2019年06月11日

591 出羽から陸奥への道 J “兵庫県香美町の黒野神社”

591 出羽から陸奥への道 J “兵庫県香美町の黒野神社”

20180615

太宰府地名研究会 古川 清久


 引き続き出羽、陸奥へ探訪記を書くことにしますが、この神社は、いつも休憩に使わせて頂いている兵庫県でも香美町の小代温泉(オジロン)の手前、村岡にある堂々たる神社で、今回、初めて参拝させて頂いたものです。

 国道9号線は兵庫県養父市から鳥取市へと下りますが、豊岡市から直接この村岡区で9号線にアクセスする国道482号の合流地点付近に鎮座するのがこの黒野神社です。

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黒野神社 カーナビ検索 兵庫県美方郡香美町村岡区村岡723-2 0796-94-0432


「鳥取県神社誌」は手に入れていますが「兵庫県神社誌」は手持ちが無い事から、ここでも敬愛する玄松子氏を引用させて頂きます。


式内社 但馬國七美郡 黒野神社

合祀  式内社 但馬國七美郡 志都美神社二座 旧県社

御祭神 黒野坐大神 (天津彦火能邇邇芸命)

配祀  志都美上大神 (天御中主命) 志都美下大神 (木花咲耶姫命)

兵庫県の香美町村岡区にある。山陰本線養父駅の北西32Kmほどの村岡に鎮座。

村岡は、江戸時代に山名氏が入部するまで黒野と称されていたらしい。9号線を北西に進み、482号線へ入って200mほどの場所。482号線に面して境内入口がある。地図を見ると、山陰本線江原駅から神鍋高原を越えて482号線を進んでも社前に到着するようだ。

鳥居の右脇に「縣社黒野神社」と刻まれた社号標が立ち、鳥居扁額には、「式内 縣社」とあり黒野神社の左右に志都美下神社、志都美上神社と刻まれている。

鳥居をくぐり参道を進む、階段を上るともう一つの鳥居。その奥に、入母屋造の堂々とした拝殿がある。

境内の左手に社務所があり、右手には神庫。拝殿の左右に、上へのぼる階段があり、入母屋造の本殿。

創祀年代は不詳。式内社・黒野神社に比定されている神社。一説には、橘諸兄公ゆかりの従三位参議黒野経秀卿が但馬国に配流された時に創祀したとも伝えられ、大同二年(807)、境内背後の伊津岐山山頂に鎮座し、永享八年(1436)麓に遷座したとも伝えられている。伊津岐山には、式内社・志都美神社二座の社殿も鎮座していたが永享八年(1436)、当社の遷座と同時に合祀したという。

よって、伊津岐三社大明神とも呼ばれていたというが、寛永十九年(1642)に当地に入部した山名氏が伊津岐大明神と改称したとも伝えられている。

以後は、城中鎮護の氏神として、歴代領主の崇敬を受け建て替えや多くの寄進を受けた記録が残っている。

黒野神社も志都美神社も七美郡の式内社だが、黒野神社が黒野村(現・村岡)の守護神であるのに対し、合祀されている志都美神社は、七美神社とも記されており七美郡全体の守護神だと考えられている。

ただし、黒野の地に遷座した後は黒野神社と称され黒野神が主祭神として扱われるようになったらしい。

現在、黒野神は天津彦火能邇邇芸命。志都美上神は天御中主命、志都美下神は木花咲耶姫命となっている。ちなみに、七美郡と二方郡が合併したのが、現在の美方郡。明治六年郷社に列し、大正十二年県社に昇格した。

境内社がいくつか祀られている。参道脇に金刀比羅宮。本殿の右手には皇大神社。本殿の左手に、天満宮、西宮神社・愛宕神社・稲荷神社。山神社・御滝社などの遥拝所などもある。境内に神馬像があり、三つ巴の神紋が付けられている。

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右は境内摂社 金毘羅宮

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参拝殿

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西宮は普通は恵比須神社で、愛宕は金山彦(多分主神です)、稲荷は伊勢の外宮様こと豊受大神ですね

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今回は特別なイメージが湧いてきません。何度も通過している村岡地区ですが、正直言ってこの土地がどのような氏族(民族)が入っているかが掴めていないからですが、神社の概要は玄松子氏が完璧なリポートを降ろして下さっています。ただ、主祭神がニニギであるというのは奇妙に思えます。

 多分、明治期の縣社昇格のためにニニギが選ばれたのであって本来は別の祭祀が存在していた様に思います。天御中主命と木花咲耶姫命とのバランスが何とも悪いのです。

 なんでだ?コノハナノサクヤはニニギのお妃ではないかと言われる方は多いでしょうが、百嶋神社考古学ではニニギとコノハナノサクヤとは短期間で、後は前玉姫と名を変え北関東(埼玉県)に移動している事を知っているからであり、さらに言えば、ニニギを主神として祀る神社は非常に少ない事も経験的に分っているからです。

直感だけで申し上げれば、元々この神社は玄松子氏が指摘されている“橘諸兄公ゆかりの従三位参議黒野経秀卿が但馬国に配流された時に創祀したとも伝えられ、大同二年(807)、境内背後の伊津岐山山頂に鎮座し、永享八年(1436)麓に遷座したとも伝えられている。”ように、橘氏の支配地であり、その証拠にヤタガラス(豊玉彦)を象徴する矢田川が流れ出しているのです。

このように、橘氏のエリアにニニギが主神として祀られるというのはレアな上に異常な印象を受けてしまいます。そもそも黒が付く名は金山彦系という印象もあります。

もう一つ気になる事があります、この但馬地方は百嶋先生が言われた通り九州の地名が数多く拾える事から、九州王朝が(恐らく8世紀初頭から平安遷都までの間)橘一族のエリアに避退しているのではないのかとしてきました(ひぼろぎ逍遥531533「但馬」上中下)。

無題.png特に、ここには村岡と小城と言う地名が拾えることから、どうみても佐賀県小城市の人々が地名を持ち込んでいるとしか思えないのです。そうです。祇園さんで知られる村岡屋の小城羊羹ですね…。

この地の村岡区小城にも八坂神社がありますね…。私は、初めてこの地を通過し村岡という地名に遭遇した時点で気づきましたが、この佐賀県小城市もスサノウ系、金山彦系祭祀が濃いエリアなのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記