三ケ森という地名は北九州市にもあるのですが…)は明らかに七つの山が拾えるため、山を森と呼ぶと言うことが最も分かりやすい例だと思いますので改めてご紹介しました。

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実はこの「七ツ森」地名は、宮城県黒川郡大和町にもあります。7つの山の総称であり確かにそのような形をしています。してみると九州にあってもおかしくはなさそうです。

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これは一例に過ぎませんが、詳しくは以下のサイトをご覧ください。

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山を表す「〜森」という地形を集めてみました。「盛り」から転じたと言われていますが、東北地方と四国を中心に多数分布しております。


と、書かれている通り、四国は把握していましたが、東北の分布に関する把握が遅れたようです。

実は、後で思い出したのですが、手持ちの「南九州の地名」にもこの事はふれてあったのです。

鹿児島県南九州市にお住いの青屋昌興先生とは何度もお会いした間柄でしたが、この森地名は南九州にも分布しており、四国の色濃い分布もその延長に存在しているのではないかと考えています。

 まだ、気になる事があります。

京都の祇園祭の「山鉾」巡行ですが、「鉾」とは「銛」であり、「山」と「森」とが間接的に繋がっているように見えるのです。

 まず、山は三(サン)とも呼び、三本の指はポセイドンの三つ又の鉾と同じ形を表しています。

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無題.png三を表す場合、普通は真ん中の三(山)本の指(人刺指、中指、薬指)を立てますし、その場合鉾=銛(森)の形になりますね。

 このように三つ又の鉾(ネプチューンの鉾)が

三を表すことから同時に「山」を表し、鉾が銛であることから、「山」を「森」と呼んだのかも知れません。

 因果関係が前後しているかもしれません。

しかし、この奇妙な関係が「山」を「森」と呼ぶ問題と関係しているはずなのです。

 海神族は海人族と重なっており、この海人族の移動と山と森の日本語の分裂現象が関係しているのではないかと思うのです。

 では、「山鉾」は何故「山車」と同義とされ、山車(ダシ)とも呼ばれたのでしょうか?

 そして、ダシとは如何なる意味があるのでしょうか?今後の課題です。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記